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「……累。俺に、暗示をかけてくれ」
一度は奪われかけた意識をなんとか取り戻し、額に脂汗を浮かべたまま、正和は躊躇のない口調で告げる。
「……正和くん」
涙を溜めた瞳で、玲がそんな彼を見つめた。
「お前の、思う方法でいい。……お前が望むように、俺に暗示をかけるんだ」
「杉田……。それじゃ……」
先程は未遂に終わった累の試み。
それがもたらす結果を想像した涼子が、狼狽の声を上げる。
しかし正和はそれを無視して、更に続けた。
「ただ、これだけは伝えておく。……できるなら俺はお前に、俺のことを分かって欲しい」
「…………」
涙を隠すように俯いていた累が、ゆっくりと顔を上げる。
その双眸には、戸惑い。
正和の言葉の真意を計りかねて、警戒するように目を細めている。
「……いいの?さっき私は、本気で貴方の意識を奪おうとしていたのよ……」
抑揚を押し殺した声で、累は尋ねる。
感情の籠もらないその言葉に、正和は小さく頷いてみせた。
「それでも構わない。もしお前が、俺のために何をするのが正解か分からなくなってるんなら、試してみろよ。その暗示の結果が、お前の望んだ俺の幸せだ」
今度は自分の意志で、正和は累の前にしゃがみこんだ。
「……お前が自分のことも分からなくなっちまったんなら、俺が教えてやる」
「…………」
「……元々、俺達二人の問題なんだ。だから、俺とお前で、ケリをつけよう」
強い決意を伺わせる視線を、累はやっと正面から受け止めた。
「本当に、いいのね?」
正和は、少しだけ頬を緩めて、微笑みかける。
そこに恐怖の色はない。
「ああ。やってくれ」
「……杉田……!」
泣き出しそうな声音で、涼子が正和を呼ぶ。
累が先程と同じ暗示をかけたら、彼はただ夢を見続けるだけの廃人に成り下がるかもしれない。
もしそうなったら、今度は涼子が怒りと復讐心に囚われることになるのだろう。
心の中で正和は、涼子に対する申し訳無さを噛み締めながら、累の瞳が揺れ始める様を見つめた。
すれ違い続けた好意の果てに、ほんの一縷でも救いがあることを信じて。
—
次に目を開いた時、そこは学校の屋上ではなかった。
沈んだはずの太陽が、山の稜線の真上で、茜色に輝いている。
西日を浴びてどこかもの悲しげに輝くブランコ、ジャングルジム、そして吊橋のある複合遊具。
「……ここ……は……」
正和の家の近所にある公園だった。
かつて、小学生だった正和と累が遊んでいた、丘の上の公園。
敷地に隣接する住宅に明かりは灯っておらず、まるでその公園だけがぼんやりと照らされて、周囲から浮遊しているかのような光景だった。
ふと、気配を感じて振り返る。
木製の囲いのついた砂場の真ん中に、一人の女の子が座り込んでいた。
柔らかそうな髪を後ろで一つにまとめた髪型。
年の頃は小学校低学年くらいに見える。
両手と両膝、白いブラウスとチェックのスカートまで泥まみれにして、呆けたように正和を見つめている。
「…………」
「…………」
言葉もなく、視線を交わし合う。
少女は、正和の出現に驚いているような、どこかで見たことのある面影に戸惑っているような、そんな面持ちだった。
「……君……」
「……お兄ちゃん、どこから来たの?」
ほぼ同時に、声を発する。
少し怯えているようなその話し方に、正和は覚えがあった。
トレードマークのポニーテールも、変わっていない。
記憶の中の幼少期の累と同じ姿だった。
「え、えっと……」
取り敢えず投げかけられた質問に答えようとして、説明できないことに気づいた。
さっきまで学校の屋上にいたのは確かで、累の瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた後、気がついたらここにいた。
「……俺は……」
「……お兄ちゃんも、探し物してるの?」
「……探し物?」
正和の回答を待たずに、また新たな質問を投げかける少女。
