紅を覆う叢雲 十一
「数百年前から、ずっと儂は逃げ続けて来たんじゃ」
灯りの射さない小部屋、窓一つないその空間が、カリアの言葉に共鳴するように揺らいで見えたのは果たして輝來の錯覚だったのだろうか。
「どうして、そう断言するの?」
「かか……そう、じゃのぉ」
魂が抜けたかのように、息を吐くだけのようなその笑い声から正の感情は感じ取れない。ふわりと動く指先も、風化した死体のような脆さを兼ね備えていた。
「別に特別な話でもないんじゃ、愚鈍な幼子の、挫折と逃避の話じゃよ」
数百年ため込んだのであろう絶望と恐怖を追い出すかのように息に込め、カリアは深く息を吐き出す。
その瞳が映すのは過去の情景、しかし、それは奇しくも今彼女が座る情景と何ら一つも変化していなかった。
すなわち真っ暗闇、呼吸すら塗りつぶす深淵の底。
「かつて、ここのような里があった」
震える声で語るカリアの姿に里長としての威厳はなく、怯えて縮こまる少女のような様相を呈していた。
それを横目で見ながら、輝來はイベントフラグでも踏んだかな、と薄く思考した。カリアに影響されて感傷に浸れる程、今の輝來に余裕はなかった。
カリア|《NPC》からは見えないウィンドウを最小限の動きで操作しながらも、情報を聞き逃さないように輝來は耳を傾ける。
「そこそこの繁栄を手にしたその里は、果たして唐突に滅んだのじゃ。影の魔物に完膚なきまでに蹂躙されて」
御伽噺でも読み聞かせるように淡々と、声色にこれでもかという程の絶望を乗せてカリアは語る。
「けれど儂は生き残った。隠れて、逃げて、それでも逃げ切れずに、結局救われた」
同胞を見捨てて、惨めったらしく地を這い蹲って、それでも逃げ切れなかった。
ある騎士に……翼のない鳥に救われなければ、カリアはそこで終わっていたのだろう。
「儂は結局変わってないんじゃ。恐怖に打ちのめされていたあの頃から、一切」
悲惨な顔をしながら語るカリアに、輝來は思考を加速させていく。
それは理解と思案、人間に限りなく近いとはいえストーリーを軸に作られたNPCであると考えている彼女だからこそ、共感し、情に揺らされる部分はあれど冷静からブレることは無い。
幼稚に見える彼女は、それでも長であった。
「だから逃げたんじゃよ、部外者のスタラに全てを任せてのう?笑えもせぬわ」
だからこそ、彼女は沈黙を貫けた。
薄っぺらな偽善はこの場所で何よりも不正解であると判断したからだ。
というか、スタラに協力するためとはいえカリアの言う「逃げ」に加担している自分が何を言った所で何の意味も無いということを彼女は理解していた。
彼女は待ち続ける。あるワードが、カリアの口から溢れるまで。
「けど、カリアは里を守るために動いてるでしょ?」
誰かを守るために行動できるのなら、それを逃げたと表現するのは些か不適切ではないかと輝來は指摘する。
「何も前線で戦わなかったから逃げた、なんて言うつもりもないだろうし」
「まぁ、それはそうじゃのぉ。けど、違うんじゃよ。儂にとってはこの場所が、この里自体が」
そう、悲壮的につらつらと語るカリアに、輝來は思わず口角を吊り上げた。
今から彼女が放とうとしている言葉は、彼女が秘めていたであろうその意思は今現在言ってはいけない言葉……つまり
「儂が世界から逃げてつくった場所じ」
華火花の地雷だ。
『巫山戯、ないで!!』
食い気味に、深紅の少女の怒号が響いた。
◇
輝來が何をしたか、時系列順に整理すれば単純だった。
先ず魔法職だからという理由で結界の維持に協力、そのついでに主犯格をカリアだと勘と予測からはじき出し、カリアを捜索、追跡。
途中で癇癪玉を使った挙句派手に散ったバジが探知に引っかかり、普通に爆笑。
カリアを見つけた後はブラフと人格を駆使して「何をやろうとしてるかは知ってるけどそれはそれとして確認させて」みたいな交渉を持ち掛け、里全体にスタラ達の映像を流すことを提案する。
そうすることでカリアのリソースを映像に集中させ、カリアの蝙蝠を利用して会話の内容をスタラ達に漏れさせていることを悟らせなかった。
その後は先程の通り、会話を誘導して、舞台の主人公へとバトンを渡した。
◇
「巫山戯、ないで!!」
華火花さんの怒号が響く。
まぁ……正直、これは仕方がないだろう。あの夜華火花さんが言った通り、ナーラちゃんが、この里に居る例外たちが華火花さんのゲームを続ける理由だ。
それを、この土壌を作った本人に否定されたなら人間は……こうなるらしい。
「わかったみたいに喋んないでよ!!カリアさんに何がわかるの!!」
『……華火花?』
困惑した声が響く。
こっちもこっちで唐突にカリアさんと輝來さんの会話内容が聞こえてきたから何事かと驚いたが、向こう側も理解の範囲外であったらしい。
方法も、原理もわからない。けれど、意図は理解した。輝來さんが何を言いたいのか、何をしたいのか。
「私はずっと!ここの為にこのゲームをし続けてたの!ナーラだけじゃない!全部の!ここの全部の為に!!」
彼女らしからぬ激情に染まった声が響き渡る。
それでも一切被弾していないのだから、やっぱ凄いなぁと他人事のような思考が過った。
「だから!!貴女が否定しないでよ!!貴女の所為でこんな苦労してるの!!考えて!!戦って!!……邪魔だなもう!!」
自分に襲い掛かろうとする影の魔物に八つ当たりしながら、彼女は言葉を紡いでいく。
というか殆どノールックで倒してなかった?なんか怒ってから強化されてません??
