第10話
グレーウィークが過ぎてから少しの時間が流れた。相変わらず、俺は、バイトちまちまに加えて、日課となったヤンくんと接する日々を過ごしていた。
正直に言って、よい。ヤンという存在がいるのだから、もはや俺にこれ以上望むものはないのではないか、とも思える。
けれど、人間というのは不思議なもので、一つ満たされればまた一つ、また一つ、と更なる高みを目指したくなる生物なのだ、残念なことに。一つの原因として、姫野さんとわりとのっぴきならない仲になってしまったということもあるだろう。
俺は心のどこかで思ってしまっているに違いない。姫野さんが何かしらの理由で──例の有名絵師関係の理由で、俺を利用しようとしていようとも、それがきっかけで、俺に少しでも好意を抱いてくれないだろうか、と。何かの間違いで──それこそ、ヤンが俺の間違いによって召喚されてしまったように、世界のゆがみだろうが、ひずみだろうが、何かしらの奇跡が起きて、姫野さんが俺に惚れてしまうことを。
人生諦めなければなんとかなるもんだ、俺はそんなことを思っているのだろう。為せば成る、なんとやら。
なんてことを考えながら講義を受け終わり、何故か隣で講義を受けていたヤンと共に今日も今日とて俺の城、俺の愛の巣へと帰ろうとしていた時のことである。
「ちょっといいだろうか?」
話しかけられた。誰にかって? それが驚くことなかれ、驚くほどの美青年。見る人皆がありがたがる全校生徒の憧れの的とでも言おうか、その人である。ううん、見れば見るほど綺麗だ。清潔感に溢れていると言おうか。近くで見ると良く分かるが肌が綺麗というのもポイントが高いだろう。やはり、文句なしの美青年。俺は勿論ヤンきゅんの方が断然好みであり、守備範囲かどうかと聞かれると少し考えさせてもらわないといけないが、芸能人に匹敵するどころか追い抜いていると思える。
先述のように、変な宗教がどうだとか、はたまた、女遊びがどうだとか、あまり良くない噂を耳にはすれど、実際のところどうなのかは分からない。それでも、こんな綺麗ならそりゃ女遊びもできるだろうし、信者だってホイホイついてくるに違いない。
「──特に、そちらの、男の子」
だが、どうやら話しかけてきたのは、俺だけにではないようだ。この言葉を聞くに、ヤンに、だろうか。むむっ、これはいかん、もしやこいつ、その類まれなる美貌を駆使してヤンを篭絡しようとでも考えているのではあるまいか。いくら契約を結んでいるからといって、ヤンとはまだゴニャゴニャもしたことがないというのに、こんな美青年に目を付けられては堪ったものではない。
謎の宗教に勧誘されるなら俺が断ればいい話だが、ヤンが天城光霞の信者になってしまうのは避けたい。
しかし、心配することなかれ。以前、この男光霞と接触した時のヤンの顔を俺はしっかりと覚えている。あの険しい目つき。ヤンにとって、天城光霞は心地よい存在ではないということを意味していたに違いない。
「……なんだよ」
「わっ」
ヤンのこの上ない不機嫌そうな声に、俺は思わず変な声を出す。一瞬、ヤンと光霞の注目を集めてしまうが、すぐにヤンは光霞へと視線を戻し、睨みつけている。光霞もそれに負けじとヤンを見下ろすようにして見ている。
ああ、感じる、感じるぞ、色々な空気を。悪い空気に違いない。恐ろしい、何が始まるって言うんだ……。美少年対美青年、精気の──間違えた、世紀の大対決でも始まるっていうのか。
「少し、話がある」
