どんな思惑と蒼黒の瞳・9
「リアンくん! メイお姉さままで⁉ どうしてこんな所にいるの⁉」
中にいたふたりを見るなり、木乃香は転がるようにして彼らに駆け寄った。
テントの支柱に括りつけられていた彼らは、しかし彼女の顔を見るなりほっと顔を緩ませる。
「それはこっちのセリフよ。オーカ、大丈夫なのっ?」
「なんか顔色悪くないか?」
「くあうぅ」
自身そっちのけでこちらを心配するふたりに、木乃香は泣きそうになる。なんだか使役魔獣のルビィにまで心配されている気がする。
ちなみに、その赤いドラゴンには木乃香の使役魔獣である一郎が駆け寄っていた。
ゆっくりと少しだけ持ち上げた赤い頭を一郎がもみじのような小さな手で撫でれば、「くるるぅ」と甘えたように、ほっとしたように喉を鳴らす。
「るびぃ、つかれた?」
「くるぅ」
紐でぐるぐると拘束されているが、「だいじょうぶだよ」と長い尾の先をひょこひょこと動かして応えているルビィ。
大きな赤いドラゴンと赤い頭の小さな子供の様子に、周囲にはほんのりほっこりとした空気が流れた。
「わん」
木乃香は、彼らを拘束する紐を指でなぞる。
魔法探知犬が教えてくれたので、彼らをぐるぐる巻きにしている紐が魔法を封じる効果を持つ魔法道具であることは分かった。魔法さえ使わなければ、ただの紐と一緒であることも。
シェーナ・メイズならばすぐに気付いただろう。現に、ふたりと一体は余計な魔法を使ったりして消耗した形跡もなく、縛られている割に元気そうだ。
しかし結び目はきつく、これを解くのはなかなか難しそうだった。なにより、思ったように指に力が入らない。
もどかしい思いで魔法が込められた紐をもそもそと触っていると、背後のジュロ・アロルグから「縄を解いてやれ」という声が飛んだ。
「え、よろしいのですか?」
テントの入り口のほうに立っていた兵士が、上司に聞き返す。
急にルビィが鳴き声を上げた時点で、驚いてテントの中に入ってきていた見張り係だ。
「ああ。この者たちはうちの“客人”の友人だったようだ。無駄な騒ぎを起こすような奴らではない。と、思う。おれのカンだが」
「……カン、ですか」
得意げに胸を張る大男。
大男が胸を張っているので、なおさら大きく見えて圧迫感が増している。
「おれのカンだ。もちろんおれが責任は取る」
しかし言っている内容はかなり適当な気が、少なくとも木乃香にはした。
もちろん、シェーナたちが悪い人間でないことは良く知っているし、拘束などさっさと解いて欲しいとは思うのだが。
兵士はうろんな目を上司に向けた。
シェーナとクセナも、なぜか何か言いたげな複雑な顔つきをしている。
「…この場でそこのクマを出し抜けるなんて思ってないわよ。その辺は安心して」
どこか諦めたように、シェーナが言った。
「くま?」
「クマ……」
木乃香が首をかしげる。
次いで兵士たちが驚いたように目を見開き、それから半笑いで言った。
拘束紐は、兵士が少しひねって引っ張っただけであっさりと解けた。
「あんたらを疑っているとか、そういうわけではないんだ。その、クマがね……」
「そう。団長のカンを疑っているわけでもなくて、むしろ信頼しているんだけど。…団長、ここでも“クマ”なんだなあと思って」
余談だが。
魔獣ではない野生の熊が、旧サヴィア国内の山の中には生息している。
その体格と怪力で昔からクマっぽいと言われることはあるジュロ・アロルグだったが、しかし軍の中では「クマのほうがまだ可愛い」とも言われていた。
野生の熊は基本的に臆病で不用意に近づかない限りは襲ってこないし、それにサヴィアでは熊は毛皮や食料としても重宝されている。
危険だが、工夫すれば一般人でも捕まえられるのが熊だが、サヴィア王国第二軍の“クマ”は、軍人が束になってかかっても敵わない。
そのクマがにかっと笑った。
「そっちの二人にはまだ名乗ってなかったな。ジュロ・アロルグだ。おれは魔法はサッパリなんだが、フローライドの魔法使いどのにそう言って貰えるのは光栄だな」
「……はあ」
ため息をついたのはシェーナだったかクセナだったか。あるいはテントにいたほかの兵士だったか。
「確認なんだけど。魔法力は、少しも……?」
「ないな!」
「魔法の感知能力とか、身体強化ができるとか……」
「ないな!」
「……」
「フローライドじゃあ、魔法使いじゃないと出世できないんだったな。こんなのが軍団長で驚いたか?」
からっと笑うサヴィア王国軍の将校様だが、驚いた理由はそこではない。
ということはやはり、シェーナ・メイズの誰にも気付かれなかった魔法陣に気が付いたのは完全に彼の勘だし、大きな槍をぶん投げたのは完全に彼の筋肉ということになる。シェーナとクセナが驚いたのは、これだ。
