十三話 最高で最強な剣①
準備は整った。
いや、実際のところ、物理的な準備というほどのことはしていない。必要なのは、ダインテイルの下にいくための魔道具。これくらいなのだから。
身体の状態も十全。いいや、万全といったところか。数日前までぎこちなかったが、今ではそんな素振りは一切ない。ジグルは、人工体を己のモノとしている。
だが、本当に必要だったのは、もっと別なもの。
即ち、心構え。
ダインテイルと戦う上で、欠かせないそれを、今のジグルは持っていた。
それを自覚したのは無論、他の者達のおかげだ。
「ありがとうございます、ヘルさん。貴方が付き合ってくれたおかげで、僕はこの身体を使いこなせるようになりました」
「いいえ。礼など不要ですわ。この短期間で身体を自分のものとしたのは貴方自身なのですから」
相変わらずヴェールで表情は見えないものの、その声音には微笑を感じることができる。
「ロイドさんも。結局、心配させる形になって、すみません」
「おいおい、今更かよ。っつか、前も言ったが、俺はなんもできねぇんだ。心配くらいさせろ。んでもって、ちゃんと帰ってきて安心させてくれや」
ベットの上で片手を振りながら、ロイドはいつもの調子で口を開く。
ジグルは、ヘルにもロイドにも感謝している。ヘルの行動があったからこそ、身体を本調子にさせることができた。ロイドの言葉があったからこそ、自分は戻ってこなくてはならないと改めて強く自覚できた。
そして……。
「エレナ」
目の前にいる少女の名前を口にする。
ジグルは何度も彼女に助けられ、救われている。心も体も、そして魂も。彼女がいなければ、今の自分は存在できないし、こうして恩人を助けに行くこともできなかっただろう。
何より、彼女がいることで、ジグルはここに帰ってきたいと強く想えるのだ。
彼女とは約束既に約束している。自分は必ず戻ってくる。ゲオルと共に、一緒に帰ってくると。
だから、ここで彼が言うのは別の言葉。
「―――行ってくる」
端的な言葉に、全ての気持ちを込める。
誠意と覚悟。今の自分の全てが詰まった一言。
それを聞いたエレナは、まるでこちらが見えているかのように、ジグルと顔を合わせながら、口を開いた。
「はい。行ってらっしゃい」
彼女も口にしたのは短い言葉。しかし、その優しい一言が、その笑みが、ジグルに勇気と力を与えてくれる。
それらを胸に刻みながら、ジグルは巻物を開く。
刹那、巻物から放たれた光がジグルを包み込んだのだった。
*
廃墟の教会。
その中に転移してきたジグルは、すぐさま視線を一点に集中させた。
周りを見渡す必要などない。転移した瞬間に伝わってきた異様な程大きな気配が、教会の奥から感じられた。
そこにいたのは、聖卓を背にしながら座り込んでいたダインテイルであった。
「――――――来たか」
言うと同時にダインテイルは立ち上がり、こちらを見据える。何かを確認するような瞳でじっとジグルを観察し、そしてしばらくすると「なるほど」と呟いた。
「その身にまとう空気。やはり、戦意は変わらず、か」
予測はしていたと言わんばかりの口調。いや、そもそもここに来たという時点でジグルが戦うつもりであることは、ダインテイルは承知している。
だが、だからこそ問わねばならないことがあった。
「では、約束通り聞かせてもらおうか。お前は何故、某と戦おうとするのだ?」
先日と同じ質問。
これを聞かねば、何も始まらない。
魔剣の問いに対し、ジグルは真剣な眼差しで答えた。
「……貴方の言う通りだった。僕は周りが全く見えていなかった。僕が戦うことで苦しむ人がいる。悲しむ女の子がいる。それを理解せずに、自分勝手に突き進もうとしていた。あれは、自殺行為以外の何者でもなかった。多分、心の底では、たとえ死んでも、なんて想いもあったんだと思う」
それはあまりにも矛盾した考え。
