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さわさわと戦ぐ風が髪を揺らす。
不意に意識が浮上し、風に揺れた木の葉と草の音、川の流れる音が耳に届いた。
そして鼻を掠めるのは肥沃な土と草の匂い。
――どういう事?
私は外に出た覚えはない。
土や草の匂いがしている時点で違和感を感じる。
私が住んでいる場所では街路樹にしか植物は存在しない。駅から自宅までの地面は全てコンクリート。更に言えば、川が流れる音がする場所に住んでいない。
――さっきから感じてる、全身ずぶ濡れ感はナニ?
おそるおそる目を開ければ、目の前に広がるのは大自然の森。
そして自分は川べりに打ち上げられたような状態だった。
「どういう事? いつ川に流された?」
頭の中がパニックになる。
すると目の前に現れた透明なモニタに、自分のものらしきステータスが表示された。
――私の名前と年齢が違う。
アンジェリアって誰?
しかも十五歳!?
バントック王国のアトキンズ侯爵家の長女?
母親は病死で、父親と双子の兄は健在?
――いや、意味が良く分からないっつーの!
「魔力? え? 魔法が使えるの?」
地球には存在しない魔法――っていう事は、私は異世界に転生した事になる。
「ちょっと待って……これまでの記憶がないんだけど? 昨夜は普通に仕事をして、自宅の部屋で寝たはず」
完全に地球上にある日本で過ごした記憶しかない。
「久保田杏珠三十八歳の会社員。アラフォー独女で活字中毒。趣味は読書と動画鑑賞。ついでに言えば料理と手芸が好き」
久保田杏珠としての記憶はあるのに、アンジェリアとしての記憶は一つもない。
こういう時って前世の記憶を思い出すと同時に、今世の記憶も混ざって緩和するんじゃないの!?
「細かい事は後でゆっくり考えるとして、ずぶ濡れの状態でいるのはヤバいよね」
立ち上がろうとした時、水面に映った自分の姿に再び驚く。
陶器のような白い肌にキラキラと輝く長い銀髪。日本人には有り得ない青紫色をした大きな瞳。精密に造られた人形のような鼻梁と、紅を塗っていないのにピンク色をした艶やかな唇。
幼さが少し残る顔は、これまで見た事がない程の美少女だった。
そして西洋の中世時代の貴族が着ていたようなドレス姿。
「この子、物凄く可愛い顔をしている。実際は自分の顔なんだろうけど……初めて見た顔だし。いやぁ……この顔は反則だよね。中身が自分っていうのが残念すぎるわぁ……」
まじまじと自分の顔を眺めた後、ステータス画面に表示されていた空間収納の中を確認する。
空間収納の中には着替え用の衣類は勿論、大量の金貨と宝石類に加え、なぜか家具類まで豊富にあった。金貨は一生遊んで暮らせるだけの額である。
これは実家であるアトキンズ侯爵家にあった私物だろうか。
自分の部屋にある家具類を収納しているなら、どこかへ移動する途中で川に落ちて流された可能性が出てきた。
その衝撃で記憶が消滅した説も有り得る。
「まず先に着替えと……そうだ、魔法!」
異世界ものは色んな作品を読破しているので、魔法が想像力というのは承知しています。
ドライヤーの温風をイメージすれば、一瞬で髪が渇いた。
こんな森の中をドレス姿で動くのも厳しいので、空間収納の中にある一番質素なワンピースに着替え、それを魔法でフード付きのチュニックに改造。
ウエストは皮ベルトを装着。チュニックの丈が膝上までだから、ボトムはスラックスだろう。靴も山歩きに向いてそうな膝上までのレースアップのブーツに変えておく。
長い髪は後ろで一つにまとめた。
再び川の水面で自分の姿を確認する。RPGゲームの旅人っぽい感じを意識したもの。ドレス姿で森の中を彷徨うより、旅人っぽい装束の方が歩きやすい。
「さて、人がいる場所を探そうかな」
まずは人が住んでいる場所に出ないと、自分が進むべき道が分からないのだ。
「大体さぁ……日本の常識しか知らない自分が、この世界の常識が分かるはずないよね。所持金ゼロだと思っていたから、お金の心配をしなくて済むけど。この世界の通貨の価値が分からないのは痛手かなぁ」
空間収納に保管されていたのは金貨六千八百万枚と、銀貨二千五百七十三枚。
日本円にして幾らになるのか?
