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十一話 戻ってきた青年④

 数時間後。

 ボロボロになりながら宿に帰ってきたジグルとヘルを見て、ロイドは思わず飲んでいた水を吹き出した。


「ちょ、青年も姉さんも、どうしちゃったんすか、それ!?」


 互いに肩を貸し合う両者は、身体の所々に擦り傷があった。無論、重傷という程のものではない。ボロボロ、というのはあくまで姿が、という意味であり、傷自体は軽いものだ。そもそも、ジグルとヘルは手合わせをしに出かけていたのだ。多少服が汚れていようとも、本来ならばそこまで驚くことではないのだろう。

 が、見るからにして両者共に疲労困憊の状態であれば、流石に心配せざるを得ないというもの。


「いえ。少々調子に乗りすぎまして」

「すみません。こんなになるまで付き合わせてしまって」

「気になさらないでくださいまし。わたくしも、好きでやったことですわ」


 首を小さく左右に振り、ヘルは言う。

 その声音には微笑が混じっており、怒っているどころか、どこか楽しげだったのは気のせいではないのだろう。


「それよりも。ジグルさんには、他にやるべきことがおありでしょう?」


 言いながら、ヘルはジグルの肩から手をどける。

 告げられた言葉。その意味するところをジグルは察しながら、頷き足を進める。

 その先にいるのが、誰なのかは、言うまでもないだろう。


「エレナ」

「は、はい」


 呼ばれたエレナは唐突だったためか、少し奇妙な声で応えた。

 ……いや、この場合は突然声をかけられたから、だけではないのだろう。彼女は察しがいい。今、ジグルがどんな姿なのか、言わずとも理解できているはずだ。そんな状態で、敢えてエレナの名を口にした。それだけで、緊張に値することなのだろう。

 

「悪いけど、ちょっと話があるんだ。聞いてくれ」


 瞬間、エレナはぎゅっと服の裾を掴んだ。明らかに彼女の身体は強ばっている。それはまるで、覚悟したいたことがようやくやってきた、と言わんばかりの様子だった。

 そのことを理解した上で、ジグルは言葉を続ける。


「僕は……ゲオルさんを助けたいと思ってる」


 その一言を、ジグルはこの数日、エレナに対して直接は言わなかった。いいや、それどころか、口にすることさえしていなかった。

 当然だ。それが彼女にとって、どれだけ辛いことなのか、ジグルも分かっている。自惚れかもしれないが、エレナはジグルのためにここまで旅をしてきたのだ。その彼が死地に赴くような真似など、認めたくはないはずだ。

 だから敢えてその話題を避けていた。エレナも、そしてジグルも。

 けれど、それもこの瞬間で終わりにしなければならない。


「このまま何もせず、あの人を見捨てることは、今の僕にはできない……いいや、したくないんだ。それがどれだけ我儘なことなのか、自覚はしているつもりだ。もしもあの魔剣を倒して、ゲオルさんを取り戻しても、そこから先、僕がまた元通りになる保証はどこにもない」


 この世に絶対という言葉はない。故に、全てが上手くいき、ジグルが元通りになる可能性も皆無というわけではないのだ。

 だが、それはあまりにも確率が低い代物。

 もしかすれば、今、ジグルが戻って来れた奇跡よりも困難な道のりかもしれない。そう考えれば、やはりジグルが無理をしてゲオルを助ける行為は自殺に等しいものとも言えるだろう。

 けれど。

 それでも、ジグルの決心は変わらない。


「僕はゲオルさんの中にいた時、あの人の記憶から君が歩んできた日々を見てきた。本当に大変な道のりだったと思う。こう言っちゃ自意識過剰って言われるかもしれないけど、僕のために頑張ってくれたことには、感謝しているし、嬉しいと心から思ってる。本当にありがとう」


 目の見えない少女に対し、ジグルは頭を下げる。それが彼女に見えていないと分かっていても、ジグルは彼女に頭を下げずにはいられなかった。

 そして、今一度彼女の顔を見ながら、彼は口を開く。


「本当は、僕は戦っちゃいけないんだろう。自分のためにも、君のためにも。このまま何も無かったように、何事も起こらなかったかのように、また以前のように二人一緒の旅に戻るべきなんだろう。それが普通で、それが自然。誰もがきっと、それが正しい選択だって言うんだと思う」


 だが。


「僕は、そんなの御免だ」


 ヘルと対話し、そして想ったことをここで敢えて口にする。そうすることで、己の決意を明確にするかのように。


「これがどうしようもない我儘だってことはよく理解してる。でも、それでも嫌なんだ。このままあの人を助けない、なんてこと。僕はゲオルさんの中であの人の記憶を見て、彼がしてきたことを垣間見ることができた。そして思ったんだ。ああ、なんて不器用な人なんだって。ぶっきらぼうな態度を取りつつも、内心じゃあ他人が輝いている姿を尊敬し、頑張っている人を応援していて、時には人が傷つけられていることに怒りを感じ、悲しむ。そんな、どうしようもなく人間らしい人なんだよ」


