61話 神宮寺那岐、潜入する その5
神宮寺那岐、潜入する その5
私は、空になったお汁粉缶をゴミ箱に放り込みました。ベンチから立ち上がり鞄を手にした私は、その足で体育館横の更衣室へ行きました。昨日同様に陸上部の手伝いをするためです。ただ昨日と違うところがあるのは、まだ太陽が天頂にあるという事です。
今日は授業が午前中で終わりです。
ジャージ姿の私は、ケータイを見て嘆息しました。
まだ午後一時半。
「今から夜の八時まで部活とか頭おかしいんじゃないの?」
私、生徒会潜入捜査官、神宮寺那岐はカルシウム不足で大変苛々しております。これから先、六時間以上を『調査』のために使い走りにされる理不尽さ、悲しくて涙が出ます。くう~、でも加奈から飴とお汁粉貰ったしその分はしっかりと頑張らねば!
私は堂々とグラウンドを出てきました。すると、顧問と目が合ってしまいました。ああ、この先生チョー苦手な先生です! 怒ることしか能がないんじゃないかって思うくらいに怒ってばかりの先生です。
そんな苦手教師が、私に怒鳴りつけました。
「おい! 早くグラウンドを整えろ!」
「はいぃ」
私は、先生の視界から逃げると、体育館倉庫にあるグラウンド整備用の鉄ローラー(名前は知りません)を引っ張り出してきます。そして他のグラウンド整備をしているマネージャーや部員と混じって、地ならしです。
コーロコロコロ、コーロコロコロ―。
ゼェゼェ。
コーロコロコロー、コーロコロコー、コーロコロコロ―。
重い重すぎます。まるで、水中を歩くときのように足が動きません。
「重い~~、重いよ~~。想い~~。なんちゃって」
うわ、今とても体が重くなりました。私としたことが、最近さぶい親父ギャグ的なことばかり言っている気がします。
「飴玉一つー、お汁粉一缶の労働力~~」
私がローラーをひいていると、顧問から怒鳴られました。
「馬鹿もんが! 押して使うんだ。そんな使い方したら危険だろが」
「はいぃ。すみません」
私は謝った使い方を正して、本当に鉄の塊かと思わせるそれをひたすら押していました。
グラウンドの地ならしを終えた私は、鉄ローラーの上に倒れ込みました。額からは玉のような汗が流れ出ます。ジャージは長いズボンと、白いTシャツを着ています。汗で体にくっついて不快な思いがしました。ふと、服の様子を見てみます。
「うわああああああああああああ、下着が透けてる!」
私は、地面に畳んでおいてあったジャージの上着を拾い、慌ててはおりました。
……熱いです。
鉄ローラーをグラウンドの隅に置いた私は、準備運動をしている部員たちへ走りました。柔軟体操をしている部員を手伝うためです。何かしていないと、キレ症な顧問に何を言われるか分かったものじゃありません。
私は藤崎煉クンのほうへ行きました。
「柔軟、手伝おっか?」
「ああ、よろしく頼む」
私は、開脚する彼の背中を押す。なかなか体は柔らかいみたいで、額が地面につきそうです。関節が凝り固まってろくに足が開かない私とは大違いです。
「どうやったら、そんなに体が柔らかくなるのかな?」
「ああ、毎日、欠かさずに体を伸ばしていたらいいんだよ。神宮寺は、ストレッチとかの習慣はあるか?」
「運動しない私には、そういう習慣はないんだ」
「そうなのか、柔軟体操はやっておいた方がいいぞ。怪我をしにくくなるからな」
足を延ばして地面に座り込んでいる藤崎君の向かいに私は座ります。そして私も足を延ばして彼の足裏とくっつける。手をつないで、どちらか一方が、引っ張れば。
「いったたたたた……、ちょ、ちょと、加減してよ」
「あはは、悪い悪い」
悪戯っぽく笑う彼を悔しく思った私は仕返しをします。
昨日彼は足を怪我したのですが、あまり大したことはなかったようなので遠慮しません。
「ほいっ」
「うおおお」
私は引っ張れるだけ引っ張りました。
「参った、参ったよ。痛い痛い……」
彼は私の手を必死に離しにかかりました。なので、手をぱっと離して挙げます。すると先ほどまで、あった一方の力がなくなって、藤崎君は真後ろに転げました。派手にこけたので、少し心配です。
私は立ち上がると彼の顔を覗き込みます。
「おーい。大丈夫―?」
「大丈夫だよ。急に力を抜かれて驚いた」
私は彼の手を掴んで地面から立ち上がらせます。もうすぐ昨日同様のマラソンをするみたいです。さっさと行け、という風に私は彼の背を叩きました。
陸上部員たちが、校門を出ていったあと、私は右手をじっと見ていました。
男の子の手をつなぐ、それって別に特別なことじゃあないです。そう私に言い聞かせました。
……恋人いない歴イコール年齢の私が言っても、何の意味もありませんが。
そう思わないと、この胸の高鳴りで私は勘違いしてしまいます。




