番外編――幼き暴君と、澪斗の小さな敗北
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(*˘︶˘*).。.:*
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――ある日の龍神神社。
この日、澪斗は――
幼き暴君・雫と対峙していた。
ここ数日。
兄である葵との術の訓練をしようとするたびに、
必ずと言っていいほど邪魔が入る。
原因は、目の前の幼い少女だった。
ある時は『お腹が空いた』と泣きつき、
ある時は『怖い夢を見た』と袖を引く。
その手口は幼子とは思えぬほど巧妙で、
そのたびに葵は困ったように、それでも優しい笑みを浮かべて連れていかれてしまうのだ。
澪斗
「雫様。今日こそは――」
一歩、踏み出す。
澪斗
「僕が兄様と、術の訓練をさせていただきます」
静かに告げる。
だが。
対する雫は、地面に描いていた落書きからひょいと顔を上げると、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、
雫
「だーめ! あおいさまね、いまからおきゃくさまが来て、その人とおはなししてくるって言ってたもん!」
雫は手足をバタつかせ、弾むような声で続ける。
雫
「それが終わったら、また雫とあそんでくれるんだよ! 約束したんだから!」
その言葉に、澪斗の胸の奥が、ちくりと痛む。
それでも澪斗は、
わずかに息を整えると、できるだけ冷静に
雫に言い聞かせるように返す。
澪斗
「……では、僕の訓練が終わった後にしてください。順番というものがあるはずです」
だが、
そんな事は目の前の幼き暴君には通じない。
雫はぷうっと両頬を膨らませると、
地団駄を踏んで澪斗を睨みつけた。
雫
「だめなものはだめ! 葵様は雫のものなの! 澪斗になんて貸してあげないんだから!」
その言葉に、
澪斗の眉がぴくりと動く。
澪斗
「っ!兄様は誰のものでもありません。雫様、我儘が過ぎますよ。順番は守らないと――」
その瞬間。
雫の瞳が細められた。
――そして。
雫
「うわあああああん! 澪斗が、澪斗がいじめるのーっ!」
突然の大号泣。
境内に響き渡る声。
澪斗
「なっ……!?」
完全に予想外の展開に、澪斗は言葉を失う。
そこへ――
縁
「こらこら」
軽い声とともに現れた縁が、
澪斗の目の前にたつと、
縁
「こんなに幼い子、いじめちゃ駄目だよ?」
澪斗
「なっ……! 違います、僕はいじめてなんていません! ただ順番を……!」
しかし。
弁明しようとする澪斗の声は、
タイミングよく現れた葵によって遮られた。
葵は泣きじゃくる雫をひょいと抱き上げると、その背中を優しく叩く。
葵
「……事情はわかった。澪斗、今日の訓練はまた別の時にしよう。今は雫を落ち着かせないと」
澪斗
「兄様、でも……っ」
言いかけて、澪斗は息を呑んだ。
葵の肩に顔を埋めていたはずの雫が、
ひょいと顔を出し、葵に見えない角度で、
『ニヤリ』と口角を上げたのだ。
濡れた睫毛の奥で光る、勝ち誇った瞳。
雫はあざとく舌を出し、澪斗をあざ笑った。
澪斗
「……は?」
言葉が漏れる。
胸の奥が、ぐしゃりと歪む。
怒り。悔しさ。
そして――どうしようもない感情。
そのまま、雫をあやしながら去っていく。
葵の背中を――
澪斗は、ただ見ていることしかできなかった。
縁も葵の後を追う。
取り残された境内の静寂が、澪斗の心を鋭く抉った。
澪斗は一人、拳を握りしめ、堪えきれなかった涙がポタポタと土を濡らす。
洋一
「澪斗……どうしたんだい? そんなところで泣いて」
背後からかけられた穏やかな声。
振り返ると、そこには洋一が立っていた。
その穏やかな問いかけに、
澪斗は、途切れながらもぽつりぽつりと話しだす。
すべてを聞き終えた洋一は――
困ったように眉を下げると、歩み寄って澪斗の頭をそっと撫でた。
洋一
「そうか。辛かったね。……僕の妹が、すまなかった。代わりに僕が謝るよ」
その大きな手の温もりに、
澪斗の視界が揺れる。
澪斗
「僕はいじめてなんか……っ、いじめてなんかいません……っ!」
涙が、頬を伝う。
洋一は澪斗を優しく抱き寄せ、その背中をゆっくりとさすり続けた。
洋一
「わかっているよ。
澪斗はそんなことをする子じゃない。
誰よりも優しくて、兄様のことが大好きな子だって、ちゃんと知っているよ」
蛇の眷属である澪斗にとって、人の熱は心地よく、そして少しだけ切ない。
やがて。
澪斗の荒れていた呼吸が、
少しずつ落ち着いていく。
