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【実は狐の眷属です!真白と紡ぎの神社日誌】  作者: 稲荷寿司
【豊穣の舞に遺された想い】

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20/50

【巫女編】・押し花に閉じ込めたもの

本日もお読みいただきありがとうございます。

季節が巡るなかで揺れ動く巫女の心を、静かに書き留めました。

彼女と稲人の想いが交わる一瞬を、そっと見守っていただければ嬉しいです。



正式な巫女として任じられ、

季節が幾度も巡る頃——。


巫女はすっかり村の人々から頼りにされる存在となっていた。

祈り、祈祷、薬草、相談事……

気づけば一日の多くを人々のために使っている。


その傍らには、ときおり稲人の姿があった。


護衛に立つ稲人と共に務めを果たす日は、

胸の奥がふわりと弾み、

知らず知らずその一日が特別に感じられた。


挨拶を交わすときの稲人の柔らかな笑み。

境内の掃除中、ふと見ればそこにある背中。

困っている村人へ静かに手を伸ばす優しさ——。


気がつけば巫女は、

稲人の姿を探してしまう自分に気づいていた。


あの野犬に襲われた豊穣祭の帰り道。

稲人の笑顔に胸が跳ねたあの瞬間から——

巫女の心は、彼からそっと離れなくなっていた。


(……稲人様が笑ってくださると、

 どうしてこんなにも……嬉しいんでしょう)


(お役目を懸命に果たすあのお姿を見ると、

 私も頑張らなくては……と思える)


会えない日には、

胸の奥に小さな穴が空いたような、

寂しさにも似た感情が生まれることもあった。



---


そんなある日のこと。


巫女は祠の裏の落ち葉を払っていた。


さら……さら……

竹箒の音に混じって、男たちの声がしのび込んでくる。


(……若者衆……?)


思わず箒の動きが止まった。


「稲人、お前の気持ちもわかるが……巫女様のこと、見過ぎだ。」


巫女は息を飲んだ。

竹箒を持つ手が、かすかに止まる。


(……え……? いま……何を……)


聞いてはいけない。

しかし耳は勝手に声を追ってしまう。


さらりと笑うような声。


「そんなにか?」


「そんなにだ。

 お前を見ていれば誰だって気づく。

 おそらく村の誰もが知ってる。

 気づいていないのは……巫女様本人くらいだろう。」


(わ、私……?  稲人様が……?)


胸が小さく震えた。

戸惑いとともに、けれど……その奥に、静かなあたたかさがそっと差し込んだ。


稲人は少し間を置き、低い声で言った。


「……だがな。

 気づけば、目で追ってしまうんだ。

 どうにもならん。」


その返事は飾らず、ただの本音に聞こえた。


(……目で追って……?

 私が……いつも……してしまうように……?)


巫女は思わず箒の柄をギュッと握りしめた。

胸の奥に、淡い熱がひたひたと広がる。


「野犬に襲われた時から、もう五年か。

 お前は昔から一途だが……そろそろ諦めて、

 他の村の娘と所帯でも持ったらどうだ?」


稲人は静かに息を吐き、言葉を選ぶように答えた。


「俺は……巫女様以外、興味を持てん。

 幸か不幸か、俺は孤児で継ぐ家も身寄りもない。

 だが今は、それでよかったと思っている。」


巫女の手が震える。


(私“以外”……?)


胸の中心がやわらかくあたたまり、

息がわずかに揺れる。


「どういうことだ?」


幼馴染の問いに、稲人は少しだけ笑ったように聞こえた。


「俺は……残りの人生を、あの方を見守ることに使える。

 巫女様が毎日健やかで、笑っていてくだされば……それで幸せだ。」


巫女は、はっと息を吸った。

その小さな音さえ響いてしまいそうで、慌てて口元を押える。


足元の落ち葉が かさり と鳴り、巫女は息を止めた。


(稲人様……

 私の……ために……

 そんなふうに……)