ちなみに、ジュロ・アロルグと対峙した経験のない木乃香は「へぇそうなのかー」くらいの反応だった。確かに、力はものすごく強いなとは思ったが。
あの腕肩の太さといい筋肉といい、重量挙げの選手のようだ。
「……すげーなぁ」
成長途中だがまだまだ線が細いクセナ少年が思わず呟くと、ジュロ・アロルグは「若者に褒められるのも良い気分だ」と得意げにまた笑った。
「“勘”…侮れないわ……」
頭を抱えているシェーナに、兵士が少し同情的な視線を向けて言う。
「いや。うちの団長がおかしいだけなんで」
ほかの誰がどう頑張っても絶対に無理。野生の熊だって、魔獣だってこんなに感覚が鋭くはない。ジュロ・アロルグの“勘”は、そんな領域である。
その領域に近づこうとしても、なにしろ“勘”である。今回にしたって「なんか変な感じがした」だけだというのだから、他人に真似できるものではなかったのだ。
ふと木乃香は思い出した。
そういえば天才肌のお師匠様も、魔法を使う際には「なんとなく」だとか「適当に」だとか、弟子にしてみればぜんぜん参考にならないような事を言っていたな、と、
しばらくして、入り口付近から女性兵士が声をかけた。
「団長、準備ができたそうです」
「おおそうか。皆、客人用のテントを用意したから、そちらに移ってもらえるか」
木乃香が寝ていたテントよりも若干広くがらんとしたここは、もともと客人などの一時待機場所などに使用しているらしい。
魔法を使った妙な動きや下手な小細工をすればすぐに分かるような仕掛けがされているらしく、今回のように魔法が使える侵入者や不審者を一時的に捕まえておく場所としても使われているという。
シェーナとクセナはこの場所で大人しくしていたこともあって、すぐに縄を解かれたようだ。
とはいえ。
「なんだか、すごく手際が良くない…?」
「もういい加減、慣れたからな」
―――慣れた?
「まあ、こんなに若い少年が来るのも、こんなに陣中深く入り込まれたのも初めてだが。魔導部隊の連中が、フローライドの魔法使いは奥が深いワケワカラン、と頭を抱えていたぞ」
だっはっはー、と脳天気に笑い飛ばす団長に、妙に疲れたような表情の団員たち。
……なんだろう、この反応。
とりあえず、魔法大国フローライドの“魔法使い”が褒められているわけではなさそうだ。
ここはフローライドに侵攻中のサヴィア王国軍の本陣。なんだか予想外に丁寧な扱いをされて忘れそうになるが、彼らとはいちおう敵対関係にある。
そしてフローライド側の軍は、ジュロ・アロルグが言った通り“魔法使い”が指揮する、魔法攻撃重視の編成である。
下級“魔法使い”で下っ端文官の木乃香の使役魔獣たちだって「なんだソレ」とよく首をひねられる。同じくシェーナの魔法陣やクセナの使役魔獣が秀逸なのだって見て分かるとおりである。
軍に所属していない者だってこれなのだ。きっと軍に所属している“魔法使い”には、相手にとって手強い、それこそ「奥が深いワケワカラン」と恐れられるくらいの凄腕がいるのだろう。たぶんきっと。
そんな風に、木乃香は彼女なりに結論づけた。
ちなみに。
彼らが疲れているのはフローライド軍のせいではなく、軍に所属してもいないのに興味本位でサヴィア軍に入り込んでくる「ワケワカラン」魔法使いたちのせいである。
まっとうな諜報員も忍び込んで来るには来るのだが、数や巧妙さは前者のほうが上である。それもどうかと思う。
もちろん、木乃香たちはそんなことは知らない。
―――そんな、微妙な認識の差が生まれたところで。
「ほれ」
木乃香に向かってジュロ・アロルグが丸太のような腕を差し出した。
「……」
「どうした。行くぞ?」
固まった木乃香に、彼は自分の二の腕をばしんと叩いて見せる。
エスコートにしては情緒がなく、なんだか無駄に力強い。
「……ええと、はい。行きますけど」
自分で歩きたいんですが。
小さな声で主張した彼女の様子がちょっとおかしい事に気がついたのは、シェーナ・メイズだ。
「オーカ、やっぱり調子悪いんじゃない?」
テントに転がり込んできてから、彼女は床に座り込んだままだ。いや、へたり込んでいるというべきか。
ジュロ・アロルグが言う。
「そこのお嬢さんは、こっちに来てからずっと寝ていてな。ついさっき目が覚めたところなんだよ。あんたらの事があったから無理に移動してもらったんだが」
そう。
何日も寝ていた木乃香は、まだ思うように体が動かせなかった。
動かないわけではないのだが、例えば木乃香が寝ていたテントからシェーナたちが捕らわれていたこのテントまで、歩くのが難しいくらいには体力が落ちてしまっていた。
転がるように入ってきたのは、慌てていただけでなく、ほんとうに足腰に力が入っていなかったのだ。
