六話 どこにもない店①
時刻は夜。
すでに皆、帰路に着き、夕食を終え、就寝をしている頃、ゲオルは窓から夜空を眺めていた。
彼らが泊まっているのは宿の三階。そこからは帝都の中央に位置する城。本来なら、そこまでの道も見えるのだろうが、しかし今は月明かりもない夜。見えるのはただ点々とする家々の小さな灯りくらいのもの。
月明かりがない……つまり、今日は新月だった。
「……、」
ゲオルの手には小瓶があった。中にあるのは、御者の肩についていた黒い毛。
これが何なのか、ゲオルには分からない。しかし、あの黒のシャーフに関するものである可能性は高い。
黒のシャーフ。『六体の怪物』の一体であり、ゲオルが倒さなければならない相手。だが、その正体は暗雲であり、災害そのものだ。今まで、数多くの人間や魔物をその拳で倒してきたゲオルだが、今回ばかりはどうにもならない。流石の彼も、雲を一擊で吹き飛ばす程の威力のある拳を放つことはできない。
ならば、だ。残る方法は限られてくる。物理的な攻撃ではない方法……つまりは魔術。
無論、何度も言うように、ゲオルは魔術を使うことができない。しかし、かといってエレナを代わりとして魔術を行使するのは論外だ。今もベッドの上で寝ている彼女を見れば分かる。
才能がない、とは言わない。むしろ、彼女は魔術師の素質は高い。最初の魔術であれだけの結果を残したのだ。増強剤があったとはいえ、そこは認めざるを得ない。
しかし、それとこれとは話は別。才能があるからと言って、すぐに魔術を覚え、『六体の怪物』を倒せるまでに成長する……などというのは、夢物語にすぎない。
だとするのなら、残る方法は一つのみ。
「……はぁ」
ゲオルは星しかない夜空を確認した後、大きなため息を吐いた。
一種の諦め……というより、決心というべきか。彼は懐から、一つの羊皮紙を取り出す。いや、正確にはその羊皮紙で包んでいたモノを、だった。
包まれていたのは、銀の鍵。長さをおよそゲオルの手首から中指の先端まである程のものであり、それなりの大きさはあった。
彼は窓を閉め、カーテンを締め、他に開いている場所がないことを確認し、ドアへと向かった。
そのドアは何の変哲もないドアだった。この宿のものであり、鍵もちゃんと付けられている。
ゲオルはドアノブに手をかけ、鍵がかかっているか確認したあと、先程の銀の鍵でドアノブを小さく叩く。それはただ無闇に叩いているのではなく、ある一定の間隔で叩かれていた。
そして、しばらくすると、ドアの鍵穴がぐにゃり、と変化する。
ゲオルは迷うことなく、新しくなった鍵穴に、銀の鍵を入れた。そして回し、鍵があいたと同時、ドアを開いた。
そこは、宿の廊下……ではなく、部屋。
窓が一切なく、ドアもゲオルが入ってきた場所と奥にあるものの二つだけ。
そこら中にあらゆる武器、あらゆる魔道具が置いてある。それだけではない。名前もしらない、用途も分からない装置らしきものが、多くあった。
それだけでもおかしいというのに、もっと不思議なことがここにはある。
例えば、この部屋の主人である老女と話している先客。その姿は、ゲオルの口からは到底、正しく表現することのできないものだった。
敢えていうのなら、それは蛸だ。何本もの触手、そして無数にある瞳。そして蒼や紫といった寒色が全身の色となっており、その配色が一瞬一瞬によって変わっている。蛸、と先程例をあげたが、それはあくまで似ているもの、という意味であり、実際は蛸やその形をしている魔物の方がまだ可愛げがある。
謎の存在は、恐らく手として使っている触手には木箱のようなものを持っていた。
「&%&<$$#$%。’&&%$&%&$」
「&%&$。&%%$&%$%#”$」
全く分からない言語。しかし、どうやら老女は理解しているようで、同じような言語で言葉を返していた。
会話が終わったのか、謎の存在は老女に背を向けて、こちらへと向かってきた。
そして、ゲオルの前までやってきた。
近くで見ると、やはり異様な姿であり、そして何よりゲオルの二倍程の大きさに、さしものゲオルも少々圧倒されていた。
「#、#$%&%、$%&%$%&、$%&%$#”$」
「……、」
やはり、言葉は分からない。というか、これは自分に何を言っているのだろうか?
