八話 剣狼到来②
ゲオルはこれまで数多くの国を巡ってきた。そして、多くの厄介事に巻き込まれてきた。
その原因がゲオルの性格だというのは、言うまでもないだろう。
だが、この帝都で、未だゲオルは犯罪と呼べる行為をした覚えはない。
ましてや、国家反逆の罪になるようなことは、絶対にやっていない。
「……ワレの耳が確かなら、国家反逆罪、と聞こえたが……小娘、身に覚えは?」
「全くありません」
「だろうな。無論ワレもだ。貴様ら、人違いではないのか?」
「とぼけるなっ! 貴様達をこの街に運んだ御者のマーク・スレンザーが反乱分子の一味であることは既に掴んでいるっ」
男の言葉で思い出すのは、昨日のあの若い御者。
あの男が反乱分子だと……? とゲオルは顔をしかめる。確かに一度会っただけで、彼のことは何も知らないが、それでも反乱を起こすような性格とは思えなかった。
だが、それは今、置いておく。
「それが本当だとして、何故ワレらも同じく反乱分子ということになる?」
「白々しい!! 奴が持っているはずである密書が、どこを探しても見つからなかった。奴自身を拷問したが、知らないの一点張りだ」
「我々は、奴がこの街にやってきてすぐにマークを取り押さえた。奴には、文書をこの街のどこかに隠す時間などなかったはず。調べたところ、奴がこの街に運んだのは貴様達と、隣にいる怪しげな女の二組のみ。そのどちらかに密書を渡したのは明白だ!!」
……何故だろうか。言葉や口調は違うが、どこか似ている雰囲気の暴論を、最近、聞いたような気がする。
しかし、だ。連中の言っていることが全て本当だとするのなら、疑いの目がこちらに向くのも一応の合点はいく。
「なるほど。あの御者が、自分が捕まると分かっていて、安全を確保するために客であるワレらに密書と渡した、と。そういうのだな」
「そうだ。分かったなら、さっさと―――」
「阿呆が」
剣狼の言葉をゲオルはきっぱりと切り捨てた。
「ワレとその御者が会ったのはつい先日だ。本当に、御者と客の関係でしかない。大切な密書を、そんな赤の他人に渡す馬鹿がどこにいる」
「ふんっ。そんな見え透いた嘘が通用するとでも―――」
「ワレとその御者が元々仲間で、客と偽って帝都にやってきた、という阿呆な事は言うなよ? 客に紛れて帝都にやってくるのなら、もっと客数が多い時にやるわ。そもそも、そんな密書を預かっているというのに、一日経って、まだ宿にいると思うのか?」
というより、ゲオルはあの御者が反乱分子であり、密書なるものを持っていた、という話そのものを信じていなかった。
彼は昨日、ゲオル達をこの宿まで案内していた。密書を持っているとするのなら、早く渡しに行きたいはずなのに、いくら命の恩人とはいえ、そんな面倒なことをするだろうか。
加えて、彼は昨日言った。書状を届ける仕事がある、と。
大事な密書を渡しに行く人間が、客である自分達にそんなことを口にするだろうか。
御者が反乱分子ではない、という確たる証拠はない。が、反乱分子である、という証拠もなく、どちらかというと疑問だらけな状態。
間抜けだ云々と言われているが、これではいそうですか、と捕まる程、ゲオルは頭が抜けているわけではない。
一方で、剣狼達は違うようだった。
「煩いっ! そんな屁理屈は聞かん! とにかく、我々の縛につけ!! さもなければ」
「なければ?」
「実力行使あるのみっ」
言うと、全員が一斉に剣を抜く。この時点で、彼らは周りが見えていなかった。
ここは室内。少し広々としているが、それでも限られた空間がある。そこで長物を抜くなど、論外である。これが短剣だとするのなら、また話は違ってくるかもしれないが、全員持っているのは同じ型の剣だった。
とはいえ、ここでゲオルが戦いに応じることになれば、厄介なことになるのは明白。
対処できる方法は二つ。逃げるか、従うか。
