表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蜘蛛の塔  作者: シュリ
Solitude

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/43

第十八話 家路

 柔らかな日差しの中、屋敷を出るメアリの姿があった。手にはまとめられたロープを持ち、簡素な青いドレスを着て優雅に歩いていく。流れる風になびく黒髪は羽ばたく鴉のようにも見える。

 メアリは森の入り口に入り、うなずいた。

「予定通りですね」

 金色の瞳が向けられた先。木立にぽかりと開いた出入り口に、二匹の猫が座っている。精巧に作られた置物のようにまっすぐ鎮座し、細い金色の瞳孔を光らせて辺りをくまなく見張っている。

 メアリはそのまま真っ直ぐ進み、地面から顔を出した『塔』の前で立ち止まる。そっと覗き込むと、真下に少女の姿を確認して思わず微笑む。

「まあ……さぞ、楽しみに待っておられたのですね」

 独りごちて、手にしたロープをはらりと垂らす。『塔』の薄闇の中へと真っ直ぐに降ろしていく。端に括り付けた杭で固定すると、メアリはロープに掴まりするすると降りていった。

 メアリが『塔』へ消えていくのを、じっと見ていた気配がある。滑らかな金の鱗。長くうねる細い身体。金の蛇である。彼らは、森の様相が一部様変わりしたことを察知して、この場所を発見した。

 見れば、眩しいほど開けた森の出口が見える。

 蛇たちは互いに目配せし、するすると近づいていった。

 途端に、彼らの動きが止まる。目の前に立ちふさがり、こちらを睨む獣の姿があった。出口の両脇を固めた彼らは、ここを通すまいとグルグル唸っている。

 蛇と猫は互いに睨み合った。


 柔らかい木漏れ日が差す中で、少女は揺り椅子にもたれて眠っていた。黒蜘蛛の単眼が一斉にメアリに向けられる。

「お迎えにあがりました」

 メアリは屈み、そっと肩に手をやった。

「お嬢様」

 何度か優しく揺さぶると、少女は目を開けた。少し眩しげに瞬き、自分を覗き込む乳母の姿に気がつく。

「メアリ……」

「終わりましたよ、全て。さあ、参りましょう」

 色白のなめらかな手が差し伸べられる。

「あ、待って。この椅子を」

「それなら、蜘蛛が持ってきてくれることでしょう」

 ね、とメアリが振り返る。

 少女が腰を上げて不在となった揺り椅子に、黒蜘蛛は糸を巻き付けていた。元よりそのつもりだった。少女にとって、この椅子は何よりの心の拠り所であることを知っているからだ。

「まずは私と蜘蛛が上へ参ります。先日の要領でお嬢様を引き上げますから、少しお待ちくださいね」

 少女が頷く。

 メアリは器用にロープを上っていく。蜘蛛は巻き付けた椅子ごとするすると上へ行ってしまった。

 前回と同様、待っている少女の目の前に糸が垂らされる。身体が固定され、真っ直ぐに引き上げられていく。

 地上に顔を出した時、あまりの眩しさに目を開けていられなかった。

 あの夜見た光景とは様変わりしているように思えた。別の場所へたどり着いたのではないかと思うほど、辺りの様子は違う物に見えたのだ。

 鮮やかな緑の木立と、艶やかに色づいた草花。柔らかなそよ風は森の芳醇な香りを乗せて流れていく。雄大、自然、命、そういった言葉が頭の中をよぎっていく。

「今日は良い天気です」

 少女に手を貸し、地面に立たせながらメアリが言う。

「私たち鴉も蜘蛛たち同様、陽を浴びれば無事では済まないのですが、私はこうして擬態している間は身を守ることができます。その蜘蛛は、何もせずとも平気なようですが……」

