2 二度目の学食
「——というわけで、余計な噂が出回らないように、俺が必死になっているところをもっと見せつけるべきだと思うんだ。だからまた夜会に付き合ってほしいんだけど……ヴィオラ嬢、俺の話を聞いている?」
「ごめんなさい、聞いていないかもしれません」
大変に申し訳ないと思いつつ、私は素直に謝罪した。
ここは王立学園の学生食堂。いわゆる特別室と呼ばれる個室だ。
学食の利用は二度目だし、前と同じ場所なので私も少しだけ余裕がある。前日に言ってもらえたから、お弁当を用意しないという選択ができたのもよかった。
パフデール侯爵様との噂を打ち消すため、という目的にも賛同できるから、一緒に食事をしている様子を見せびらかすことを引き受けた。
でも、温かい料理の美味しさを知った今の私は、もう冷めたスープだけの生活には戻れない。目の前に温かいスープが出れば、すぐにいただくべきなのだ。
そうでなくても、バカ御曹司の話は「いかにダメ男化しているように見られているか」という自慢になりがちなのだ。
得意げに「君のおかげで、うちの執事がいつも優しげに声をかけてくるようになって心地が好いんだよね!」なんて言われても、微塵も理解できないし嬉しくもない。
そんなことより、美しく盛り付けられた目の前の魚料理の方が大切だ。
盛り付け方がとても芸術的で、美的センスに恵まれていない私としては勉強になる。
「これが引き算の美というものなのね!」
「うんうん、今の俺は完全に空気だよね。こんなに必死になってアピールしているのに、君にまともに相手してもらえなくて、なのに嬉しそうにしている俺は最高にダメ男らしく見えているだろうなぁ!」
「……ただの気持ち悪い人の間違いでは?」
「それも悪くない。俺は顔がいいし公爵家のお坊ちゃんだから、何をしても好感度が高くて困っていたんだよ」
「……へー、それは大変ですねー」
自分でそういうことを言うんだなぁと思いつつ、とりあえず相槌を打ってみたけれど、やっぱりよくわからない。
……まあいいか。聞かなかったことにしよう。
本物の悪女である母ロザリアの域を目指すとすれば、失格かもしれない。
公爵家の御曹司は「役に立つ人材」だ。母ならもっと話を聞いてあげているふりをするだろう。
でも仕方がない。私は雇われただけの「偽悪女」なのだ。
それに「冷たくあしらわれても必死になっているダメ男」という設定だから、私は料理に夢中しておく方がいい。
きっといいのだ。美味しい食事は至福なのだから!
心の中で言い訳しつつ、料理を口に運ぶ。パリッと焼けた皮にとろりとしたソースがよく合っていて美味しい!
魚料理を食べ終わって満足したところに、給仕が新たな皿を持ってきた。
被せている蓋を開けると、デザートを載せた皿が現れる。ただし、今日のデザートは見えない。箱に入れてきれいにラッピングされていた。
「君の要望通り、デザートは持ち帰り用にしてもらったよ。せっかくだから、もう一つ頼んでここで食べていく?」
「いいえ。これだけで十分です。ということで、私はこれで!」
リリアナへのお土産にホクホクしながら袋に入れ、私は席を立って個室の扉を開けた。
その音に、厨房に戻ろうとしていた給仕が驚いて振り返る。食堂にいる学園生たちも、一斉にこちらを見た。
——ここからが本格的なお仕事だ。
私は密かに気合を入れて、笑みを浮かべながら御曹司を振り返る。
頭の中で思い描いているのは、もちろん母ロザリアの姿だ。帰ろうとしているのに、何度もしつこく声をかけてくる男の人に向ける究極の笑顔を目指す。
聖母のような優しげな微笑みを作りつつ、目だけは氷のように冷たく。目指すは一瞥で男の人の心を再起不能までに粉砕した日の再現だ!
「私、もう行きますね」
「また食事に誘ってもいいだろうか」
「お食事だけなら」
ついでに言うと、夜会にも行きませんからね!
言外にそう滲ませながら颯爽と背を向けようとした時、御曹司が少し眉を動かした。
「あ、ヴィオラ嬢」
……ん? これもすがりつく演出の続きかな?
