51話 生徒会役員 その1
生徒会役員 その1
授業が終われば、神奈川先生のショートホームルームが始まる。
特に大事なことを話している風でなかったので、私は失礼ながら机に肘をついて聞いていた。
今は気になることがあって、とても他のことに気が回せないのだ。
「選ばれてしまった」
そう、私橘加奈は、先ほど六限目の生徒会選挙で生徒会長に選ばれたのだ。選挙に出てやれることを精いっぱいやった。その上で落ちていても全力を出しているのだから悔いなんてない。そんな風に考えていて、私は落選していることを当然に思っていた。だから校内放送で当選したなんて言われたときは度肝を抜かれた。
今も現実感に乏しいのだ。
ショートホームルームが終わると、那岐が席に座ってぼんやりしている私に駆け寄ってくる。
「加奈、やったね。すごいよ」
彼女の純粋に喜んでくれている姿を見ると、私も生徒会長になれたという事にやっと喜びを感じることができた。
それと同時に私が背負った重責を思い知らされる。どこからどうやって手を付けるか、全く分からないようなことを公約にしてしまったのだ。
しかし悩んでなどいられない。
やれないじゃない。やらないといけないのだ。
私は席を立つ。鞄を手に生徒会室へ向かおうとした時だ。啓二くんが声を掛けてくる。
「おめでとう、加奈」
啓二君が久々に私に笑顔を向けてくれた。
好きな人がこんな風に笑って喜んでくれている。それはとても特別なことだった。心がほわっとして、春先の花粉でぼんやりしている時みたいに心が高ぶった。
「ありがとう。私、精いっぱい頑張ります」
そう言って、私は彼の傍にいつもいるだろう有紀に声を掛けようとした。
「あの、有紀は?」
「少し体調を崩してな、昼前に帰ってしまった」
「そうですか」
私は少し残念に思った。私が迷っている中、背を押してくれたのは彼女だった。だから当選したら、改めてお礼を言わないといけないと思っていたのだ。
「生徒会室に行ってきます」
教室を出て、その部屋に向かう中、私は気を引き締めた。
もう喜んではいられない。私は自分で設定した公約を遂行しなくてはいけないのだ。恐らく役員の欠番補充も行わなければいけない。やることは山積みだ。
生徒会役員室の扉を開けるとすでに五人の生徒がいた。私と面識がある人物が二人、あと三人はおそらく後輩だろうか。
後輩たちはぺこりと頭を下げると、自己紹介しようとする。
私は慌てて、制止した。
「ああ、いいよ。全員集まってからちゃんとした自己紹介しようと思うから」
「あの、橘さん、役員はこれで全員よ」
「あ、そ、そう」
それはつまり、私が最後に入ってきたという事か。何とふてぶてしい。そしてなぜみんなこんなにも畏まっているのだ。席に座らずに、机の前でピシッと立っているではないか。こんな堅苦しい生徒会なんぞ私は求めていないのだぞ。
「みんな、楽にしてくれていいぞ。私はアットホームにやっていきたいと思っているんだからな」
私がそういうも、みんな躊躇っているようだ。
この様子を見て思う。
私とは、そんなにも堅苦しい人間に見えるだろうか。この前、生徒会長選に立候補したとき、結構圧をぶつけるように話したせいだろうか。
気にしだすときりがないな。
とにかく私はコの字型にくっつけた机の中央、黒板を背にする位置に座った。
「さて、何人か足りないがそのことについては後で話そう。まずは自己紹介から始めようか。私は橘加奈だ。よろしく」
ぺこりと頭を下げると、後輩二人もこちらに頭を下げてきた。私の同輩もそれに合わせる形でお辞儀をしていた。私はその様子を窺っていた。
「えっと、固くなるな皆。これではお通夜みたいではないか!」
私は嘆息する。
自己紹介によると、私の右にいるのは宮古さん、左は吹田くん。そして後輩君は、左二人がそれぞれ、金城さん、石井くん。右に丘さんだそうだ。副会長が宮古さんで他は皆庶務となっている。
副会長の宮古さんは、前生徒会でも役員をしていた。それゆえに一番話しやすい。
「宮古さん、生徒役員って何人足りないんだ?」
「そうね。最低でも一人足りない」
生徒会役員は生徒会長一人、副会長一人以上、会計二人以上、書記一人以上、庶務が二人以上となっている。
「はあ、仕方ない。足りない一人は私が何とかする。宮古さんを除いて、君たち四人の役職を決めていきたいと思う。各々希望があれば言ってくれ、君らの意見を最大限考慮しよう」
新生生徒会役員会議第一回は約一時間で終わった。皆の役職は、ある程度決まった。
