8 学生食堂の特別室
翌朝、学園に行く準備をしてから食堂へ行くと、テーブルに何かが置いてあった。
御曹司様が押し付けていった学生食堂の予約券だ。
封筒はその下に重ねてある。
「おはようございます。それ、昨日のお客様からいただいたものなんでしょう? 楽しみですね!」
スープのお皿を置いてくれながら、デラはニコニコと笑っている。自分でお茶を注いだ私は、座りながらため息をついた。
「……これ、返すつもりなの」
「あら、そうなんですか? テレンス様が見つけてくださって、忘れ物かもしれないので確かめさせていただいたのですが。あらあら、どうしましょう。ヴィオラ様のお弁当はいらないと思って、昨夜の残りは全部テレンス様にお渡ししてしまいました!」
「そういえば、今日はテレンスが孤児院に文字を教えに行く日だったわね。……えっ、全部?」
「はい、あるだけ全部! テレンス様は『子供たちに取られるから』なんておっしゃっていますが、はじめから分けて差し上げるつもりで、たくさんお弁当を持っていくんですよね」
そうだ。テレンスはとても優しい。
週に何日か幼年向けの教師のアルバイトをしているのは、家計を助けるためだ。
その一方で、ただ同然で孤児院でも教えている。父もやっていた慈善活動の手伝いで、孤児院での報酬は「差し入れ」の形でほとんど還元しているはずだ。金銭的な援助ができない代わりなのだと私たちは知っている。
知っているけれど、口に出さないようにしている。
思春期の男子というものは難しいのだ。
――で、話を戻す。
テレンスが昨夜の残りのおかずを全部持って行ったとすると、私のお弁当用の食材がない。これから作ってもいいけれど……。
「これを使わせてもらうのが、一番経済的ではあるのよね」
「王立学園の食堂は、とても美味しいそうではありませんか。メイドたちの間でも噂になっていますよ!」
「うん、私もそう聞いているから興味はあるんだけれど、でもこれ、特別室と書いてあるのよ」
「いいんじゃありませんか? 昨日の夕食のお礼のつもりなのでしょう?」
「確かに、そう言っていたわね」
私は迷った。
費やす金額が全然釣り合っていないというのもある。それ以上に、あの御曹司様に関わりたくない。――私は平和で静かな人生を歩みたいから。
ため息をついた私は、ふとリリアナがパンを切っている様子に目を向けた。
自分でできるようになったんだなぁと微笑みかけて……パンの残りが、極めて少なくなっていることに気が付いてしまった。
……そうだった。
昨夜、誰かさんが遠慮の欠片もなく食べていたんだった。
「やっぱり、ご馳走になってもいい気がしてきたわ!」
お高めな学生食堂であろうと、私の昼食分くらいはお金を使わせてもいい、はずだ。
◇
午前の授業が終わると、私は食堂側の中庭へと向かった。
食堂の周辺はほとんど来たことがないから、なんだか緊張する。それに食堂へ向かう学生たちから、いつも以上に視線が集まっている気がして落ち着かない。
(私の外見が目立つのは知っているけれど、いつも一人でお弁当を食べているから、学食に来るはずがないと思われていたのかしら?)