澪斗
「洋一様……ありがとうございます」
洋一は、柔らかく笑った。
洋一
「どういたしまして」
そして、ふと思い出したように言う。
洋一
「母様がな、珍しい菓子をもらったらしい」
澪斗が顔を上げる。
洋一
「一緒に食べに行こう」
差し出された手。
澪斗は、少しだけ迷って――
その手を取った。
洋一は柔らかく微笑むと、
澪斗の小さな手を取り、歩き出した。
その手の温かさが、
当時の澪斗にとって唯一の救いだった。
それから――
時は流れ。
目の前には、いつの間にか自分よりも大きく、成長した雫が立っていた。
雫
「澪斗あの時は……ごめんなさい」
真っ直ぐに、頭を下げる。
澪斗は、一瞬だけ目を見開き――
やがて、柔らかく微笑んだ。
澪斗
「……幼い頃のことですから」
静かな声。
澪斗
「気にしないでください」
その言葉に、
雫の表情がぱっと明るくなる。
そのまま、葵の元へ駆けていく。
葵の隣に並んだ雫は、
心底幸せそうに笑っている。
そして葵もまた、
かつてないほど幸せに満ちた表情で彼女を見つめ、その頭を撫でていた。
二人の姿を遠目に見つめながら、澪斗は静かに目を伏せる。
澪斗
(兄様のあんな笑顔を見せられたら……許せないなんて言えるわけないじゃないですか)
それでも、
澪斗
(まぁ、許すかどうかは――僕の中の話ですけどね。)
ほんの少しだけ、口元が歪む。
それは蛇特有の執念深さか、
それとも兄を慕うがゆえの独占欲か。
遠くで。
雫の弾んだ声。
雫
「葵様ー! 澪斗が許してくれましたー!」
それを聞いて、
嬉しそうに振り返る葵。
この世の宝物を見つめるような眼差し。
……まあ、兄様が幸せそうなら、それでいいか。
澪斗は自嘲気味に、けれどどこか吹っ切れたような笑みを浮かべながら、小さく呟いた。
澪斗
「……仕方ないですね」
だけど、
その表情はどこか優しかった。
――その時。
紡
「――なと――澪斗さん!」
不意に名前を呼ばれ、視界が揺れる。
意識が急速に現実へと浮上した。
澪斗
「……ん……紡?」
紡が心配そうに覗き込んでいた。
紡
「こんなところで寝ていたら、
体調を崩してしまいますよ?」
澪斗はゆっくりと起き上がる。
ぼんやりした頭で周囲を見渡す。
そこは豊穣神社の縁側で、冬の入り口の冷たい風が頬を撫でていた。
紡
「ここでそのまま寝ちゃうと、体調を崩しちゃいますよ。顔色も少し悪いですし……」
澪斗
「……ああ。いつの間にか寝てしまっていたみたいだね……ごめん、蛇の眷属は寒さに弱いから、少し鈍くなっていたみたいだ」
澪斗が力なく笑うと、紡は何かを思い出したように顔を上げた。
紡
「ちょっとお待ちください! すぐ戻りますから!」
慌ただしく駆けていく後ろ姿を、
澪斗は目を細めて眺めていた。
胸の奥に残る、先ほどの夢の余韻。
澪斗
(懐かしい夢を見たな……。あの頃は、兄様にとって一番幸せな時だったのかもしれない……)
失われた時間、変わってしまった関係。
そんな感傷に浸っていると、
バタバタという足音と共に紡が戻ってきた。
その手には、分厚い毛布が抱えられている。
紡
「お待たせしました!
寒さに弱いって仰るから、
これを持ってきました。失礼します!」
紡は手際よく澪斗の肩に毛布をかけると、
紡
「これで寒くないはずです!」
その優しさが、澪斗の胸にじんわりと広がった。
澪斗
「……ふふ、ありがとう。暖かいよ」
紡
「あ、真白様も来ましたよ」
後ろから、湯気を立てる茶碗を盆に乗せた真白が歩いてきた。
真白は静かに縁側に腰を下ろすと、澪斗に抹茶を差し出す。
真白
「色々ありましたから、お疲れもあるんでしょう。少し休みましょうか」
澪斗
「……そうですね。いただきます」
三人で並んで座り、温かい抹茶を啜る。
苦味の後に広がる柔らかな甘みが、凍えかけていた芯を解かしていく。
ふと隣を見ると、
真白の佇まいやお茶を飲む仕草が、洋一に重なった。
澪斗
(やっぱり、真白様は洋一様に似ているな……)
激動の日々を越え、失ったものも少なくない。
けれど、今こうして温かな茶を飲み、
自分を案じてくれる者たちが隣にいる。
澪斗は毛布の端を握りしめ、誰にともなく小さく呟いた。
澪斗
「……こんな時間が、一番幸せなのかもしれないね」
冬のやわらかな陽光が、
静かに境内を照らしていた。
過去の痛みは消えずとも、
今この手の中にある温もりは、確かだった。
蛇の眷属の瞳に映る世界は、
ただ静かに、穏やかに凪いでいた。
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