どんな思惑と蒼黒の瞳・10
「団長殿、ご帰還―!」
そんな伝令が遠くに聞こえ、ジュロ・アロルグが「お、帰ってきたか」と少しほっとしたような呟きをこぼした。
伝令とともに大きくなったざわざわが、「どよどよ」に変わったのはそれからすぐの事。
「なんだ?」
何かあったのか? と大男が片眉を上げたとき。
入り口にかけられた布の合間から、黄色い小鳥がすいっとテントの中に入ってきた。
使役魔獣第三号の三郎である。
「みっちゃん!」
「ぴっぴぴっぴぃー!」
木乃香の目の前できっと止まった三郎は、そのまま落ちるようにして彼女の膝上にぽとりと着地した。
そしてぱたぱたと羽根を動かしながら、なにやら一生懸命に訴えている。
「ぴぃぴっぴー」
「うん。お疲れ様。無事で良かったよー」
「ぴぴぴぴ」
「大変だったねぇ」
「ぴぴぴぃ」
「…うーん。ごめんね、心配かけて」
膝の上で忙しなくぴぴぴぴと鳴く小鳥に、木乃香は「もう大丈夫だよ」と返す。
しかし体調がぜんぜん大丈夫でないことは、使役魔獣にはお見通しである。三郎は赤い嘴でイライラつくつくと彼女の手をつついた。
地味に痛い。しかし、ちょっと嬉しい。
そこでつい口元が緩んでしまったのが良くなかった。
「ぴっぴっぴぃ!」
なんだか召喚主よりも態度が大きく見える小さな小鳥に、ものすごく怒られた。
「……はい、スミマセン」
その後もぴっぴぴっぴと説教を続ける三郎を前に、木乃香がしゅんと肩を落としたときだ。
「ここか!」
テントの入り口に垂らされた布が、ばさっと勢いよく跳ね上がる。
そうしてその向こうに立っていたのは、嫌でも目立つ黒い外套―――フローライドにおける最上位の“魔法使い”を示すそれを、威風堂々とまとった長身の男だった。
「サブロー、さっさと行くな! 見失ったかと思ったぞ」
遮ろうとした兵士たちを気に留める風もなく、ラディアル・ガイルはずかずかと中に入ってくる。
「お、お師匠さま、まで……?」
「オーカ! はあ、やっと見つけたぞ。無事か? 大丈夫か? 何ともないか?」
彼は呆然とする木乃香の前に、ためらいもなく膝をついた。
心配そうに彼女の顔をのぞき込んで、眉をひそめる。
「むう。元気がないな。寝ていた割に魔法力がぜんぜん回復していないんじゃないか」
「……あの」
「というか、いつ起きたんだ? さすがに今回はちょっと寝過ぎだろう」
顔をのぞき込み、熱を測るように額に手を当て、むにっと頬をつまむ。
そこまでされても、木乃香はぽかんとして瞬きを返すだけだ。
「ここは、久々だが“はうす”使うか?」
「お師匠さま、どこまで知って……」
「大体は聞いている」
「ぴっぴっ」
三郎が、木乃香の膝の上でその小さくふわふわとした胸を反らした。
呆然としながらも労りを込めて指先で撫でてやると、もっと撫でて褒めてと言わんばかりに小さな黄色い頭をいっそう指に押しつけてくる。
そして、その木乃香の頭の上にも、より大きなお師匠様の手がぽすっと乗せられた。
「おし――」
「まあ詳しくまではわからんが……いろいろと大変だったな。よく頑張ったぞ、オーカ」
「………」
久しぶりに会った保護者様は、少し強めにわしわしと頭を撫でてくる。
相変わらず大きくて、温かくて、そして少しだけ不器用な手だった。
「ラディアル所長、遅くない?」
「ふふん。おそかったですねえー」
「厄介な足止めがあったんだよ。というかなんで置いてきたおまえらがそこに居るんだ!」
ラディアル・ガイルがシェーナとクセナにくわっと顔を向けた。
木乃香に向けていた心配そうな様子から一転、眉間にしわを寄せた剣呑な顔つきだったが、ふたりがそれに怯んだ様子はない。
「ルビィのほうが馬よりも早いよ」
「置いていくほうが悪いんですよーだ」
「きゅああっ」
「安全な場所で待ってろって言っただろうが。遊びじゃないんだからな!」
無事だから良かったものの、とため息を吐くラディアル。
ちなみに。彼を連れてきた、ともにテントに入ってきた男たちは、この会話に愕然としていた。