出口は既に塞がれている。それ以外の逃げ道があるとすれば、ドアとは反対方向にある、窓二つ。
(三階だが、窓を破って逃げることもできる……が、それは得策ではない)
逃げる、というのは地の利を持っているからこそ、できる技。ゲオルにとって、帝都は未知の場所だ。どこに何があるかなど、全く知らない。一方、相手は肩書きとはいえ、この街を守っている連中だ。道や地理にも詳しいだろう。逃げきれる保証はない。
それに逃げる、ということは、つまり自分達に非があると認めるのと同じこと。それをゲオルは良しとしない。
故に、彼が取った行動は一つ。
「分かった。貴様らと一緒に行ってやる」
「ゲオルさん……!?」
ゲオルの言葉に、エレナは大きな声を出す。その発言は予想外だった。
エレナはゲオルと遭って、それなりになる。故に分かる。彼がこういう時、どんな手段で解決するのかを。己の拳で一発解決。魔物の時もそうだし、勇者の時もそうだった。
そんな彼が、こんな喧嘩越しの相手に素直に従うとは思わなかった。
……いや、よくよく考えれば、これが最善なのかもしれない。今、ここで連中と戦えば、恐らくゲオルは勝つだろう。しかし、問題解決にはならない。自分達は黒のシャーフを倒しに来たのだ。それにはこの帝都を拠点とする他ない。魔道具の問題や情報収集、食料調達にその他諸々……。今、帝都を出て行くような事態は避けなければならない。
それを理解した上での行動。
流石に何百年も生きているとなると、こういう時は、冷静に判断ができるわけだ。
……そう思っていた時期が、エレナにもあった。
「ふん。それでいい。さぁ、ぐずぐずする……」
「ただし。一つ訂正しておこう」
男達は分かっていなかった。エレナも少し、理解が及んでいなかった。
逃げる? 従う? バカを言うな。ゲオルという男が、そんな利口ならば、もっと世渡り上手になっていたはずだ。『あの男』に追われることもなく、面倒事にも巻き込まれることもなく、のらりくらりとやってこれたはずだ。
それができない男だからこそ、彼は厄介事に巻き込まれるのだ。
「貴様らがワレを連れて行くのではなく、ワレが貴様らを全員叩きのめした後に、連れて行くのだ」
刹那、ゲオルは一番近くにいた男との間合いをつめ、そして正拳突きを放つ。狭い場所にいたせいか、殴られた男と、その後ろにいた男二人が、ドアの外まで吹っ飛んでいく。
「きさ―――」
驚き、声をあげようとする剣狼の顎にゲオルは拳を叩きつけた。その、たった一擊で男の身体はゆらゆらと揺れ、そのまま倒れる。顎に衝撃を与えたことで発生した、脳震盪だ。
一瞬……本当に瞬き一回しない内に、ゲオルは三人を叩きのめした。
これで残りは一人。
「舐めるなぁあっ!!」
その一人が大きく剣を掲げ、一直線に振り下ろす。
そして、それをゲオルは何の躊躇もなく、片手で受け止めた。
正確には、右手の人差し指と中指で男の剣を挟んだのだった。
「なっ……!?」
「舐めるな? それはこちらの台詞だ。この程度で騎士を……いいや、剣の狼なんぞ名乗るなど、片腹痛いわ」
言い終わると同時、ゲオルは自分の指先に少しだけ力を入れ、二本の指を回転させる。すると、まるで棒きれが折れるかの如く、男の剣は割れた。
その事実に剣狼が驚いてしまった時点で、既に勝負は決した。
ゲオルはそのまま左の拳を男の土手っ腹に抉るように叩き込むと、相手は白目を剥き、そのまま床へと倒れ込んむ。
四人の剣を持った男が、あっという間に倒される
その光景を、感覚が鋭くなった状態で、エレナは見ていた。
「……、」
唖然。その一言に尽きる状況だった。
いつも音や気配で何となく、状況を理解していたが、今は人の形もしっかりと把握できる状態だ。それ故にこの光景は凄まじいものだった。
「今更ですけど……ゲオルさんって、本当に強いですね」