ゲオルはジグルを助けようとして魂の状態になった。エレナはジグルを取り戻すために危険な旅をしてきた。だというのに、ジグルは己の命を顧みずに戦おうとしていたのだ。それは自殺行為、と言われても仕方のないもの。
しかし。
「でも、今は違う。僕は死にたくないし、死ねない。必ず戻ると約束したんだ。ゲオルさんを取り戻して帰ると。そして、それを望んでくれる人がいる」
刹那、脳裏に浮かぶのは一人の小さな女の子。
自分を助け、救ってくれた少女であり、何がなんでも守りたいと心から思っている存在。そんな彼女を悲しませるようなことはしたくはない。本当のことを言うのなら、ジグルが戦うことさえ、彼女は望んでいないはずだ。
だが、それでも。
あの少女が再び笑って日常を迎えるには、既にジグルだけではダメなのだ。
それを理解しているからこそ、ジグルはここに立っている。
「僕は自分が思っていたより自分勝手な人間だったみたいです。貴方と戦い、ゲオルさんの魂を取り戻す。これが僕の我儘という事実は変わらないのだから。でも……それでも、絶対に叶える。僕の大事な人達が笑顔で明日を迎えられるように。僕は貴方と戦う。それが、僕が何が何でも掴みたい未来だから」
言いながら、本当にどうしようもなく自己中心的な事を言っているのだとジグルは心の中で自嘲する。さっきから言っていることは、全部自分がそうしたいから。自分がやりたいからという言葉ばかり。我儘と自分勝手の塊だ。
しかし、それを自覚した上で彼は戦う意思を貫く。
それから。
「ダインテイルさん。貴方にも感謝を」
「……某に、感謝だと……?」
唐突に自分に向けられた礼の言葉。それは、ダインテイルですら奇妙だと思ってしまう代物。思わず、魔剣は目を丸くさせた。
けれど、ジグルにとっては、それは自然で、当然なものであった。
「貴方が止めてくれなければ、僕はこの想いに気付くことができなかった。自分自身を見つけなおすことはできなかった。今、僕がここにいられるのは、貴方のおかげでもあるんだ。だって、本当なら貴方は僕と戦う必要性なんてどこにもない。自分の願いのために、ゲオルさんの魂を今すぐにでも分解したいはずなのに。それをせず、僕に機会をくれた……本当にありがとうございました」
自分を見つめ直し、自分自身がどうしたいのか、何故戦おうとするのか。それを再認識したのは、ヘルやロイド、エレナのおかげでもあるが、しかし機会をくれたのは紛れもなくダインテイルなのだ。
自分の願いを叶えるのを待ってくれた。
そして。
「その上で、僕は貴方を倒します」
青年の口からでた言葉に込もるは、確かな気迫と闘志。
その宣言に、その気概に、ダインテイルは一瞬、驚きの顔を見せつつも、次の瞬間には。
「く、クハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
轟笑。
これでもかと言わんばかりな笑い声は、教会内に響き渡る。その声だけで、教会が崩れるかと思えるくらいの声量であった。
だが、その笑い声には、一切の侮蔑はない。
むしろ、その逆だ。
「おかしな、本当におかしな奴だな、お前は。某なんぞに感謝の言葉を述べるなど。律儀にも程があるというものだろうが。……しかし、お前のような男だからこそ、あの魔術師も守ろうとしたのだろう」
礼を言われるなどとは、夢にも思っていなかった。そして、その上で自分を倒すと目の前の青年は宣言したのだ。
彼を馬鹿だと言う者はいるかもしれない。阿呆だと抜かす者もいるかもしれない。
だが、ダインテイルが感じたのは全く別物。
心の底から溢れてくる、歓喜。彼の言葉に、想いにダインテイルは心動かされた。それがどうしてなのか、何故なのかは正直なところ、彼自身も把握しきれていない。
だが、それでも確かに言えることはある。
「何が何でも掴みたい未来……ああそうだな。その通りだ。某も、どうしても叶えたい願いがあった。そして、その願いは某自身が思っていた以上なものだった。だからこそ、叶える機会を失うのが怖かったのだろう。こんな中途半端な状態になっても、奴の魂を手放さないのがその証拠だ」
