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【書籍化】没落令嬢の雇われ悪女な日々  作者: 藍野ナナカ
第1部

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31/53

30 今日はいい日

「あ、あなた、そんなところで何をなさっているのっ?!」


 悲鳴のような声が聞こえ、慌てて振り返った。

 自習室の窓に手をかけた女子学生が――カーディルさんがいた。窓を閉めようとしていたようだ。私を見つめている目は大きくなっていて、顔はなぜか赤い。

 一瞬ぽかんとして、私は慌てて立ち上がる。

 膝の上で布巾で包んでいたお弁当箱がころりと落ちてしまい、私は急いで拾いながら弁明を試みた。


「あ、あの、私はここで昼食を……!」

「……昼食? もしかして、それはお弁当箱かしら。あれから一度も食堂で見かけないと思ったら、そういうことでしたのね」


 カーディルさんは私が拾い上げたお弁当箱を見たようだ。納得したように小さく頷いて、それからまた、ハッとしたように目を見開いた。


「もしかして、ずっとそこにいたの?!」

「はい、ここは目立たない場所なので……あ、いえ、その……!」


 盗み聞きするためにいたのではないけれど、自習室の対策プリントの売れ行きが気になって中を覗き見してしまったし、いろいろ聞いてしまった。

 私の印象が、また最悪になってしまったかもしれない!

 密かに青ざめる。でもカーディルさんは、私を糾弾することも、軽蔑するような目もしない。ただ私の顔を見つめて……なぜかまた真っ赤になってしまった。


「カーディルさん? お顔が赤いようですが大丈夫ですか? 熱でもあるのでは……?」

「な、なんでもありませんわっ! 昼休みはもうすぐ終わります! 人の心配をするより、午後の準備をするべきよっ!」


 カーディルさんはそう言って、パタンと窓を閉めてしまった。

 でも、少しも嫌な感じはしなかった。もうすぐ昼休みが終わるのは事実だし、午後の授業を受けに行く準備をするべき時間だから。

 まるで、普通の後輩に対する注意のようだ。

 悪意だらけの噂と視線しか知らなかったから、こんな些細なことでもじんわりと感動する。


「……よし、頑張ろう!」


 小さくつぶやき、私は午後の授業に出るために校舎に戻っていく。途中でスキップしそうになったけれど、なんとか耐えた。



     ◇



 午後の授業は、難解な物理学。

 記号だらけの公式と担当教諭の小さくて早い口調のせいで黒魔術の呪文のようだと評判だけれど、やる気に満ちた私の敵ではない。

 それに「試験はここから出す」と明言してくれた。予想問題プリントを作れば、またいい収入になってくれそうだ。


 明るい気分で放課後を迎え、中庭の花壇の水やりをする。

 ついでに雑草を抜こうと道具小屋に入った私は、壁に止めた封筒を見つけてしまった。予想通り、宛名は私だ。


「変態さんからかな?」


 慣れてきた自分が、少し嫌だ。

 でもずっと放置するのも問題がありそうだから、恐る恐る開けてみる。中に入っていたのは便箋ではなかった。やや厚めの上質な紙を使ったカードだ。

 書かれている文章は短い。


『仮面の少年があなただということは、最初からわかっていましたよ!』


「…………本当かなぁ?」


 前の手紙では、私から目移りした愚かな男と御曹司を非難していた気がするけれど、まあ、どうでもいいか。

 封筒に戻そうとして、裏にも何か絵が描かれていることに気がついた。

 どこかのお抱え画家ほどはないけれど、素人にしては妙に上手い。やたらときらきらした女性が描かれて、その女性の前で男性がひざまずいている。


「もしかして、これ……」


 服装も髪型もあの日の私そのままだ。豪華な首飾りをつけていて、指輪をつまんでいる。

 微笑んでいる顔は、必死な形相で見上げる男性を嘲笑っているように見えた。


「悪女すぎる……!」

「お、いい絵だね。あの時の君を的確に捉えているなぁ!」


 突然の声は、背後から聞こえた。

 慌てて振り返ると、すぐ後ろに御曹司がいた。肩越しに覗き込んでいたらしい。いつの間に?!


「いきなり後ろに立たないでください!」

「声をかけようとしたんだけど、じっと見ていたから気になって」


 気になったら、気配を消して見に来るの? 怖いな!

 思わず後退る私に、御曹司は手を差し出した。


「それ、見せてくれる?」

「差し上げます」


 御曹司の手にカードを押し付けると、御曹司は絵をじっくり鑑賞してから、本来の表面に書いてある文章に気がついた。


「ああ、例の人か」


 ……例の人なのは間違いない。でも御曹司までその認識でいいの?

 まあ、それはそれとして。


「変態さん、本当に見に来ていたと思います?」

「どうだろうね。俺の悪行を君に報告するために来ていたかもしれないな。結果として極めて満足しているようだけど」

「……私、こんなに悪女だったんでしょうか」

「彼の願望が入っていると思うよ。実際の君はもっと慈愛深い微笑みで、なのに手厳しく突っぱねて最高だった!」

「あ、はい。あなたに聞くのは間違っていたようです」


 私はすたすたと道具小屋を出る。

 空はまだ明るいけれど、夕刻が近付いている。家に帰ろう。帰って中間試験の準備と予想問題プリントを作らなければ。


「……派手な臨時収入は、もういらない」


 地味で堅実な学生生活を目指そう。

 それ以外はもうしない。大金に目が眩んだ者の末路なんて、惨めなだけだから。

 明るい空を見上げながら、何かしきりに話しかけてくる御曹司の存在を意識から排除した。

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