分からないが故に、ゲオルは沈黙を保ったまま、行動を起こさず、ただじっと観察していた。
「そこをどいてくれ、と言ってるだけじゃ。出口の邪魔になっとるのが分からんのか? そら、通しておやり」
と、見兼ねた老女がゲオルに助け舟を出す。
言われて、ゲオルはそのまま横へとズレた。それを見ると、謎の存在は、そのままゲオルを横切り、ドアを一旦閉める。
そして、一度ゲオルの方へと向き。
「&%&%$%&%$、$%&%$#$」
何かを言って、もう一度ドアを開き、扉の向こうへと姿を消した。
バタンッと閉まる音と共に、老女が口を開く。
「全く。久しぶりに来たと思ったら、そうそうに問題が起こるようなことをするでないわ。相手が紳士的な性格をしていて命拾いしたのぉ」
その言葉に、ゲオルは老女の方へと視線を向ける。
長い白髪に小じわが少々ある凛々しい顔。しかし、その瞳には未だ生気が宿っており、見た目よりも全く衰えを感じさせない。
老女は、まるでゲオルを昔から知っている風な言葉を並べた。
つまり。
「……姿を変えたというのに、ワレが誰だか分かるのか?」
「ここに来られる者の中で、そんなヒネくれ者の魂なんぞ、ワシが知る限りでは一人しかおらん。で、今は何と呼べば良い? 前と同じ、ギースか? それともその前のクリストフか?」
「今はゲオル、と名乗っている。それと訂正するが、クリストフが前で、その前がギースだ」
「なんでもいいじゃろうが。ころころと名前を変えるなんぞ、男のすることではないだろうに。相変わらず、女々しいやつめ」
「なっ、ワレのどこが女々しいというのだっ。大体、一体誰のせいで毎度毎度名前を変えるハメになったと思っているのだっ! 貴様が『あの男』にワレを追跡できる魔道具やら武器やらを売ったのがそもそもの原因だろうがっ」
そう。ゲオルが今、魔術を使えなっているのは、彼を追ってくる『あの男』の存在のせい。だが、『あの男』もなにも最初からゲオルを追跡できる能力を持っているわけではなかった。特定の相手の居場所を探し、そこへ転移する、などと言うのは人間業ではない。
だからこそ、奴はまずこの店にたどり着くことにしたのだ。
ここはありとあらゆるモノを売っている店。武器や魔道具は無論、失われた財宝や地図、未知の武器や装置等など……それこそ、この世には存在しないはずのものすら置いてあるのだ。
曰く、ここは世界のどこにもないとされる店。特定の鍵と日付と時間帯を利用しないと来れない場所。
知っている者は「どこにもない店」と呼んでいる。
その女店主である老女―――ウムルは、ゲオルの主張をしかして鼻で笑い飛ばす。
「原因をすり替えるでない。最初の要因をつくったのは、ヌシじゃろうが。他人の身体を乗っ取るなんぞ、馬鹿な実験をしようとしたツケじゃ。それとな、ここは店じゃ。貴様とは長い付き合いになるが、それでもワシは客商売をやっとるんじゃ。客がモノに対し、相応の額を払うというのなら、それを売る。当然のことじゃ。そこを指摘するのは、お門違いもいいところじゃろうて」
ウムルの言葉に、ゲオルは返す言葉がなかった。
確かに彼女とは長い付き合いではある。そして、客商売をしているのも知っている。故に、商売人としての彼女に文句を言うのは筋違いというもの、というのを理解している。
けれど……やはり、どうにもやるせない気持ちになってしまうのだった。
しかし、今日はその件とは別で来ている。いつまでも言い争うわけにはいかない。
「それで、今日は何のようじゃ。まぁ貴様のことだから魔道具云々だろうが」
「察しがいいな。この紙に書いている道具を揃えてくれ」
取り出した紙を受け取り、ウムルはその内容を確認する。
と、怪訝そうな顔付きになりながら、ゲオルに問いを投げかける。
「……ヌシ、戦争でも始めるつもりか?」
「それくらいのことをすることになった……今はそれしか言えん」
その言葉にウムルは少々唸るものの、ゲオルの顔を見て、仕方ない、と言わんばかりな息を吐いた。
「まぁ良かろう。ヌシのことだ。どうせ、国を転覆させるとか、世界征服など考えておらんだろうしな」
「頼む。あと、これを少し調べて欲しい」
取り出したのは、例の小瓶に入った黒い毛だった。
「これは……獣の毛か?」
「これが何の毛なのか、調べて欲しい。あと他にも気になったことがあれば教えてくれ」
「……ふぅ。了解した。じゃが、用意するのにも調べるのにも時間がかかる。今日のところは一旦帰ってくれ。二、三日もすればまたこっちから連絡する」
「ああ、分かった。では、また後日」
そう言うと、ゲオルはそのまま出口へと向かう。
が、その背中にウムルは声をかけて止めた。
「ああ、そう言えば、一つ聞きたいんじゃが」
「? 何だ」
振り向くと、何やら面白そうなものを見つけた、と言いたげなウムルの顔があった。
「ヌシ―――最近、特定の女と一緒におるな?」
「なっ―――」
「何故バレたか、か? そんなもの匂いで分かるわ。何年生きておると思う? ヌシの倍は人と商売をしてきたのだぞ?」
そんなのは嘘だ……と言えないゲオル。何せ、目の前にいる老婆は、それだけの実力と経験を持っているのだから。
そしてそんな歳だというのに、未だこういう話を好むのも、この老婆の性格なのだろう。
「よもや、ヌシに女ができるとはのぉ。しかし、なにも恥じることはない。遅咲きの花と同じようなものじゃ。歳がいくつになろうが、それはおかしなことでは―――」
「―――はっ、何を馬鹿なことを」
刹那、ゲオルは、苦笑を漏らす。
それは、本当に、バカバカしいと言わんばかりのものだった。
「確かにワレは、ある小娘と一緒に旅をしている。が……貴様が言うようなことはない。いいや、もしもあったとしても、あの小娘だけは絶対にないだろうさ。何故なら―――」
「? 何故なら、なんじゃ」
「……いや、なんでもない。ワレはもう行く。ではな」
言うと、ゲオルはそのままドアの前へと行く。
ウムルに言われた言葉は、もしかすれば他の者、別の状況ならば、有り得るのかもしれない。一緒に旅をし、一緒に困難を乗り越え、そして……というような、そんなことが、あるかもしれない。
しかし、それはゲオルにはない。
特に、エレナは絶対にないのだ。
何故なら、だ。
(自分が好いている相手の身体を乗っ取っている相手に、好意を抱く者など、いるわけがないだろうに……)
そんなことを心の中で呟きながら、ゲオルは出口のドアを開いたのだった。
※誤字脱字訂正は、少しずつやっていきます。