「貴女の所為でこうなった!!……貴女のおかげで!!私はここと出会えた!!」
声が震える、指が震える。
感情で揺れる華火花さんの目じりには、いつの間にか涙が浮かんでいた。
感謝だったのか、憤怒だったのか、それとももっと純粋な衝動なのかは俺にはわからないし、きっと彼女もわかっていないんだろう。
真紅の髪が振り回され。
真紅の瞳が、わずかに揺れ動く。
「だから!!貴女が否定しないでよ!!!貴女のおかげで!!私は楽しかった!!嬉しかった!!だから!!だからぁっ!!」
情動に振り回され、しかしそれに抗うことなく彼女は荒れ狂う。
この姿を見て、たかがゲームに、と彼女を笑う人間だっているのかもしれない。
彼女の感情を嘲る人間だって、居るのかもしれない。
あの夜、彼女は彼女を否定した。
熱くなった自分を恥じた。けれど、今はそうではないし、そうさせるわけもない。
ゲーマーとして、この世界を楽しもうとする者として、彼女の感情を誰にも、彼女自身にだって奪わせるのは、俺自身納得がいかない。
だって、違うだろう!!遊びであったとしても、そこに掛ける感情は本物だっただろう!!
「華火花さん!!!」
縮地を発動する。周囲に徘徊する魔物達を切り伏せ、華火花さんの元へと向かっていく。
嗚呼、自分で言っただろう。これは彼女と、ナーラちゃんの物語だと。お前が介入するのかと。
脳内で囁く誰か《じぶん》に、静かに笑みを返した。知ってるよ、わかってる。
だからこれは、俺の我儘で。グッドエンドを求める、ゲーマーとしての強欲だ。
「スタラ!?」
微かにダメージを受けながら自分の元へ特攻してくる俺に、華火花さんは思わず声を上げる。
其れすら構わず、俺は大きく口を開いた。
「なんかぁ!!普通に終わろうとしてません!!??」
「うぇっ?」
困惑の声が上がる。
あんなに感情的になっていても、意味の解らないことを言われると人間は落ち着いてしまうらしい。
「俺らこんな頑張ったのに!!カリアさんが実は過去に戦ってて!!実は俺らがやってることは敵討ちでした~とか!!」
悪いって訳では無い。
このゲームのシナリオを責めるわけでもない。けれど、それじゃあありきたりで終わってしまう。
このゲームに敷かれたレールの上を走るのも悪くない。けど、これはゲームだ。MMORPGだ。
じゃあ、主人公は俺たちのはずだ。
「そんなんじゃ終われなくないですか!!なんも変わってないじゃないですか!!」
声を荒げる。
スタラの声帯から出る美しい声が、どんどん俺の感情に侵食されていく。
「ここで勝ったら里は救える!!けどカリアさんが救われてない!!ナーラちゃんのこれからはどうなる!!完璧だって言えない!!」
カリアさんの心の傷をいやすことはできない。
できたとして、今この瞬間に出来る事なんてない……と、想うだろう。
それは正論だし、正直俺もそう思う。だからって、諦めてたまるかよ。
「此処はおかしな場所だって!!二人が言ったんでしょ!!」
血と月光が支配する、おかしな里。
でも、一人の少女を本気に、全力にさせるに至った美しくて、儚い場所。
完璧に終われるはずがない?そうかもな!!ここじゃなければ!!
「じゃあ普通に終わる必要もないじゃん!!もっとふざけようぜ!!全部!!全部!!」
どんなシナリオが用意されていたって、知ったこっちゃない。
カリアさんも救う、ナーラちゃんも助ける、そして、華火花さんも
「全部楽しむって!!全部欲しいって子供みたいに喚きましょうよ!!」
「……!」
華火花さんの瞳孔が揺れる。
フリーズしてしまった彼女を庇うように、スキルを総動員させて弾き、斬り、蹴り、倒す。
「はは、ふふふ!!」
背後から湧き上がったのは、幼子のような笑い声。
そろそろ聞きなれた彼女の声で、聴きなれない幼さの残る爆笑が響き渡る。
「そっかぁ!そうだよねスタラ!」
華火花さんは一層無駄の無くなった動きで水音をたてながら跳んでくる魔物を切り伏せ、より一段と笑みを深める。
頬に伝っていた涙は、取り残されるように落下していった。
「じゃあ、全部やろう。私たちに出来る事」
「そうこなくっちゃ」
きっぱりと言い切った華火花さんに、俺もつられて口角を吊り上げる。
元々決めていたことではあったが、随分と無茶をすることになるかもしれない。けど、湧き上がる情熱が、抑え込んでも止まらない歓喜が、何よりも今の俺の内心を表している。
楽しい。
「じゃあ、先ずはあれ、倒そっか」
「そう、しますかねぇ」
まるで外出の予定を決めるかのように、二人は勝利宣言をした。目の前に立ちふさがる、この災厄の元凶に。そして何よりも、
「だから」
「「そこで見てて、里長」」
永くを生きる吸血鬼の、最大のトラウマに対して。




