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明日私は、恋してますか  作者: 植村夕月
Ⅲ 生徒会長、橘加奈
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65話   言えない苦しみ、何もできない悲しみ その3

   言えない苦しみ、何もできない悲しみ その3


 那岐の荷物は私がまとめて先生に渡す。先生はそれを受け取って彼女を背負うと、タクシーで那岐を家まで送った。

 私はほの暗い電灯がともる廊下で立ち尽くしていた。ふつふつと行き所のない怒りが湧き上がる。すると前方より、何者かがこちらに歩いてくる。その人は、体操着姿だった。その人の相貌が、電灯で徐々に照らしだされる。

 よく知る人物だった。

 私が好意を出だしてしまった二人の男子のうちの一人。

 私自身は、すでに好きだとはっきり言える人がいた。そんな状態でもう一人の子を好きになりそうになった。だけどそれはダメだって納得させた。そのつもりだった。啓二が好きで今もそうだから、君の好意に応えられない。

 応えたとして、それが誠実なものである自信がなかった。

 彼は私に気付くと、手を振ってくる。

「よお、どうしたんだ?」

 私はとっさに彼から目をそらす。

 私に好意を寄せてくれた人で、私にとっても大切な友人だと思う人。だけど私の親友那岐を傷つけた憎い人。

 私の心の中は、リンゴ、パイナップル、ブルーベリーなどを一緒くたにして、一年混ぜ続けたように、甘酸っぱく、または吐き気を催すほどにドロドロと黒い色合いのものになっている。

「なんで、今お前なんだ! どうして今一番会いたくないお前なんだ」

 わたしは歯を食いしばる。

 私が彼を口撃すると、足を止めた。彼の顔は戸惑いの色を浮かべている。

「飯田義隆。私は、ひたすらにお前が憎い。憎くて憎くて仕方ない。だけど、お前が気になって仕方ない」

 私は彼に詰め寄って、襟首を掴む。ぎりぎりと力を加えて、彼の首を絞めるように。このどうしようもない怒りと、憎しみを込めるようにして。

「飯田、お前はどうして私を好きになった? どうして」

 私が、彼を追い詰めるようにしていく。言葉の暴力を振るって、わざと焚き付ける。

「クラスで誰よりも優しくて、可愛いと思ったからだ!」

「……!」

 飯田は私の両肩を掴むと、強引に力押しして壁に押し付ける。彼の瞳は先ほどの、ぼんやりしたものではなくて、力強く私を見ていた。いつどんな時も、こんな顔を見せたことはない。似たような瞳をしていたことは、前の告白であった

 だけど、こんなものは違う。

 これは攻撃的な目だ。私を、『殺そう』とする眼だ。私は、その目に反抗するように言葉を放つ。

「どこが誰より優しいだ? 性格きつくて、むしろ嫌われるくらいだ」

「違う、嫌われるとかじゃない。お前は、無愛想なふりして、しっかり皆を見ている。だから、誰かの心の変化にもすぐに気づく。そして誰よりもその子のことを心配する。口数は少なくて、あんまりクラスに溶け込めないように見えて、誰よりもクラスに溶け込んでいる。じっと皆を見守るような、そんな姿のどこが優しくない。その姿は気高くて、とても綺麗だった」

 彼の肩を掴む手は力強い。痛いくらいに力を入れてくる。

 私は、彼が掴んでいる方に目を遣る。これほどに私が非力であることを思い知らされたのは初めてだった。いや、私は普段考えられないほどに、弱っているのか? 

 私の襟首を掴む力が弱くなる。

 ああ、最悪だ。私が怒り、憎く思えば思うほどに、心は締め付けられる。

「お前、私が誰よりも敏いといったな。それはお前も例外ではないことを表しているぞ」

 彼は苦々しい顔をする。自分が言った言葉をそのまま返されて、言い返すことができない。それでも何か、言い訳をしたそうにする。だから、私は逃げようとする彼をさらに、追い詰める。

「私は知っている。飯田義隆という男の子が、陸上部の皆のために血眼になって動いていることを。顧問の無茶なスケジュールに異議を唱えては怒鳴られての繰り返し。怒られるのは辛いのに、それでも負けずに言い返そうとする。そして怒鳴られて、悔しくて仕方ない。今年一年、陸上部は不振で目立った大会に行けなかった。それを怒鳴られたことと相まって自分のせいにして――」

「違う! それは違う」

 私の言葉を遮るように彼は叫んだ。

「何が違う! 部のまとめ役とか言って、自分で勝手に責任背負った風をして、それがどれほどおこがましいことか知らないんだろう」

 私は彼の襟首を引いて、私と零距離になる。

「部員の皆は、競技種目を各々頑張って鍛えて、来るべき大会に備える。記録会とかで思ったような結果が出なくて、大会に出られなくて悔しい時に、お前は何を考えている。もっといいやり方があったのではないかって、そんな的外れなことを考えているのか! 必死にやってきた結果だ。最善を尽くして、それでも駄目だった。悔し涙を流す部員たちに対して、同じ悔しさを覚えて寄り添うことは大切だ。だがその部員の至らないところを勝手に自分のせいにすることは、部員たちの大切な経験を奪おうとする暴挙だ。大会で落ちて落ちて落ち続けて、その部員が力量不足に涙する経験、その権利はその人だけのものだ。悔しい経験も、その人にとって大切なモノだ。勝って喝さいを浴びることなく、会場を後にする悔しさもその人の大切な学生生活の一部だ。もちろん、勝って喜びを分かち合えることほどいいものはない。ただ間違いなく言えることは、結果がどちらであれ、皆にとってかけがいのないモノ」

