十話 戻ってきた青年③
結局のところ、ジグル・フリドーの人生とは、そのほとんどが他人に価値がないと見出された人生だった。
彼は他人からの頼まれごとを断ることをあまりしなかった。それは無論、その人のためになるから、というのもあるが、もっと言うのなら、誰かのために役立つことで自分という人間を証明したいということが大きかった。
彼は最初、誰からも期待されていなかった。当然だ。貴族とはいえ、三男坊であるジグルには、剣しか取り柄がなかったのだから。両親も兄妹も、仕えている給仕でさえ、彼のことを見下す者がほとんどだった。
そして、その剣で勇者になろうとしたのだが、結局聖剣に選ばれなかったという理由だけで彼は存在価値を再び失ったのだ。いいや、この場合は奪われた、というべきか。
結論を言うと、ジグルは他人に必要とされたかったのだ。
他人によく尽くし、優しく接する。困っていれば助けるし、救いの手を差し伸べる……一見、お人好しに見える行為だが、結局のところ、それらは自分のためだったのだ。勇者になりたかったのだってそう。それほどまでの存在になれば、どんな意味合いであれ、自分という存在を見てくれる。
そうすることで、ジグル・フリドーという存在を認めて欲しい。
こんな自分でも誰かの役に立てるのだと証明したい。
それがジグル・フリドーの中にある根幹であり、大元なのだ。そのためには、自分を押し殺さなければならない。自分という人間性を持ってしまえば、そこから必ず亀裂が生じる。だから、彼はどんな時も自分を押し殺してきたのだ。
勇者になれなかった時も、勇者パーティーから追い出された時も。
彼は文句の一つも言うことなく、ただ去っていった。
勇者になりたい……その、己が持つ唯一の『自分』というものすら、彼は反抗することなく手放したのだ。そうせざるを得なかった、というのも無論ある。反論したところで意味がないのだから。だから彼は潮時だと思ったのだ。
だが、それでも彼の心の片隅には勇者への不満や鬱憤があったのは事実。けれど、ジグルはそれを最後まで爆発させることはなかった。
大人の対応? そうかもしれない。しかし、それは言い換えれば単なる諦め。そして、そうすることが正しいとさえあの時は想っていた。
自分を押し殺す。
自分が我慢する。
それがきっと正答なのだと。
だからこそ。
だからこそ、ジグルにとって、ゲオルの在り方は輝かしいものだった。
折れず、曲がらず、どこまでも真っ直ぐ。捻くれながらも、けれどその心はどこまでも正直。そして、その在り方を決して損なわない。
唯我独尊? 自分勝手? そうかもしれない。けれど、そういったものが、ジグルには欠如していたのだ。
傲慢で我儘、けれどそれを貫き通すだけの気概と実力。それによって非難されることもあった。けれど、彼の場合、それ以上に多くの人間を助け、救ってきた。
自分のために戦う。自分のために行動している。己は外道だと口にしながら。
矛盾している、と思われるかもしれない。事実、ジグルでさえ、最初はそう思ったのだから。
けれど、次第に分かってきた。つまるところ、彼は捻くれた性格をしているだけなのだと。本当の気持ちを表に出すことはしない。確かに普通の人間とは感性が違うところもある。外道と呼ばれることもしてきた。それは事実だ。だが、その根幹にあるモノは、決して悪ではない。
彼は言う。自分は多くの人間の身体を乗っ取ってきたのだと。そして、そのひとりであるジグルは、よく知っているのだ。ゲオルに身体を乗っ取られた人間の末路を。
愛する者に裏切られた男がいた。
病気が原因で生贄にされた子供がいた。
妹に全てを壊された夫がいた。
出自のせいで不幸になった貴族がいた。
容姿のせいで蔑まれていた兄がいた。
剣を振るい、戦いを繰り返す老人がいた。
彼らの多くは悲劇や不幸で、人生の幕を閉じた。そして、その最期の刹那にゲオルという魔術師と出会ったのだ。
願いを叶える代わりに身体を貰い受ける契約。一見すれば、悪魔の取引のようなものだ。そして、彼らにはそれを断る理由はなく、故に全員契約を交わした。当然だ。そもそも、断れる状況下ではなかったのだから。