これまで読み耽っていた異世界ものだと、銀貨を日本円に換算すると一万円という作品が多かった。鉄貨は百円とかで、銅貨は千円単位だった記憶がある。
しかし作品によって金貨一枚は十万円だったり、百万単位になっていたりするのだ。
「人がいる場所で確認しないと……って、何これ?」
足元に視線を落とすと、「月光草」と辺り一面に文字が表示されている。
草を積むと「月光草 状態良好:高額買い取り可能」と表示が変わった。
「もしかして草を摘めばお金になる?」
私は表示されている場所へ向かって腕を伸ばし、綺麗に刈り取るイメージを頭に思い描く。表示されていた草は一瞬で刈り取られ、勝手に空間収納の中へ入っていった。
「マジで!? 凄くない?」
モニタ画面を確認すると、「月光草 千二百束」と数まで表示されている。
「異世界ヤバい!」
なんて便利な魔法だろう。
私は調子に乗って表示されている草を片っ端から刈り取っていく。
ある程度、草を刈り取って満足した後、ようやく本気で人が住む場所へ移動しようと歩き出す。てくてくと歩き進めるも、見渡す限り森の景色しか映らない。
それでも明るい方へ足を向けるしか選択肢がないのだ。
まだ鬱蒼と茂っていないだけマシだろうか。木々が密集していたら歩きにくい上に、どこを歩いているのか分からなくなって遭難する。視界が開けているからこそ、明るい方へ歩き進めれば森から出られるという考えだ。
どのくらい歩いたのか。
軽く数時間は経過していると思う。いい加減に足が疲れてきた。
「お嬢さん、道に迷った?」
頭上から声がして顔を上げると、太い木の枝に三十代くらいの男性が立っているのが見える。
その男性は枝から飛び降り、私の目の前に立っていた。
「そう怖がらないで。俺は怪しいものじゃないよ。アスクウィス冒険者ギルド所属で、そこの副ギルド長のアレン。これでも元SS級冒険者だ」
「元冒険者? 副ギルド長って偉い立場の方ですか?」
「ギルドに所属しているだけの身分で、別に偉い立場ではないな。たまに古くから付き合いのある人から指名依頼を受けているんだ。お嬢さんこそ、このブロンソン大森林に何の用があっているのかな? ここは森型のダンジョンで魔獣が多く生息している危険な場所なんだ。お散歩コースには向いてないよ」
森型のダンジョン!? それに魔獣?
ますます異世界っぽい!!
「いえ迷子ではなく遭難していたようです。どうやら川に落ちて流されて辿りついたのが、この森の奥にあった大きな川だったんです。ひとまず人が住んでいる場所へ進もうと歩いていたんですが、景色が同じで彷徨っていたみたいですね」
「ああ、なんだ漂流されてきたのか」
「それと一つ訊ねたいのですが、ここはバントック王国ですか?」
「バントック王国? いや……此処はブルックス帝国。そしてアシュベリー公爵家が治める領地だ。お嬢さんはバントック王国から流されてきたって事か? 此処からバントック王国まで、かなり距離がある。良く無事でいたな」
アレンの説明だとバントック王国という場所は、此処から遠く離れた場所にあるらしい。
通常の馬車移動だと、片道で約二か月の距離。飛行移動が可能なら、最短で十五日ほど。
それだけブルックス帝国の国土面積が広いらしい。
バントック王国は地図上で見れば、コットン王国を挟んだ向こう側に位置している。
私はバントック王国からコットン王国を越え、ブルックス帝国まで流されたらしい。
それなのに傷一つ見当たらなかったのが謎である。
確かに全身びしょ濡れ状態ではあったが、川を流されているなら岩とか流木で傷を負ってもおかしくないのに。もしくは川に流されているうちに、何かの衝撃で記憶を失ってしまったのか。
――さっぱり分からない。