 蜘蛛は椅子を背負い込み、こちらをじっと見た。何でもありませんよとメアリは首を振る。

「さあ、お嬢様。一緒にお屋敷へ参りますよ」

「あの、本当に、お母様は」

 不安げに少女が口にすると、メアリは人差し指を唇に当て、悪戯っぽく笑った。

「どうぞお楽しみに。全て我々が綺麗に取りはからいましたから」

 少女の顔が期待に綻ぶ。その様子を、黒蜘蛛は複雑な気持ちで眺めていた。

 森の出口が見えると、少女は「あっ」と声をあげた。

 二匹の黒猫がすまし顔で座っている。よく目をこらすと、口をもごもごと動かしているようだった。

「かわいい……」

 少女は思わず駆け寄り、そのもふもふとした毛並みに手を伸ばした。触れる直前でしばし思いとどまり、猫の丸い金の瞳を遠慮がちに覗く。

 この目。なんとなくどこかで見たことがある気がする。

「猫をご覧になったのは、初めてですか」

 後ろからのんびり追いついたメアリが尋ねた。

「ああ、これが猫というのね。初めてよ……」

 猫は口をもごもご動かしながら、少女の伸ばした指先に額を擦り付けた。

「わあ……ふわふわだわ。なんて気持ちがいいの、それに温かい」

 少女は夢中になって撫でまわす。猫は心地よさそうにごろごろと喉を鳴らした。

「なんてかわいいのかしら……連れていってはいけないの?」

 メアリは困ったように眉尻を下げた。

「……猫たちの家は、この森にあるようですわ。お望みなら、どこかで猫を買って参りますから」

 名残惜しそうに少女がその場を離れると、二匹の猫はメアリに向かってうなずいた。

 もごもご動く口端から、見慣れた金の尾の先が少しだけ覗いている。




 木立の隙間から一歩踏み出る。少女の白い身体に朝陽が照りつけ、明るく輝かせた。

 少女は眩しそうに目を細めて立ち止まる。

「目を開けていられないわ」 

「まあ」

 メアリはくすくす笑う。

「そのうち慣れますわ。さあ、私の手を」

 二人は手を取り、足元に流れる小さな川を渡った。その後ろを蜘蛛もついて行く。

 広々とした丘に、ざあ、と風が流れ、傾いだ草花が大きく揺れる。さわさわと囁くような草木の音が耳を掠めていく。

 目が痛いほど眩しいけれど、何もかもが心地良い、と思った。

 一歩、また一歩と踏み出すたびに、足下の草が柔らかく裸足を撫でる。気持ちがよくて、嬉しくて、一つ一つを踏みしめながら歩いた。

 白い壁と赤茶の屋根の建物が少しずつ近づいてくる。周囲をぐるりと囲む花壇や、その一角にずらりと並んだ銀色のじょうろまでが見えてくると、少女の顔がいよいよ緊張に強張った。期待と不安がない交ぜになり、口元をきゅっと引き結ばせる。

 背中に何かがつんと触れた。振り返ると、蜘蛛が触肢を伸ばしていた。少女の心の波を感じ取ったのだろうか。優しく背中を押すように、脚の先で軽くつんつんと突いてくれる。

「大丈夫。平気よ。……ありがとう」

 自分には、蜘蛛もメアリもついている。怖気づくことは何もない。そう思い起こし、少女はまっすぐ前を見据える。

 少女とメアリと蜘蛛は、屋敷の前で立ち止まった。見上げるほど大きく重厚な扉が目の前にそびえ立っている。

「では、呼び鈴を鳴らしましょう」

 メアリが手を伸ばし、ひもを引いた。

 沈黙。

 少女にとって永遠とも思える一瞬だった。生唾を飲み込み、聞こえてくる音、見えるもの全てに注意を向ける。

 やがて、扉がゆっくりと動き出した。ぎぎぎ、と錆びついたような音と共に、少しずつ開かれていく。

 メアリが左側へ身体を避けた。開かれた先の光景が露わになる。

 金色の髪の女性が立っていた。美しい微笑みをたたえ、両手を広げて。

 少女の唇が震える。掠れた声で、ゆっくりと問う。

「お、母、さま……?」

 夢で何度もその背を追いかけ、ついに見られなかった母の顔。その顔は、自分に向かって優しく笑いかけていた。

「おかえりなさい、我が子よ」

 ほっそりとした腕が、少女の身体を力強く抱きしめる。

「お母、さま……」

 少女の腕は戸惑ったように垂れ下がったままだったが、やがておずおずとその背に回される。

 母と娘は抱き合ったまま、しばし時を忘れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