杖か何か貸して貰えれば、ひとりで歩ける。そんな木乃香の主張は、意外に紳士で義理堅い第二軍軍団長様に即時に却下された。ついでに言えば、適当な杖もなかった。
それで、どうやってここまで移動したかというと。
運んでもらったのだ。そこの軍団長様に。
しかも彼の左腕一本で支えられ、そこに腰掛けるような格好で運ばれる、いわゆる片手抱っこというもので。
「そう簡単に落としたりしないぞ。行きも大丈夫だっただろう」
このテントに来る際。
木乃香がふらついているのを心配したジュロ・アロルグが「手伝ってやろう」と申し出てくれた。そこまでは良かった。
手か肩でも貸して貰えるのかと思いきや、彼はひょいっと、ほんとうに軽々と彼女をすくい上げて自分の片腕に座らせたのだ。
木乃香は長身ではないが小柄とも言えない。太くはないと思うがやたら細くもない。小さな子供ではないのだから、そもそもそんなに簡単に持ち上がるはずはないのだが。
「同じ片手でも、肩に担ぐのも脇に抱えるのも運ばれるほうは辛いだろう」
自軍の陣中とはいえ、両腕が塞がっている状態は避けたいから片手で持った、と軍団長様は当たり前のように言う。
その上でいちばん身体的に負担の少ない運び方を、彼なりに考えたようだった。
が。
いきなり変わった目線の高さと地に足が付いていない不安定さに、短い悲鳴を上げた木乃香は悪くないと思う。
でもってその状態でサヴィア王国軍の陣中を、兵士たちの驚きと妙に微笑ましいような生温かいような視線を一心に受けながら移動させられたのだ。精神的には大ダメージであった。
大股でずんずんと、しかし木乃香を乗せた左腕は極力揺らさないように歩くジュロ・アロルグ。
その彼のあとをぱたぱたと慌てて追いかける子供や黒犬、それから木乃香の膝の上にちゃっかりおさまっている白猫や外套の襟元から見え隠れしているハムスターの姿があまりにほのぼのとしているから、それを見ていた兵士たちの視線も余計に緩んだものになってしまったのだが、まあそれはともかく。
それこそ一郎ぐらいの小さな子供ならともかく、しっかりと成人している木乃香は、その運ばれ方が怖くて恥ずかしくて仕方がなかった。
ちなみに、両腕で抱えられてもおんぶでも居たたまれなさは変わらなかったとは思う。
「うちの娘だったら喜んで飛びついてくるんだがなあ」
「……娘さん、いくつですか」
「十歳と四歳。あー、十二になった長男は嫌がるな。そうか子供扱いと思われたか」
そりゃあ年頃のお嬢さんには悪いことしたかなあ。
そう言いながらもジュロ・アロルグの手は差し出されたまま、引っ込む気配がない。
「あー。オーカ、これはしょうがないんじゃないの」
気の毒そうに、シェーナ・メイズが言った。
木乃香が魔法力不足で倒れるのを何度も見てきたシェーナは、いまの彼女がぜんぜん回復できていないことに気付いてしまった。意識が戻ったばかりだというのだから、それも仕方がない。
用意されたテントまでどのくらい歩くのかは知らないが、たとえ隣であっても彼女が自力で歩き着けるかどうかは怪しい気がする。
「くるぅ」
「ルビィが背中に乗るかって言ってるけど…」
クセナが言う。
が、力が入らないのは足腰だけではない。ドラゴンの首にしがみついていることが出来ずに転がり落ちるのが目に見えている。
彼もそう思ったのだろう。返事を聞く前に「無理だよなあ」と呟いた。
木乃香の使役魔獣たちもすまなそうに主を見上げているが、これはどうしようもない。というか小さく可愛いのが彼らなのだから、それでいい。
「我が儘を言っている場合じゃないことは分かっているんですけど…」
情けない顔つきで木乃香が言う。
研究所にいたときは、倒れるたびに師ラディアル・ガイルに運んでもらっていた。それを知っているシェーナやクセナは、いまさら何をと思っているかもしれない。彼女だってそう思っているのだ。
意識がない状態で運ばれたときは、運んでくれた師に対して申し訳ないなあとは思うものの、いまほどの羞恥心は覚えなかった。実感が薄かったともいう。
それに、よく分からない場所で、よく知らない人に、同じくよく知らない人々に見られながら抱っこされるいまの状況とは違う。少なくとも木乃香の精神的には、ぜんぜん違うのだ。
「もういっそ、気絶したい……」
「うちの姫が暴れそうだから、それは勘弁してくれな」
冷静な、けれどもけっこう切実な突っ込みがジュロ・アロルグから入ったところで。
テントの外が、ふたたび騒がしくなってきた。
書籍を購入いただいた方々へ。
お買い上げありがとうございます^^
本のカバーをめくって見ると…
表紙部分で、にぱっと笑ったいっちゃんが御礼を言ってくれてます。
まだ見ていない方は、ぜひカバーを取って見て下さい。
(わたしが言われないと気付かない派なので…)




