二話 這いよる陰②
その後もエレナの快進撃は続いた。
とはいえ、ヘルも言っていたが、そこまで大きな額が動く賭け事ではない。そして、エレナの目的も他の者達から金を巻き上げることではない。ただ、ゲオルが負けて損した分を取り返す、ただそれだけだ。
……まぁ、その負け分は、エレナが連続に勝っても未だ負け分の方が多かったが。
しかし、全てを取り戻す必要はない。結局、ゲオルは負けたのだから、少しぐらいの損はしかるべきだ。それは、ゲオルも理解している。
しているのだが……やはり、捻くれ者の負けず嫌いは、己の敗北を認めたがらない。
「先に言っておくが、別に貴様の助けなど必要なかったのだからな。確かにワレは負けていた。それは認めてやろう。だが、勝負ごとというのは、その時その時の勝ち負けではなく、最終的な勝敗を見据えなければならない。どれだけ負けていても、最期に勝てば、良いのだ」
「はい。分かってます」
「ワレが負けていたのは、云わば餌撒きと同じ原理だ。ワレ自身がカモであるとワザと思わせておいて、油断を誘う。そういう作戦だったわけだ。故に、あそこから逆転する予定だった、というわけだ」
「ええ。分かってます」
「貴様の才能は凄まじいものだ。否定はせん。だが、先の賭けには別段、必要もなかったものでもある。つまり、何が言いたいかというとだな。貴様の手を借りずとも、ワレがあのまま続行していても負けることはなく、故にワレが賭け事の熱に侵されていたというわけでは決して、けっしてないということだ」
「大丈夫です、分かってますよ」
などと、ゲオルの力説という名の言い訳に対し、エレナは端的な言葉で返す。
反論の余地しかないゲオルの言葉に、けれどエレナは指摘をしない。それが返ってゲオルにとっては、自分のしたことを再認識させられる。
ふと、ヘルの方を見ると、相変わらず、黒のヴェールに顔を隠しているため、その表情は分からない。既に彼女が顔を隠す理由はないのだが、今までの癖のせいで、ヴェールを脱ぐのが気恥ずかしいなどと抜かしている。全くもって理解不能だった。
だが、それでも今の彼女が生暖かい目線をこちらに向けているのは、何となく分かった。
そして、自分が何を言わなくてはならないのか、ということも。
「……とはいえ、だ。まぁ、その、なんだ。結果的には助けられたことには変わりない。故に……礼を言う。助かった」
観念したかのように呟くゲオルに対し、少し間を開けてから、エレナは言う。
「いえ。お役に立てたのなら、なによりです」
浮かべる彼女の笑みに、ゲオルは一層眉をひそめた。
「それにしても、珍しいですよね。ゲオルさんが、夜の街に出かけるなんて」
「何が珍しいだ。ワレとて男だぞ。夜遊びの一つや二つ、何も問題はないだろうが……まぁ、別の目的がなかったとは言わないが」
「というと?」
「単なる情報収集だ。ワレらは今、紅のフェニカスがいる場所へと向かっている。だが、そこまで行くには、ここからまだ、ひと月程かかる計算だ。既に貴様と旅を初めて、三ヶ月が経つ。これが、どういう意味か、貴様なら理解できるだろう」
ゲオルの言葉から分かるもの。
それは、即ち彼と最初に交わした約束。
「期限まで、残り九ヶ月……紅のフェニカスのところに到着した時点で、八ヶ月、というわけですね」
「そうだ。貴様のことだ。残り八ヶ月もある、などと考えてはいまい。紫のシュランゲ、黒のシャーフはワレらが倒し、緑のシュバインは既に死んでいる。残るは三体というわけだが、フェニカス以外は居場所が分かっていない。つまり、手がかりが一切ない状態だ」
そう。紫のシュランゲはともかく、黒のシャーフ、紅のフェニカスに関して言えば、それは居場所が分かっていたからこそ、何とかなっている。だが、残る二体に関していえば、身体の色が白、そして蒼以外は何も分かっていない。お手上げ状態というわけだ。
「だから、夜の酒場で情報を手に入れようとした……そういうことですわね?」
「だったら、言ってくれれば良かったのに。私も手伝いますよ」
「阿呆が。酒場に子供を連れてくる馬鹿がどこにいる」
「子供って……まぁ、私は背丈が小さいですし、まだ十五なので、子供なのは確かですけど……」
本当なら自分も手伝いたい、という気持ちは本当だ。けれど一方で、自分が目が見えない、無力な女であることも、エレナは自覚済みだ。よくよく考えてみれば、盲目の自分が聞き込みなど、邪魔にしかならないだろう。
「それで、何かわかりましたの?」
「……………………、」
「なるほど。大体理解しましたわ」
つまり、情報収集する前に賭けでボロ負けして、それどころではなくなった、と。そういうわけだ。ゲオルが何一つ言葉を発さずとも、エレナはおろか、ヘルにさえ事情は察することができてしまった。
すると。
「これは絶景ですね。美女に美少女がそろい踏みとは、いやはや、何とも妬けることだ」
ふと、聞きなれない声がした。