逃げ出したいのを我慢して、オディーランス公爵家の御曹司様を探す。
授業が終わって、私はすぐにここに来た。でも二年生が主に使う教室から離れているせいで、ここに来るまでに少し時間がかかっている。
四年生の教室はここから近いから、私より先に着いていると思っていたのだけれど、それらしい姿は見つからない。
昼食休憩時間の学食周辺は想像していたより人が多くて、私はじわじわと焦ってきた。きょろきょろと周りを見ていた私に、背後から声がかかった。
「ここだよ、ヴィオラ嬢!」
振り返ると、背の高い人がこちらにやってくるのが見えた。
正午の太陽の光に照らされた髪はミルクティーそっくりに見える。賑やかな場所に慣れていない私は、一応知っている顔を見つけてホッとしてしまった。
「その、お待たせしてしまいましたか?」
迷子の心理を見せたくなくて、ついそっけない口調になってしまう。でも御曹司様は人当たりのいい笑みを浮かべただけだった。
「問題ないよ。二年生の教室からだと遠いよね。それに、君を待っている時間はとても楽しかったからね!」
「……それで、この学食券のことですが」
「あれ、自然に無視された?」
「本当は気が進まないのですが、せっかくなのでご馳走になろうかと……」
「それはよかった。では行こうか!」
言葉の途中で、御曹司が笑顔で私の手を引っ張っていく。颯爽と大股で歩くから、私は小走りになってしまう。そのまま抵抗する間もなく食堂の中に入ってしまった。
学生食堂の内部は意外に簡素な造りだった。
貴族の子弟のための学園だし、食堂も煌びやかな空間だろうと想像していたから少し驚いてしまう。でも、ここは王国建国時代の精神に則って作られた場所だ。古い時代の簡素な様式なのは当然かもしれない。
「……それにしては、壁や天井は細工がとても細かいような……」
「ヴィオラ嬢は目がいいね。この辺りの寄木細工は文化財に指定されているよ。外国からの留学生も来るから、王国の威信を示すために装飾を足したんだそうだ」
「へぇ、そうなんですか」
感心している間に、個室に案内された。中庭の風景がよく見える窓際だ。一般席とは壁で仕切られていて、その壁がガラス張りなので光は一般席にも届いている。
「ガラス張りになっているから、全体が明るいんですね」
「こう言う開放感がある造りはいいよね。だから、向こうからも丸見えなんだよ」
「へぇ、丸見えなんですか……えっ、丸見え?」
せっかくの個室なのに、恋人同士でいちゃいちゃできない残念な空間だ……なんて問題ではない。
食事をしている様子が丸見えだろうと、やましいことは何もない。ただ問題は、相手がオディーランス公爵家の御曹司様ということだ。
学園の有名人様はとにかく目立つ。私も人目を引くという自覚がある。
そんな二人が揃うと、どうなるか。
「……もしかして、ものすごく目立ってます?」
「それなりにね。あ、料理が来たからまずは食べようか」
この状況で「食べようか」なんて言われても!
――—と抗議しようとした私は、運ばれてきたパンの香りに負けて立ち上がるのをやめてしまった。
パンと一緒に運ばれてきたのは温かいスープと、ほどよい焼き色のついた鶏肉料理だった。肉に添えたソースは鮮やかなオレンジ色。付け合わせの温野菜は飾り切りが施されている。
どれだけ厳しく採点しても、貴族の晩餐メニュー級にしか見えない。
「学生食堂のランチにしては本格的ですね」
「料理長は王宮料理人を長年勤めていた人だからね。贅沢な食材を使うのに飽きたから、ここで学生用の料理を作っているそうだ」
「……王宮料理人だった人? 贅沢な食材を使うのに飽きた?」
「ここだけの話、王宮を退職した時に、うちの親父がお抱えにしようと動いたんだけどね。美食家は嫌いだと言われたらしくて、落ち込んでいたな」
「何なの、そのエピソード……」
「うちの親父のことは今度ゆっくり話してあげるよ。料理はおかわりができるけど、デザートもある。控えめにしておくといいかもしれない」
御曹司様はそう教えてくれたけれど、毎日質素なお弁当だけの私にはこれだけで十分すぎると思う。
恐る恐る肉を切って、口に運んだ。
ああ、なんて香ばしい香り。
ソースに使われている柑橘の爽やかな味は、少し濃いめに味付けされた鶏肉によく合っている。肉質もふっくらしていて食べやすい。
「君の口に合うかな?」
「とても美味しいです。有名な産地の鶏肉を使っているんでしょうか」
「肉自体は特別なものではないらしいよ。いつも南の市場で仕入れていると聞くから」
南の市場は庶民向けだ。私もいつも利用している。貴族向けの品種でないのに、この美味しさが出せるなんてすごい!
きっと下ごしらえが凝っているに違いない。テレンスにも食べさせてあげたい。きっと興味を持つだろう。やっぱりテレンスは王立学園に入学させなければ!
「――――さて、そろそろ話をしてもいいかな」
改めて強い決意を固めていた私は、のんびりした声に我に返った。