胸の奥に、ゆっくりとした温もりが満ちていった。



---


幼馴染のため息まじりの声が続く。

呆れたような、けれど少しだけ優しい声が返る。


「その巫女様は、神に人生を捧げねばならんのにか?」


稲人は迷いなく言った。


「……それでもいい。

 あの方の笑顔と、一生懸命な姿を……そばで見ていられれば、それで。」


その言葉は迷いがなく、

長い年月をかけて育った想いそのものだった。


祠の裏で聞いていた巫女の胸に、

静かに波紋が広がる。


稲人の言葉の一つひとつが、

まるで胸の底へ落ちてくるようで——


巫女は堪えきれず、竹箒をそっと握り締めた。

胸の奥で、何かがほどけていく。


ようやく巫女は気づいた。


(私も……

 稲人様をお慕いしていたのですね……

 そして……稲人様も……)


胸の奥がふわりと解け、

静かな喜びがにじんでいく。


——けれど、その温かさは長く続かなかった。



---


稲人と話していた幼馴染の言葉が、耳に残ったまま離れない。


(その巫女様は、神に人生を捧げねばならんのにか?)


胸の奥で言葉が静かに反芻される。


(……私は……神に人生を捧げる身……)


巫女はそっと胸に手を当てた。

触れた掌に、まだ残る温もりと痛みが混ざり合う。


稲人の想いが嬉しかった。

涙が出そうなほど、胸は満たされていた。

——それなのに、同じ場所にひりつくような痛みが広がる。


(叶わぬ想い……

 私が巫女である限り……結ばれることは……)


喜びと切なさが絡まり、

どちらにもほどけないまま胸に残る。


呼吸がかすかに揺れた。


その時。


「稲人ー! そろそろ集会所に来てくれ!」


若者衆の声が森に響く。

稲人と幼馴染は「おう」と短く返事をし、足音を残して去っていった。


残されたのは、祠の裏にひとり佇む巫女だけ。


耳に残る会話の余韻。

胸の奥に残された温かさと、痛み。


巫女は竹箒を握りしめたまま、しばらく動けなかった。


(……どうしたら、いいのでしょう……)


巫女になったことを後悔したことは、一度もない。

人々のために祈り、働けることは、巫女の誇りであり、喜びだった。


だからこそ——

この胸に芽生えた“ひとりの娘としての想い”を、

どこへ置けばいいのか分からなかった。


風がそっと祠の木々を揺らす。

さらさらと葉の触れ合う音が、沈黙をやさしく切り開いていく。


その音に背中を押されるように、巫女はゆっくり息を吐いた。


「姉様? どうかなさいましたか?」


はっとして振り返る。


そこには、かつて小さかった童女が立っていた。

長い髪を後ろで結び、白い襷をかけた凛とした姿。


幼い面影を残しながらも、今では立派な巫女見習いだった。


巫女は小さく微笑み、視線を落とす。


「……落ち葉が、すっかり冬の色になりましたね。

 季節の移ろいが、早いものです」


胸の奥のざわめきを誤魔化すように、静かに言葉を落とした。


けいは境内に散った葉を見つめて頷く。


「はい。あっという間に冬ですね。

 手が冷たくなる季節になりました」


さらりと風が吹き、落ち葉が数枚、二人の足元に転がる。

灰色の空へ舞い上がろうとして、すぐに落ちていった。


巫女はそっと目を伏せ、竹箒を握り直した。


「……さあ、続きをしましょう」


繋はぱっと顔を明るくし、箒を持った。


「手伝います! 二人なら、すぐに片付きますよ」


「ふふ……そうですね。お願いします」


境内に、さらさらと落ち葉を掃く音が優しく響く。

さっきまで胸を締めつけていた痛みはまだそこにある。

けれど、隣で箒を動かす小さな手が、

その痛みにそっと寄り添ってくれるようだった。


「姉様、こっち側をまとめますね」

「ありがとう。では私はこちらを」


風に乗って、繋の笑い声が少し弾む。


冷たい空気の中、二人で並んで葉を集めるそのひとときは、

静かで、あたたかく、そして少しだけ救われる時間だった。


金色の夕陽が、ゆっくりと境内を照らしていた。



---


夕餉の香りが巫女舎に満ちる頃。

巫女は膳の前に座っていたが、箸はほとんど進まなかった。


(……胸が、苦しい……)


