55話 加奈の悪巧み その3
加奈の悪巧み その3
夕食後、私は風呂に入りながら考える。
運動部の顧問が部員たちにきつい指導をするというのも、愛あればこそではないか。自身は指導者であって栄光の当事者となりうる、いわゆる主役というのは部員たちではないか。教える側はそれをよく理解していると思う。
「はふう、分からないな。愛の鞭とやらを振るいすぎれば、愛の無知となるのであろうか。なんてな」
……。
チクショウ。
私はなんてさぶいことを言っているのだ。ああ、最近の私はなんだかおかしいぞ。本当におかしい。うん、間違いない。
私は湯船のお湯を両手ですくって、顔に浴びせる。
「こういう時は、ゆっくり休まないといけないな」
熱いお湯にゆっくりと浸かって、体の凝り固まった筋肉をほぐしていく。真冬の冷たい気候によって血の巡りが悪い足先や指先を揉みこむ。十分も浸かっていると体中がかあっとする。
眼がグルんぐるんと回り始めた。
のぼせ始めているんだろう。
湯船から早く上がらなければいけないのだが、私は別のことを考え始めていた。
「有紀と啓二クンは、間違いなく恋人なんだな。那岐はすっぱり諦められたというのに、私という人間はどこまで未練がましいのだろうか」
意識がぼんやりする中、両手でお湯をすくう。電灯によって水面がキランと光る。そこに一瞬啓二君が浮かんだ。凛々しくて、優しい彼だ。水面に映っている彼も、その水が消えれば姿を消す。
なんて淡く儚いんだ。
私が抱いている彼への想いとそう反して、彼の私に対する距離はこんにも遠くなっているのか。
「私の、たった一人のお兄ちゃん。お兄ちゃんは私からずっと遠い所へ行ってしまうのか?」
いい加減意識を失いそうだったので、湯船から上がった。
・・・
週末、私は啓二クンに有紀とショッピングモールへ行くことになっていた。何か目当てがあっていくわけではない。最近何かと忙しい私に気分転換になればという事で行くことになったのだ。
二人して何ともお節介なのだからな。
私は笑みをこぼす。
「ん? どうしたの」
「いや、何、大したことではない。昨日見た番組の思い出し笑いだ」
電車に揺られるなか、私は適当な言い訳をした。
私たちは終点で降りると、改札を通る。改札の正面にデパートの入り口があって、私たちはそこを進む。デパートの一階は高級菓子にパン、果物が並んでいる。
有紀は私の手を掴んで、高級菓子店が並ぶあるある一角に連れられる。彼女が興味を持ったお店はケーキで有名なところだ。切り分けられたショートケーキや、チョコレートケーキから、ホールの大きなケーキまで様々なものがショーウィンドウに並んでいる。
デパート内のいたるところに飾り物(電飾やツリー)を見て思い出す。
「ああ、もうすぐクリスマスか。忙しくて忘れていた」
「加奈はさ、二十四日って空いてるの?」
「冬休み中は生徒会を開くつもりなんて毛頭ないし、今から予定を空けていれば、たぶん大丈夫だと思う。一体なぜ?」
「クリスマスは、みんなで祝いたいから」
おいしそうなケーキを見て目をキラキラっさせている彼女に対して、私はお節介にもこう思った。
お前は啓二クンと初めてのクリスマスを迎えるんだ。有紀はそのことだけちゃんと考えていればいい。正直、私は放っておいてほしい。
私はいまだにお前たちを祝福なんてできない。どうすればお前から啓二クンを奪えるか、まだそんなことを考えているんだ。勝者の余裕という奴かも知れないが、気をつけることだ。
私は緩んだお前に対して、容赦なく食らいつくぞ。
なんて思っていると、彼女はいつの間にか姿を消していた。
「え、どこ行ったんだ?」
私は慌てて周囲に視線を巡らせる。もしかして、はぐれたのか? 一体どこへ? 私は周囲へ視線を巡らせると、とあるお店で、何か試食していた。
「有紀、何をしている?」
「ああ、加奈。このメロンとてもおいしいんだ」
口をもぐもぐさせながら言う彼女に私はため息を吐く。
なんてマイペースな奴なんだ。張り詰めたことを考えていた私が馬鹿馬鹿しく思えてくる。まあ、有紀がおいしいというのだし、お試しに私も食べてみるか。
「あ、私もいいですか?」
「はい、どうぞ」
爪楊枝に刺さったさいころサイズのメロンを口にする。
口のなかに広がる果汁に、私は目を見開く。知れた大きさに関わらず、口に広がる果汁の瑞々しさ、その濃密な甘さにうっとりする。
「おいしい」
ヤバい、もっと欲しい。
有紀も私と同じことを考えていたのだろうか、私と目が合った時にこう語りかけてきた。
――買うよ――。
私はこくりと頷いた。
早速、今食べたメロンの値段を調べる。ショーウィンドウ内の、おそらく中央に置いてある奴だろう。白い筋がきめ細やかに入っていて、サイズは想像よりかなり大きいそれ。大切そうに木箱に入っている。
この段階で私たちの財力では手の届かないものだと思った。
しかし、しかしだ。値札を見なければ気が済まない。せめて値段だけは知りたい。私たちをここまで満足させるんだ。どれほどの大物か!
――六千円也――。
「有紀、行こう」
「そうだね」
私たちは肩をがっくり落としてその場を立ち去った。
啓二君は、一階のエスカレータ前で私たちを待っていた。彼は私たちの疲弊した様子を見て、たった三十分の間に何をしたんだとジト目で見られた。




