12 面倒なことに巻き込まれていないか?
私の家があるのは、裕福な商人やちょっと懐事情が寒々しい弱小貴族、あるいは訳ありな人々が住むことで知られる区画だ。
でもこの隠れ家っぽい家は、エルバンス家が所有していたものではない。
父が個人所有していた家でもなく、もちろん学園内での噂にあるような、私がどこかの大富豪に囲われているわけでもない。
絶世の美女として知られる母が貢がせたものだ。
……そう、貢がせた。
私のように、ちょっと危険手当をもらっただけで落ち着かなくなるような小市民とは格が違う。
母は「お手頃なものをもらった」と言っていた。貴族の邸宅が並ぶ区画ではないから、お手頃といえばお手頃かもしれないけれど……私の知っているお手頃とは別次元だ。
外国語の翻訳をして得た報酬に換算したら、何万回分になるのだろうか。
バカ御曹司から受け取った危険手当で考えると、もう死ぬ直前の目に遭っているんじゃないかと思ってしまう。
そのくらいの家だ。
金銭的にも人手的にも、最低限の維持管理しかできていないから少し古びて見えるものの、この家のおかげで私たちは平和に暮らしている。かわいい妹が伸び伸びと過ごし、ちょっとかわいくなくなった弟が引きこもっても誰も咎めない。
私が「外泊」と噂されるくらい、どうってことはないのだ。
それに立地がとてもいい。
王立学園まで歩いて通える距離にあるし、王国軍の騎士たちが巡回路にしてくれている。いつも私の周辺で小さな騒ぎが起きていたせいで、顔見知りになるくらいにはお世話になってきた。
「こんなことは言いたくないんだけどな。ヴィオラお嬢さん、また何か面倒なことに巻き込まれていないか?」
こんな感じで、心配そうな顔で声をかけてくれる騎士さんもいる。
首が痛くなるほど背が高い騎士さんを見上げ、私はにっこりと笑って見せた。
「おかげさまで、今のところは危険な目にはあっていませんよ?」
「……今のところは、かぁ。ちょいちょい耳に入ってくるんだよ。どこそこのお嬢様がタチの悪い嫌がらせをしようとしているとか、どこそこのお坊ちゃんが某名門貴族への陰謀を巡らせているらしいとか。これ全部、君が関係しているよな?」
いや、全部というわけでは……全部なのかな。
私が自信を失いながら目を逸らすと、騎士さんは低くうなりながら短い髪をガシガシとかき乱した。
「やっぱりそうなのか。……まあ、安心しなよ。うちの上官はレディ・ロザリアの手紙を額縁に入れて飾っているような人だから。絶対に不利にならないようにしてくれるはずだ」
「……手紙を飾っている人が、ですか?」
「一応言っておくと、君たちのことを頼む、と書いているだけだから安心していい」
不倫めいたものじゃない、と言ってくれているのだろう。
でも、恋人でも愛人でも火遊びの相手でもない王国軍の偉い人に、身贔屓しろと頼むなんて、ちょっと。
……いや、あの母のことだ。きっと「心配だから気にかけてあげてほしい」くらいしか書いていないかもしれない。もちろん、そんな手紙をもらった男性たちがどんな反応をするかは理解した上で。
それが母ロザリア。
ほんの少しの労力で、意のままに男性たちを操ってしまう。
「悪女って、すごいですね」
「ん? 君もすごいだろう? 俺のような現役の王国軍騎士たちを警備員代わりにしているんだからな!」
騎士さんは自分で言った言葉がツボにハマったのか、大きな声で笑っている。
結果的にそうなっていることは否定しない。でも私は操っていないから母とは違うと思う。とてもとても助かっていますが。
そんなことを憮然と考えていると、騎士さんはふっと笑いを収めて、また私をじっと見た。
「だが、今日のお嬢さんは疲れているように見える。ちゃんと眠れているのか?」
「……一応、眠っていますよ」
大金が手元にあることが落ち着かなくて、つい翻訳の仕事に逃避して夜更かしをしてしまっただけで。
でも私の視線が泳いだことをどう誤解したのか、騎士さんが心配そうに声を潜めた。
「ストレスで眠れないなら、うちに来るか?」
「……あのですね。その言い方、教授の秘書さんみたいな人に聞かれたら、またとんでもない誤解を受けるんですが」
「そうか? じゃあ、言い直そう。我が軍の訓練施設にいつでも遊びに来いよ。体を動かして汗をかけば、悩みも飛んでいくぞ! 女性騎士もいるから、更衣室や練習相手には困らない。安心して参加してくれっ!」
……頭脳労働学生な私にとって、どこにも安心できる要素がない。
でも、この私を色眼鏡で見ない人であることは確かで、そこは安心できる。嬉しくなったから、笑顔で礼を言うことにした。
「ありがとうございます。でも、絶対に訓練には参加しませんから!」
お礼をしつつも、釘を刺すことも忘れない。忘れてはいけない。この騎士さん、本気で筋肉を動かせば解決すると思っている人なのだ。
「……姉さん、そろそろ家に入ったら? そんなところで立ち話をしていたら、また男を引っ掛けているって変な噂になるよ」
ため息と共にかけられた声に、慌てて振り返る。
門のところに、銀髪の絶世の美少年が立っていた。弟のテレンスだ。母そっくりの美貌でそんな呆れた表情をされると……ちょっとダメージが大きすぎて落ち込むから!
でも、だから世の男性たちは動いてしまうのだろうなと実感し、改めて母ロザリアの凄まじさを思い知ってしまった。