 そんな言葉を口にしながら、ジグルは思う。自分は本当になんて身勝手な奴なのだろうと。

 己の我儘のために、今、目の前にいる大切な少女の想いを踏み躙ろうとしている。ここまで頑張ってきて、ようやく訪れた好機を台無しにしようとしているのだ。

 とんでもないクズ。どうしようもない愚か者。

 どんな罵倒を浴びせられようとも、文句など言えない。

 それでも。

 それでも。

 それでも……。


「僕は、そんなゲオルさんを助けたい。それは、あの人に恩があるからってだけじゃない。一方的かもしれないけど、あの人は僕の友人なんだ。そして、彼を見捨てれば、きっと僕は一生悔やみ続ける」


 そして何より……と言葉が出そうになりながら、すんでのところでやめる。

『その言葉』は今、ここで言うべきことがらではない。そもそも、『その言葉』が向けられるべきは、エレナではないのだから。

 故に、ここで口にするのは別の言葉だ。


「君には本当に悪いと思ってる。殴られる覚悟もしてある。けど、それでも―――」

「ジグルさん。それ以上言ったら、お腹を拳で殴りますよ」


 刹那、エレナはジグルの顔の方を向きながら、告げる。

 その表情には、一切の曇りはなく、陰りもない。あるのは真剣な眼差し。こちらの言葉を全て受け止めた上で、盲目の少女もまた己の言葉を口にする。


「ジグルさんが、ゲオルさんを助けたい気持ちは、よく分かってます。自分の恩人の危機を見過ごすなんてことができないことも、よく理解してます。それが貴方の我儘だなんて言わないでください。ゲオルさんを助けたいという気持ちは、私も同じなんですから」

「けど……」

「けど、じゃないです。もしもジグルさんが、ゲオルさんを助けたいと思うことが我儘だと言うのなら、私も我儘を言わせてもらいます」


 言いながら、エレナは手を前に出す。そして、探しだしたかのように、ジグルの右手を掴むと、両手でぎゅっと握りながら、彼女は言う。


「ジグルさん。ゲオルさんを助けてあげてください。ジグルさんが言ったように、あの人はとても不器用な人です。でも、とても良い人なんです。ここまで旅をしてこれたのも、こうしてまたジグルさんと話すことができているのも、全部ゲオルさんのおかげなんです。私はまだ、あの人に何かをしてあげれてません。だから、お願いします」


 その願いが、言葉が、我儘が、何を意味しているのか、ジグルは理解する。

 エレナはジグルを後押ししてくれている。決意は硬い。覚悟もしている。それでも、エレナへの後ろめたさはどうしようもなく存在していた。

 彼女はそれを払拭してくれようとしているのだ。

 ああ、自分は何と情けないのか。こんな状況になりながらも、目の前の少女に背中を押されるとは。

 同時に思う。自分は本当に幸運な人間なのだと。

 だからこそ、返しの言葉は謝罪ではなく、感謝であった。


「ありがとう、エレナ。君がいてくれるおかげで、僕は今、こうしてここにいられる。そして、これから戦うこともできる。君がいなかったら、僕はきっとどこか野垂れ死んでいただろう。君という存在が、僕を生まれ変わらせてくれたんだ。本当に、感謝してる」


 エレナがいなければ、ジグルは救われることはなかった。

 エレナがいなければ、ジグルは自分にとって大切な人間に出会うことはなかった。

 それ以外にも、彼女がいなければ気づかなかったことは多くある。手に入らなかったモノもたくさんある。

 そして何より。

 誰かを愛するということを、何が何でも守りたいということを、教えてくれた。

 故に、青年は膝を折り、少女と顔を向き合いながら、言葉を紡ぐ。


「もう一度約束させてくれ。僕は必ず戻ってくる。ゲオルさんと一緒に君の下に帰ってくるよ」


 かつてと同じような約束。

 だが、あの時とは違う。取り戻すべき友人がいる。そして、何より今の自分には守るべき少女がおり、彼女と共にいたいと心の底から思っている。そのためには、自分が死ぬようなことがあってはならないし、そんなつもりは毛頭ない。

 必ず勝って、戻ってくる。

 それが、今のジグルの我儘であり、願望であり、決意だった。

 そして。


「はい」


 エレナは笑みを浮かべながら、小さく返事をする。

 何をするべきか、という気持ちは未だに存在する。けれど、それ以上に何かをしたいという気持ちが、ジグルには確固として生まれていた。ゲオルを助けたい。エレナと共にいたい。そのためにダインテイルに勝ち、その上でここ戻ってきたい……。

 そして加えてもう一つ。

 今、目の前にある少女の笑顔を守りたい。

 それもまた、ジグルがしたいと思える一つの事柄となっていたのだった。

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