 私は怒りの表情から、悲しみをはらんだ瞳で彼を見る。

「それでも、飯田は、みんなの悔しいという経験を責任という言葉で奪うのか?」

 飯田は、大きく目を見開いた。

 部活が何のためにあるのか、その目的を忘れかけていた自分に気付いたのだ。放課後に、健全な体を育むべくスポーツをして、皆と競って、絆意識を強める。皆と頑張ることの楽しさを知って、こころを充実させる。頑張って勝って喜んで、負けて悲しんでも、青春の一ピースとなる。頑張ることの大変さ、頑張ったことへの誇り、部活動はそれを知るためにあるものだ。

「部活は、結果を残すためにあるんじゃない。そしてスポーツは一人でするんじゃない。みんなでするんだ」

 彼の瞳は大きく揺れた。

 肩を掴む力が弱まっていく。体中から力が抜けて、今にも崩れそうな彼。


「俺は、……間違っていたのか」

「ああ、間違っていたな」

「俺は、どうすればいい」

「それは、お前が分かっているんじゃないか」

「俺に、ちゃんと、できるだろうか」


 いつになく弱気な飯田に私はため息を吐く。

「しっかりしろ。まったく。私はただでさえ、怒っているんだ。さらに私を怒らせる気か君は」

 彼が私に告白してきたときから、私は彼のことを好きになっていたのだろう。二人の男のことを好きになってしまった私はなんて不埒な女だろうか。私は啓二君が好きで、だから飯田とはつきあえない。でも飯田にこくられて、ぐらりと来た時に、必死に言い訳をした。誠実な恋ができないからと。

 でもその日以降、彼のことが何かと気になった。気さくな奴だから、よくからかってやった。とても面白いやつで、いい友達になれると思った。アイツの困った反応を見たくて、わざと素っ気なくしてやったり、その日はほとんど口を利かないなんてこともわざとやった。するとあいつは、コロコロ表情を変える。アイツと関わるとなかなか面白かった。そうやって楽しんでいることで、この変な気持ちを殺していた。

 今思えば、それはまごうことなき恋だったんだ。

 あいつに呼び出されて、力強くあんな言葉を言われてしまった時から、そうなっていた。

 ああ、私は何をしているんだろうか。

 誠実な恋?

 言い訳が下手だな。好きなくせして、怖いから、とにかく一時的に断ってしまおうなんて。ある程度の関係を維持しておけば、この子をキープできるんじゃないか、なんて邪なことを考える。

 まったく私はなんて黒い女なんだ。啓二クン一筋のつもりが、いつの間にか一人増えてしまって、そしてその一人に、怒りと憎しみを抱いてしまった。

「なあ、飯田」

「ん?」

「お前、少し目を閉じていろ。瞼に汚れがついているからとってやる」

「あ、そうか。すまないな」

 彼は私の言葉を信じ切って、目を閉じた。

 ふん、ゴミなんて何も瞼についていない。やっぱりこいつは、だましやすいな。もうすこし騙されないようになってほしい。

 私は飯田の顔を両手でがしっとつかむ。驚いた彼が目を開けようとするが、それは困るので、頭突きを食らわせる。痛みに顔をしかめる彼の顔面を引き寄せる。

「んぐ!」

 粘膜と粘膜が接触する。飯田は少し脱水気味みたいだ。唇が渇いている。

 バカと口を重ねると、心がほんのりと満たされる。じわっと蜜が流れ込んで、甘くやわらかな心地を与える。と同時にそれを失う悲しみが頭をよぎる。私の愚かな判断を憎むかのように、これだけという自制を壊す。

「うー、ううー」

 飯田は唇をふさがれているので何も言えない。

 私は、彼の唇に舌を入れ込んだ。むさぼるように彼の唾液を吸って、彼から少しでも多くの愛を貰おうとする。

 私は必死になっていた。だから気付かなかった。いつの間にか私は、涙を流していた。抵抗していた彼は、いつの間にか私を受け入れてくれた。背中にがシッと力強く腕が回されている。

 クソ、クソ、クソ……。

 なんで私は、こんなにも鈍いんだ。


 いつまでも彼との甘い感触を味わっているわけにもいかない。

 私は、彼の胸に手を置いて力強く押した。存外強く抱かれていたので、簡単に離れなかった。その分、強く腕を押した。それは形として、酷い拒絶を現したかのように見えた。

 だからだろう、彼は泣きそうな顔をしていた。

「私は、お前を好きになったいた。啓二クンが好きだからと言って、お前を手放すのが惜しかった。それに友達としてなら、別に君と接しても問題ないだろうと思っていた。そして毎日を義隆と話したり、からかったり、いじって楽しく過ごしていた。予想外だったな。そうやって接すれば接するうちに、君と仲良くなっていった。その日々が、むしろ君への好意を確実なものにしていったんだ」