戸惑いながらも、取り敢えず少女のいる砂場に歩み寄る。
少女の足元の砂はあちこち掘り返されて、湿ったこげ茶色の土が囲いの外まで飛び散っていた。
「……君は、ここで探し物をしてるの?」
その砂場の有様と、その服の汚れから考えて、彼女は砂を掘り返して何かを探しているのだろうと考えた。
「……うん。もう、帰らないといけない時間なのに、見つからなくて……」
答えながら、泥まみれの少女……累は、また砂の上にしゃがみ込む。
服が汚れるのも、爪の間に砂が挟まるのも構わずに、ざくざくと両手で足元の砂を掘り始める。
「何を、探してるの?」
可能な限り穏やかな声で、正和は尋ねる。
「……赤い、プラスチックのシャベル」
「シャベル?」
「うん。それと、黄色いゴムボール。あとは、緑色の水鉄砲と、水色のフリスビー。ハイレンジャーのカードと、スポーツカーのラジコンと……」
「……随分、いっぱいだね?」
指折り数える累。
「全部君の?」
「うぅん、つるっちと、あきちゃんと、しょうちゃんと、かこちゃんと、おくちゃんと……まさくんの」
最後の名前だけ、少し声が小さくなった。
何故か、正和は胸が締め付けられた気がした。
「どうして、君が探してるの?お友達のものなんでしょ?」
正和の問いに、累は淡々と答える。
「なくなっちゃったら、悲しいでしょ?だから、見つけてあげたいの。届けてあげて、喜んでほしくて」
手を休めずに答える。
掘り進めて穴が広げては一旦埋め、また別の場所を掘り返す。その繰り返しだった。
懸命なのは伝わってくるのだが、その手順はどうにも非効率的で、労力を無駄にしているようにしか見えなかった。
あまり深く考えずに、正和は砂場の中に入った。
累の隣に腰を下ろし、彼女に倣って砂を掘り返し始める。
「……手伝ってくれるの?」
「もう、帰らないといけない時間なんでしょ?……早く見つけて、帰らないと。お父さんとお母さん心配するよ」
「……ありがと」
素っ気ないが、気持ちの伝わる御礼の言葉をぽつりと呟いて、累は穴を掘り続ける。
正和も、足元の砂をかき分けた。
懐かしい感触と匂い。
始めのうちはスニーカーの上に砂が落ちるのを気にしていた正和も、両手が砂まみれになるころには、もう汚れなどどうでも良くなっていた。
「……あれ?これ、かな?」
指先に硬い感触が触れるのを感じて、正和は声を上げた。
赤い、安っぽい質感のシャベルが、三十センチほど掘り進めたあたりで見つかった。
「あ!それ!」
正和が湿った土の中からそれを引き抜くと、累は歓声を上げる。
しかし、シャベルは刃の部分が縦に大きくひび割れて、使い物にならなそうだった。
「……壊れちゃってるね」
「うん……。でも、見つかってよかった」
宝物でも見つけたように、累は受け取ったシャベルを抱きしめる。
頬に泥が付くのも構わないその様に、正和は苦笑した。
「次は、何だっけ?ゴムボール?」
「うん、黄色いやつ」
「どんどん探そう。ボールはどの辺りにありそうか、分かる?」
「そっちの、草むらのほうじゃないかな」
泥だらけのまま、今度は公園の端の雑草が生い茂る一画に足を踏み入れる。
草いきれにまみれながら、草をかき分けて黄色いボールを探す。
そう広くもない草むらだったので、すぐに探し終えた。見つからない。
「ここじゃないのかな?」
「……他のところも見てみよう」
遊具の影や、トイレの建屋の裏側を見て回るが、それらしいものは発見できない。
すべり台の階段の裏側を覗き込んで、正和は声を上げた。
「あった!」
「ほんと?!」
まるで隠そうとしたかのように、階段と地面の隙間にすっぽりと挟まっていた。
引きずり出してみると、シャベルと同じくかなり古ぼけて傷んでいているのがわかった。
空気が漏れているらしく、球体を保っていることも出来ないような状態だった。
「お兄ちゃん、凄い。一人じゃ全然見つけられなかったのに、あっという間にもう二つ」
ボロボロのボールを掲げて眩しそうに見上げ、累は顔を綻ばせる。
「よし、次は水鉄砲だったな」