だが、ゲオルは、魔術師は、その願いを全て叶えていった。
彼らの願いは、云わば最期の言葉であり、やり残したこと。本来ならば、誰にも届くはずのない声を、彼は聞き届け、実現させてきたのだ。
もしも、ゲオルがここにいれば、こう言うのだろう。契約なのだから、当然だ、と。
しかし、一時とはいえ、魔術師の魂と融合しかかっていたジグルには分かる。面倒臭そうな口振りであろうと、彼が死に逝く人間の最期の願いを必死になって叶えようとしていたことを。
やり方は不器用だったかもしれない。
考え方は捻れたものだったかもしれない。
けれど、けれど、だ。
その想いは、その有り様は、人として正しく、美しいものであり、ジグルはそれに惹かれていたのだ。
「ああ、そうか……」
ヘルの問いに逡巡し、考えを整理したことで、剣士の青年は自分の想いに気づき始める。
「僕は……ゲオルさんに憧れていたのかもしれない」
己の剣を見つめながら、ジグルは言う。
いや、正確には、その刃に映る自分自身か。
「老人のように頭が固くて、けれど子供のように純粋で。自分というものをどこまでも貫きながら、他人を救っているあの人の有様が、どうしようもなく、鮮烈で、強烈で、そして……素晴らしいものだと思えたんだ」
確かにゲオルは外道と呼ばれるべき人間なのかもしれない。ただそれは、酷いこと他人にするという意味ではなく、人から外れているという意味。
本来なら、通常なら、普通なら……そういった常識から外れた行動をゲオルはよくしていた。そして、それが他人の迷惑になることもあれば、害を成したこともある。だが、それにはいつも理由があり、彼から他人を傷つけることは一度もなかった。
「自分もこうありたい。そう、心から思えた。我儘だとか、自分勝手とかのことじゃない。自分が持つ芯をどこまでもしっかりと持つこと。途中で投げ出さず、最後までやりきること。そして、その上で誰かを助けること……そんな風になれたのなら、それは素敵なことだなって」
何事にも囚われず、あるがままの自分を貫き通す。
それがどれだけ大変なことなのか、ジグルには想像がつかない。
何故なら……。
「僕は今まで自分というものを持っていなかった。ただ流されながら生きてきた。でも、ゲオルさんを見ていて分かったんだ。自分が今まで、どんなに楽なことをしていたのか。我慢するだけじゃ、一歩も前に進むことができない。そんなことじゃ、大事な女の子すら守れないって」
言ってしまえば、それは凪。激しい変化はなく、ただ現状維持を続け、無駄なぶつかり合いや揉め事を避けてきた。そうすることで、生じるであろう争いを起こさないようにするため。
だが、それではダメなのだ。
ぶつかり合うことから逃げる者が誰かを助けることなどできない。
揉め事を覚悟して臨まない者が誰かを救うことなどできない。
そして、ゲオルは常に誰かとぶつかり、揉め事を起こしながらも、誰かを助け、救ってきた。自分の意思を相手にぶつけ、時にはぶつけられて……。
その姿から、ジグルは理解したのだ。自分に足りなかったのは、これなのだ、と。
自分というモノを相手にぶつける。その勇気が、ジグルには必要なのだとゲオルは教えてくれたのだ。
「そして、その恩人が今、窮地に陥っている」
「……、」
「確かに、ゲオルさんは助けてくれとは言わなかった。救ってくれと口にしなかった。あの人は何も言わず、ただ戦い、そして敗れ、僕らの前からいなくなった。本当なら、僕は戦ってはいけないのかもしれない。ゲオルさんを取り戻そうなんてことは、おこがましいことなのかもしれない。いいや、そもそも僕が何かをするという行為自体、ダメなのかもしれない」
けれど。
「それでも……それでも僕は嫌なんだ」
真っ直ぐとヘルの方に視線を向け、青年は言う。
彼にはヘルの顔が見えない。だが、それでも彼女がこちらの話を真剣に聞いてくれているのは理解できていた。故に、ジグルはそのまま自分の言葉をぶつけた。