 私は歪な笑みを浮かべる。私自身をあざ笑うように。

「なんて酷いやつなんだろうな。私は」

「そんな……」

 飯田は、何か言いたそうにしているが言葉がうまく出てこないようだ。

 君のその私をいたわるような顔は、もう私にとって苦痛でしかない。私には、そんな顔をしてもらう価値も権利もないのだ。


 私は後戻りできない言葉を、彼に言い放った。


「ごめんな。私は君の好意を甘受する権利もなければ、その気ももうないんだ」


 ああ、言ってしまった。

 私がここで、彼に甘えるようなことを言ったら拒絶はされなかっただろうな。でも、それは、それこそ、駄目なんだ。

 私はダメな女だ。

 何が、二条有紀と似ているだ?

 一人の人を純粋に好きになって、その気持ちに嘘を付かず真っ直ぐに突き進む彼女は私よりずっと尊いではないか。

 ああ、私の心が朽ちていく。

 卑怯な恋をしたことへの、代償がこれなのか? 

 喉を締め付けるこの感覚。目の奥は、熱くなっている。呼吸は熱いままだ。


「ありがとうな。義隆。私みたいな女を好きになってくれて」

 

 もう行こう。

 あと少しで、もうどうしようもなく心が荒れてしまう。最後に私のみっともない姿を彼に見せるわけにいくものか。

 私は、くるりと回って彼から離れようとする。


「なにが、私みたいなだ! ふざけるな」


 私は彼に抱き留められてしまった。

 なぜ私を止める、という彼への非難が心に湧き上がる。同時に、抱き留めてくれたことへの嬉しさもあった。


「お前の価値は、お前には分からない。例えお前が自分をどのように言おうと、俺にとってお前は誰より魅力的だ。誰が何を言おうと、例えお前が言ったって変わらない。これは、俺が決めたんだ。お前でないとだめだって」

 彼の真っ直ぐな瞳、以前の時とも少し違う。怒りのこもった瞳だった。

 彼の言ってくれたことに純粋に喜ぶ自分、それに戸惑いを覚える自分がいた。

「だが私は……」

 私の言葉を遮るように、彼は口を開いた。

「俺だって、卑怯な人間だ。俺は二条さんが啓二と仲良くなることを喜んでいた。お前の啓二への恋心が報われないことに対してだ。もしかしたら、俺にはまだチャンスがあるんじゃないかって、思った。人の悲しみを陰で笑う。そんな俺は、お前よりもっと酷いぞ」

 飯田は、自身の渦巻く欲望の嵐を躊躇いなく私に打ち明ける。そして、そんなことを言ってくれる彼に、喜びを感じてしまう。


 ああ、恋って醜いモノなんだな。

 こんなに醜く、争う姿はかえって清々しいぞ。


 私は、ふっと息を吐く。

「私の負けだ。飯田義隆」


 私は裏門で待っていた。

 飯田が雑用を終えて、制服に着替え終わるまでの間だ。さすがに遅くなってきた。校舎内の電気もぽつぽつと消え始めている。

「よ、待たせたな」

「早いな」

 息を荒くしている彼は、制服姿となっていた。

 私たちは歩き始める。

「なあ、俺ってそんなに両津○吉に見えるか」

「なんだ? 唐突だな」

 どうしてそんなことを聞くのだろうかと、私は彼の顔を窺った。すると結構悩んでいるみたいで、複雑そうな表情を浮かべていた。

 いつも、からかっていたけど結構気にしていたのか。少し悪いことをしたな。

「別にそこまで似ていない。角刈りなだけと少し眉が太いくらいだ」

「そ、そうか」

「それに、あのキャラをあんまり悪く思うな。私があんな風に言ったのは、お前が愛嬌のあるやつだという意味も込めてある。まあ、いやそうなので今後は、こういったことは言うまい」

 私は携帯端末を取り出して、時間を確かめた。

 穂波さんに帰りが少し遅くなることを伝えている。だが、あまり遅くなると余計に心配を掛けそうだ。

 とある私の友人には門限がないそうだ。門限がない? そんな状態を私は全く想像できないな。ま、個人それぞれ、家庭それぞれの問題だ。

 端末をポケットに直す。

「ああ、それとさ、飯田。お前は少し髪を伸ばした方がいいと思う」

「えっ、そうなのか?」

「まあ、私の希望にすぎない。嫌なら聞かなかったことにしてくれ」

「い、いや。分かった。参考にする」

 飯田は、短い髪を二本の指でいじくって思案していた。

 そんな様子が面白くて、私は笑ってしまう。


 ああ、なんて愉快。

 精神の限界まで怒りをためて、また逆に振り切れんばかりの喜びを同時に味わった。こんな機会はそうないだろう。なんて貴重な一時だったんだろうか。

 那岐には不謹慎と思いつつ、私はそう思った。


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