振り返ると、そこには濃い黒の長髪をした男が立っていた。背中には弓と矢を背負っていることから、恐らく弓使いだろう。その弓もどうやら使い古されたものらしく、手入れはされているが、かなり昔のものだと分かった。
「貴様……誰だ?」
「これはまた、ひどい。さっき自分がボロ負けした相手くらい覚えておいた方がいいと思いますよ」
言われて、ゲオルは気づく。そう言えば、先程自分とカードをしていたテーブルにいたかもしれない、と。
そんなことを思っていると、男は一礼しながら、自己紹介を始める。
「ルカードと申します。以後、お見知りおきを」
「あっ。これはどうもご丁寧に。エレナと言います」
「ヘルと言いますわ。どうぞよしなに」
女性陣が自己紹介を返す。が、ゲオルは不機嫌な顔のまま、自分の名前を告げず、ルカードに言う。
「何の用だ」
「何の用、と言われても。そりゃあ、美女と美少女がいて、声をかけないわけにはいかないでしょう? 特に、お嬢さんにはさっきの貸しがありますし。ちょっとくらい、お話させてもらってもよろしいでしょう?」
随分とまぁ、キザったらしい言い回しである。しかし、顔も十分整っており、男前であるため、普通の女ならば、口説き落とせるかもしれない。
「それに、何やら色々と聞きたいことがあるようですし。それなら、自分とお喋りするのは、得策かと思いますよ? こう見えて、自分はギルドから派遣されてきた者でしてね。ここら辺には調査の一環できましたから。情報も色々と持ってますし」
言われて、ゲオルはルカードを睨む。
ギルドから派遣されてきた、と彼は言った。つまり、ギルドが抱え込む程の問題が、ここら辺にはあるということだろう。
ルカードは空いている席を指差し「座っても?」と言うと、ゲオルは鼻を鳴らしながら「勝手にしろ」と答える。苦笑するエレナとヘルに笑みで返しながら、ルカードは席に座った。
「調査、と申しましたわね? それってつまり、どこからか依頼があった、ということでしょうか?」
「……その様子ですと、本当に何も知らなさそうだ。ならば、やはりお声がけして正解でしたね」
「どういうことだ?」
「その前に一つ、質問があります。貴方がたは、この街の様子について、どう思われましたか?」
どう、と言われても、ゲオルは眉をひそめるしかなかった。
別段、何か変わった街というわけではない。特産品があるわけでも、何かしらの伝承やら言い伝えやら、特殊な行事が行われている気配もない。ごく普通の、ありふれた街並みとしかゲオルには言えなかった。
と、そこでふとエレナの方を見て、思いついたことがあった。
「女……いや、若い女というべきか。それの姿があまり見かけなかった、と思ったが……」
「正解です」
ゲオルの言葉に、ルカードは答える。
「実はここら一帯の村や街から女性……それも、成熟しきっていない、子供が攫われる事態が多発しています。しかも、その年齢も限定されており、十三から十六、七くらいの間。加えて全員容姿が整っていると聞きます。ちょうど、エレナさんくらいの年齢の方が狙われているのです。その調査に、自分がやってきた、というわけです」
「なるほど。だから、わたくし達に声をかけた、というわけですか」
ヘルの言葉に、ルカードは大きく頷いた。
「そうなんですか……えっと、犯人に心当たりとか、もうついてるんですか?」
「ええ……それが、どうにも相手は人間じゃないらしんです。一見人の姿をしているんですが、どうにも人外じみた力を持ってる連中らしくて。『怪人』と名乗っているらしいんです」
「怪人、ですか……」
「ええ。しかも、被害は少女たちが攫われる、というだけではありません。攫われた村や街の人々のほとんどは、殺されています。被害は街や村がすでに三十以上壊滅している、とのことです」
「だから、ギルドに依頼がきた、というわけか」
「ええ。加えて、連中の根城は既に掴んでいます。ただ……」
「ただ?」
ルカードは少し周りを気にしながら、小さく言葉を告げる。
「……少し前に、腕の覚えのあるギルドメンバーが討伐に向かったのですが、全員返り討ちに会いまして。ひとり残らず殺されました。その証拠に、近くの街にそのギルドメンバーの舌と耳と目玉が箱詰めになって送られてきたそうです」
それは何とも悪趣味な話である。
「しかも、どうやら『怪人』たちには主らしき女がいるらしくて、その女の名前はどうにかつかめたんですけど……」
「そうなんですか……ちなみに、その名前っていうのは?」
「ああ、確か……エリザベート・ベアトリーという名前だったはずです」
刹那。
ゲオルが持っていたコップが潰れた。
木製のそれは、しかし頑丈にできていたはずであり、それこそちょっと力を入れたり、落としたりしても壊れることはない。
それを、ゲオルは握り潰したのだ。
「……エリザベート、ベアトリー、だと……?」
皆の視線が集まる中、ゲオルはその名を口にしていた。
その表情は、信じられないもの、亡霊にでも遭遇したかのような、そんな表情だった。