「ヘルさんは言いましたね。まるでやらなければならないから戦おうとしている、と。その通りなんだと思います。僕は、このままのうのうと自分が生きていることが許せない。自分を助けてくれた人を、恩人を見捨てたままなんてできない。それは、僕が気づいた在り方とは真反対の代物だ。いいや……それこそ、今までの僕と何も変わらない。それじゃダメだ。ダメなんだ。ここでゲオルさんを見殺しにすれば、僕はきっと、一生後悔するし、一生変わることができない」
もしもゲオルを助けなければ、ジグルは死なずに済むのだろう。
もしもゲオルを救わなければ、ジグルは元通りの状況になるのだろう。
だが、その心にはゲオルを見捨てたという深い傷跡を残すことになる。
それはきっと『彼女』も同じはずだ。
そしてジグルははっきりと思う。
そんなものは、御免こうむる、と。
「僕がゲオルさんを助けようとしているのは、確かにそうしなければならないと思っているから、というのもあります。けど、それ以上に僕は、ゲオルさんを助けたいと思っている。恩人として、友人として。それは僕が心から願っていることで、誰かから強制されたものじゃない。れっきとした、僕の考えで、気持ちなんです」
それは、ある種の我儘であり、自分勝手な願いだ。一方通行もいいところ。けれど、それがジグルの想い。何事からも流されて生きてきた青年が持った我欲。
誰かのためだけではない。自分のためにも戦う。
恩着せがましいと言われようとも、善意の押し付けと言われようとも知ったことか。
ゲオルを助ける。そうしなければ、気が済まない。自分が自分であることができない。
これは、ただ単純にそれだけの話であり、願いなのだ。
「……それが、ジグルさんの考え、ということですか」
口を挟まず、ジグルの言葉をずっと聞いていたヘルが、ようやく言葉を零した。
「なる程。確かに先程よりも……いいえ、これ以上ない程、言葉に『自分』というものを感じます。貴方の想い、願い、叫び……確かにわたくしに届きましたわ」
ヘルの声は、どこか感心したような、納得したような口調だった。正しくそれが聞きたかったとでも言わんばかりなものであり、彼女の疑念は晴れたようであった。
けれども、ジグルはあくまでヘルの問いに答えただけ。
現実的な問題が解決されたわけではない。
「しかし、です。実際どうするおつもりですか? ジグルさんの実力は確かにわたくし以上でしょう。けれど、あの魔剣、ダインテイルは規格外もいいところ。何か秘策がおありでも?」
「その点については、色々と考えがあります。流石の僕でも、策がないまま、あの魔剣と戦うつもりはありません」
言うと、ヘルは小首を傾げながら、問いの言葉を漏らす。
「というと?」
「僕はゲオルさんと魂が融合しかかっていました。そして、あの人の記憶も垣間見ることができました。無論、彼が乗っ取ってきた人達の記憶も」
言ってしまえば、ジグルはゲオルの一部となりかけていた。それはつまり、ゲオル自身になっていたということであり、彼の記憶、もとい彼が乗っ取ってきた人間の記憶も見ることができた、というわけだ。無論、全てではない。だが、今回に限って言えば、重要な部分をジグルは把握している。
「その中に、対抗策があった、と仰るので?」
「対抗策というか、戦い方というか……ただ言えるとするのなら、あの魔剣は強靭ではあるものの、決して無敵ではない、ということですかね」
最強と無敵は似て非なるものだ。
確かに両者とも強いことに変わりないが、しかし決定的に違うのは、最強は、敗ける可能性を僅かだが存在している。
そして、ダインテイルは最強の魔剣であっても、無敵の魔剣ではないのだ。
「けど、その策を使うためには、この身体で練習をしなくちゃいけない」
だから、と言いつつジグルは切っ先をヘルに向けて言い放つ。
「すみませんが、ヘルさん。もう少しだけ、僕の相手をしてくれませんか?」
申し訳なさそうにしながらも、その表情には少しばかり明るさがあった。何かが吹っ切れたかのような、いいや受け入れたとでも言うべきか。
どちらにしろ、ヘルの返答は決まっている。
「―――ええ。喜んで」
ヴェール下で小さな笑みを浮かべながら、喪服の女は両手を構えたのだった。




