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蜘蛛の塔  作者: シュリ
Truth

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第二十七話 手記 五

 町を見下ろすようにそびえ立つ洋館がある。代々領主の住まう館である。美しい装飾の施された優雅で荘厳な佇まいであるが、今は無骨な柵と巨大な大砲で覆われており、その優美な姿は失われている。

 槍を並べたような堅牢な鉄門が開かれ、領主が帰館する。

「おかえりなさいませ。いかがでした?」

 青白い顔をして戻ってきた夫を妻が出迎えた。コートを取り、後ろの側仕えに手渡しつつ尋ねる。男は足元に目を落としながら無表情に「ああ」と返した。

「あれは、本当に魔女だ。人の心を持ち合わせていない」

「まあ」

 そんなのわかりきったことじゃない、と言いたげに妻は相槌を打つ。

「しかし、安心しなさい。私は魔女に約束させたよ。あとはあれに任せておけばなんとかなるだろう」

「頼もしいわね」

「とおさま、おかえりなさい」

 たどたどしい、あどけない声がして、夫は足元を見下ろした。

「いい子にしていたかい」

 一人息子の小さな身体を抱き上げ、空いた手で背を撫でてやる。男の目は遠く彼方――魔の森の方角をいつまでも睨んでいた。


 魔女が男と会談してから数日後、魔の森に囲まれた広い丘の上に魔女が立ち、足元にひしめき合う夥しい数の鴉の群れに向かって微笑みかけた。

「私は魔女だけど、引き受けた頼まれ事を有耶無耶にするほど曲がった性格ではないのよ」

 彼女の声を聞き、鴉たちは口々にカァと鳴き出した。同意してくれているのだろうか。

「さあ、お行きなさい。後始末も忘れずお願いね」

 鴉たちは一斉に羽ばたいた。それぞれの脚にねずみや蛙、蜥蜴など小さな生き物を掴まえている。毒々しいほど紅く染まった空に黒い群れは溶けてゆく。

 その様を見上げる彼女の目は、どこかしんみりとした、悲痛な色を浮かべていた。

 ふと、とんと綿が載るような軽い感触を肩に感じた。いつの間にか小さな黒い蜘蛛が這い上り、並んだ黒い瞳をじっとこちらに向けて触肢を動かしている。

「何をしているの」

 囁くような声で優しく咎め、蜘蛛を摘まみ上げた。手のひらに載せて真正面からじっと見つめてやる。彼はしゅんとおとなしくなり、何か物言いたげにもじもじしていた。

「――ああ、心配してくれているのね。ありがとう。大丈夫よ。……ただ、今の自分にどうしようもなく失望しているだけなの」

 人間にはもう関わらないと決めていた。これまで彼らの醜い争い事には首を突っ込まず静観を決め込んでいたというのに、あの男が来て、自らの意思をねじ曲げてしまったのだ。

 自分は何をしているのだろう。きっとろくな結果にならない。記憶の底に埋もれた何百年という歴史の中に、きっと教訓を得た出来事もあったのだろう、頭がこんなにも警告を発している。それなのに。

「私、本当に馬鹿だわ」

 ただ深く嘆くしかない。

 長い人生の中で培ってきた意志を自らの手で貶めてしまった。人間から遠く離れた存在でありながら、人間らしい感情にいとも簡単に絆されてしまった。恐れられ、遠ざけられ、嘲られ、罵られたとしても、君しかいないと頼られたら、自分はいつでもこの心を溶かしてしまうに違いない。

 鴉たちが戻ってきたのは翌日の深夜だった。各々、嘴に光るものを咥え、彼らの脚に摑まえられたねずみや蛙や蜥蜴たちもそれぞれ丸く光るものを抱えていた。ところどころ怪我をしている者もあったが、魔女が数えたところ全員無事のようだった。

「おかえりなさい。よくやったわね」

 玄関ホールで彼らを出迎え、整列させる。彼女は透明なガラスのボトルをいくつか抱えて持ってきて、彼らの前にそっと置いた。

「さあ、戦利品をここに。一人ずつよ」

 彼らはいそいそと進み出て、ぽとんと目玉を落とした。まだ赤いもののこびりついた目玉はぎゅうぎゅうと詰め込まれ、全て入れ終わった頃には、下の方が若干潰れているほどだった。

「偉いわ。みんな大変な役目をありがとう。お湯を張ってあるから浴びていきなさい」

 生き物たちが嬉々として去って行く。彼女は兎たちを呼び、銀の盆にボトルを並べて彼らに預けた。

「こっちよ」

 背筋を正して真っ直ぐに歩く彼女の後ろを、兎たちはよたよたとついて行く。揺れる銀の盆の上で、ボトルがかたかたと不安げな音をたてた。

 屋敷を出て広い丘の真ん中を歩いていく。空は鉛を張ったような厚い雲に覆われて月が見えない。生暖かい風が肌を撫で、心地よさよりも、どこか濁ったようなにおいが立ち込めて陰鬱な気持ちにさせた。

 やがて魔の森にたどり着くと、彼女は入り口に近いところで立ち止まった。

「盆を置いて、この辺りを掘って頂戴」

 兎たちはうなずき、言われたとおりに土を掻き始めた。ある程度の大きさの穴が開くと彼女は兎たちを制し、自らボトルを穴の底へ並べ始める。

 そして、上から土を被せた。

「供養というの。覚えておきなさい」

 もう行っていいわよ、という声を聞き、兎たちは盆を持ってよたよたと走り去った。

 独り残された魔女は、細い背中を丸めて、今し方埋めた土の方をじっと見つめていた。そして、地に押しつけるように膝をつき、両手を投げ出して突っ伏した。

 ――ごめんなさい。

 ――ごめんなさい。

 頼りない細い両肩が激しい後悔に打ち震える。

 押し寄せる波のように懺悔の意思が湧き起こり、声にならない言葉を幾度となく繰り返す。

 恋慕という汚れた思いに操られ、罪なき人々を殺してしまった。一人の人間の欲望のために力を行使してしまったのだ。

 ――ごめんなさい。

 肩にぽつぽつと冷たい水滴が落ちる。

 月さえ隠す黒い雲間から、氷のように冷たい雨がしとどに降り注ぎ、ひたすら後悔の念に苛まれる女の背を打ち続けた。


   


 鴉の報告はいつも迅速で、正しい。だから、早くも東西が統一され、領主の男が全てを都合良く整備しているというのは紛れもない事実なのだろう。

 あの日、魔女の指示により鴉たちは人間の命を奪った。同行した他の生き物たちも、奪った相手の目玉を持ってくるようにとの命を忠実に実行した。

 東側の人間が突如息絶え、全員が目玉を抜き取られていたという情報はよほど堪えたらしい。領主の男もその妻も腰を抜かし、「魔女の呪いだ」と呟いたという。

 その後町がどうなっているかなど、本当は知りたくもなかった。自分の犯した罪は消えない。人知の及ばぬ力で命をねじ曲げた罪は、例え死んでも赦されることではないのだ。


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