俺は、そんな二人に挟まれるようにして肩を小さくして二人を交互にきょろきょろと見る。立ち去りたい。立ち去っておうちでヤンとやんやんしたい。やんやんいちゃいちゃやんやんいちゃいちゃ。頭の中で早く二人の会話が終わってくれと願うばかりだ。
「ボクはお前になんか話ないんだケド」
ヤンのこれ以上ない不機嫌そうな声。俺に向けられて発せられているものではないこんな威圧的な声はほぼ初めて聞くものだ。可愛らしい外見とは裏腹にその声は、これが悪魔かと言わんばかりの恐怖を感じさせる。それだけ不機嫌ということだろう。
「君になくても私にはあるんだ」
そう言う光霞はわずかに微笑んでいるが、どう見てもその微笑みは好意を向けたものではない。ヤンの不機嫌そうな顔とは正反対の表情であるものの、抱いている感情はきっとヤンと似通ったものに違いない。嫌悪が見え隠れしている、とさえ思える。
「ボクにはないって言ってんだろ。おい、行くよ」
ヤンはそう言うと、俺の腕を掴んで立ち上がり、その場から離れようとした。しかし、光霞がそうはさせてくれない。すかさず俺のもう片方の腕を握ると、放すまいとばかりに引っ張り上げる。
「いた、いたい! いたい!」
俺は美少年と美青年に二人で引っ張り合いをされるなんていうまるで俺を巡って美少年と美青年が奪い合いをしているかのような、のふふ、うふふ、な体験を中断させるべく思わず二人の腕を振り払ってしまう。ヤンの腕を振り払う気はあまりなかったのだが、二人がそれぞれ馬鹿みたいな力で引っ張ってきたものだから、振り払うにはそうするしかなかった。
「…………」
「…………」
再び俺を挟んで二人が睨み合う。そして、俺は気づいた。周りに数人の人だかりが出来ているということを。無理もない、天城光霞はもちろんのこと、ヤンだってそれなりに目立つ身なりをしている。この二人が何やらおっかない言い合いをしようとしているのだ。人が集まっても当然と言える。
「おいおい、二人とも、俺には何が起こっているのか全然分からないけど、ホラ、周り見てみろって……!」
「…………」
「…………」
それでもなお睨み合う二人であったが、互いに、人に囲まれている状況はあまりよくないと判断したらしく、ヤンが一人講義室を出て外へと歩いていくと、それに連れて光霞もまたヤンと同じようにその後ろを行く。俺も一人でいる訳にもいかず、周りにぺこぺこと頭を下げつつ、何でもないから気にしないで、といったような風をして外へと出ていく。
ヤンがそのまま帰ろうとしていたため、光霞が止める。再び睨み合いが始まる。場所は人通りが少ない教室練の裏であるから、先ほどよりはだいぶマシだと言えるが、俺の心境としては、何より、帰りたい。何が始まるのか知らんが、帰りたい。
「早速本題に入ろうか」
光霞が告げる。ヤンも、そろそろ観念したのか、逃げることをやめ、光霞を睨みつけることによってその返答とする。あくまで、お前に話すことなんてない、といった態度だ。ゾクゾクしちゃう、けど、やっぱり怖い。
だが、次の瞬間、光霞の口から出た言葉は、俺にとって信じがたいものだった。
「君……悪魔だよね?」
何をどうあって、ヤンが悪魔だということを知ったのかは知らないが、いきなりそんなことを言い出すものだから、俺は焦る。当の本人、ヤンは全く焦っていないようである。一体、どういうことなのだろうか。この二人の間に入っていく訳にもいかず、俺は驚く中、ただただ見守ることを余儀なくされる。
「それで?」
ヤンの返答はあっけらかんとしたもの。まるで、そんなものはバレてることなんて知っているといったような表情だ。天城光霞、一体何者なのか……。もしかして、本当に悪魔祓い!?
