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広島復興記   作者: 鈴宮 とも子
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終章

終章


 カープに対する融資などの資金援助は、昭和四十年に「広島東洋カープ」と改称し、運営が東洋工業に一本化されるまで続けられ、その額は三百万円以上にのぼったのではないか、と本店営業部勤務の行員は話している。

 (よく誤解されるが、東洋工業は広島カープのスポンサーというだけではなく、経営にも若干は関わっているのである)。

 平和大通りの百メートル道路は軍用に使われることはなく、現在はその両側に慰霊のための石灯籠が立ち並んでいる。

 その形はさまざまで、ライオンの形をしたものや、三本の足のあるもの、先端が五〇円玉のようになっているものもある。

 毎年クリスマス頃になると、『ドリミネーション』と称したライトアップが、この百メートル道路で行われる。カープや宮島の社殿のイルミネーションが飾られていたこともあったし、ドラゴンや馬車、滝などのイルミネーションなどもお目見えしたことがある。

 白馬が馬車を引いて、その道路を案内してくれる。もちろん御者つきである。

 しかしそれは、この時点では遠い未来のことである。

日本はまだ貧しく、衣食住すべてに困窮していた。

 高度成長期を経て、初めて日本は豊かになったのだ。

 そこには、がむしゃらに生きる人々の姿があった。

 目の前に広がる、明るい希望を信じて、ただひたすら突き進んでいった。


日本が独立した昭和二十七年、進士の容態が急変した。

 病院の近くに泊まり込んでいた橋本は、急を知らせる看護婦に連れられて日赤病院へと駆け込んだ。普通なら、親族が居るべきだったのだが、進士の義妹小夜子は、

「関わりたくないわ。初子の時に、大騒動したんだもの」

 と冷たく言い放ち、見舞いにすら来なかった。

 橋本が部屋へ入っていくと、進士はげっそりと痩せ、頭髪は一本もなかった。

「とうとう、来たのさ」

 進士は、ニヤッと笑い、げぼっと血を吐いた。

「副頭取!」

 まだ二十代になったばかりの橋本は、ベッドにすがりついた。

「進士さん、逝かないで! 親父だけでなく、あんたまで……」

「泣くな。男だろう。あとを……た、の、む」

 苦悶の表情を浮かべたまま、進士は永遠の眠りについた。初子というこころの支えを失い、また、カープ設立という夢が叶ったこと、そして最後の願いである独立ができたことを知って、思い残すことはないと思ったのだろう。

 血を吐き、もだえながら、彼はあの世へと旅だった。

「だからあんなに無理するなと言ったのに」

 医者は、ブツクサ独り言をつぶやいた。

「自分の命より大切なものは、ないだろうに……。絶対安静だった彼を突き動かしたのは、いったいなんだったんだ」

 看護婦は、ちょっと首をかしげる。

「使命でしょう」

「なに」

「あの方は、使命感がおありだったから。日本が独立するのを見届けるまでは、死ぬに死ねないと思っておられたのかもしれません」

「―――使命か……。彼なら、そうかもしれんな」

 葬儀は、銀行の行員たちで行われた。喪主は橋本である。若い彼にとって、父も同然の進士を失い、橋本は泣いていた。

「しっかりしろ。おまえは後を託されたんだろ」

 仲間は、橋本をどやしつけた。

 喪が明けたあと、後継者である橋本は、桐原の家に身を寄せた。

「突然の現金封鎖で銀行がピンチの時に、よくがんばった。旧紙幣に切手を貼って流通させるというアイデアは、秀逸だった。キミの才覚は、この混乱期には貴重だ。時代は変わっていく。助言をしてもらえるとありがたい」

 桐原のねぎらいの言葉を聞いて、橋本は、言葉にならない声で桐原に感謝した。進士という後ろ盾を失ったので、その申し出はありがたかった。

 廃墟にたったひとつ残った金庫は、いまはG銀行の中にある。

 偶然水瓶を満たしていたため、現金が焼失しなかった金庫は、日銀のところにあると言われている。そして、機会があると、その話を橋本は部下にするという。

 朝鮮戦争が起こり、水素爆弾がビキニ諸島で炸裂すると、第三次世界大戦への恐怖が世界を駆け巡った。時あたかも冷戦。広島では、平和運動が立ち上がっていた。時あたかも水爆実験の頃である。広島は、平和運動のメッカとしてその地位を確立した。

 その後、数々の平和活動が、毎年のように行われるようになった。

国際会議室での子どもたちの平和発表会。

 核兵器廃絶のための署名運動。

 原爆ドーム前でのフラダンスや歌などの演奏会……。

 そして毎年八月六日になると、恒例の灯籠流しが行われる。美しい灯をともした小さな灯籠が、犠牲者のもっとも多かったと言われる太田川の中を流れていく。

「安らかに眠ってください。過ちは、繰り返しませんから」

 二○一六年には、現職の大統領が、原爆資料館を訪れて、その惨状について学んでくれた。被爆者と大統領の抱擁は、感動を持って放送されたが、アメリカでは一部を除いて完全に無視されたという。

 だが一方で、庶民の地道な活動により、核兵器が有名無実化していることも事実であった。その功績をたたえ、二〇一七年、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が、二○一七年、ノーベル賞を受賞した。

 

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