稲人の声と、あの言葉が胸の中で何度も反芻される。


「姉様、もうお下げしてもよろしいでしょうか?」


控えめな繋の声に、巫女ははっと顔を上げる。


「あ……ええ、ごめんなさい。もう十分です……」


繋は巫女の食べ残した膳を見て小さく首を傾げ、

心からの心配を滲ませた。



---


その夜。

巫女が灯の揺れる部屋でひとり胸を抱えていた時——


「姉様……失礼いたします」


襖が静かに開き、繋が立っていた。

確かな意志を宿した瞳で、そっと問いかける。


「先ほどから、どこか心が沈んでおられるように見えました……

 なにか、お悩みがあるのではありませんか?」


繋の静かな声に、

巫女は堪えきれず、小さく息を震わせた。


「……私は……巫女として、あるまじき想いを抱いてしまいました」


言葉を区切るように、繋はそっと膝を折り、

その側に寄り添う。


巫女は苦しげに息を整え、

揺れる灯を見つめながら静かに言った。


「祠のそばで……稲人様のお気持ちを、偶然、耳にしてしまったのです。

 本当は聞くべきではなかったのに……どうしても耳が離れなくて……」


巫女の喉が震え、かすかな声がこぼれる。


「稲人様は……私のことを……

 “お慕いしている”と……そう仰っていました。

 そして……“見守るだけで幸せだ”とも……」


胸の奥から溢れた感情は、もう隠せなかった。


「嬉しくて……苦しくて……

 どうしたら良いのか、分からなくなってしまったのです……」


繋はそっと表情をやわらげ、

巫女の揺れる心を包み込むように静かに微笑んだ。


(……姉様らしいです。

 あれだけお気持ちが滲んでいたのに……

 気づくまでに、どれほど時がかかったことでしょう)


繋は巫女の手にそっと触れ、

優しく言葉を紡いだ。


「姉様は、いつも村の人々のために祈り、尽くしてこられました。

 そのお姿を、神様が見ておられぬはずがありません」


「私たちは、神様に身を捧げる巫女でございます。

 けれど同時に……一人の娘としての心も持っております。

 誰かを想うことは、御心に背くことではございません。

 それは……尊く、美しい心でございます」


「誰かを大切に思う心は、きっと神様だって許してくださいます。

 姉様の想いは……決して間違いではありません」


巫女は息を呑み、そっと瞳を閉じた。

胸の奥にじんわりと温かい灯が生まれる。


(……稲人様も、ただ想いを抱えながら……

 そばで見守る道を選ばれた……

 ならば……私も——)


そっと息を吸い、まぶたを開く。


(私も……稲人様と同じように)


巫女はひとつ覚悟を結び、

凛とした表情で顔を上げた。


「それならば、私も——稲人様を見守り続けます。

 たとえ結ばれなくとも、

 稲人様が笑って、この村で穏やかに過ごせるよう……

 祈り、そして守っていきたいのです」


その言葉には迷いがなく、

一人の巫女として、そして一人の娘としての決意が宿っていた。


繋はふっと表情を緩め、

やわらかな微笑みを浮かべた。


「ええ……それで良いのですよ姉様」


「……それにしても、ようやく、姉様はお気づきになられたのですね。

 ご自身の、素直なお気持ちに」


驚きに目を見開く巫女を前に、

繋はどこか誇らしげに続ける。


「私はずっと見ていました。

 姉様が稲人様と共に務める日は、どこか嬉しそうで……

 お声をかけられるたび、表情が少し柔らかくなることも」


胸の奥にそっと灯りがともるような、

やわらかな声だった。


「それに……」


繋は、ふっと唇に笑みを浮かべた。


「稲人様も、姉様のことを目で追っておられましたよ?

