そんな王国を統べる者・3
呆れても、怒っても、嘆いても。
仕事は終わらない。目の前の書類は無くならない。
……けっこう片付けた気がするのだが、なんだかぜんぜん減っている気がしない。
シルベル領に“長期出張”していた間に新しく決まったり変わってしまったりした事柄もあって、内容がサッパリ分からない書類も多い。
それでこの量を押しつけてくるのだから、相変わらず容赦の無い職場である。
ここ数カ月いろいろあったが、統括局に比べればまだのんびり過ごせていたよなあ、と木乃香が軽くため息をついたときだった。
「……早いな。それで内容を把握できるのか」
彼女の横から、思わずといった風の呟きが漏れてきた。
隣の席のユーグアルト・ウェガ――新人職員“ユーグ君”が、感心したように彼女の手元を見ている。
ちなみに彼の席は、木乃香が復帰する前からそこだった。
向かいにジェイル・ルーカ先輩が座っていてその隣も空いているのに、である。
帰ってくる前から彼女に押し付ける気満々だったとしか思えない。
手元の書類に視線を戻し、木乃香は答えた。
「今はざっと目を通しているだけですよ」
「……それで、全部理解できるのか?」
「え? いやいや。無理ですけど」
少し驚いたように目を見開くユーグアルトに、木乃香は手と首を横に振った。
机を並べて一緒に仕事をしてみて、むしろ彼のほうが読むのも理解もはるかに早いとこっちが感心していたというのに。
「これは、まず書類を分けているんです。大雑把にですけど」
「わける?」
木乃香は速読なんてできないし、ぱっと見た程度ではもちろん内容も完全に理解できない。
しかもこの国の書類ときたら、全部が手書きである。文字の大きさも書き方も、書き手の自由なのでバラバラだ。
もといた世界の整えられた書式ときれいな活字に慣れている木乃香の目ならなおさら、すぐに内容を把握するのは無理だった。
だから、彼女は仕事の進め方を考えたのだ。
「分けて、仕事の優先順位をつけるんです。重要なもの、急ぎのもの、急ぎではないもの、不備などで返却するもの、どうでも良いもの、っていう感じに」
机の上には底の浅い箱が五つ並んでいて、ざっと目を通した書類はそこに分類されていく。
「どうでも良い書類なんてあるのか?」
「ありますよ。最近は少なくなってきましたけど」
最初の頃だが、回される仕事の一割くらいがそれだった時期もある。
通しても通さなくても誰も困らない、何なら机に置いていった者もすぐに忘れるような、ほんとうにどうでも良い書類だ。
なぜそんなモノが紛れ込んでいるのかというと、だいたい嫌がらせか新人いびりである。先輩方がこのろくでもない書類を「時間と紙のムダ」とぼやきながら目の前でゴミ箱に放り込んで見せなければ、木乃香は真面目にものすごく無駄な時間を費やしていたにちがいない。
それから、特定の誰かに都合が良いとか、特定の誰かに余計な予算がいくとか、そんなどうでも良いが“良くない”書類も紛れ込んでいることもある。
新人なら分からない、あるいは丸め込めるだろうと思っているのかもしれないが、それはそれでしっかりと記録、保管済みである。
しかるべき時にきっちりと脅……公表できれば良いなと、先輩方とほくそ笑んでいるところだ。
「……なるほどな」
少し引っかかる部分があるものの、八割は納得した、という顔でユーグアルトは頷いた。
彼も、サヴィアやオーソクレーズでけっこうな仕事量をこなしてきた自覚はあった。
が、先王の第五王子あるいは軍団長のもとに届く書類は、その前にある程度は精査されていたはずだ。少なくとも“どうでも良い”書類はほとんど回ってこなかった。
「まあ、仕事が立て込んでなければ、こんな分類もいらないかもしれませんけど」
木乃香が統括局に配属になってから、立て込んでいなかった日はない。
新人職員である木乃香の処理能力はたかが知れているのに、上司が考慮してくれないのだからしょうがない。
「いやいや、これでも前に比べたら良くなったんだよ」
木乃香の向かい側で、同じように書類を広げるジェイル・ルーカが言った。
「書類そのものが、すごく見やすくなったからね!」
言いながら、持っている書類をひらひらと振ってみせる。
