第20話
「だからぁ~、わかんないの~?」
耳元で小うるさい声が聞こえる。俺が悠々自適なぼっちキャンパスライフ生活を満喫し、一人暮らしの部屋で同人エロゲームをするというオタクのたしなみをしている時間のことである。
「おい! 聞いてんのか! まだ怒ってんのか!? なぁ、豚のくせに! おい! 鳴け! 跪け!」
仮に、こいつが怒っている人間に対して、許せと喚きたてているとするならば、とんでもない主張である。謝罪の一言を言うどころか、豚だの鳴けだの跪けだの……。お、横暴だ……。
「怒ってなんかないけどさぁ……」
俺は、ばつが悪い顔をして、横で話しかけてくる美少年──もとい、悪魔に体を向き直す。
「……あんなこと言った手前、やすやすとお前を再び受け入れるというのは気が引けるというか、なんというか」
そう、俺は、あの時、この目の前の悪魔ヤンくんのことは諦めると大声で宣言し、天城という天使的美青年の部屋から飛び出していったのである。それだけならまだ救いようがあるが──。
「お前言ってたじゃーん! ヤン、好きだーっ! 愛してるーっ! 結婚してくれーっ! って」
「いやいやいやいや! 言ってない! そんな宣言はしてないから!」
「え~? そうだったかな~? じゃあボクのこと好きじゃないの?」
「んんんー、そ、それは、だなぁ……」
やたら顔を近づけてくるヤン。挑発的態度である一方で、これまでには見せなかった高い懐き度を垣間見ることが出来る。ここまで積極的に態度に出られると、俺は一体どう取り扱ったらよいのだろうか……。といっても、デレているように見せかけて、俺を弄んでいるかのような言葉遣いには興奮を覚える。
「大体、いきなりどうしたんだよ、お前、天城のとこにいたじゃんかよ」
「まだ言う~? だからさぁ、それは、お前がボクに嘘をついたから、ボクの心が乱れてぇー」
「それだけじゃ説明つかないだろっ!」
「そこに、あのクソ天使が付け込んで、チャームというか、そういう系の魔法をボクに使ったんだってばぁ~」
ひどく甘ったれた媚びた声で弁解してくる。俺にも責任があった、いや、俺に責任があったと考えると、このように媚びた言い方で言われては俺も反論し難いという点を的確に突いて来ているのである。さすが悪魔だ。チャームやらなんやら、色々と疑うべき余地はあるのだが……。
「にしても、なんであの天使さんはヤンを解放したんだろうな」
「さぁ~? 飽きたんじゃない?」
「飽きるって。んなアホな」
実際のところ、何故、天城が、ヤンを開放し、俺の元へ戻したのかということについて俺は知らなかった。考えられる可能性といったら、なんだろう──俺の被虐的思考が神をも凌ぐ慈愛の精神で満ち溢れているという判断をして、俺は地獄に堕ちないだろうと判断してくれたとか、かな……
「お前はもうどうやっても地獄に堕ちてしまうから天使が更生させるのを諦めたんじゃね?」
「あ、マジか」
そっちか。
「まぁ、ほら、やっぱ天使って本当は全て救わないといけないんだろうけどさ~、お前はもう地獄確定だから、天使がどうしようが、魂が天使のもとに行くことはないからじゃね? やったな!」
「天使に見捨てられたってことか」
「やったぁ~」
「ま、俺も、地獄上等みたいな宣言したしな……」
その懲役刑は罪人を更生させるためにあるものなので、無期懲役にしても更生する見込みがない一方で死刑にすることは天使の権限ではできないから釈放、みたいなノリか。やったぜ。やったのか……?
「何はともあれ、これで、お前の魂はボクのもの、ってことだな!」
「……あー、そうだったな、そういえば」
「そういえばってなんだよ。あ、そうえいば」
「そういえばってなんだよ」
「ちょっと、ちょっと」
ヤンはそう言うと、いきなりベッドの上にてとてとと移動して、端に腰かける。そして、ぽん、ぽん、と軽くベッドを叩き、俺を手招きする。なんだなんだ? 誘惑? 誘惑なの? それは!
