幕間 魔術師の敗北、そして……②
「どう、して……」
エレナの口から出たのは、疑問。
しかし、これは何も不思議な話ではない。ジグルの魂はゲオルと融合している途中であり、完全に消失していたわけではない。だからこそ、エレナはゲオルの本来の身体を探し出し、その身体にゲオルの魂を戻せば、残った身体はジグルのものとなる。
故に、ゲオルの魂が居なくなった今、身体の所有権がジグルに移り、彼の意識が浮上してくるのは当然の話だ。それは無論、エレナも理解している。
理解しているが、それでも目の当たりしてしまっては、驚いてしまうのは自然なことだろう。
「……そうか」
一方で、ダインテイルはジグルに視線を向けながら、そんな言葉を漏らす。
観察するかのような、そして納得するかのような眼には、戦意丸出しのジグルが映っている。
「そういうことか……あの男が自らを魂の状態にした理由は、お前か」
それは、合点がいった、と言わんばかりな口調。
そこには、どこか、寂しさが混じっていたように思えたのは、気のせいだろうか。
「魂になった時、某は何かしらの策を講じたと思っていた。魂の状態になることで出せる強力な魔術があるのだと……しかし、そうではなかったのだな。まさか、自分を魂にしてまで、同化を阻止していたとは。某も、とんだ勘違いをしていた、ということか……情けない話だ」
自分の勝手な思い込み。
勝手に盛り上がって、勝手に決め付けて、勝手に勝利したと口にしていた自分が馬鹿らしい。
確かに、魔術師は本気だったし、全力だった。それは間違いない。だが、万全ではなかったのだ。それも、体力がないだの、傷があるだのではなく、魔術師として致命的な部分が欠けていたのだ。
そもそも最初に言っていた。こちらにも色々と事情がある、と。その時に理解すべきだった。察するべきだったのだ。
だというのに、この体たらく。
本当に恥ずかしいばかりであり、情けない話だ。
しかし、だ。
「ゲオルさんを……返せ」
「ここに来て、その言葉を聞くと思うか?」
それはできないと言わんばかりに答えるダインテイルに、ジグルは詰め寄ろうとするものの、「よせ」と即座に止められた。
「その状態で戦ったところで、お前に勝機はない。見たところ、先程まで精神の底に落ちていたのだろう? それが、奴が身体から出て行ったことで意識が浮き上がってきたようだが……それは言ってしまえば、眠りから覚めたばかりの状態だ。万全とは程遠い。今も、意識を保つのが精一杯のはずだ」
それは、事実だった。
ジグルの意識は朦朧としており、視界はぼやけている。身体全体が縛られているかのように、思い通りには動かず、言われたように、立つのが精一杯だ。正直、走ることはおろか、歩くことさえまともにできないかもしれない。
だが、それがどうしたというのだ。
「それでも……ここで、貴方を見逃していい理由には、ならない」
言いながら、ジグルは一歩、前へと踏み出す。それだけで身体が重くなり、気力や体力を削ぎ落とされた気分になるものの、しかし意識は失わない。
ここで、こんな程度で倒れるわけにはいかないのだから。
「なる程……ふらふらになりながらも、戦う意思を示す、か。その気概は認めよう。だが、一つ言わせてもらうがな……お前、あの男の気持ちを踏みにじるつもりか?」
ダインテイルは、少し目を細めながらそんな言葉を口にした。
「これでも、あの魔術師との付き合いは長いのでな。その身体の仕組みについても知っている。そして、その上で言わせてもらうのなら、奴がわざわざ身体から出て、魂だけの状態で戦ったのは、十中八九、お前の魂との融合を一時的に阻止するためだ。それがどういうことか、説明するまでもあるまい?」
「……、」
「某に指摘する資格などないのは承知の上で言わせてもらう。あの男の気持ちをくんでやれ。自分が不利になるとわかっていながら、それでも奴はお前を守ろうとした。いいや、実際はお前だけではないのかもしれんがな……不器用なあの魔術師らしい。今回の戦い、結果的には某の勝利だが、本当の意味では、某は奴に勝っていなかった、ということなのだろう」