「本当に今更の発言だな……と言いたいが、今回ばかりは別だ。手加減をして、この様。剣狼騎士団とは、本当に名前負けの連中だ。これなら、あの盗賊モドキ共の方が、まだマシだと思える」
ゲオルは実際に戦ってはいないが、少なくとも、あの連中の方がまだしぶとそうだと感じさせられた。
「それで……これからどうするです?」
「さっきも言ったはずだ。こやつらを連れていく。街を守るのを生業としているのだ。どこかに屯所でもあるはずだ。そこへ出向く」
「本気、なんですね」
「無論だ。止めるか?」
普通なら、そうするだろう。
ゲオルは連れて行く云々言ってはいるが、要は殴り込みにいくようなもの。帝都を守る騎士団に対し、あまりにも無謀な行為だ。最悪、お尋ね者になる可能性だったありうる。
しかし、ゲオル言葉に、エレナは首を横に振った。
「いえ。この状況でゲオルさんを止めることができないのは分かってますし。それに、屯所に行って、詳しい話を聞かないと、これからどうすればいいのか、整理する必要もありますし」
「ふん。ならばいい。あと、分かってはいると思うが……」
「留守番、ですね。分かってます。ちゃんと待ってますから、無事に帰ってきてくださいね」
ゲオルが戦いに行く……と決まったわけではないが、しかし恐らく拳を握らなければいけない状況になるだろう。その時、エレナは、やはり足手まといになるのは必至。だから、彼女は連れて行けない。それはもう、重々と彼女も理解している。
だから、彼女は待っていると、無事に帰ってきてくれと言ったのだ。
エレナの言葉に、ゲオルはいつも通り「ふん」と鼻を鳴らし、男達を拘束しようとする。
と、そこで思い出す。
「……そう言えば、こやつら、あの御者が連れてきた客を疑っていたな」
御者が反乱分子で、密書を持っていた……それが本当かどうかはこの際置いておくとして、連中がそれを信じて動いているというのは間違いない。
そして、加えていうのなら、あの御者の馬車に乗っていたのは自分達だけではない。
だとするのなら、そっちにも剣狼は向かっているはず―――。
「おや、お二人共。お部屋が随分なご様子になってますわね」
と、壊れた入口から漆黒の喪服が覗き込んできた。
「ヘルさんっ」
「おはようございます、エレナさん。どうやらお身体の方は治ったようですね。良かったですわ」
「はい。おかげさまで、何とか……」
「……おい、その手に持っているのは、何だ?」
ゲオルが指を指す先にあったのは、完全にのびている剣狼と思わしき二人の男。ヘルは彼らの襟元を掴み、引きずった状態で廊下に立っていた。
「ああ、この方々ですか? 何やらよくわからないことを仰ってきまして。反乱分子がどうだの、密書がどうだの、と。そんなもの知りませんわと答えると、服の中にでも隠しているのだろう? などと言ってきたものですから、思わず叩きのめしてしまったんです」
「……、」
言われて、ゲオルは自分が何とも愚かなことを考えていたのか、自覚する。
この女が、剣だけを持ったただの男に、最初から負けるわけがなかった。
「どうやら、そちらも同じような状況のようですわね……あのゲオルさん」
「何だ」
「もしよろしければ何ですが―――」
この方々を運ぶのを手伝ってください……と。どうせその程度のことだろう、とゲオルは思っていたし、エレナも同様なことを考えていた。彼女は力持ちというわけではない。護身術を身につけているとはいえ、男二人を運ぶのは女の力では、辛いものがある。
一方で、ゲオルはこれから剣狼の屯所に向かわなければならない。ならば、彼女が持っている二人も一緒に連れて行くのもやぶさかではない。
そう、思っていたのだが……どうやら、ゲオルもエレナもヘルという女をしっかりと理解していなかった。
その証拠に。
「―――わたくし、これから剣狼騎士団に殴り込みをかけますので、一緒に行きませんこと?」
ゲオルにとって、予想の斜め上すぎる言葉を提示してきたのだった。