「内容はあまり変わらなくても、何の書類をどこの部署の誰がいつ出したのか、それを一番前に書いてもらうようにした。それだけでずいぶん分かりやすくなったよね。これ、オーカちゃんの提案」
なぜか自慢げに、ジェイルが胸を張る。
褒められているはずの木乃香は、遠い目をした。
「いやもう、ほんとうに読みにくかったので……」
中には上手に分かりやすくまとめてある書類も、あるにはある。
しかしそれはほんの一部だし、その中で字がきれいで読みやすいものはさらに少ない。
大半は何が言いたくてどこが結論なのか分からない、妙に堅苦しい言葉を使ってなおさら難しく見せた長文である。
けっきょく何が言いたかったのか分からない。たぶん書いた本人も分からなくなったんじゃなかろうかという、もといた世界の会社だったか学校だったかで“枚数を多く書いたことで満足しているダメなレポートの例”として教わった文章そのものだ。
「もう目からウロコでさ。こんなちょっとのことで、すごく書類が捌きやすくなったんだから」
「ちょっとずつ変えるくらいしかできなかったんですけどね」
「少しずつっていうのがむしろ良いんだよ。急に大きく変えると、反発も大きいから」
ジェイルが言い、ほかの同僚たちも頷いていた。
じっさい、これだけでも面倒くさいだのこれこそ紙のムダだのといった文句を言う者もいた。
しかし今は、統括局に提出する書類に限定した指示だったはずのそれが、他の部署でも採用されつつある。
誰だって、読みにくい書類は読みたくないのだ。
さらに、余談だが。
不思議なことに、たったこれだけで、嫌がらせ目的の適当な書類や後ろ暗い案件の数までが減った。
ろくでもない書類(自覚アリ)の目立つ場所に堂々と自分の名前を書けなかったのだろう、というのが彼らの推測だ。
「正しい統括局長官のサインとハンコの使い方だよなあ」
「ですよねー」
いい仕事をした、とにんまり笑うジェイルに、木乃香も深く頷く。
「……あー、つまり」
つまり、長官が不在の間に長官の名前とハンコを使って、ソレを通したと。
そういうことらしい。
「上司元気で留守がいいってことだよ。あ、ほどほどの留守ね」
「別に留守にしていなくても、話の分かる上司だったらなお良かったんですけどね」
ヤケクソ笑顔を浮かべたふたりを前にして、ユーグアルトはぐりぐりと自分のこめかみを揉んだ。
本来それは、文書偽造であり、立派な不正である。
しかし、それが横行しているおかげでこの統括局は、仕事が回せている。
不正をしたほうが仕事が正常に回って捗るとは、これいかに。
これがフローライドという国の常識なのか。
いや、他国であろうと、こんな常識があってたまるか。
新人職員ユーグは、そんなカルチャーショックと葛藤を抱えながら沈黙した。
そんな彼の膝の上に、子猫がひらりと飛び乗る。
あまりに自然で軽やかで、もちろん殺気もないので、他人の使役魔獣だというのに身構える暇もなかった。
つやふわの白い毛並みを擦り付けながら、鮮やかな青い瞳で見上げてくる。
「にあー」
なんだか労りに満ちたような鳴き声に、ユーグアルトが軽く目を見開く。
「……もしかして、元気づけられているのか?」
「癒されますよねえ」
木乃香がへにょりと笑う。こちらは、懐からひょっこりと頭を出したハムスターを指の先で撫でていた。
「ちゃんと空気を読める子たちなんでお仕事の邪魔はしないと思いますけど。嫌だなあと思ったらそう言って下さいね」
「あなたにか?」
「いえ。この子たちに。ちゃんとわかってくれますので」
「……ああ。そうだな」
ユーグアルトが頷く。
ミアゼ・オーカの使役魔獣は、そうだった。
とはいえ、妹と触れ合う使役魔獣たちを眺めることはあっても、自分がそれに混じることはなかったユーグアルトである。
膝の上のコレはどうすればいいのかと悩んでいる間に、四郎はさっさとそこで丸くなって寛いでいた。外に垂れたしっぽが、ゆらんとご機嫌に揺れている。
隣の木乃香の足元では、黒い子犬がぴこぴことしっぽを振りたくっていた。足元で大人しくお座りしていたのだが、今なら構ってもらえると思ったらしい。
召喚主が子犬を膝の上に持ち上げて優しく背中を撫でているのを見て、ユーグアルトも自分の膝の子猫にそうしてみる。