彼は何度も言った。本気で全力なお前に勝ちたい、と。
そもそも、魔術師とダインテイルが対峙すれば、それはいついかなる時、どんな場所であろうとも戦うことが決定されている。故に、相手の状態が悪かろうが、それは相手の運がなかっただけの話。本来ならば、そう断じても仕方のない話。時の運もまた、実力の内なのだから。
しかし、それでもダインテイルの心は満たされていなかった。むしろ、後悔しかない。自分の浅はかさで、己の願いの一つをこうも簡単に蹴り飛ばしてしまったのだから。
「だが……勝利は勝利だ。不本意だろうが、思い通りの結果ではなかろうが、それでも勝ってしまったことには変わりない。そして、勝者には責任が伴う。どんな形であれ、その勝利を覆すことはしないし、できない。故に、だ。ここでお前達に魔術師の魂を返却する、という選択肢を某は選ぶつもりはない」
倒した相手が万全の状態ではなかった。だからもう一度万全な状態でやろう……そんな馬鹿げたこをすれば、それこそ倒した相手を侮辱している、などという次元では済まされない。何故なら、それは相手が弱かったと認めるような行為。そんなもの、ダインテイル自身が許さない。
確かに弱っていたかもしれない。万全ではなかったかもしれない。
だが、それでも。
それでも、あの時、あの瞬間の魔術師の力は本物であり、今までのどの戦いより輝いていたのだから。
「自分勝手、我儘、自己中、どう捉えてもらっても結構。それがダインテイル・レヴァムンクという魔剣だ。人でなし、と蔑んでもらっても構わんよ」
どんな言い訳も理由も口にしない。そんなものに、意味はないのだから。
故に全てを受け入れる。
その上で、彼はゲオルの魂を持っていこうとしていた。
「なら、尚更貴方と戦って、取り戻さないと……ぐっ」
「ジグルさんっ!!」
一歩前進しようとした瞬間、身体がぐらつき、膝を地面に付ける。そして、声や雰囲気からジグルが倒れそうになったのを察したエレナはすかさず駆け寄り、周りに手を当てながら、ジグルの身体を見つけ、支えた。
「何度も言わせるな。やめておけ。今のお前では、某と戦うことはできん。これは、お前が弱いだの、実力がないだのという話ではない。むしろ、その姿勢は高く評価する。ただ、状況が最悪。それだけの単純な話だ」
状況が最悪。確かにこの場は、その言葉に尽きる。
ダインテイルは魔剣であり、ゲオルの魂と融合しかかっていたジグルには、その実力が理解できている。
加えて、ジグルは目覚めたばかりであり、身体が思うように動かない。他の三人もほとんど戦えない状態だ。もしもここで連携して戦ったとしても、まともに一緒に戦ったことがない者同士では、逆に不利になるだけだろう。
圧倒的不利な状況。これを最悪と言わず、何と言おうか。
だが。
「だから……どうした……」
青年は、膝を地面につけながら、意思の篭った瞳をダインテイルに向けて言い放つ。
「戦うことができない? 状況が最悪? 勝手に決めないでくれ。ああ、確かに今の僕はこんな様だ。そう思われても仕方ないかもしれない。けど、それが何だっていうんだ。そんなもの、覆せばいいだけの話じゃないか。少なくとも、あの人なら……ゲオルさんなら、そうするはずだ」
ゆっくりと。本当にゆっくりとジグルは立ち上がる。
本当に、身体がだるく、重い。まるで巨大な岩を上から乗せられているかのような感覚だ。いや、もっと言うなら、とてつもない力を持った誰かに押さえつけられている感じか。
ここはお前が出てくる場面ではない、引っ込んでいろ……そんな幻聴まで聞こえてきそうだ。
けれど、ジグルはそれらを全て跳ね返しながら、もう一度立ち上がる。
「僕は今までずっと見てきた。あの人が戦う姿を。確かに、高慢で、自意識が高くて、実力はあるけどうっかりをしてしまう人だ。それで窮地に立たされたことだって、何度かあったのは事実だよ」
でも。
「あの人は一度も戦いから逃げたことはなかった。追い込まれることもあった。隙を突かれることもあった。それでも、彼は逃げることはしなかったし、立ち止まることもしなかった。いつだって、あの人は戦って、戦って、戦って、立ち向かっていたんだ。そして大勢の人を、助けてきた」