 掃除のときなど、ほうきを持ったまま動かなくなるほどに」


「えっ……!?」


巫女の肩がびくりと揺れる。


繋はくすくすと嬉しそうに笑い、

袖で口元をそっと隠した。


「姉様が気づいていないのを、いつも不思議に思っていたのです。

 境内の皆も……きっと同じ気持ちだったと思いますよ」


巫女は耳まで赤く染めながら、視線を落とした。


「そ、そんなにも……? 私……そんな姿を……?」


「はい。とてもわかりやすく」


繋は愛しく思うように頷いた。


灯のゆらめくあたたかな光が、

二人の間に小さな笑いを灯した。


その笑いは、ほんのひととき心を軽くする、

静かな救いだった。


(……どうか、稲人様が笑って生きていけますように)



---


それからまた季節は幾度も巡り、

二人がお互いの想いに気づいてから、いくつもの月日が流れた。


巫女はすっかり成熟し、

落ち着いた気品と、深い優しさを宿す女性となっていた。


稲人もまた、若者衆として村の誰からも信頼される青年へと成長していた。

強さと誠実さを併せ持ち、誰もが頼りにする存在に。


そして二人は——

互いを想う心を胸の奥に静かに秘めながら、

ただ、相手が健やかに、笑顔でいられることだけを願い続けていた。



---


ある年の豊穣祭の日。

祭りの準備へ向かう道すがら、風に揺れる花々が二人の足を止めた。


一面に咲き誇る、秋桜——コスモス。


淡い桃色と白の花びらが、秋の風に揺れている。


巫女は思わず息を呑み、そっと微笑んだ。


「……なんて、綺麗なのでしょう。  枯れてしまうなんて……勿体ないですね」


その横顔を見つめ、

稲人は静かに言葉を返した。


「ええ。本当に……美しい」


その声音は、花ではなく巫女に向けられたものだと、

風だけが知っていた。


二人は少し微笑み合い、

何事もなかったように歩き出した。



---


数日後。


務めを終えた巫女のもとへ、

稲人がそっと包みを差し出した。


「これを……巫女様に」


開かれた包みの中には、

丁寧に押し花にされた豊穣祭の日のコスモス。


秋陽の色をそのまま閉じ込めたような、優しい花の形。


「いつも……村の皆のために尽くしてくださって、ありがとうございます。  その感謝の気持ちです」


稲人はそう言って、短く頭を下げた。


本当はもっと伝えたい言葉があった。

けれど、その言葉は胸の奥で静かに留められたまま。


巫女は驚いたように目を見開き、

やがて——ゆっくりと笑みを溶かした。


「……まあ……なんて、綺麗……  本当に……ありがとうございます。  大切に……いたします」


その声は、かすかに震えていた。

けれど、それは悲しみではなく、

胸いっぱいに満ちた喜びの震えだった。


ただ押し花を手にするだけなのに、

二人の胸は、静かに熱く満たされていく。


言葉にはしない。

伝えはしない。


ただそばにあるだけで、心が満たされる。


——それが、二人が選んだ愛の形だった。


巫女が押し花を胸に抱き、そっと微笑んだとき。

境内の上空を、ひゅう、と細い風が通り抜けた。


秋の香りを運ぶただの風——

そう思ったはずだった。


けれど、ほんの一瞬だけ、

巫女の指先に、かすかな寒気が触れた。


(……冷たい……?)


理由もなく胸騒ぎがして、巫女は押し花をそっと胸に抱き締めた。


「巫女様、どうかなさいましたか?」


横で控えていた巫女見習いが首を傾げる。


巫女はやわらかく微笑んでみせた。


「いいえ……ただ、少し風が冷たいだけです。

 きっと今年の冬は早く来るのですね」


稲人もまた、ふと空を仰いだ。


灰色がかり始めた雲が、いつの間にか広がっている。


(……天候の変わり目か?

 いや……胸の奥が妙にざわつく……)


理由のない不安を振り払うように、稲人は小さく息を吸うと、 巫女の方へ向き直った。


「巫女様。お身体を冷やされませんよう……どうかお気をつけて」


「はい。稲人様も——」


二人はそっと目を合わせ、やわらかく微笑み合った。


その光景は、

これから訪れる痛みや絶望など、何ひとつ知らない

静かで、完璧な幸せの瞬間だった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

巫女としての務めと、一人の娘としての想い。

その狭間で揺れる巫女の心を、丁寧に描けていれば幸いです。

静かな幸福と、わずかな不穏の風——

この先の物語も、少しずつ紡いでまいります。


どうぞ、これからも見守っていただければ嬉しく思います。

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