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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅲ 生徒会長、橘加奈
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66話   エピローグ

   エピローグ


 目覚まし時計が、これほど鬱陶しく思ったことはそうそうない。思わず布団をかぶったまま張り飛ばすなんてことをするとは思わなかった。私は、目をこすり、布団から出る。そして起床一番に目にしたのは、床に転がる悲惨な状態の目覚まし時計だった。

「ああ、やってしまった」

 私は顔を手で覆う。

 時計が床に落下したときに響いたのだろう、階下から穂波さんが心配そうに声を掛けてくる。

「加奈ちゃん、こけたの?」

「ああ、いや。違います。すみません、驚かせてしまって」

 床に落ちている目覚まし時計は、針が折れて、ガラスにひびが入っていた。中の歯車もおかしくなっているのだろう。秒針、長身共に動いていない。

 私は、少し悲しい気持ちになる。

 ちょっとしたことだったけど、手で払いのけさえしなければこれは壊れなかっただろうに。別に高いわけでもなければ、愛着があったわけでもない。でも壊してしまったことは、いやだった。

「ごめんね」

 私は、時計に向かってそういう。そして壊れてしまったものを部屋の隅に置く。

 昨夜は、那岐が急に体調を悪くするし、飯田との喧嘩は私の感情をジェットコースターのように上下させた。怒りと喜びに、悔しさの涙。もうこれで疲れていないなんて言ったらうそになる。

「ほんの数時間で、私の置かれた状況っていうのは、こんなに大きく変わるものなのだな」

 私は、制服に着替えた後、洗面所で顔を洗う。

 そしていつも通りに、台所で穂波さんの手伝いをする。私の隣には、有紀がいて、彼女もいつも通りに包丁を手に食材を切っていた。

「朝から重い話をするようで悪いが、一つ有紀に聞きたいことがある。いいだろうか?」

 彼女は不思議そうに首を傾げる。別にかまわないと言った様子だった。

「こんなことを聞いていいのか分からないが、聞かないと気が済まない部分がある。気を悪くしないでくれ」

 私はこう前置きした。

「別に構わないよ。大抵のことは聞かされても、驚かないつもりだから」

「そう言ってもらえて助かる」

 私は昨夜、那岐に起こったあの異変について、ある程度ぼかしを入れつつ説明する。さすがに、有紀も那岐の体調に変調をきたす一要因であったことから、そのままいうわけにはいかなかった。

 ではなぜ私は、そんなややこしいことをそもそも彼女に聞いたのか。

 それは有紀が心療内科系に詳しいという事だったからだ。せめて、那岐の状態をもう少し把握しておきたかった。

「その女の子は、かつて友人が非常に傷ついた状態を見て心に深い傷を負っている。そしてある条件が重なって、その子は顔色を悪くすると、しゃがみ込んだ。どんどん体は冷たくなって危険な様子だった、か」

 有紀は、私の言葉を復唱すると悲しそうな顔をする。

もしかして私の言っていることを察してしまったのだろうか。いや、誰がどういう状態かを一切伏せているんだ。さすがにそんなことはないだろう。

 私は一瞬ヒヤリとした。

 有紀は、包丁をいったんまな板に置いて、腕を組む。難しい顔だった。

「……精神に対する負荷が尋常じゃないね。それだけ。今加奈から聞いた話だと、それで精神疾患かどうかなんて言うことはできない。でもその子の心がひっ迫していることは事実だよ」

 有紀は真っすぐに壁のほうを見ている。特に何かを見ている風ではない。だけどその様子は遠く昔の自分を見ているようだった。

「負担を取り除いてやれば、治るだろうか?」

「治るかもしれない。だけど治らない可能性も考えられる」

 有紀は私の方を向くと、左手首を差し出してくる。袖をめくって、手首を私に見せてきた。嫌だったら目を背けていい、そう言われた。でも私は目をそらさなかった。

「傷は治るけど、傷跡は消えるかな? 血は止まるけど、痛みはなくなるかな?」

 私は彼女の一言一言を脳に刻むように聴いた。

 手首をとって、傷跡を優しくなぞる。

「ありがとう。参考になった」

「そう」

 有紀は、包丁を握りなおして鶏肉の筋とりを再開する。

 穂波さんは、玄関の方で古紙回収のために新聞をまとめている。雄一郎さんは、パソコンを開いて、ニュースやらメールやらを見ているのだろう。まだ五時だというのに、ネクタイ姿となっている。

 雄一郎さんは、結構大変そうだ。

「もうすぐ朝ごはん、用意しましょうか?」

「ああ、よろしく頼むよ。加奈」

「はい」

 パンをトースターでカリカリに、卵とベーコンを二枚焼く。真っ白い皿に、一枚のトースト、もう一皿にベーコンの上に乗った目玉焼き。コーヒーは有紀に入れてもらう。テーブルにそれらを置いた。