ただ、これから私がやろうとしていることは、前途多難。彼等には相当な苦労をしてもらうことになるだろうな。
「最低人数は確保するとして、それで何とかなるとは思わない」
ドアを施錠する宮古さんは、独り言ちている私を訝し気に見ていた。
「どういうこと?」
「あなたも知っているだろう。私がやろうとしていることは、相当大変だという事を」
「ええ、その上で生徒会になったんだから。皆覚悟もできてるよ」
そうならいいのだけどな。
膨大な職務をこなしていくには役職の兼務を行って、効率的な作業処理を行う必要が出てくる。
……早速、生徒会規則と校則の変更が必要になってくるか。難儀だなあ。
「ただいま帰りました」
玄関を上がり、台所へ行った。
キッチンでは穂波さんが、野菜の炒め物をしていた。部屋の隅から彼女の様子を窺っている。すると彼女は気付いたようで、私ににっこりと笑みを浮かべる。
「おかえりなさい」
私は、部屋の隅からひょっと出る。
ちゃんと言わなくてはいけない。穂波さんには私が生徒会長選に出ることを前もって言っているんだ。そしてその結果もとても喜ばしいものとなったことを。
「穂波さん、私、生徒会長になりました」
普段なら、こんな言い方はしないだろう。私が穂波さんに対して自慢げに話すなんてこと、普段ならない。それだけ嬉しかったのだ。
嬉しいことが起きればその気持ちを『お母さん』にも共有してほしい。これから先辛いことはたくさんあるだろうけど、まずは素直に喜ぼう。
「えっ!」
穂波さんは目を丸くさせる。
穂波さんとは長い中だが、こんなにも驚いた表情は初めて見た。何かずっと探し続けていた宝物を発見したときのような顔の綻びよう。そして彼女はおもむろに私を抱きしめた。
「すごいじゃない。よかった。本当によかったよ」
頭をなでなでされて気持ちよくなってきた。
とても心地が良かったから、しばらくそのままでいた。
「あの、有紀の調子はどうなんですか?」
「ちょっと熱を出してしまって寝込んでいるのよ。この時期風は流行っているだろうからね、酷くならないといいけど」
そうか。
なら有紀への報告はまた今度にしておこう。今日はそっとしておいた方がいいだろうし。
お風呂上り、私は啓二クンの部屋に行った。
扉をノックする。彼はすぐに部屋から出てくると私を部屋の中に招き入れた。テーブルの上にはノートと教科書に、ペン類が置かれていた。
「ごめん、勉強中だったみたいですね」
「ああ、いいさ。それよりお前が探していたディスクなんだけど、これで間違いはないか?」
啓二は紙袋の中にある五、六本のDVDを私に見せた。ソ○ド・ア○ト・オ○ラインといって、深夜に偶然見る機会があったのだけど、その時に思いっきりはまってしまった。
「やったあ、ありがとう。お兄ちゃん」
私は啓二君に抱き着いた。
彼は目を白黒させている。
そんな風に驚かれると困る。やっている私も実は恥ずかしいのだ。
「お兄ちゃん」なんてわざと言って、こんな風に抱き着くなんて、彼女持ちの啓二君に対してしていいことじゃない。
ただ、これは有紀に対する反抗心だ。
有紀と啓二君が両想いなのは知っている。それを承知で私は啓二君をまだあきらめていない。いや諦めきれなかったというべきか。
私は強引にしがみついてやろうと思っていた。しかし啓二君の力は思いの外強くて、引きはがされてしまった。
彼はやれやれといった顔をする。
「会長に当選したから浮かれているのは分かるが、あんまりこういう事はしないでくれ」
「ちぇー」
こういうのは分かっていた。正直彼から直接こんなことを言われるのは、辛いな。
「でもさ、加奈が久しぶりに兄貴って言ってくれたのは嬉しかった。最近ずっとそういう風に言ってくれなくて嫌われてるんじゃないかって、時々思うこともあったから」
私は彼から唐突に出てきた言葉に驚く。
「そ、そんな。き、嫌いになんてなってません。むしろ――」
私は言いかけた言葉を必死に飲み込んだ。今この場で口にしたら、勢いで口にしたら取り返しのつかないことになってしまう。弱虫でずっという事ができず、有紀と彼が結ばれていくのを見て、とうとういう機会を失ってしまった言葉。
目頭が急に熱くなってくる。必死に顔を隠して、一歩二歩、彼から離れていく。
「加奈、お前、どうしたんだ?」
彼は心配そうに私を窺う。そっと手を出してくる彼。
ダメだ、私は彼の厚意に甘えてはいけない。私は甘えることのできる対象じゃない。もう、すがることは許されないんだ。
私はその手を打ち払って彼の部屋から出ていった。
自室にこもった私は、ベッドの中で声を殺して泣いていた。