俺は、これまでに繰り広げられていた悲喜こもごもな話の内容を全て瞬時に忘れるというハイパー煩悩俺様パワーを発揮することによって気持ちを瞬時に切り替え、ベッドのヤンの隣に腰かける。ベッドに腰かけた感触なんてどうでもよく、隣にヤンが座っている、そして、ここがベッドという魅惑の戦場であるという事実のみで俺の興奮は高まっていく。
俺はすぐにヤンへと目線を移す。一体どういう風の吹き回しか、唐突にこんなサービスシーンを俺に提供してくれるだなんて、天城に何か変なことを吹き込まれているんじゃないかという俺の疑問は、けれども、煩悩の前では実に無意味で滑稽なものと化し、すぐに脳の果てへと葬り去られてしまった。
ヤンの息遣いが聞こえる。ヤンのにおいが分かる。
ヤンがそっと、さりげなく、俺の太ももの上へと手を置いて、体を僅かにこちらへ傾け、語り掛けてくる。
「迷惑、かけたからさ……今日は、ちょっとサービスしてやるよ……」
さらりとした金髪。じとっとした目。毒舌──ではなく、デレ。加えて、魅力的な太ももと、美少年らしい腰回りの太さ、身体つきが目に入る。た、たまりませんぞぉ、たまりませんぞぉ、俺は、ふんすふんすと息を荒げそうになりながらも、ここで俺の興奮を表に出してしまうととっても残念なことになるということを学習しているため、ヤンの行為にのっかるべく、無言でヤンの腰へと手を回す。
俺とヤンの身体の距離が徐々にゼロへと近くなっていく。服と服が擦れあう音だけが部屋へと響く。この優美な時間、ここが、天国ってやつか? うん、間違いないな、英語で言うとヘヴン。
ヤンを抱きしめるような形になる。ヤンの柔らかな金髪が俺の頬へと当たり、ヤンの身体が俺の身体へと触れる。解説しよう、俺が大好きな男の子のポイントとして、お尻があげられる。無論、お尻とは本来女性の身体つきにおいてより強調されるものだという論もあるが、一方で、男の子の柔らかめのお尻というのもまた魅力的であり、熟語にある、尻に敷かれるという現象については、是非とも、物理的に尻に敷かれたいものだななんて俺なんかは思ったりするのだが、諸君はどうだろうか? 尻に敷かれたいだろう? 美少年の尻に、精神的にも、物理的にも敷かれたいだろう? そうだろう、そうだろう。
そんな美少年の尻、言い換えると、美少年のけつに俺は手を伸ばそうとしていた。
「お、お、いいん、だよな? ほんとに」
沈黙にたまりかね、天罰でも下らないかと心配になった俺は、思わずヤンに尋ねてしまう。ここ言う、いいんだよな、というのは勿論、この先、ヤンくんに色々と淫らなことをしてしまう可能性がありますが、それらのことについて一切俺を責め立てることなく、かといって、やだ、もう、ばか、等の拒否に見せかけた肯定以外の拒否発言をすることなく、俺がこれから行おうとすることについて全面的に許容をしてくれるんだろうな、という意味の、いいんだよな、である。いいんだよな、一つとっても、ここまで沢山の意味を含んでいるのだ。
それに対するヤンの解答は以下の通りだ。
「んっ」
俺は確信した。これは紛れもなくゴーサインである。これでゴーでなくてどこでゴーだというのか。ゴー、つまり、オーケー。いいんだよ、である。いいんだよな、という問いに対して、ヤンは、いいんだよ、と答えたと言い換えることができよう。
よぉし、俺、頑張っちゃうぞぉ! そのままヤンを抱えるようにしてベッドに押し倒し、上から覆いかぶさる姿勢となる。
ヤンの顔と俺の顔との間にあるほんの僅かな隙間が俺の理性の隙間である。この隙間を完全に押しつぶすことによって俺は神になるのだ。天使を超えるんだ。神にー! 神にー!
俺はゆっくりゆっくりとヤンのぷわぷわした柔らかそうな唇を見つめ、狙いを定める。いくぞ、俺の口よ。俺の口はついに食べ物を食べる以外の目的を手に入れようとしているんだァア!