 エプロンがだぶついていたので、裾を引っ張る。

「いただくよ」

 雄一郎さんは合掌すると、黙々と食べ始めた。

 私は食べるという事に対して無頓着だ。朝食も私だけならパン半切れに牛乳で済ませてしまうくらい。それを考えれば、彼は結構しっかり食べるほうなのではないかと思う。また、彼はとてもおいしそうに食べるので、作り手としてはとてもうれしい。

 まじまじ見ているのも失礼なので、台所に戻って他二人の目玉焼きとベーコンを焼いた。

 朝食は啓二、有紀、穂波さんと四人で食べる。

 家事労働をする者が三人いると、穂波さんは以前より時間ができたようにも見える。ただ彼女の場合は、家事をしていればいいというわけではない。穂波さんは、現在有紀のおじいさんのお見舞い、入院する彼女のご両親の経過と治療方針の確認、弟君のお見舞いもある。さらに、有紀本人の体調に対する心配もある。

 現在穂波さんへの心労は相当なものだ。

 啓二は啓二で、雄一郎さんのお仕事を手伝っている。結構夜遅くまで。

 こんな感じで結構大変な毎日を送る私たちだが、雄一郎さんを笑顔で送り出して、穂波さんに笑顔で送り出されて、三人で学校に行くというように結構幸せだ。


 昼休憩、例のごとく生徒会役員が部屋に集まっている。那岐も顔色こそは悪いが、学校には来てくれた。彼女には昨日の顛末を話し、不安のすべてを取り払うようにした。すると彼女は笑顔で喜んでいた。

 ただ、これですべて済めばいいが。

 そしてこの生徒会室で初めて姿を現す人物がいた。学年主任である。眼鏡をかけた白髪の温厚そうな先生だ。私はわりかとこの先生の授業が好きなのだ。そんな先生が、今朝の教員会議に関して私たちの耳に入れてほしいことがあるそうだ。

「みんな忙しいのに悪いね」

 そう一言添えると、学年主任は教卓の前に立つ。

「今朝の教員会議で、いろんな先生からある指摘がされたんだよね」

 指摘? 生徒会にわざわざ話さないといけないような指摘とは何だ? この前、強引に生徒会規則を会長令で変更したことに対する文句か。

 なんていろいろ考えてみる。

 そしてそれが的外れであることは、次の言葉より明白だった。

「なーんか、運動部員の学業成績が悪いって話なんだねえ。赤点とってる子が多いって。特に陸上部」

 出たよ。

 そりゃあそうか。あんだけ部活やってたら、勉強に支障をきたすに決まっている。今までその話が出なかったことの方が不思議だ。

「えっと、運動部に関しては私たちですでに対応策を準備しているんです」

 私がそういうと、学年主任は目を大きく開く。このいかにもぼんやりしていますって印象の先生が時折驚く顔が面白いのだ。癖になってしまう。

 私は、黒いバインダーに挟まれた紙を先生に見せる。

「これは、生徒会長令二六号。ええ、こんなの用意してたの?」

「ええ、陸上部に関しては下校時刻を無視したうえで二時間の活動を行っています。露骨な違反なので、陸上部と明記しております」

 学年主任は絶句する。

 先生は私たちに、伝えたいことがあったようだ。それは、私たちの知るところで、すでに対処する準備をしている。この行動の早さに驚いているのだろう。

「生徒会長令を用いれば、多数決で決めた事案と違って時限的効果なので今回の件に有効と考えますが、問題ですか?」

「あ、いやね。何の問題もないよ。君ら優秀だよ」

 学年主任は、後頭部をカリカリと指でひっかきながら生徒会室を出ていった。

 さて、私は、件の書類に署名と判子を押しますか。

 

 生徒会長令二六号、

 部活動の活動に関する制限と違反への明確な処罰。

 一部部活を除いてその活動時間は放課後においては下校時間を過ぎてはならない。これは校則により規定されており、それを免じられるべきでない部活が明らかな違反をしている場合に限って、以下の処罰を課す。

一、土日休日の部活動に制限を掛ける。

二、冬期休暇の部活動に制限を掛ける。

 これら罰則を陸上部に二か月間課すこととする。


私は紙面に署名して、判子を押す。

「はあ、校長判子押すかなあ?」

 那岐は私の言葉に首を傾げる。

「どうして、そんなことを思うの?」

「うん、こんな露骨な違反してたら普通はすぐに見つかるだろ。それで他の先生から顧問に注意が行く。それで問題は解決だ。なのに、今までこんなことが続くとか、変じゃないか」

 傍らで先ほどから微塵も表情を変えていなかった宮古さん。そんな彼女の表情が険しくなっていく。今の言葉で、私の危惧していることを理解したようだ。陸上部顧問に対して、逆らえる先生がいないのではないかということ。