「意識が戻った時、全身びしょ濡れで酷い有様でした」
私の言葉にアレンが苦笑を漏らす。
「命が助かっただけでも幸運だな。他国から漂流したなら、まずは身分証が必要になる。安直に言えば、冒険者登録をするのが一番だな。それがあれば身分証は勿論、この地が気に入れば住む事が可能になる。どうだ?」
冒険者登録をすれば身元が保証される。
その冒険者カードを持っていれば、賃貸を借りる事や家を買う事も出来るらしい。所持金は充分にあるけれど、生きていくのに収入源は必要だし、それ以前に拠点は最重要である。
「是非!」
「それじゃ、俺が冒険者ギルドまで案内するよ。手を貸して」
アレンの手に捕まれると同時に、視界が揺らいだ。
軽い浮遊感を感じたのは一瞬で、すぐに地面に足がついた感触にホッとする。
「転移魔法は初めてだった?」
なんと転移魔法で、あっという間に冒険者ギルドに移動していたらしい。
私にも転移魔法が使えるだろうか。
それが出来れば移動が楽になる。
冒険者ギルドは立派な石造りの五階建ての大きさだった。
大型スーパーの非じゃなく、ショッピングモールくらいの大きさだろうか。
一階フロアは買い取り専用窓口と、その奥には解体場。地下にはギルド経営の酒場で、夕方まで食事を提供し、夕方以降になれば酒場になるようだ。
二階はギルド職員の執務場で、三階から最上階の五階までは、駆け出しの冒険者向けの賃貸部屋らしい。賃貸契約は年単位も可能で、駆け出しの若い冒険者だけじゃなく、ベテラン勢でも独身の男女が多く利用していると教えてくれた。
若手だけが借りるには部屋数が多いと思っていたが、独身者にとっても住み心地が良いのだろう。
冒険者ギルドについて簡単に説明してくれた上に、地名までも教えてくれるなんて親切すぎるだろう。
「ここはアシュベリー公爵領のボートン区にある、正式名はアスクウィス市街。この地に住む人は、アスクウィス冒険者都市と呼ぶ。それだけ冒険者が多い街なんだ」
私が思い描いていた冒険者ギルドは、受付の人にクエストを訪ねたり、壁にクエストが貼り付けてあるのをイメージしていた。
実際は魔獣を狩ったら素材を売って日銭を稼ぐスタイル。
身内や知り合いに依頼を受ける形もあるようだが、冒険者ギルドを通すか通さないかで依頼料に差があるらしい。
冒険者ギルドを通した場合、冒険者の生命に関する保証がされる。おそらく危険手当というものだろう。それと同時に深手を負って動けなくなった時、その場に迎えに来てくれるらしい。
それとは対照的に、冒険者ギルドを通さなかった場合だと、自己責任として命の保証はないようだ。その代わり成功報酬は、ギルドを介さないだけ取り分が高額に跳ね上がる。
――ぶっちゃけ命の保証をしてくれる方を選ぶよね。
ギルドを通さない依頼者は、確実に裏側の人間だろう。
私に依頼が来ても絶対に受けないと思うが、そういった裏の仕事を受けるしかない人間もいる。脛に傷のある者だったり、家族の為に病む負えない事情を抱える者。
「先に冒険者登録を済ませた方が良い。窓口の人に言えば、簡単に手続きが終わる」
「色々とご親切にして頂いて、本当に有難うございます」
「まだ空き室が残っているはずだから、今夜の寝る場所も登録と一緒にすれば良いさ」
そう言い終えると、アレンは二階に続く階段を上っていく。二階はギルド職員の執務場と言っていた。副ギルド長なら多岐に渡る作業がありそう。これは勝手なイメージだが、あながち間違っていないと思う。
私は空いている窓口の方へ向かい、一人の女性に話しかけた。
「冒険者登録をしたいんだけど、ここで大丈夫ですか?」
目が合ったのは二十代後半くらいの女性である。
彼女への第一印象は淡々と事務的に作業をしそうな感じ。
「年齢が十歳以上でしたら登録は可能です。登録料に銀貨二枚かかりますが?」
