『ごもっとも』
僕には、たとえ話が通じない友人がいる。
通じない、というより、通した途端に分解される。
そして、少しでもおかしな部品があると、その場で返品される。
彼を最初に見たのは、小学校に入って初めての運動会だった。
担任の先生が、赤組の列に向かって叫んだ。
「雑草魂で最後まで頑張れ!」
その瞬間、隣にいた彼が怒鳴った。
「俺は雑草じゃねぇ!」
校庭の一角だけ、音が引いた。
先生は目をぱちくりさせた。
励ましたはずの言葉に、小学一年生が真正面から抗議してくるとは思っていなかったのだろう。
「いや、そういう意味じゃなくてだな……」
「じゃあ、どういう意味だよ。踏まれても刈られても黙ってろってか? 俺は踏まれたくも刈られたくもねぇ!」
ごもっともだった。
先生は困ったように笑った。
けれど、すぐに黙った。
「……そういえば、俺も若い頃、先生に『腐ったミカン』って言われたことがあったな」
先生は遠い目をした。
「そのとき、俺は言ったんだ。『俺はミカンじゃねぇ』って」
そして先生は、なぜか彼に謝った。
「すまん。お前は雑草じゃない」
「わかればいい」
彼は腕を組んでうなずいた。
背は小さいのに、態度だけは校長先生のようだった。
それから、僕と彼は友人になった。
彼は基本的にはまっすぐなやつだった。
ただ、飾った言葉を嫌った。
気持ちさえも飾っているようで。
見えづらくしているようで。
それが、凄く嫌らしい。
中学生の頃、彼がひどく落ち込んでいたことがある。
玉砕覚悟で、好きな女子に告白して、玉砕したのだ。
僕は、なんとか慰めようとした。
「止まない雨はないよ」
彼は涙目のまま、僕を見た。
「なんで今、落ち込んでる俺に天気の話した?」
「いや、そうじゃなくて。つらいこともいつか終わるって意味で」
「じゃあ最初からそう言えよ。俺の心を勝手に雨雲にするな」
ごもっともだった。
それ以来、僕は彼の前で、なるべくたとえ話を使わないようにした。
しかし、油断すると出てしまう。
人は思っているより簡単に、他人を天気や植物にしてしまう。
高校の部活でも、事件は起きた。
顧問が言った。
「お前たちはまだ小さな種だ。いつか大きな花を咲かせろ」
彼はすぐに手を挙げた。
「先生、俺たちは園芸部に入部したんですか?」
「違う。野球部だ」
「では、花を咲かせる予定はありません」
「そういう意味ではない」
「比喩ですか?」
「比喩だ」
「人間を植物に置き換える必要、ありますか?」
ごもっともだった。
顧問は黙った。
就職活動のときもそうだった。
説明会で人事担当者が、白い歯を見せながら言った。
「弊社では、泥の中でも咲く花のような人材を求めています」
彼は小声で僕に言った。
「衛生環境が悪すぎる」
「そこじゃないだろ」
「泥の中で咲く花を求める会社って、まず泥をどうにかした方がよくないか?」
「まあ……それはそう」
「だろ」
ごもっともだった。
社会人になってからも、彼は変わらなかった。
上司が言った。
「若いうちは根を張る時期だ」
彼は真顔で答えた。
「私は人間なので、根は張れません」
「そういう意味じゃない」
「では、どういう意味ですか?」
「基礎を固めろということだ」
「では、基礎を固めろと言ってください」
ごもっともだった。
上司は眉間を押さえた。
彼は、まあまあ嫌われた。
本人もわかっていたと思う。
でも、直す気はなさそうだった。
正直、面倒くさいと思うことはあった。
何度もあった。
それでも、少しだけ感心していた。
前向きな言葉は、たいてい何かを別のものに置き換える。
人間を雑草にする。
心を雨にする。
苦労を肥料にする。
悲しみを冬にする。
成功を花にする。
そうすると、言葉はきれいになる。
言った側も、少し救われた気分になる。
でも彼は言う。
「それ、本人の話じゃないよな?」
言われてみれば、そうだった。
泥の中でも花は咲く。
たしかにきれいな言葉だ。
でも、泥の中にいる人間に向かってそれを言ったところで、相手は花ではない。
そもそも泥から出してやれ、という話である。
雑草魂。
強そうには聞こえる。
でも雑草だって、好きで踏まれているわけではない。
踏んだ側が「強いね」と褒めるのは図々しい。
止まない雨はない。
それも事実かもしれない。
ただ、今ずぶ濡れの人間には、空の話より、傘かタオルか屋根の方がありがたい。
そんな彼が、ある日また落ち込んでいた。
仕事で大きな失敗をしたらしい。
僕は隣に座った。
何か言わないと、と思った。
明けない夜はない。
冬来たりなば春遠からじ。
枯れたように見えても根は生きている。
どれも、口に出す前から駄目だった。
俺は夜じゃねぇ。
季節の話をするな。
根はない。
彼の声が、頭の中で勝手に再生された。
だから僕は、少し考えてから言った。
「つらいな」
彼は顔を上げた。
「うん」
小さな声だった。
「つらい」
「今日は、何もしなくていいんじゃないか」
「うん」
「うまいことは言えないけど」
僕は彼の横顔を見た。
「僕は君を心配してる」
彼は黙った。
怒鳴らなかった。
ツッコまなかった。
ただ、少し目を伏せて、長い息を吐いた。
「俺を見てくれて。ありがとな」
■おわり■