無視して歩き去ろうとした私は、足を速めながら前を向いた——途端に、何かにぶつかった。
とっさに身構えたほどには硬くはなかったけれど、鼻が地味に痛い。
おそるおそる目を上げてみる。壁の正体は王立学園の制服だった。さらに上を見ると、不機嫌そうな顔があった。
黒い髪に青い目。鋭い目で見下ろしてくるその顔は強烈に整っている。
ネクタイの色は私と同じ色だから、二年生のはず。なのに全く見覚えがない人だった。
――おかしい。こんなに目立つ人がいたら猛烈に話題になるはずなのに、私には全く記憶にない。
体つきはかなりがっしりとしているから、たぶん相当に鍛えているのだろう。威圧的な雰囲気を漂わせているのに、整った顔のせいで女子学生たちは魂を抜かれたように見惚れている。
この現象、御曹司級と言っても過言ではない。うん、関わりたくないタイプだ。
「……あら、ごめんなさい!」
明るく謝罪して、そろりと逃げようとする。でも苛立たしげな舌打ちが聞こえて足が止まってしまった。
「お前は、ヴィオラ・ロレーダンだな?」
御曹司級の黒髪の人は、私の名前を知っていた。
睨まれているのは、ぶつかったせいではないのはよかったとは思うけれど、私には心当たりがない。途方に暮れていると、御曹司がさっとやってきた。
「ヴィオラ嬢、大丈夫だった? エドは気配が希薄だから、もしかしたら気付いていないかもと思って声をかけたんだけど、間に合わなかったようだね。ごめんね」
御曹司は、腰を引き寄せるように下がらせてくれた。……ん? 感謝することで合ってる?
でも流れるような動きで、お土産をもう一つ手提げ袋に入れてくれたのは嬉しい。二人分あれば、リリアナだけでなく、テレンスにも食べさせてあげられる!
……それで、私がぶちあたってしまった人はどなたでしょう!?
私の必死の催促を察してくれたのか、御曹司は笑顔で紹介してくれた。
「彼とは初めて会うんだよね? こちらはエドワール・フォルマ。ジャガーデル帝国からの交換留学生で、今日から二年に編入している。エド、こちらの美女が俺が夢中になっている麗しのヴィオラ嬢だよ!」
何かいらない修飾が付いているけれど、そこを気にする余裕はない。
だって今……御曹司様は何と言った?
ジャガーデル帝国のフォルマ家。
馴染みはないけれど、聞き覚えはある。ものすごくある。一時期は極めてよく聞いたし、今も時々その紋章が入った手紙が届いている。
動揺を落ち着けようと深呼吸をして、私は恐る恐る質問した。
「……失礼ですが、フォルマという家名は、ジャガーデル帝国ではよくあるのでしょうか?」
「そんなわけあるか。ジャガーデル帝国広しといえども、フォルマを家名として名乗っているのは俺の家だけだ!」
「そ、そうですよねー……」
愛想笑いを浮かべるしかない。
つまり、この威圧的で目つきも鋭くて私をずっと睨んでくる人は、ジャガーデル帝国の大貴族フォルマ侯爵家の御曹司ということになる。
――フォルマ侯爵は、母ロザリアの再婚相手だ!
私を睨んでいるこの人は年齢的にフォルマ侯爵様のご子息と思われる。
そういえば再婚相手の家族構成までは聞いていなかったな……とぼんやり考えている間も睨まれていた。
つまり……フォルマ家の現在の状況を想像することは難しくない。周囲からの好奇心まみれの視線を感じつつ、私はとりあえず愛想笑いを浮かべてみた。
「……その、母は元気でしょうか?」
「毎日若い男を侍らせている程度には元気だ」
ああ、あの人らしい日常だ。
私が最後に母と会ったのは二年近く前だけれど、今も少しも変わらない日々を過ごしているらしい。
元気そうでよかった。……午後の授業、楽しみだな!
私の思考はあっという間に逃避しようとしたけれど、どうやらそれは許されないことらしい。
オディーランス公爵家の御曹司様は、爽やかすぎる笑みを私に向けた。
「というわけで、ヴィオラ嬢、エドのことを頼んでいいかな?」
「……頼むとは?」
「それはもちろん、留学生のサポート係だよ!」
………………えっ?
なぜ私が!?