「はい、大丈夫です」
私は空間収納から銀貨二枚を取り出す。
それを彼女の方へ差し、銀貨二枚を確認してから頷いて答える。
「そこの水晶玉に手を乗せて下さい」
彼女に言われて初めて気づいた。
受付台の上には、ゴルフボールくらいの小さな水晶玉が鎮座している。その上に手を乗せた瞬間、淡い光が点滅したので驚いて手が離れてしまった。
しかし、受付の女性は水晶玉から手を離したのに何も言わない。
その直後に金属のタグっぽいものが、私の前に差し出される。
「これが冒険者カードです。失くさないように気をつけて下さい。失くした場合、再登録にはペナルティで銀貨十枚になりますので、くれぐれも紛失だけはしないように。それから破損も同じです」
この世界の冒険者カードはタグのようだ。
紛失と破損すればペナルティで再登録料が増すらしい。
「それと……アレンさんから教えて貰ったんですが、賃貸の契約もお願いします」
「畏まりました。空き室がありますので契約は可能ですが、期間は決まっていますか?」
そういえば短期間から年単位まで、賃貸の契約が可能であると教えられた。
しばらく一人で考えたいのと、この世界について情報収集も必要だろう。
「お試しで三か月くらいを考えていますが、契約の更新って可能ですか?」
「二週間前に更新の有無を確認する通知が届きますので大丈夫ですよ。今回は三か月の契約という事で合ってますか?」
「はい、お願いします」
「三か月分の前払い料金は銀貨六枚です」
再び空間収納から銀貨六枚を取り出し、それを受付の女性へ支払う。
――賃貸一か月分が冒険者登録料金と同じなのか。
駆け出しの冒険者向けに料金が設定されているなら、相場よりも安いのだろう。
「こちらが部屋の鍵になります。家具付きの部屋なので、そのまま暮らせる状態となっています。部屋の掃除とリネン類の交換は、ギルド職員が毎日行っております。掃除が不要の場合は、ドアノブに札を下げて下さい」
部屋の掃除とリネンの交換まで!?
賃貸と言ってもホテルみたいなサービスをしてくれるのに、賃料が破格の値段なんて素晴らしい!
「食事は地下にある酒場でも可能ですが、テイクアウトをして部屋で食べる事も出来ます」
この受付の女性も淡々とした態度ながらも、親切丁寧に色々と教えてくれる。
一通りの説明を受けた後、鍵に印字されている番号の部屋を確認する為に向かった。階段を五階まで上がった先には、広い通路に幾つもの窓が並ぶ景色。
建物自体が大きいから、通路のスペースにも余裕が取れて広めの造りなのだろう。
この階だけで部屋が幾つあるのか。
自分の部屋番号を見つけて中へ入る。
「うわぁ……マジか!?」
部屋が広い。
そして清掃がしっかりしているのか、室内の清潔感が半端ない。
ざっと見て凡そ三十畳くらいの広さだろうか?
トイレと風呂は完備。クローゼットと簡易キッチンまである。
間取りは一部屋しかなのに、えげつない程広く感じるのは、日本の狭い部屋に住み慣れていたせいだろう。そして気になるベッドは木製だが、大きさは寝返りも打てるセミダブル。
大きなテラス窓にはベランダ? バルコニー?
そこには円形のテーブルと二客の椅子。
室内にも二人掛け用のソファとテーブルのセット。更にベッドの近くにも一人掛けのソファとティーテーブル。文机っぽいものの上には、ドアノブに掛ける札が二枚置いてある。
札には「睡眠中」と書かれたものが一つ、「掃除・交換不要」と書かれたものが一つ。
「ますますホテルっぽいなぁ……」
私は窓を閉めてベッドへ横になる。
異世界へ転生して最初の一日目――情報量が多くて処理しきれない。
ゆっくりと瞼を閉じると、私はいつの間にかぐっすりと眠っていた。




