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セッション6 地下第3スタジオ

2026年2月3日〜2月25日

毎晩21:30〜26:00

BEGINNING Records 地下第3スタジオ(完全防音・関係者以外立入禁止)スタジオの照明は、ピアノの上だけが点いている。

ヤマハCFXフルコンサートグランドが、黒光りする床に鎮座している。

壁は全面吸音材、足音すら消える。零はジャケットを脱ぎ、黒のタンクトップ姿。

腕のタトゥーがはっきりと見える。

普段の優しい笑顔は完全に消えている。

凛はマイクスタンドの前に立ち、両手を前で組んで、背筋を伸ばす。

「準備いい?」

「はい……いつでも」

零の指が鍵盤に落ちる。

テンポ78、容赦ない4つ打ちのイントロ。

凛が歌い始める。

「雪が溶ける前に、ぎゅっと抱きしめて――」

零が即座に右手を上げる。ピアノがピタリと止まる。

「息が浮いてる。最初の『ゆ』で既に0.2秒遅れてる。

 もう一度。腹の底から、スタジオの壁を突き破るつもりで」

凛は小さく頷き、目を閉じる。

再開。今度はサビまで進む。最高音の直前で、零がまた止める。

「喉締めてる。開け。

 頭のてっぺんから、屋上まで抜くイメージ。

 喉はただの通り道。力入れるな」

凛は汗を拭い、少し笑った。

「織田さん……レッスン中、めっちゃ怖いです」

「怖い?」

「はい。でも……めちゃくちゃ楽しいです」

零は一瞬、眉を上げて、それから小さく吹き出した。

「……変な子だね」

「だって、初めて本気で怒られながら歌ってるんです。

 配信のときは誰も直してくれなかったから……

 全部『まあいっか』で終わってた」

零はため息をつき、

でも口元が緩んでいる。

「じゃあ、もっと本気でいく。 覚悟して」

それから3時間、容赦なかった。

「ビブラートが甘い。揺らすな、突き刺せ」

「子音が死んでる。『つ』を『す』にしてる」

「感情が先走ってる。まずは音を正確に届けてから泣かせろ」

「0.03秒のズレが命取り。プロはズレない」

「もう一度。100回目でも最初と同じ精度で」


凛は汗だくで、何度も何度も繰り返す。

でも、目がどんどん輝いていく。

零が弾くピアノは、まるで生き物のように正確で、

凛はそのリズムに必死で食らいつき、次第に完全に同期していく。

25日目の夜、深夜2時12分。

零が最後に弾いた「夜に駆ける炎」の最終サビで、

凛の声が、スタジオの天井を突き抜けた。

完璧だった。零は鍵盤から手を離し、

初めて椅子に腰を下ろした。

「……今の、完璧」

声が、少し震えている。

凛はマイクを握ったまま、涙を浮かべて笑った。

「本当に……?」

「うん。もう、誰にも負けない」

零は立ち上がり、凛の前に歩み寄り、そっと両肩に手を置いた。

「凛、ありがとう。

 こんなに真っ直ぐ吸ってくれる生徒、初めてだよ」凛は涙をこぼしながら、零の胸に額を軽くつけた。

「私……織田さんのピアノに合わせるの、世界で一番好きです。

 まるで、織田さんと一緒に生きてるみたいで」

零は一瞬言葉を失い、

それから優しく凛の頭を撫でた。

「……私もだよ」スタジオの時計は2時28分。

外は雪が降っている。


挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)

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