13 ちょっと夜会に行かない?
私の母ロザリアは碌でもない人間だ。
地方領地しか持たない男爵家の娘として生まれ、若くして伯爵位を継いでいたエルバー・エルバンスと結婚した。名門貴族夫人として中央の社交界にデビューして、私が物心ついた時には父を置いて出歩いていた。
父が宰相様の暗殺計画に加担したとして爵位を没収された後、本当はまだ財産が少し残っていた。贅沢三昧はできなくても、それなりに貴族らしい生活が送れるくらいだったと聞いている。
でも、今の私たちにあるのは住んでいる家だけだ。母が再婚相手を物色している過程で、ほとんど使い尽くしてしまった。
今は弟が独り立ちするまでの資金と、妹が結婚するときに持参させる最低限の財産を蓄えているところだ。
だから、日々の生活費はしっかり稼ぎたい。
お金は大切だ。多ければ多いほど余裕のある生活に繋がるから、可能な限り稼ぎたい。でも、やっぱり危険手当が出るような仕事は良くないし、私には合わないと確信した。
――なのに、私の平和を乱そうと企むバカがいる。
「ねえ、ヴィオラ嬢。特別手当を出すから、ちょっと夜会に行かない?」
「行きません」
庶民感覚では、夜会はそんなに気軽にいく場所ではないと思う。
全く興味を持てない私は、目も上げずに断った。なのに邪魔者は全く動じない。
「大丈夫! 君は今のような不機嫌そうな顔をしているだけでいいから! できれば途中で会場を後にしようとして、引き留めようとする俺に『つまらない男ね』なんて言ってほしいな。俺のダメ男らしさが引き立つと思うんだよ!」
「絶対に言いません」
……このバカ御曹司、何を言っているのだろう。
思わず冷たい視線を向けてしまったようで、ますます「いい目だ。俺は今、最高にダメ男に見えているはず!」と楽しそうだ。
…………いやだ、こんな称賛。
泣きたい。
でも今は場所が悪い。ここは王都の中央図書館の閲覧室なのだ。
派手すぎる赤い髪をきっちり三つ編みにして、さらに頭から布をかぶって派手すぎる顔を半分隠して、地味に見えるように努力している。騒ぐとその苦労が水の泡になってしまうのだ。
今は叫んではいけない。
小声でずっと私に話しかけているせいで、司書のおじさまたちから冷たい目で見られるのは、バカ御曹司だけで十分だ。
ちなみに、司書のお姉様方はバカ御曹司の笑顔に腰砕けになって役に立たなくなっている。しっかり仕事していただきたい。閲覧室の静寂を乱す人間は敵だと思う。
私はため息をついて、広げていた本を閉じた。
「あれ、調べ物はもういいの?」
「知りたかった地理と歴史は確認しました。誰かさんに邪魔されてしまって、思ったより時間がかかってしまいましたが」
「ああ、ごめんね。迷惑料は払うよ」
「……そんなのいりません。私は帰ります」
「その素っ気ない対応も絵になるなぁ。レディ・ロゼリアもそんな感じだったのかな。俺が知っているレディ・ロザリアは、いつも優しそうな顔をしていたんだけど」
「私が見ている前でも、冷たい対応をしたことはないですね。自分そっくりの娘を連れ歩く聖女のつもりだったようですから」
そうなのだ。
母は、遊び歩くときはいつも私を連れていた。周囲にはあからさまに下心がある男の人がたくさんいたのに、なぜかその中に幼い私がいた。
だからほとんどの人にとって、母は「慈愛深く微笑んでいる美しい女性」のはずで、冷ややかに相手を見下す顔は見せたことがないはずだ。
いろいろ思い出してうんざりしながら立ち上がると、いつの間にか私のカバンは御曹司が持っていた。奪い返そうかと思ったけれど、ここは閲覧室。争うのも迷惑だからと我慢して、そのまま外に出る。
これ以上目立つ前に、図書館を離れなければ。
顔を伏せ気味にして大通りを歩く。その横で、私のカバンを持った御曹司がのんびりと首を傾げた。
「うーん、やっぱり納得できないな。レディ・ロザリアがいつも優しい顔だけだったら、あんなに熱狂的な人気は出ないと思うんだが」
「どこに疑問を持っているかは知りませんけれど、母は冷たい顔もしたことがありましたよ。弟がたまによく似た顔をするんですが、あれは向けられた相手の心を完全に折ります」
私も、母のそんな顔を見たのは数えるくらいしかない。でもしっかりと記憶に残っている。
母が恐ろしく冷たい目をして、相手への軽蔑を隠そうとしなかった。相手は当然男の人で、面目を傷つけられたのに怒ることもなく、周囲の視線に気が付かないほど絶望していて……。
……あれ?
あの時の母は、なぜあんなに怒っていたのだろう。
私はまだ幼かった頃だったか……いや、そんなに幼くもなかった? どこかの夜会か、サロンか、お茶会だったか……。
「ヴィオラ・エルバンス嬢?」
「……今の私はロレーダンです」
「ああ、そうだった。ヴィオラ・ロレーダン嬢、何か気になることでも?」
「なんでもありません。あと、私のカバンを返してください」
「レディの荷物を持つのは、忠実なる下僕の役目だよ?」
御曹司は、馬鹿馬鹿しいほど整った顔に極上の笑みを浮かべた。
それだけでとんでもない破壊力がある。実際、私の周辺にいた通行人の足が止まった。足が止まっただけでなく、呼吸を忘れてしまった女性たちがバタバタと倒れた。
……なぜそんな破壊力があるの?