「陽動じゃなかったのか?」
「ま、まさかの全くの別行動……」
やっぱりフローライド侮れない、訳がわからない、と呻く背後は気にならない風で、シェーナが言い返す。
「遊びでいまのシルベル領まで来る馬鹿がどこにいます? それに所長、こちらの話を聞かずに一方的に言い捨てていっただけじゃない」
そう。
ラディアルは自分の言いたいことだけを言って、さっさと馬に飛び乗って行ってしまったのだ。
反論は受け付けないという意思表示なのか、単に言い返されると面倒だと思ったのか。まあ、おそらく両方なのだろうが。
そうして置いていかれたふたりは当然、腹を立てた。
危険? そんなことは分かっている。
それでもここまで付いてきたのは自分たちの意思だ。ここで怖じ気づくくらいなら、わざわざシルベル領まで来ようとは思わない。
何より、足手まとい扱いをされたことが気に食わない。
ものすごく気に食わない。
「そりゃあ所長はわたしたちなんかより余程強いし、ひとりでも大丈夫なんでしょうけど?」
なにしろ国内屈指の実力を誇る武闘派魔法使いだ。
彼が手加減なし容赦なしで暴れれば、たぶんサヴィア軍など全滅――は無理でも、半壊くらいはさせられると思う。
ミアゼ・オーカ奪還という目標を達成できるかどうかはともかくとして、とりあえず彼自身については何とでもなるだろう。
シェーナとクセナは、単騎でサヴィア軍に突っ込もうとしていたラディアル・ガイルの心配は、ぜんぜんしていなかった。
じっさい、なんだかんだで無傷でサヴィアの本陣にたどり着いている。
しかしそれはシェーナたちも同じである。
「皆で協力すれば、もっと楽に来られたと思いません?」
「……むう」
シェーナ・メイズはついっと顎をそらした。
最上級“魔法使い”様よりも早くサヴィア軍に潜入できた彼女の言葉は、非常に重い。ラディアルは苦虫をかみつぶしたような顔つきになった。
「しかしだな、そもそもジラノスまでって約束だったぞ」
「オーカがジラノスに居なかったんだから、しょうがないじゃないですか」
「おまえらを危険な目に遭わせるわけには――」
「ここまで来ておいて今さらですって」
「おまえらが付いて来るって聞かなかったんだろうが」
「別に責任とれとか言ってませんよ」
「おれが付いている以上は、そういうわけにはいかん!」
「……融通きかない」
「ああ?」
「もう。だったらさっさと諦めてくださいよ!」
「おまえは毎度毎度そうやってなあ―――」
なにこれ仲間割れ? サヴィア兵士の誰かがそう呟いた。
最初はシェーナの言葉にうんうんと頷いていたクセナも途中からは「うん?」と首をかしげるようになった、そんな頃。
「………っ」
ぐっと。
木乃香が、ラディアルとシェーナの外套を引っ張った。
うつむいている彼女の顔には、少し赤みがさしているようだ。
体調が戻ったとか、そういう喜ばしい理由だったら良かったのだろうが、おそらく違うだろう。
彼女を挟んでにらみ合っていた保護者のふたりは、ぴたりと言い合いを止める。
「はっ。ご、ごめんねオーカ」
うつむいたまま、彼女は自身の下唇にぐっと力を入れたようだった。
不満げに。あるいは、何かに耐えるように。
「な、なんだどうした、どこか痛いのか? 気持ち悪いか?」
「……っそう。移動。これから移動するんだったわよねっ」
木乃香は顔を上げることがないまま。
食いしばった歯の間から、「い」と「う」の間のような唸り声が漏れ出た。
おろおろと焦る人間たちより先に動いたのは、使役魔獣たちである。
ルビィの傍にいた一郎がてててっと駆けてきて、彼女の背中にきゅっと抱きつく。
二郎がその周りをうろうろ歩き回りながら心配げに主を見上げ。
三郎、四郎も彼女の膝の上から主を気遣うようにそれぞれ鳴き始めて。
外套から顔を出した五郎は、肩に乗って彼女の頬にふわふわの身体を擦り付けた。
「このか」
使役魔獣第一号が、主の名前を呼ぶ。
彼女の両目が、みるみるうちに潤んでいく。
視界が歪んで反射的に瞬きをすれば、涙がほろほろとこぼれ落ちた。
