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「……溜まってるからもう出せるんじゃない?」
「い、いや、そんなことは」
「ほら、ここを、こうして」
「あっ、それは……」
「ほら、もっと早く」
「ダメだ……。ちょっと緊張してて」
「大丈夫、焦らなくていいわ。じっくり、ぐりぐりって、円を書くように」
「こ、こう?」
「そう……。悪くないわ。もう一回」
「こ、こうだな?」
「あっ……。いい感じ。もう少し早くしてみて」
「こんな……感じ?」
「良くなってきたわ……。じゃあ、さっきのと繋げて、途切れさせないで……」
「えっと……確か……こうして、こうして、こう……」
「そうよ!そう!」
「よし……いけそう」
「いいわ、やってみて」
「おし……よ、っしょっと!」
「あ!すごい!」
「よし、これで、ラスト……!」
「あ、待って……そんな、正くんばっかり」
「ごめん、でももう」
「あぁぁぁ……。終わっちゃった……」
もちろん、二人がやっているのは格闘ゲームだ。
「分かった?ゲージが溜まったら、C、→A、半回転二回と、Cで超必殺技が出るわ」
「こんなの、咄嗟に出せるかよ」
「訓練次第よ」
正和の部屋。
二人は数年ぶりに、小学校時代によく遊んだゲーム機を引っ張り出していた。
当時は正和が累を一方的に嬲ってばかりだったのに、今は累が正和にコンボのレクチャーをしている。
「ってか、何でお前そんなに上手くなってんの?」
「これも姉に仕込まれたのよ」
「お前の姉ちゃん、変わりもんだったもんなぁ」
「さぁ、今のを踏まえて、対戦よ」
正和が選んだのは日の丸鉢巻を巻いた柔道家。(どこか松田に似ている)
累が選んだのはセクシーな衣装に身を包んだくノ一のキャラクターだった。
勝負が始まると、柔道家が女性キャラを押し倒したり投げ飛ばしたり羽交い締めにしたりと、何ともコメントに困るシーンが連発する。
「累、真面目にやれって」
「ハンデよ。赤くなるまで痛めつけていいわ」
予想通り、追い込まれてからの累は全く付け入る隙のない強さだった。
飛び道具を避けようとジャンプすれば扇子ではたき落とされ、強烈なコンボを受けて画面端まで追い込まれ、最終的には忍法で燃やされる。
いくらハンデをもらっても一ラウンドも勝つことが出来なかった。
「無理だっつの。あんなの、どーやったらガードできんだよ」
「立ちガードとしゃがみガード、それぞれで守れる攻撃が違うのよ。そんな基本的なことも知らなかったの?」
「もし分かってても、お前に二択迫られて読めるやつなんかいねぇよ、多分」
「正確には、投げもあるから三択ね」
十連敗を食らったところで、正和はコントローラーを放り投げてベッドに体を横たえる。
「数年前のリベンジは、十分に果たしたわね」
ゲーム機の電源を切って、肩にかかった髪を払う累。
その表情は微かに満足げだった。
トレードマークのポニーテールを解いたセミロングの姿に、正和は少しドギマギする。
何だかいつもより大人っぽく女らしく見える気がしてしまう。
正和に借りたジャージのスボンと、寝間着らしい着古しのピンクTシャツ。
美幸の言葉が頭にちらついて、正和はその胸元の膨らみを意識せずにはいられなかった。
ゲームのコマンド入力と同期してその塊がゆさゆさと揺れる様は、触れなくてもその重みと柔らかさが伝わってくるようだった。
よくアニメなどで描かれる巨乳キャラのそれはゴム毬のように跳ね回っているが、そこには重さを表現する工夫が欠けているのだと実感した。
大きいからにはそれに見合うだけ重く、そしてさらに柔らかくなくてはならない。
まさか累の胸を見てそんな気付きが訪れるとは、数年前は予想だにしていなかった。
そして、直視は避けていたが、気づいてしまっていた。
その膨らみの頂点に、小さな突起が浮き出ていることに。
(男の部屋に来るのに、ノーブラってどうなのよ……)
正和はベッドの上に寝転がって、壁紙を見つめる。
累の方を見ると、視線が胸元に吸い込まれてしまいそうになる。
いくら注意しても眼球が勝手に回転を始めてしまうのだ。
唯一の予防策は、累の姿を視界の中に入れないこと、それ一つだった。
そんな状況を、何だか少しもったいないと思う自分を自覚していた。
折角小学校時代に共有していた思い出を懐かしみながら遊べるのに、相手が女の子だからというだけで気になって素直に楽しめない。
自分を信用して無防備でいてくれる累との距離感を心地良いと感じながら、向き合うこともできないのが歯がゆかった。
「……この部屋、変わらないわね」
少しの沈黙の後、懐かしむような声で呟く累。
「……今までも来てたろ。いっつも無断で」
「そうだけど、こんなにじっくりここにいるのって、久しぶりだから」
何故だか、累の口調がいつもと違う気がした。
一緒に過ごしてきた二ヶ月、彼女がこんなにも感情を滲ませた言葉を発するのは、初めてだった。
「覚えてる?二年生のとき。私ここでサイダーをこぼしちゃって……」