ヤンの表情は、とろんとしており、目を閉じている。
そうか、そうだな、えぇと、そう。こういう時は、俺も目を閉じるんだ。ヤンの唇の位置をしっかりと確かめた後、俺は目を閉じ、そっとヤンの唇へ俺の唇を合わせようと距離を近づけていく。
もうちょっとかなー、うーん、もう少しかなー? ぴたっ。俺の唇に、触れる。柔らかいなぁ~、あぁ~、こういう感じなんだぁ~。こんな時に、姫野のことを思い出すのも我ながらどうかと思うが、あの時は状況が状況で、ゆっくり楽しむ余地もなかった。今度は違う、というか、今度は俺からしてるんだしっ! ヤンもだいぶ分かってきたな、こうやって、自らの体を差し出すことが俺に対する最大の謝罪であるということを──あ~やわらけぇ~悪魔っ子美少年の唇サイコ~……
……?
あれ、なんか、いや、柔らかい、ような気はするけど……ンン~? おっかしぃなぁ、何故か俺の唇だけでなく、頬あたりにまで肌のようなものが接している感触があるぞぉ~? どういうことだぁ、これはぁ。
失礼ながら、失礼ながら俺は、目を開ける。状況を確認するためである。今、現在、俺の身に起きている、何かしらの異変を確認せねばならないのである。見るぞ、見るぞ、見るぞぉっ!
「おう」
目の前には、先ほどのとろんとした顔のヤンはいなかった。俺の下に仰向けに寝転がっている悪魔っ子美少年ヤンは、普段通りの実にジトっとしたその可愛らしい二つのおめめで俺の顔を見つめている。まるで馬鹿を見るかのような目つきである。いや、馬鹿を見ている気満々である。ヤンの目つきを見れば、彼が、俺という馬鹿を見下して見ているということは瞬時に理解できた。体勢的には、俺が思いっきりヤンを見下ろす形となっているのが、ヤンは間違いなく俺を見下している目つきをしているのである。
さて、じゃあ、俺の身に起きた異変とは何なのか。俺がヤンきゅんにちゅーをしようとしていたのに、俺の顔が特定の位置より先に前進することはなくなり、にも関わらず、俺の口に何かしらが触れている感覚があるのは一体どういうことなのか。
答えは簡単。ヤンが、俺の顔の進路を妨害せんとばかりに、俺の口を手で抑え込んでいるのである。俺はぶんぶんと顔を振って、ヤンの手をどけると言い放つ。
「な、なんだぁ! いいんじゃないのかよっ!」
ここで言う、いいんじゃないのかよっ、とはこれよりしばらく前にヤンに確認した、いいんだよな、と同じような意味であるということをここに明記しておこう。
「ばぁーか」
ヤンの返答。そして、唐突に俺の身体をヤンが掴むと、ヤンは俺とヤンの位置関係をそっくりそのまま反転させてくる。つまり、俺が下、ヤンが上、という形になったということだ。唐突な出来事に対処するには俺はあまりにも意識を興奮のみへと飛ばしてしまっており、ヤンの思惑通り、俺とヤンの位置は綺麗に入れ替わった。
あっ、でも、待って! これ、俺がヤンくんに上に乗っかられているってことだよねっ! やったあ~、などと喜んでいるのもつかの間、ヤンが文字通り見下ろした形で、
「ボクがお前にいいようにされる訳ないじゃん? ほんと、お前、学ばないよね」
「なっ、学ばない、ってお前……」
「ホラ、分かるでしょ」
「分かんねぇよ……」
「お、か、ね。というか、水ようかん」
「いやいやいや、待て待て待て! なんだ、何が、ホラ、分かるでしょ、なんだぃい! この姿勢で水ようかんを要求する奴がどこにいってんだぃい!」
無茶苦茶である! となると何かぁ? 今までの行為はヤンが俺に水ようかんを要求するために行われていたっていうのかぁ? おかしいよね! おかしいだろ!
「んで、あるの? ないの?」
ヤンがすんごぉくジトォーっとした目で俺を見てくる。はぁー、水ようかんがあるか、ないか、だって? そんなもん、お前、いきなりお前が今日帰ってきたってのに、用意してるとでも思うのかよ……と俺は言ってやりたいところだったが、
「……あるよ、冷蔵庫に」
あるんだよなぁ、これが。大人しく、大人しく、待ってたんだ、俺はな。帰ってくるとは到底思えないヤンのために、冷蔵庫に常に一本は水ようかんをストックするような生活をしてしまっていたんだよなぁ。
「おー、よくできる豚だぁ~」
ヤンはにんまり笑顔になったかと思うと、俺の身体の上から跳ね上がるようにして起き上がり、てとてとと冷蔵庫へと駆けて行ってしまった。