言いながら、ダインテイルは自分自身の器の小ささを再認識する。何と自分は小さい男なのだろうか。
だが、それをもう一度自覚した今なら分かる。それが自分なのであると。どれだけ嫌だと思っていても、それがダインテイルという魔剣なのだ。
ならば、それを認めなければ、先には進めない。
それが分かっただけでも、進歩と言えるだろう。
「こちらも感謝するぞ、青年。おかげで少し、迷いが吹っ切れた。そして……ああそうだな。認めなければならん。お前の想い、確かに伝わった!! そして理解した。お前は、戦うに値する男であるとなっ!!」
声と共に、発せられるのは、これまで以上の気迫だった。
「お前は、あの魔術師にも劣らない確固たる輝きを持つ男だと判断した。そして決めた。お前に勝った時にこそ、某は己の願いを叶えると。お前に勝利すれば、きっと某も同じ位置に立てると信じる。故に、全力をもって、某はお前と戦うとするっ!!」
声を張りながら、ダインテイルは両手を構える。その先には、彼が喰らったであろう剣の刃が生えていた。まるで二刀流の剣士の如き姿のまま、魔剣は続けて言う。
「準備はいいか? どこか不調なところはあるか? 某は万全のお前と戦いたいのだ。実はだの、本当はだの、そういうオチはもう懲り懲りなのでな」
「問題ありません。万全どころか、今の僕はかつてない程、強いですから」
「ハハハッ、言うではないかっ。ならば、少し試させてもらおうかっ!!」
言い終わると同時に、ダインテイルの身体から無数の剣が射出させる。
今まで何人もの剣士や戦士を瞬殺してきたダインテイルの十八番の攻撃手段。
その一本一本が、矢よりも速く、鋭く、そして重い。一つでも掠れば、ただでは済まないのは目に見えている。当然だ。何せ、それらは全て魔剣や聖剣といった代物。特殊な力は使えないとはいえ、元からある強度や切れ味はそのまま。あのゲオルですら魔術を使用しながら避けていたのだから。それが初見であれば、尚更回避も防御も不可能。
なのに。
それだというのに。
「―――フンッ」
ひと振り。
正確には、剣を一瞬にして鞘から抜き、その勢いを利用しての一擊。
ジグルが取った行動は、たったそれだけ。
しかし、そのひと振りによって、ジグルに襲いかかっていた無数の剣は弾き飛ばされた。無論、全てではない。いや、だからこそ、驚くべきことか。
ダインテイルが射出した無数の剣は、確かにジグルに向かっていた。だが、それが全てジグル目掛けて放たれたわけではない。正しく言うのなら、ジグルがいる場所に向けられたもの。当然、中には放っておいてもジグルには当たらない剣も多くあった。
ジグルは自分に当たる剣と当たらない剣、その二つを一瞬に判断し、傷を負ってしまうであろうモノだけを叩き落としたのだ。
それは、向かってくる剣を全て吹き飛ばすよりも高度な技術。
神がかりな業を披露した剣士は静かに構え直し、そして言う。
「言ったはずです。今の僕は、かつてない程、強いって」
言葉にあるのは、過剰な自信ではなく、強い確信。
だが、それも当然のこと。
考えて見て欲しい。致命傷を負いながら、二百もの魔物を道連れにした剣士が、果たして普通であるのか、と。そんな男が、そこらにいる剣士と同格であるのか、と。
そして、だ。
もう一つ、重要な事実がある。
誰も彼もが忘れているかもしれない。ダインテイルに至っては知りもしないこと。
だが、彼はかつて、確かにこう呼ばれていたのだ。
――――――勇者に一番近かった男、と。
「くくく。そうでなくては、そうでなくてはなぁ!!」
高揚するダインテイル。その表情は、合格であると言わんばかりであった。
ならば、最早試しは不要。準備も要らない。
彼らは互いに剣を抜いた。戦う理由もあり、意思も見せあった。
故に、起こりうる事象はたった一つ。
「行きます!!」
「来いっ!!」
刹那、二つの刃が交差し、衝撃が教会を震撼させたのだった。