「あれ? 君は平気な顔をしているね。倒れそうになったら、君を家まで運んであげたら目立ちそうでいいなと思ったのに」
「爽やかな顔でおかしな計画を披露しないでください。それから、私は顔のいい人には耐性がありますから」
「まあ、そうだろうね。鏡を見ればそこに……」
「弟です!」
このバカは、私が鏡を見てうっとりする人間とでも思っているの?
思いっきり睨みつけたのに、御曹司はヘラヘラ笑っているばかり。でもこれ以上ここにいては、ぼーっとしている周囲の人が正気に返って騒ぎ始めてしまう。
その前に、この場から離れなければ!
いろいろなことをぐっと堪え、私は口をぎゅっと引き結んで足早で歩く。
バカ御曹司は私の精一杯の早足に難なくついてきて、それがまた腹が立つ。イライラしながら歩いていると、当たり前のように横に並んでいるバカ御曹司がふと口を開いた。
「ところで、君の弟くんのことなんだけど」
「……テレンスが何か?」
「彼もレディ・ロザリアにそっくりの顔立ちだけど、エルバンスの血が濃いよね」
「そうですか?」
「今の傍流エルバンス家の中に、あんなにきれいな銀髪はいないと思うよ。それにあの水色の目は『エルバンスの目』と言われる色だろう?」
……その通り、ではある。
エルバンス伯爵だった父は、混じり気なしのきれいな銀髪と水色の目だった。
父の三人の子の中で銀髪は弟だけ。テレンスは顔立ちだけは母そっくりで、髪の色と目の色は父と全く同じだ。
そういう意味では、テレンスはエルバンスの血が濃く出ている。
でも、それが何だというのだろう。
「エルバンス家の血が濃いとして、別に意味はないと思いますよ。……あ、もしかして『エルバンスの目は嘘を見抜く』という昔の噂を信じているんですか?」
「んー、噂にしては真実味があるし、かっこいいと思うんだけど」
御曹司は納得していないようだ。
まさか、かっこいいというだけで噂を信じているのだろうか。
この御曹司、思っていたより子供っぽいのかもしれない。そう思うと笑いが込み上げてしまって、慌ててそれを押し殺した。
「『エルバンスの目』なんて、ただの迷信ですよ。本当に嘘を見抜く力があったら、父が陰謀に巻き込まれることはなかったんですから。もし噂が本当だったとして、何も意味はありませんよ。王立学園の入学審査で有利になるのならともかく」
「確かに、入学審査には何も影響しないかもしれないなぁ」
御曹司は苦笑した。
……迷信を信じるお子様のくせに、苦笑が絵になるなんて、バカなんじゃないの?
無駄にキラキラしている顔に、なんとなく腹が立ってくる。
それは私の表情に出ているはずなのに、御曹司は何も気付いていないかのように少し真面目な顔になった。
「それで、テレンス君はやはり王立学園に入学するのかな?」
「本人は行かないと言っていましたけどね。『王立学園高等部卒業』という学歴は不利にはなりません。だから絶対に入学させようと思っています。学費も特待生は無料だから、拒絶する理由はないです」
「本人の希望は無視なんだ?」
「御曹司さんも、テレンスの頭の良さと勉強好きは知っているでしょう? あの子にはもっと高度なことを学ばせるべきなんです」
「確かに、テレンス君はとても吸収が早いな」
「私の何倍も頭がいいから首席卒業も夢ではありませんし、学園での色々な出会いは将来の糧になります。あの顔なら婿入り先に困ることもないでしょう」
「婿入りかぁ。……でもそういう話なら、君自身の嫁入り先は見つけなくていいの?」
「私は働きますよ。ハロルド教授から、大学の事務員はどうかと言ってもらいました。学園の大学なら家から通えますし、運が良ければ、そのうち研究補助員になる道もあると……」
そこまで言ってしまってから、はっと我に返って口を閉じた。
……私は、何をペラペラと喋っているのだろう。
よりによって、家から見放されたいと望んでいるバカ御曹司にこんな話を――誰にも話したことのない将来の話までしてしまうなんて。
私が焦っているのに、御曹司はにこーっと笑うだけで何も言わない。まるで私の言葉が聞こえていなかったような態度だ。
本当に聞こえていなかったことを祈りたい!
「えっと、あの……」
「ヴィオラ嬢」
「は、はい!」
「そんなに働かなくても、俺がダメ男になるのを手伝ってくれれば、事務員給料換算なら退職金まで簡単に稼げるよ?」
「そんな嫌な手伝いはしません!」
「うんうん、そのきつい表情もいいね! そんな趣味はないはずなのに、なんだかゾクゾクするなぁ! そうか、だからレディ・ロザリアはいつも慈愛深く微笑んでいたんだな。きつめの表情をしていたら、ちょっと偏った嗜好のおじさんたちが見るに耐えない懇願を繰り広げそうだろう? 君たちの教育上よくない状況は避けようとしたんじゃないかな」
「……あの母が、そんなことを気にするとは思えないんですが」
「そうかな」
バカ御曹司は納得できていないようだ。
絶対にありえないから納得してほしい。
はぁーとため息をついた私は、いつの間にか自宅のすぐ前まで来ていることに気が付いた。
……なんてことだ。
どうでもいい話をしている間に、御曹司に家まで送らせてしまう形になっていた。
でも、荷物を持ってもらえたのは純粋に助かったし、夕方が近い時間にあまり治安が良くない近道を通っても、身の危険を感じることはなかった。
だから、ここは大人になってお礼を言うべきだろう。
「……ありがとうございました」
「どういたしまして。この機会に、健気に君の荷物持ちをする報われない男がいる、と言う噂が広まるといいね!」
「そんな噂はいりません!」
お礼を言って、なんだか損をした気分になった。