「橘さん、どうします?」

 宮古さんは、自分が作った紙面の有効性に不安を抱いているようだ。彼女は心配そうに尋ねてきた。私はそんな彼女に心配はいらないと、笑みを浮かべる。

「役員全員が連署すれば問題はない。だがそれをする前に、まず私が署名した状態でそれを宮古さん、校長に届けてきてくれないか」

「はい。了解です」

 二十分後、私の心配も杞憂だったようだ。校長は二つ返事で判子を押してくれた。


 放課後、屋上からグラウンドを眺めていた。神宮寺那岐は、昨日あんなに調子が悪そうだったが、今ではすっかり元気になっている。グラウンドのほうで陸上部のマネージャーをしていた。

「いつまでマネージャーをしているつもりなんだろうね」

 屋上の柵にもたれかかる私に、有紀が飲むタイプのヨーグルトを渡してくる。私はそれをありがたくいただくと、ストローをぶっさしてチューと吸う。

「さあ、案外気に入ったのかもしれないな」

「え?」

「部活をすることに、だ」

 もしくは、あの中に気になる人物でもいるのかもしれないか。

 白線ひきをもって、グラウンドを走り回っている彼女。本当に元気いっぱいだ。昨日の弱弱しい様子なんて微塵も感じさせない。もしかしたら、ずっと体調がすぐれないままになってしまっていた可能性を考えると、本当に安心した。心の底からよかったと思った。

 白線を引き終えた那岐は、手の甲で汗をぬぐう。その時に屋上の私に気付いて手を振ってきた。私も手を振る。

 陸上部は、冬期休暇中の計画を見直した。

 以前のものと違って、だいぶゆとりのあるものだった。

 運動部に問題がある、という風に予測してその問題を解決する。私が掲げた生徒会長の公約だ。これで一応の決着がついたと考えていいのか?

 私は空を見上げる。

 鉛色のずんと重くのしかかる感じの色だった。太陽は隠れてしまっている。そんな重々しい空から、ふわふわと混じりけのない白いものが降ってくる。私は空に向かって手を上げる。指先にピタッとついたそれは瞬く間に雫となって手を伝う。

「そういえば、もうすぐクリスマスだな。有紀は啓二と過ごすのだろ」

「うん、そのつもり」

 私は紙パックからストローで中身を吸っている。

 有紀の様子が少し変だった。私が彼女に目を遣ると、なぜか背けて。その理由も少し考えればわかった。

「有紀、変な気づかいなんていらないからな」

「え、えっと」

「私も、ここ数日でいろいろあった。そんな中で、大切なことに気付くことができた。私も前に進むことができた。心配なんていらないからな」

 私は空になった紙パックを握りつぶすと、屋上から校舎内へ続く階段の扉に向かう。

「有紀、あんまり長居すると体に障るから降りるぞ」

「あ、うん」

 私は、走り寄ってきた有紀と一緒に校舎の中へ戻っていった。


 学校を出て、そのまま家に帰ろうとする。相変わらず車の通行量が少ない道路を歩いていると、有紀が肩をツンツンとつついてきた。

 私は、傍らの有紀に顔を向ける。

「どうした?」

「あのさ、この前弟の見舞いに行くって言ってくれたでしょ。良かったら、今から行かない」

「ああ、ぜひ行きたい」

 今日は短縮授業となっていて、帰ってからも時間をもてあそぶことになってしまうだろう。だから今からというのは都合が良かった。

 

 病院玄関の自動扉がセンサーで反応して開く。

 病院に入ると、受診待ちの患者の姿が待合室にはあった。私たちは、そこを通り過ぎて廊下を進みエレベーターに乗る。弟君が入院している階で降りた。有紀はある一室へ行くとその扉を開く。

 私はその後に続く。

 カーテンの向こうには、ベッドに付している男性がいた。バイタルが接続されていて、液晶には規則正しく線が波打つ。

「この子が私の弟、泰孝だよ」

「彼が……」

 目の前で眠る男の子はさすが有紀の弟とだけあって、顔だちも似ている。なかなかきれいな顔をしている。髪の毛は少し長い。

「こうしてみていると、ただ眠っているだけに見えるな。いつでも目を覚ましそうな」

「そうだね」

 私はちらりと有紀の様子を窺う。

 穏やかな表情を崩さない。ずっと眠り続ける弟を前にどんな心境なのか、私には分からない。私は、あらためて彼女の強かさを知った。

 一人、フライパンを振るって家族に暖かなご飯を作って、いつか笑いあえる日まで頑張り続けた少女の姿。孤独に負けそうな時は、何度もあっただろう。本当によく頑張ったよ。

「えっ!」

 私は有紀の頭をなでなでする。

 有紀の頭から手を放す。

 しばし彼の顔を見ていた。有紀が手を握ってあげて欲しいというので手を握ってあげた。温かくて大きな手だった。

 

 私は彼を見ていて思う。


 似ていると。


 ……宮古浅葱の隣にいた人物と。


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