☆祖母の影、自分の遺志
◆アクア・ワン本部最上階
辞令後、二人きりの廊下。
重厚な会議室の扉が閉まる。
無音だった空間から一歩外へ出た瞬間、ステーション特有の低い駆動音が戻ってきた。
しばらく、二人は並んで歩く。
足音だけが響く、長い廊下。
先に口を開いたのは、結依だった。
「……あんたさ」
ルビィは視線を前に向けたまま応じる。
「なに?」
「平然としすぎじゃない?」
「“極秘ミッション”“選抜クルー”“帰還未保証”よ?」
ルビィは小さく息を吐く。
「怖くないわけじゃない。でも……」
少しだけ間を置く。
「祖母が挑んで、届かなかった場所」
「そこに“行くな”って言われたら、私はもっと後悔する」
結依は歩みを止め、横目でルビィを見る。
「……ダイヤの孫、ね」
ルビィの肩が、わずかに揺れた。
結依はそれに気づきながらも、あえて軽く言う。
「やっぱり、プレッシャーある?」
ルビィは一瞬迷い、そして答えた。
「正直に言うと……ある」
立ち止まり、結依の方を見る。
「私の内情を知ってる人は、“ダイヤの血”とか“伝説の遺伝子”とか言うけど」
「私はただの私で、祖母の記録だって越えられてない」
ルビィは拳を握る。
「それなのに――祖母が辿り着けなかった場所へ行くなんて……」
結依は、ふっと笑った。
「なにそれ」
ルビィが顔を上げる。
「私が知ってるルビィはね、ダイヤ以外の五〇年分の記録を、全部ひっくり返してきた人間よ」
「祖母がダイヤじゃなくても、あんたは十分おかしい」
「それ、褒めてる?」
「最大級に」
結依は歩き出しながら続ける。
「それにさ、今回の船」
「サファイア博士が関わってるって聞いた瞬間、私は納得した」
ルビィは驚く。
「……お母さんのこと、知ってたの?」
「有名よ。“宇宙へ行けなかった天才設計士”」
「身体は弱くても、理論は誰よりも強い」
一拍。
少し声を落とす。
「母親が作った船で、娘が未知に行く」
「ベタだけど……悪くない話じゃない」
ルビィは小さく微笑んだ。
「ありがとう、結依」
結依は急に振り返る。
「でも、一つだけ言っとく」
「なに?」
「私、あんたを“伝説の孫”扱いしないから」
指を突きつける。
「ミスしたら普通に怒るし、判断間違えたら全力で止める」
ルビィは目を見開き――そして笑った。
「それでこそ、私の副長」
結依は一瞬、言葉に詰まる。
「――副長か……」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
歩き出しながら、ぽつりと漏らす。
「もう一人のクルーが誰であれ、あんたが船長なら、私はついて行く」
ルビィは、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
そのとき、結依が思い出したように言う。
「でもさ」
「うん?」
「“もう一名”って、絶対めんどくさいタイプね」
ルビィは苦笑する。
「……タウロスさんの顔が答えだったわ」
二人は顔を見合わせ、同時にため息をついた。
――この先。
首が外れたり、手首が取れたり、人形が飛び交う未来など――
まだ、知る由もなかった。
ルビィは極秘命令後、ルビィは母――サファイア・デズモンドの研究室へ向かった。
室内は静かで、機械の低い駆動音だけが響いている。
サファイアは椅子に座り、ルビィを見つめていた。
「ルビィ……覚えている?」
「あなたが小さな頃、宇宙を夢見て目を輝かせていた姿」
ルビィは、ゆっくりと頷く。
「はい……母さんのおかげで、私、ここまで来れました」
サファイアは微笑む。
だが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「あなたは……私の母、ダイヤの遺志を受け継いでいる」
「だけど覚えていて。宇宙は夢だけじゃない。危険もある」
ルビィはその手を、そっと握り返す。
「わかってる」
「だからこそ、母さんが作った宇宙船で、私たちは安全に探索できる」
サファイアの目が、一瞬だけ強く輝いた。
「私の作った船に乗るなんて――」
「あなたは本当に、私の母に似ているんだろうなぁ……」
ルビィは微笑み、小さく頷く。
「母さんの娘としても、祖母の孫としても……私は全力でやる」
静かな決意。
それはもう、誰かの影ではなかった。




