56話 加奈の悪巧み その4
加奈の悪巧み その4
せっかく電車賃まで払って大きなショッピングモールまで来たのだ。興味のあるものはすべて見て回りたい。そう思うのは私だけだろうか。少なくとも有紀も同じ考えを持っているらしい。エスカレータのすぐそばにある階層案内図に目を凝らしている。そしてそんな様子に、なぜか渋い顔をする啓二クン。
案内図を見る二人の位置がかなり近い。
私は見ていて、心の中のどす黒いものが湧き上がってくる。しかしそこに有紀に対しての憎悪も怒りもない。あるのは嫉妬のみ。私は嫉妬心に任せてあることを言った。有紀の前でだ。
「お兄ちゃん」
妹が兄に甘える時のように、鈴が転がるような響きを含んだ言葉だった。
私の一言に、啓二クンも有紀もムンクの叫びみたいな顔をしていた。あまりの変顔故に、周りを通った人から、変な目で見られている。この視線は計算外だが、私の一言は効き目がばっちりのようだった。
「な、何を言っているのよ。か、加奈?」
「有紀のいう通りだぞ、ど、どうしたんだ?」
有紀は驚いてくれて構わないけど、啓二クンのその反応は心外だな。
「どうもしない。それよりお兄ちゃん、本屋へ行きたい」
「あ、ああ」
そういって私は彼の手を掴み、いそいそと先へ進む。
私は啓二クンと兄妹の約束をしている。私が彼のことを「お兄ちゃん」と呼んだって何の問題もない。啓二クンも約束そのものはちゃんと忘れていない。だから私がこんな風にしたって文句は言えない。
有紀、私には私のアドバンテージがある。私はそれを最大限に活用するつもりだ。決して悪く思うな。
「ちょっと、離れて!」
有紀が非難するように、私をにらむと啓二クンを引っ張った。私も負けずに引っ張り彼女とにらみ合いになった。
「ちょっと、昔の約束を引きずり出すの、ずるくない?」
「別にずるくなどない。私は啓二クンと兄妹関係にあるのは事実だ」
私は有紀に対して歪な笑みを浮かべる。
彼女も対抗して、不気味に笑う。
「私は啓二の恋人だから、妹ちゃん、野暮なことはしないでほしいな」
こ、こいつ。
そんなことを言われては……。
あれは、彼と有紀に対しての不意打ちを狙っての発言だった。今は啓二クンの主導権をどちらが握るかの問題になっている。別に主導権というほどのものではない。
だけど、彼を振り回せる権利というのは、なかなか魅力的なのだ。その権利は、恋人関係にある有紀がもっているも同然。妹の私にもそこそこ反抗する力は残されているが。
こんなハーレムみたいなことをしたくはなかったんだけどな。もう引くに引けない。羞恥など知るものか。こんなものが人間の行動を抑制する。私は外してはならない枷を一つ、外す。
啓二クンに唇を突き出していると、頭をしばかれた。
「加奈、これ以上したら、私、本当に許さないから」
「……はい。ごめんなさい」
好きな男を取られそうになった有紀は、獰猛な瞳で私を睨みつけた。例えるなら蛇に睨まれた蛙、百獣の王の爪にとらわれたシカだ。
私たちは本屋でマンガや雑誌の最新刊に一通り目を通した後、レストラン街にて昼食を摂って帰宅した。有紀の体も依然とほとんど変わらないように見えていたのだけど、そうではなかった。帰ってから彼女はすぐに自室で深い眠りに落ちた。
夕食後、私はスマフォの電話帳を見ていた。相手は男子だ。私のほうから異性に電話を掛けることなんてない。だから発信ボタンにタップすることを躊躇ってしまう。私は息をすうっと吐いて、気持ちを切り替える。そしてボタンをトンと。
数回コールしたのち、相手が電話に出る。
「こんばんは、少し話せるか?」
『あ、ああ。橘から電話なんて珍しいな。どうしたんだい?』
珍しいか。
確かにそうだ。飯田からのメールもラインもすぐには返事をしない。むしろ無視しているくらいだ。まあ、その理由はいろいろあるけど彼を決して嫌っての行動ではない。
「お前さ、最近なにかあったのか? 私はお前に元気がなくなっているように見える」
『気のせいだろ。俺はいたって普通さ』
何という事のないように彼は答える。彼のことをあまり知らなければ、はいそうですか、で終わりだ。でも私は何かと彼に接する機会が多い。その分、彼の状態の変化を見抜く力は持っているつもり。
「……お前はさ、以前私に告白してくれた時にこういってくれた。私の前では嘘偽りはしないって。それは、私がお前を振った時点で消えてしまう約束だったのか? かなり自分勝手なことを言っているのは分かる。でも、……でも私には正直に答えてほしい」
飯田はそれほど勉強ができない。スポーツは結構できて、髪の毛は短く切りそろえて、背はそこそこに高い男だ。お調子者なとっころがあるけど、それもあいつの美点だ。
私から見てあいつはなかなかいい男だと思う。告白されたときは、正直ぐらついた。男からあんな風に真っ直ぐな目を向けられたのは初めてで、心ときめいた。一時の心のままに付き合ってしまえば、どれほど楽だっただろうか。
でも、それは許せなかった。私自身、啓二クンという人がいて、その人のことばかり考えている状態で彼と付き合うなんて失礼だと思ったんだ。だから、私は彼を振った。嘘をつかない。それはあの時にした約束だ。
飯田は口を閉ざしてしまった。私はただ、次の言葉が来るのを待っている。数分の沈黙ののち、彼は口を開く。
『橘に対して言った言葉は、今も続いているよ。お前がまだその約束を覚えていてくれたなんて思わなかった』
「忘れるモノか」
真っ直ぐに好意をぶつけてくれた人との、刹那の記憶を忘れてたまるか。
私たちは、電話を通して過ぎ去った時を呼び起こし、互いの心の傷を抉りあう。まるで熟れすぎた赤いリンゴが、ぐちゅり指を飲み込むように柔らかくて弱い。私は熟れすぎてくずれた泥濁から、彼の真心を探す。
「飯田、お前は悩みを抱えているんじゃないか。運動部に関して。お前の苦しいこと、私にも聞かせてくれないか?」
無意識のうちに、唇がわなないている。
これ以上踏み込むべきでない。これ以上踏み込んで、飯田との関係が取り返しのつかないようなことになったら……。恐怖心が私の喉を締め上げる。
『ごめん。何も言えない』
「そうか、いきなり電話をかけて悪かったな」
通話ボタンを切った私は、ベッドに転がった。
飯田は特に何も言わずに、ただ「いえない」と言ってくれた。それで十分だ。私との嘘を言わない約束をあいつは守ってくれたのだから。




