セッション4 BEGINNING Records
2026年1月6日 午後8時42分
BEGINNING Records 本社・最上階 神崎社長室窓の外、東京の夜景が凍りついたように光っている。
暖炉風のヒーターが赤く揺れ、部屋には古いギターの匂いとコーヒーの香りだけが漂っていた。
神崎龍一は、革張りの椅子に深く腰掛け、
1988年の設立当時の写真を指先で撫でていた。
そこにはまだ20代だったTAKUと、創業者の永戸大河が笑っている。
「もう38年か……」
神崎は小さく呟き、壁に飾られたゴールドディスクの山を見上げる。
一番上に飾られているのは、Dzの
『LOVE PHANTOM』
1995年に300万枚を売り上げた、日本ロック史に残る一枚。この部屋には、BEGINNINGのすべてが詰まっている。
1988年。
永戸大河という一人のギタリストが、六本木の小さなスタジオを借りて立ち上げたのが始まりだった。
最初はただの「自分の曲を録りたい」というわがまま。
しかしそのスタジオに、たまたま遊びに来た若きTAKUがギターを弾き、稲葉晃司という青年が歌い、1988年、Dzは生まれた。
それが、すべてのはじまりだった。Dzは日本を蹴り上げた。
スタジアムを埋め尽くし、テレビを壊し、
「ロックは売れない」という常識を粉々に砕いた。そして1991年。
TAKUが「女の子にも届くロックが作りたい」と言い出し、
Zephyrは誕生した。
ボーカルは謎のまま、顔を出さず、
澄んだ歌声は日本中に響き渡り、誰もが泣いた。
その後も、
WAVE、
Eternal Flame、
Dawn、
Horizon View……
90年代のBEGINNINGは、まさに“黄金時代”だった。
アニメ『名探偵アガサ』の主題歌をほぼ独占し、
街を歩けばどこかでBEGINNINGの曲が流れていた。しかし2000年代、デジタル化、違法ダウンロード、
そして2001年の「印税不正申告事件」。
レーベルは瀕死に陥った。それでも、生き延びた。
Dzが帰ってきた。
Zephyrの遺作が再びチャートを駆け上がり、
TAKUが「まだ終わらせねえ」と宣言した。
2023年、社名はB ORIGINに変わった。
でも、レーベル名は「BEGINNING」のまま。
「始まりの音を、終わらせない」
それが、38年間変わらない信念だった。
神崎は立ち上がり、
壁に新しく掛けられた小さな枠を指でなぞる。
まだ何も入っていない、空白のプラチナディスク枠。
そこに、2026年5月14日、
新しい名前が刻まれることになる。「リン」神崎は呟いた。
「Dz以来、いや…… もしかしたら、それ以上の歌い手かもしれない」TAKUが言った言葉が、頭に蘇る。「社長、あの子は“奇跡”だ。
俺たちが30年守ってきたBEGINNINGの、
次の“始まり”になる」神崎は窓に近づき、
東京の夜景を見下ろした。
六本木のどこかで、今も会社員のまま、
普通の部屋で歌っている黒髪の歌姫がいる。
彼女が「YES」と言ったとき、BEGINNING Recordsはまた、新しい歴史を刻む。Dzが開いた扉を、
Zephyrが優しく包んだ道を、
今度は「リン」が、
静かに、でも確実に、歩き始める。このレーベルは、
決して“終わり”を許さない。「始まりの音」を、
永遠に響かせ続けるために。神崎は小さく笑った。
「さあ、始まるぞ」
外の雪はもう止んでいて、
東京の夜空に、
新しい星がひとつ、
静かに灯り始めていた。