彼はいつも自分のためにと口にする。恐らく、誰に聞かれたってそう答えるだろう。他人のために戦ったことなど一度もないと。
その本心はともかく、それでもその行為によって、助けられた人は少なくない。
ゲオルは強い。本来の魔術を遺憾なく発揮できれば、強力な魔物はおろか、『六体の怪物』すらも苦もなく倒せるだろう。
それができない状況でも、彼は闘争から逃げることはなかった。
勇者の時も。『六体の怪物』の時も。エリザベートの時も。
魔術師は、常に戦い、勝ってきたのだ。
中には最悪の状況の時だってあった。けれど、彼は逃げずに戦うという選択をしてきた。そして、そのおかげで助けられた人を、救われた人がいることを、ジグルは知っている。
何故なら、自分もまた、彼に助けられた一人だから。
「だから、僕は逃げるわけにはいかない。立ち止まるわけにもいかない。あの人に助けられた一人として」
恩返し、などと言うつもりはない。こんなことで、返せるようなものではないと理解している。
だが、いいやだからこそ、ジグルはここでダインテイルを行かせるわけにはいかなかった。
「……某を前にして、立ち向かおうとするお前の意思、覚悟、そして信念は本物のようだ。あの魔術師が守ろうとした理由も何となく理解はできた。が……お前は理解しているのか? あの魔術師を取り戻すということは、つまり自分の中に魔術師の魂を戻すということ。それは即ち、自分と魔術師の魂をもう一度同化させる、ということだぞ?」
今、ジグルの意識が表に出てきているのは、身体の所有権がジグルに移ったためだ。だが、ゲオルの魂をその身に宿すとなると、彼は身体の所有権を取られてしまう。当然だ。元々、この人工体はゲオル専用のものであり、彼が所有権を有するために作られている。よって、ゲオルの意思とは関係なく、ジグルの意識は再び奥底へと沈むだろう。そして、魂の同化はこれまで通り、続いていく。
「そんなこと、分かっているさ」
「本当に?」
返し刀の言葉は、ジグルに揺さぶりをかけていた。
「いや何、お前の決心を疑っているわけではない。強敵に立ち向かおうとする意思は尊重するとも。だがな……どうにも某にはお前が周りが見えていないように思えてならん。それはいただけん。ただ我武者羅に前に突き進むのは自殺行為と同義だと自覚しなくてはな」
「何を言って……」
「ここまで言っても理解できんか? ならば、今のお前と戦ってやることはできんよ……とはいえ、このままでは納得もできまい。某としても、少し心残りがある。故に、提案だ」
ダインテイルは、ゲオルの魂を喰らった短剣を見せながら続けて言う。
「某はこの魔術師の魂を分解するつもりだ。それを一週間後としよう。それまでに、某が納得できる戦う理由を用意できれば、その時は存分にお前と刃を交えようではないか」
「……先程とはまた違った言葉ですわね」
「嘘を言ったつもりはない。手にかけたくないと、今でも思っている。だが、こうでも言わないとそこの青年は止まる気配がないのでな。無論、お前も某が納得できる戦う理由を答えられたのなら、その時は全力をもって相手をしよう―――フィセット」
言うと無表情な少年は両手を前に突き出す。同時に、空間が捻れ、歪む。その大きさは、大柄な男一人分であった。
「あの魔術師と魂を同化しようとしていたのだ。ならば、『店』のことは知っているだろう? 某の居場所を知りたければ、『店』に行くがいい。事情を説明すれば、きっとあの店主が助力をしてくれるだろうさ」
「待て……っ」
「何度も言わせるな。それは聞けんよ」
苦笑しつつ、ダインテイルはジグルに背を向け、空間の歪みに向かって歩き出す。
「ではな、青年。お前の答え、楽しみに待っているぞ」
その言葉を最後に、ダインテイルとフィセットは空間の歪みに入る。そして、一秒もしない内に、歪みは消失し、そこには何もなくなっていた。
こうして、災害のような男は、嵐の如く去っていったのだった。