ごろごろ、と気持ちよさそうに喉が鳴った。
「………なるほど」
癒される、というのはよく分からないが。
なんというか。いま、肩の力がほっと抜けた感じがする。
ふと見れば。
黄色い小鳥は、先ほどから職員たちの肩やら頭やらに止まってはぴっぴぴっぴと景気よく囀っていた。
仕事の邪魔をしていそうに見えるが、ジェイルなどは「ありがとうなサブロー」とお礼まで言っている。
あとで彼に聞いてみたら、「よく知らないけど、温めて血のめぐり? をよくするんだって。首とか肩の凝りに効くんだよこれがー」としみじみ説明された。
山奥にある湯治場に古傷を治しに行ったベテラン兵士のような、話しぶりだった。
一郎も、統括局の入り口にちょこんと腰かけて、来訪者たちの対応を買って出ていた。
小さな子供(仮)に無邪気に対応されると、意地悪な顔つきをした職員は毒気を抜かれ、難しい顔つきをした職員の眉間のしわも少し緩むようだ。
何なら、明らかにこの使役魔獣たちに会いに来たと思われるような他部署の職員もいた。
彼女たちが居なかった昨日までと、いる今日と。空気がぜんぜん違う。
ここへ来て日の浅いユーグアルトでも、その変化ははっきりと分かった。
そしてそれは、決して悪いものではないように思う。
「お前たちの召喚主は、なんというか……すごいな」
白い顎を撫でてやれば、四郎はちょっと誇らしげに「にゃあ」と鳴いた。
☆ ☆ ☆
「……書類を繰り返し読むのは時間の無駄だと思っていたが」
手元の書類から視線をずらしたユーグアルトは、感心したようにため息をついた。
彼の前にも、いまは五つの分類箱が置かれている。
それぞれのやり方があるので、この箱を使っている職員は統括局でも半分くらいだ。
「なるほど。これだけ雑多な書類を捌くなら、効率は良いかもしれない」
「ユーグさんこそ。そのスピードで一回読んだだけで理解できたって事のほうがすごいと思いますが」
入って一か月足らずの新人職員の仕事スピードではない。少なくとも、同じ頃の木乃香よりはるかに速い。
比べる必要はないのだが、自分も頑張らないとなあと羽ペンを持つ指に力を入れたときだ。
「後輩に“さん”付けはいらないと言っているだろう、先輩」
ユーグアルト・ウェガが真面目な顔でそう言うので、がくりと力が抜けた。
「……だから。“先輩”呼びやめてもらえますか。そっちのほうが年上ですし」
「いや、ここは敬意を表して“先輩”と呼ばせてもらいたい」
「サヴィアの王族様に言われたくないんですけど」
「ここでは新人の中級“魔法使い”なんだが」
「……だから、そもそもソレがおかしいですよね」
「いちおう正規の手続きはしている」
「でしょうけども!」
国が認める“魔法使い”であることが絶対条件のこの職場で、さすがに学術局長官ティタニアナ・アガッティがそこを偽装するとは思っていない。
ここは“魔法大国”フローライド。
“魔法使い”になれるだけの実力があれば誰でも認められる、寛容で、大雑把な国だ。
そして。
悔しいが、サヴィア王国出身という一点を除けば、ユーグアルト・ウェガ―――いや“ユーグ君”は、非常に優秀で有力な人材なのだ。
むしろ統括局のいち職員なのがもったいないくらいである。サヴィアの王様の補佐をしたり自ら軍団を率いたり北の大国を平定したりしていた実務経験は伊達ではないのだ。
「……どうしてニアナ様は、ユーグさんをここに連れてきたんでしょうね」
「深刻な人手不足だと聞いたが」
「それは前にも聞きました」
嘘ではない。以前に木乃香が即採用になったのも、それが大きな理由である。
“流れ者”を雇ってはいけないという決まりはない。
サヴィアの者を雇ってはいけないという決まりもない。
でも普通に考えて、いくら人が足りないからといって現在進行形で国を脅かしている国の者を雇うのは、何かが違うのではないかと思う。
さすがに、ジェイルら以外には知られていない―――というか、こんなところにサヴィアの王弟がいるとは誰も想像がつかない―――だろうが。
「サヴィアとしては、内々に国王に謁見を申し込んではいる」
声を落として、ユーグアルトが言った。