「……スカートが濡れたから、ズボン貸してやるって言ってんのにやだやだ言って、泣いて、親に迎えに来てもらったよな」
「あの時は、男の子のズボンを借りて履くっていうのが、何だか妙に恥ずかしかったのよ」
「スカートにシミ作ったままのほうがずっと恥ずかしいに決まってんのにな。今じゃなーんも気にせず俺のズボン履いてるし」
「あとね、あの時は、精一杯可愛い格好をしようと思って、一時間も悩んであのスカートを履くって決めたの。上のシャツとの組み合わせが気に入ってて、絶対それを崩したくなかったんだ」
「……女って、ちっこい時からめんどくせぇんだな」
「そんなこと言わないでよ。正くんの家に呼ばれたのが嬉しくて、それでお洒落しようって思ったんだから」
正和ははっとする。
この喋り方。
自信なさげに揺れる声。
累の姿を盗み見る。
胸の前で両手の指先を合わせて、過ぎ去った時間を愛おしんでいるような、その表情。
(…………)
そこにいるのは、累だった。
高校に入ってからの累ではない。
正和の思い出の中にしかいないはずの、少女趣味で、夢見がちで、引っ込み思案だった女の子の仕草。
それは、正和の記憶の中の、小学校二年生の時の累の姿と見事に重なっていた。
壁の方に視線を戻して、正和は考えを巡らせる。
頭の中を支配していた言葉は、『なんだこれ』『どういうことだ』。
まるで、人格が切り替わったかのようだった。
ゲームをしている最中までは、間違いなく普段通りの累だったはずなのに。
会話の途中から、語尾に違和感を覚えて、あれっと思った後にはもうこうなっていた。
「ねえ、正くん……」
混乱を全く解消できない状態で固まる正和の背後で、ベッドに背中をもたれさせて座っていた累が振り向いた気配がした。
「……正くんも、変わってないよね」
違う口調。
違う声音。
同じ声帯を使っているはずなのに、明らかに別人の声だった。
「……困ってる人とか、苦しんでる人がいると放っておけなくて、何だかんだ言いながら面倒見ようとしてくれて……。私、本当に不器用で何も出来なかったから、いつも正くんに迷惑ばっかりかけてたよね」
たまらず、正和は上半身を起こして累と向き合う。
ベッドのすぐ横に膝立ちになって、マットレスの上に両手を置いて、横になる正和の顔を覗き込もうとしている。
つい先週、正和が熱を出したときにも同じ位置関係にあったはずなのに。
正和の心臓は、四十度近い熱が出ていたその時よりも、ずっと早く脈打っていた。
「ずっとちゃんと言えなかったけど、嬉しかったんだ。正くんが私の事気にかけてくれて、私がピンチのときにはいつも駆けつけてくれて……。でも、正くんは誰にでも親切だったから、自分だけが特別なわけじゃないって気づいて……。そのことが何だか寂しくて……」
「…………」
正和を見つめる潤んだ瞳。
ここ最近の累は絶対に見せることのなかった、縋るような、自分の全てを委ねるような表情。
「私……。私ね……」
「お、おい……。累……?」
上手くまとまらない自分の言葉に焦れたように、累は上半身を乗り出してくる。
気圧されるように、正和は後ずさる。
全く予想していなかった展開だった。
いつものように累に担がれたり、からかわれたりすることには警戒していたのに、まさか事態がこんな方向に進むとは。
(ん……?担ぐ?からかう?)
一瞬過ぎった疑念が、正和を少しだけ冷静にした。
冷静になった途端、眼球は下方向に約十度ほど回転した。
少し緩くなったTシャツの襟から覗く、深い深い谷間。
そして、直視を避けていた、Tシャツを押し上げる突起。
「……あーー、なんだ、その……累」
「……え?……何?」
「……ズレてるぞ」
「…………」
累の顔に差していた赤みが、すっと元に戻った。
切なげに半開きになって震えていた唇は真一文字に結ばれ、冷静な視線が自身の胸元を確認する。
「…………」
累は、おもむろにTシャツの中に手を突っ込んで、ごそごそと何かを取り出した。
累の指先につままれていたのは、二粒の大豆。
豆まきの時に撒く、あの豆だった。
「やっぱり、位置を固定しておくべきだったわね」
「……一応聞いておくけど……。どうしてそんなところに、大豆を?」
「正くんが悶々としてくれるだろうなって。私、寝る時は必ずナイトブラを着けるんだけど……それじゃ愛想がないかと思って」
「…………なんて言っていいか分からんけど、何か凄く……がっかりしたわ」
「元気を出して。ほら」
素早い動作で正和の唇の間に大豆一粒押し込む累。
面食らった正和は、口の中のそれをどうしていいか分からず、とりあえず舌の上に保留して累を睨んだ。
累は涼しい顔で、残りのひと粒を自分の口の中に放り込んで、ぽりぽりと咀嚼した。
「乳首に見せかけた二つの大豆を一粒ずつ食べる。……何かの儀式みたいよね」
「……何が目的なんだろうな」
その謎の儀式についてだけでなく、累が行う全ての奇妙な振る舞いに対してという意味も含めて正和はぼやき、自棄気味に口の中の大豆を噛み砕いた。
歯ざわりは小気味よく、そしてとても味気なかった。