「君たち悪魔が、誰かと契約して何かをするなんてのは──正直、私個人としては鬱陶しいことこの上ない、が、許そう」
そして、光霞の表情がにこやかな笑みから険しいものに変わっていく。
「けれどね、何か、使っただろう、力を。魔力を感じるんだよ。それはダメだな。それは許されない。勝手に契約して、アホの魂を狩るくらいなら見過ごしても良かったんだが……ね」
うわ、なんだ、なんだ。ただならぬ雰囲気だ。うん、悪魔がいるんだ、悪魔がいるんだから、それの正体を悟る人や、魔力がどうこう、魂がどうこう言う人がいるのもあり得る話だとは思う。あ、でもなんか、俺、馬鹿にされてなかった? 今。おかしいなぁ、馬鹿にされた気がするぞぉ。
「ふーん、それでぇ~? どうしようってのさ」
光霞が冷たい目をしているのは、明らかに怒りを含んでいるのだろう。けれども、ヤンはそんな光霞相手に全く怯む様子はない。まだまだ鬱陶しがっている。お前なんて相手にする気はない、という顔だ。嘲笑も含まれているだろうか。
「そうだな……」
ここで、俺のお粗末な頭で何が始まるかを考えてみよう。光霞が何者かということは置いとくとして、ここまでの話で分かるのは二つ。光霞はヤンのことを良く思っていないということ、そして、光霞はヤンが何かが起こる魔法の呪文~を唱えたことを知っているということ、だ。
整理すれば分かることだが、これ、どう考えても、俺、無関係じゃないよな。俺めっちゃ関係あるよな。アホな魂だけど関係あるよね。そして、このヤンと敵対する男が何をするのか、ヤンと光霞の間に何が起きるのか……。冷静に考えて、戦いとかじゃないだろうか。魔法を使った大決戦とか、そんな感じだろうか。その激戦に俺は巻き込まれたりするのだろうか。魔力によって消し炭になってしまったりするのだろうか。困った……困ったぞ、俺はもっと、じわじわじわじわいぢめられたいというのにそんな大迫力の激闘が始まってしまったら俺の夢が砕け散ってしまうではないか。
「そうだな──ここは、一つ」
やめてくれ、天城光霞、ヤン、もっと平和に行こう。俺は戦いが始まることを想定して、光霞の言葉を遮るようにして平和第一を掲げようといざ割り込もうとした、のだが、
「話し合いで決めよう」
なんて光霞が言うものだから、思わずずっこけそうになる。おーい、めっちゃ平和やないかーい。そっかー、そんな平和に物事を解決できるのか~。素晴らしいな、言葉って。
「ケッ、んな馬鹿なことやってられるかーっての~! ボクがお前なんかコテンパンにやっつけちゃ──」
「おーっと! ヤンくん! だめだめぇ~、ここは一つ、この人の言うことを聞いて話し合いで決めようよ、ね、ね?」
俺は好戦的なヤンを止めようと抱き着かんばかりの勢いで止めにかかる。大体、相手の方がなんか自信とか、威圧感とか、ぶっちゃけ底なしな怖さがあるし、挑むもんじゃないでしょう! 様子見、様子見。
俺が必死に止めたからか、俺の顔にヤンきゅんの手形が一つついたことと引き換えに、なんだかんだでヤンと光霞は話し合いとやらをすることになった。良かった良かった。
「じゃ、話し合いの場所はぁ~」
「いいよ、食堂で」
俺が考える隙もなく、ヤンが嫌そうな表情をして言う。なんか大事そうな話し合いになりそうなのにそんな部外者だらけの場所でいいのだろうかと俺は思うが、
「いいでしょう」
と光霞が言うものだから、文句を言う理由はなくなってしまう。なんだ、そんなもんなのか、悪魔祓い(仮)よ。
という訳で、俺とヤン、光霞は早速場所を食堂へと移す。こんな場所でこれまた厄介な話し合いが行われるだなんてこの場にいる誰が想像していようか。学生の味方、食堂、万歳。
「……で、なんだよ、天使さん」
席に座った俺たちの中で、最初に口を開いたのはヤンだった。……ん??
「んん? 天使?」
俺は思わず口を挟んでしまう。誰が天使なのか? ヤンきゅん? あ、ヤンは悪魔だわ。となると、俺──な訳がなく、天使と呼ばれているのは残る一人天城光霞ということになる。
「……知らなかったの……」
ヤンがものっすっっごい呆れ顔で俺を見てくる。いやいや、そんなこと言われまして、いきなり天使だとかなんとか言われまして……。悪魔祓いじゃないのかよ。天使かよ。天使って身近にいるもんなんだな。へぇー。
俺は半ばやけくそで、
「はい、知りませんでした、お教えいただきありがとうございます。そして、以後よろしくお願い致します、天使さん」
と光霞へと一礼する。光霞は、ふんと小さく愛想笑いをしながらチラリとだけ俺のことを見た。わ、なんか、ちょっとだけゾクゾクしちゃった、おじさん胸キュンッいかんいかん……冷静を取り戻せ、俺。今、俺が味方につくべきなのは、きっと、多分、ヤンくんなのだ。ゾクゾクしちゃって胸キュンしちゃっている場合じゃないっ!
「あー、てことは、天使と、悪魔、か、はは」
俺の小さな笑いは、
「何が面白いの」
というヤンの鋭い睨みでかき消される。うわっ、険悪ぅうう! こわっ! これ、どうやら俺は大人しくしておいた方がいい気がするぞ……。