一度あふれるともう駄目だった。どれだけ歯を食いしばっても、どれだけ息を飲み込んでも次から次へとせり上がってきて止まらない。
「なっ、は…っ? どど…っ⁉」
動揺しすぎて後退りしかけたラディアルは、しかし再びぐっと外套を引っ張られて中途半端にのけ反った格好で固まった。
人前で木乃香が泣くことは、ほとんどない。
少なくとも、ラディアル・ガイルが彼女の涙を見たのは、彼女が一郎を召喚したときだけだった。それにしたってこんなにぼろぼろ涙が出るような泣き方ではなかったと思う。
彼女はいまだ黒と灰色の外套の裾を左右それぞれの手に握ったまま。
つまり、空いた手がないので涙を拭うことすらもできない。
それに気がついたシェーナが、何も言わずに自分の服の袖を彼女の目尻にあててやる。
それで余計に止まらなくなったらしい。堪えようとはしているのか「うー」だの「ぐー」だのと変にくぐもった声を漏らしていた木乃香は、ぐすぐすと鼻を鳴らし始めた。
「お、おおおオーカ?」
「うぅー」
返事をするように、もしくは八つ当たりでもするように、ぐいぐいと外套が引っ張られる。
「つらいのか? 苦しいのか? …お、おれはどうしたらいいんだ?」
後の言葉は、ものすごく頼りなくテントに響いた。
たったひとりでフローライドの中央軍と対峙しても、サヴィア王国軍の将校たちを相手にしても少しも怯まなかったラディアル・ガイルである。
それがいま、なすすべもなく途方に暮れていた。
見た目にも禍々しい大振りの召喚武器を軽々と操っていた大きな手も、おろおろと頼りなく彷徨っているだけだ。
「そ、そうだ。帰ろう。研究所に戻ろう」
きゅっと、いっそう外套を強く握られる。
しかし通常より力が入らない手では、握る強さにも限度がある。その弱々しさに、ラディアルはなおいっそう狼狽えた。
「い、いや休もう。いや先に帰ろう。何ならいますぐにでも――」
黒い外套を引っ張られた。
「なんだ? ツラいことはお父さんに言いなさい! その元凶を叩き潰して――」
ぐいっと外套を引っ張られた。先ほどより乱暴に。
しかも抗議するように「うー」と唸られる。
「……役に立たないわね、“お父さん”」
「にゃー」
「ぴぃ」
木乃香の背中をさすっていたシェーナがしらっとした目をラディアルに向けた。
彼女の後に続いた四郎と三郎の鳴き声も、なんとなく呆れている風だ。
「もうちょっと何とかならないの」
「だがな、オーカがこんな風になるには、余程の事があるだろう?」
労るように気遣うように、頭の上にぽんぽんと手を乗せたのはおそらく無意識である。
それに木乃香はようやくふっと肩の力を抜き、すんと鼻をすすった。
「……これは、あれだと思うぞ」
少し離れた場所で、自身の顎に指をあてながら言ったのはジュロ・アロルグだった。
「ほっとして気が抜けたんだろう。遠征を終えて久しぶりに家に帰ると、うちの娘にこんな顔で泣かれたことがあってな」
少しばかり優しげな表情で、彼はそう続ける。
「ずっと心細かっただろうからなあ。まあ、ここに留まらせていた我々が言うのもどうかと思うが。そこは、本当にすまん」
顔を上げられないまま――ひどい顔をしていると分かっているので――木乃香はふるふると首を振った。
心細かったというのなら、それはたぶん今に始まったことではない。
ここに来るまで、自分はおそらく恵まれていた。運が良かったと思う。
いろんな人々に助けてもらったし、良くしてもらった。何より、使役魔獣たちはいつも寄り添ってくれていた。
たぶん、それでも。
きっと、王都を出たその時からずっと心細かった。ずっと気を張っていたのだ。
保護者ふたりの外套をぎゅっと握りしめたまま。
使役魔獣たちにくっつかれたまま。
それをサヴィアの人々に生温かく見られたまま。
それから、やたらと子供扱いされていることがひたすら恥ずかしいままに。
木乃香は、しばらく涙を止めることが出来なかった。
読んで頂きまして、ありがとうございます^^




