日常非日常・逃げてみよう
教室に向かうまでに幾つかの懸案事項が挙がっても、それは今のトーリには関係ない事象であり、頭の隅に追いやられる事柄の1つに過ぎない。
数回は深呼吸しただろうか、自分の教室のドアを開ける前にそんな事をいつの頃からかは覚えてはいないが、そういう行動をするようになった。
取っ手に手を掛けて少しずつ開けると誰も居ないはずの室内に1つの存在がトーリの机の上に居た。
で、トーリの行動はというと、少し開けていたドアを最後まで開けて、普通に自分の席に掛けてある鞄を取って出ていこうと考えていたら、頭の中で声が響いた。
その声は現実の者とも思えない、いや思いたくない感じがしてトーリは扉から歩いて自分の席の掛けた鞄を取り、出口目掛けて足早に教室を出る。
誰も居ない、居るはずもない廊下を歩いているのにトーリの耳には声が、そう複数の声が聞こえていた。
全身を冷たい汗が流れている。それは本能で理解していた。
今、絶対に振り向いたらいけない。と。
振り向いたら最後。静かな、平穏な生活が遅れなくなるだろうと確信していた。だから、ずっと耳に聞こえる声も背後に迫る気配も全力で無視して校舎の出口へと急いでいる。
階段、廊下を通りすぎて二階の廊下へと出る。息を整えている間も複数の声は聞こえている。
正直、吐き気がしている。
心臓も張り裂けるように鼓動が高なり、肺も酸素を全身に送り続けていても間に合わず、全身に痛みが走る。
深呼吸を繰り返し足りない酸素を補うと少しだけ軽くなり、速度を上げる。
校舎は中央棟から他の四棟に繋がる渡り廊下で繋がり、そして四棟もそれぞれ渡り廊下で繋がっている、しかし、繋がっている階はバラバラ。
五階に付いている端からその反対は二階に着いている。
そんなもんだから渡り廊下を使う部外者は時折迷う者が出る。
加えて日毎にその位置は変更される。
そのパターンは乱雑で一定ではなく把握している者はいない。
で、トーリが走っている渡り廊下はまさにそれで、二階の接続位置から入りその終点は上階の廊下へと繋がっていた。
トーリは嘆息して呟くと、渡り廊下を出てすぐに近くの窓目掛けて走りそのまま飛び出した。
勿論、普通の人なので空を飛ぶとか、壁伝いに降りるとか、ましてや何事もなく普通に地面に着地など出来るはずもなく、抵抗出来ずに地面に落下する。
これでトーリの人生は終わる。
いや、本人がそれを望んでいるのだが、気がつくとトーリは生け垣の上に落ちていた。
骨折や切り傷はあるものの、病院送りになるだけで命の危機までには至らず。数ヵ月後には完治して学校へと登校している姿があった。
誰も知らないが、トーリを追いかけていた存在は悔しげに舌打ちし、直後に口端を上げ姿を消した。
その顔には疲れと眠気が表れていた。
病院にいた時から眠っている間に耳元で囁く声が毎日のように続き何度も深夜に起きるはめに、おかげで寝不足で体の怠惰感。
その体を引きずりながら登校して、重い瞼を必至に開けて校門へ辿り着く。
疲労困憊の肉体をどうにか教室まで辿り着いて席に座る。
それでも座れた安堵から記憶が途切れ、次に目を覚ますと赤い窓に照らされて静かな教室にトーリは一人座っていた。
寝起きで意識が朦朧として、さらに記憶も夢と現実が混ざった感じになっているから把握するのに随分と時間が掛かってしまった。
教室にはトーリの傍らに置かれている椅子一脚のみでその他の道具類が無かった。
左右を見て足下を見て天井を見上げると。大きな目を向けてニタニタと笑う存在が張り付いていた。
側の椅子に手が当たり、床に大きな音を響かせるか。
そんな事をせず、触れた瞬間、椅子を持ち上げ窓に力の限り放り投げた。
そして盛大に割れると同時に駆け出して脱出しようとするが、存在はそれを見越していたのでそのようなことは起こらず、椅子は弾かれて数回床を鳴らしてから滑って止まった。
息を吐くと、何が可笑しいのか存在は大いに笑っていた。
だからトーリは自然に、まるで自暴自棄になったように椅子を立て直して座り項垂れる。
少しも動かないトーリに存在は近づき、チョッカイを出すが反応を示さず、これを好機と見てその身体を乗っ取ろうと飛び込むが次に見たのは真っ赤に彩られた空が視界を覆っていた。
理解が追い付く前に次の痛みが襲う。
側で囁く。
「なあ、いい加減にしてくれないか。俺は平和に過ごしたいんだ。それを邪魔するなら。ふふ。ふふふ。」
不適で不気味な笑いは存在の奥底の何かを呼び覚まし、全身が意識と無関係に震え始める。
「僕に手を出すのは止めた方が良いですよ。」
「これが最後の忠告よ。破れば繋がるもの全てを根絶やしにしてあ・げ・る。」
存在は大きな目に涙を浮かべ、全身に走る感覚が震えから痛覚に変わると大声を張り上げながら逃げていった。
赤く染まる空の彼方に存在の影が消えていくのを眺めて地面に座ると。
「ダリー」
その言葉には今の感情全てを乗せて漏れた言葉だった。
そこで、トーリの意識は途切れる。