「水道のそばだとおもう!」
その調子で、二人は公園中を捜索して回った。
自分がもし子供だったらそれらをどうやって隠そうとするかを考えると、次々と発見することが出来た。
見つけるのはいつも正和で、その度に累は何度も御礼の言葉を繰り返した。
「これで、全部、かな?」
見つけ出した捜し物たちは、どれも破損が酷く、もう元々の役割を果たせそうもない。
途中までは宝探しの気分で童心に帰って張り切っていた正和も、ベンチに並ぶガラクタが増える度に表情を曇らせていった。
果たして、持ち主たちはこんな状態の玩具を見つけてもらったとして、喜ぶのだろうか。
思いながら、一つ見つける度にはしゃぐ累を見ていると、口には出せなかった。
「えぇっと……」
先ほどと同じく指折り数えていって、累は泥だらけの顔を曇らせた。
「あと、一つ……」
「最後の一個?何?」
足腰に軽い疲労を感じながらも、乗りかかった船だと正和は改めて公園を見回した。
「最後はね……赤い、布」
「……布?」
「そう。くしゅっとしてて、このくらいの大きさの」
小さな両手を、水をすくうときのように合わせて見せる累。
突然説明が漠然とし始めたことに首を傾げながら、正和は尋ねた。
「布……。それって、大事な物?」
「うん。探してたのは、全部大事なものだよ」
「……これも、全部?」
折り曲げられた上に泥で汚れたカードや、タイヤが二つ外れているラジコンカーを見遣りながら、正和は小さなため息をついた。
そんな彼に、累は抗議するように頬を膨らませた。
「大事だよ。これはね、全部誰かが誰かに向けて贈ったものなんだよ」
「贈り物……?」
「そう。貰った人がすごく喜んだ、素敵なプレゼント。全部」
「……じゃあ、その赤い布っていうのも?」
「もちろん」
自信満々の笑顔で頷く累。
正和は、記憶の靄が晴れていくような感覚を覚えていた。
幼い頃の累は、こんな子供だった。
おセンチで、変なところで少し頑固なところがあって。
そしていつも、誰か他人のためにばかり時間を使っていた。
ちょうど今のように。
いつか誰かにとって大事だったものが、使い古されてボロボロになって、やがて飽きられてしまったとしても、いつまでもその人にとっての宝物なんだと信じて疑わなかった。
正和の記憶が正しければ、彼女の行動はいつも少しずれていて、ほとんど報われることはなかった。
「……ねぇ。これってさ、本当に探さなきゃいけないものだったのかな?」
「え?」
正和の言葉に、累は笑顔を固まらせる。
「……もしかしたらさ、持ち主はもういらなくなって、この公園に捨てていったもの、なんじゃないかな?」
残酷な事実を突き付けるような言葉を、断言を避けて伝える。
自分の口調に、何故か自分で嫌悪感を覚えた。
累を傷つけることを恐れたというよりも、自分がそれを伝える責任を回避したがっているように聞こえた。
「……そんなことないよ」
今にも泣き出しそうな声で、累は呟く。
切なげな顔を見て、正和の胸はまた締め付けられた。
「物が壊れちゃっても、そこに込めた気持ちもは消えないよ……。喜んでほしい気持ち、嬉しかった気持ち……それを捨てちゃうなんて……」
「……でも、だからって何もかも捨てずにいたら、きっと持ちきれなくなっちゃうよ」
「それって、いけないこと?どこかに大切にしまっておけばいいんじゃないの?」
「……でもさ……」
更に言葉を返そうとして、途中で止まる。
目の前の累の顔がみるみるうちに歪んで、大きな瞳からポロポロと涙が溢れ始めた。
「……やだよ……。捨てちゃうなんて……。なかったことになっちゃうなんて……そんなのないよ……っ……かなしいよ……」
「…………」
押し殺した嗚咽は、やがて赤ん坊のような鳴き声に変わっていった。
その声に、また記憶が蘇る。
(あぁ……そうだった……)
累と知り合って、彼女の性格を知ったその時の正和は。
こんな風に自分と無関係なはずの誰かの感傷に涙を堪えられない彼女のことを。
悲しませたくない。守ってあげたいと思った。