「が、それに対する返答はない。が、まあ、その間にこの国について知れるという点では、ちょうど良い環境かもしれない。国王の姿すらまだ見かけたことはないが」
「……危険では?」
「念のため、軍務局と外務局には近づかないように言われている。顔を知られている可能性がないわけではないからな」
それでいいのか、と思わないでもない。
しかし現に彼はここに居て、統括局の職員として普通に仕事をしている。
木乃香はちょっと心配だった。
なにしろ、彼らは本気でフローライドが欲しくないのだ。
にもかかわらず、敵国に入り込んで内側から崩してやろう、あるいは国を乗っ取ってやろう、とかいう野心を持っているかのような、微妙な位置に彼がいるから。
まあ、本当にそんな野心があればラディアル・ガイルやティタニアナが黙っていないだろうし、この場所で木乃香と顔を合わせることもなかっただろうが。
うーん、と唸ってしまった木乃香に、ユーグアルトが笑ってみせた。
「もちろん、何かあった場合はあなた方に迷惑がかからないようにしよう。安心して欲しい」
「いえ、ええと……はい」
逆にこちらを気遣うかのような余裕の笑みをみるに、彼は流されているように見えて、しっかりとその流れをつかんでいるようだ。
その上でさらに、何手も先を読んでいるのかもしれない。
違うのだ。
ただ流されるだけで、流れ着いた先で途方に暮れているような木乃香とは。
☆ ☆ ☆
「……なんかいいコンビだよなあ」
ミアゼ・オーカとユーグアルト――“ユーグ君”。
ふたりの後輩を眺めながら、ジェイル・ルーカが小さくぽつりと呟いた。
ユーグアルト・ウェガ・サヴィア。
つい最近フローライドのシルベル領を丸ごと削り取っていったサヴィア王国の王弟殿下で将軍様でもある彼が、なにがどうなってジェイルの後輩として統括局にやってきたのか。
今でも謎だし、正直知りたくもないなあとも思う。
人手不足を年がら年中嘆いてはいたけど。いくら優秀でもこんなにいろいろと危険な人材は絶対に頼んでないし、ぜんぜん予想もしていない。
いや、こんなの予測なんて無理だろ!
と。
かなりびびって身構えていたジェイルたちだったが、実際の彼は普通に真面目な好青年だった。
表面通りの、タダのいい人だとはジェイルを含めてこの場の誰も思っていないが、こんな場所にヒラ官吏として入りこめるくらいだ。基本的には協調性のある人物なのだろう。
でもって仕事は正確で速い。入って一か月足らずの新人職員の働きではない。
要するに、とても良い後輩なのだ。きっと国では上司としても慕われていたに違いない。
しかし、いくら気さくでも、友好的でも、異国の要人をすぐに普通の後輩として扱えるほどジェイルは図太くはない。なんなら今だってけっこう怖い。
しかししかし、である。
統括局に復帰してきたミアゼ・オーカの急にできた新しい後輩への接し方は、少なくともジェイルたちよりは自然で、変な緊張もないように見えた。
ものすごく、やりにくそうではあったが。
やりにくそうだが、仕事は早い。
お互いに変な遠慮がないぶん、協力できるところは協力し補い合って、より効率よく仕事を片付けているようだった。
シルベル領ですでに面識があったらしいふたりの間に、そのとき何があったのかまでは知らない。
構えていない態度が楽なのか、彼女と話すユーグアルトの表情もいつもより少し柔らかいような気がする。
かの地でいったい何があったのか、聞いてもいいのかどうなのか。ジェイルをはじめとする統括局の先輩連中は、ちょっとそわそわしているところだ。
そういえば上司のタボタ・サレクアンドレに対しても、彼女は必要以上に恐れず媚びへつらうことをしなかった。
それでもジェイルたちと同じように外面は取り繕っていたのだが、無駄に自己肯定感と選民意識が高すぎる長官様はそれでは足りなかったらしく、いつまでも彼女にきつく当たっていた。
そもそもの人柄というか、器の大きさが違いすぎる。
……比べるのも失礼なくらいに比較対象が悪いのは承知の上である。
だが、つい考えてしまう。
ユーグ―――ユーグアルト・ウェガが束ねるサヴィアの軍は、いったいどんな集団なのか。彼に、どんな思いを抱いているのか。
彼を後輩ではなく上司と仰いだ場合、どうなるのだろうかと。




