19 色々な愛。
太平は勇者が落ち込むという珍しい光景を目にして、思わずスマホのカメラを起動させたくなったが、やめておいた。きっと、そんなことをした日には、《スマホ》が《スマホだった鉄くず》へと変えられてしまうことがあきらかだったからだ。
しかし勇者はくさっても勇者。
そう、ポジティブシンキングの持ち主であった。
故に……。
「いやいやいや、この俺様が勇者の資格を失うはずがない!」
まるでライトノベルのタイトルに使えそうな台詞を、胸を張って言い放つと
「今の行動も、もしかしたら、お前がケツの穴に聖剣を隠しているかもしれないから、探そうとしてやったことだからな!」
太平は自分のケツの穴に、あの糞でかい長剣が刺さっている姿をついつい想像してしまい、ケツの穴がもぞもぞするような感覚を覚えた。
「ないから! いくら何でもそんなところに、聖剣なんてあるわけないから! そんなの馬鹿でもわかるだろ!」
と、ここまで言って、太平はしまった! と言う表情を見せて口を手で塞いだ。
この傲慢が服を着て歩いているような男である勇者は、自分の行動を否定される、しかも馬鹿だなどと蔑まれて、逆上しないはずのない存在であることを、太平は知っているのだ……。
そして案の定、勇者は逆上した。
「てめぇ……。この勇者様に向かって、《馬鹿》とかぬかしやがったな……」
勇者の周囲の空間が、陽炎のようにぐにゃりと歪み始める。勇者のロングヘヤーの髪が、風もないのにざわめいているかのように動きを見せ、まさに怒髪天を衝く状態へと変化しかけている。
――ヤバイ
この時、太平は自分の命が危険に晒されていることを瞬時に察知した。しかし、察知できるのと、それを回避できるのとはまるで別であり。どうすることも出来ないまま、恐怖のあまり膝を折ってその場に這いつくばるのみであった。
そして、その姿勢が災いした……。
「この俺は勇者様だ! 民家の家の引き出しやツボを漁るのと同じように、お前のケツの穴も漁ってやる……。オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!!」
勇者は完全に常軌を逸していた。
勢いに任せて太平のズボンを脱がすと、メキメキメキという嫌な音をさせて、太平のケツっペタを非左右に引っ張り上げる。
「オラ! 俺の聖剣を出しやがれぇ!」
この光景を見て、この男が勇者だと言うものはいないだろう。勇者ではなく、変質者と呼ぶものならば、大数居るに違いないが……。
そして、この光景を見ているものが居たのだ。
「……」
「……」
この時、太平にとって運が良かったといえるのは、見ていたのは人間ではなかったことだ。そう、見ていたのは、一機と一匹。
つまり、イクとシバさんである。
外で合流したイクとシバさんは、一緒になって太平の部屋へと戻ってきたのだが、こんなトンデモナイ光景を目にして、思わず声を殺して魅入ってしまっていたのだ。
「……」
イクは太平と勇者が行っている行為の意味がわからずに、ちょっぴり難しそうな顔をして首をひねっていた。
そして、それに気がついたシバさんは、こんな時に限って気を利かせて説明を始めるのだった。
「コホン、あれはだな。男同士の愛の好意の表れであってだな。比喩表現的に言うならば、太平のお尻の穴に、勇者の聖剣を突き刺すという行動で……」
雄弁に語るシバさんの言葉を、イクは興味深げに聞き入っていた。
「ふむふむ、生命の神秘……。愛の行為とは、男女の間のものだと思っていた」
「うむ。一般的にはそうではあるが、今の世の中、色々な愛の形が在るのだ」
「そうなのかー」
「そうなのだー」
二人な同時に頷き合っては、何かしらに感服していた。
そんな二人の言葉は、勿論勇者と太平にも届いているわけで……。
「ち、違ぇよ!! 何言ってんだこの駄犬が! 俺は、俺の聖剣がこいつのケツの穴に刺さってないか、確かめようとしていただけで!!」
勇者は気がついていなかった。この言葉が完全に墓穴を掘ってしまっていることに……。
「なるほど、ちゃんと刺さるか確認していたと……。無理矢理は良くないからな。うむ、いい心がけだな。とは言え、我輩には良くわからない範疇では在るのだが……」
「なるほど。太平のお尻の穴はそれほど大きくないからな」
いつの間に、太平のお尻の穴の大きさをチェックしていたのかわからないが、イクは指先で太平のお尻の穴を表現してみせた。
途端に、太平の顔が林檎のように朱色に染まる。
この時、太平の中の大事なものが音を立てて崩れていった。そして、人というものは大事なものをかなぐり捨てた時、膨大なパワーを発揮するもので……。
「うがァァァァァァァ!」
フランケンシュタインのような唸り声を上げた太平は、火事場のクソ力で勇者を吹き飛ばすと、部屋隅っこ行き隠れるようにして、急急とズボンを履いたのだった。
そして、深呼吸を二つばかりした後、最後に大きく息を吸い込むと、
「俺の部屋から出て行きやがれぇェェェ!!」
風神が風の詰まった袋から、突風をだしたような勢いで、言葉を吐き出すのだった。
その言葉を聞いて、シバさんは何かに気がついたようにポンと肉球を叩くと、
「なるほど、二人っきりになりたいというわけだな。それでは邪魔者は退散するとするかな。イク、行くぞ?」
イクはまだこの男同士の愛の行為を見続けていたいらしかったが、後ろ髪を引かれるようにしながら、シバさんの言葉に従った。
こうして、完全に誤解が解けぬまま、シバさんとイクは部屋から去っていったのだった。