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銀の騎士と秘密の薬草師―想いを感じる少女は、傷ついた騎士を癒す―  作者: 橙華


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31. 二人で歩く未来


王都を染める茜色の空。


西門で魔石事件が起きてから、すでに数週間が経っていた。


その後、表面上は大きな事件も起こらず、警戒に包まれていた街にも以前の賑わいが戻り始めていた。






薬屋でリゼットは、小さな紙切れを見つめていた。




『仕事が終わったら、南門の外まで来てほしい。』




今朝、騎士が届けてくれた、アルベルトからの短い手紙だった。




あの日、告げられた言葉。




――俺自身の言葉で伝える。




その続きを思うだけで、胸が落ち着かない。




けれど。


今だけは、感情を知りたいとは思わなかった。


知ってしまえば、また彼より先に答えを知ることになる。


今日は違う。


彼の気持ちを、彼の言葉で聞きたい。








店の戸締まりを終えたリゼットは、小さく息を吸い、薬屋をあとにした。







夕暮れの王都は、残された明るさとともに、一日の賑わいを少しずつ夜へ引き渡そうとしていた。


石畳を行き交う人々。


家路を急ぐ商人たちが荷車を引き、パン屋からは香ばしい香りが漂ってくる。


子どもたちの楽しげな笑い声が路地へ響き、店先では店主たちが「また明日」と笑顔を交わしていた。






見慣れたはずの街並みが、今日はどこか違って見える。


胸が落ち着かないせいだろうか。





ふと、大通りの向こうから規則正しい足音が聞こえてきた。


「巡回、お疲れさまです。」


店先の女性が声を掛ける。


「ありがとうございます。異常はありません。」


返ってきたのは、若い騎士の明るい声だった。


二人一組の騎士たちが、夕暮れの街を見回りながら通り過ぎていく。


彼らはリゼットの姿に気付くと、歩みを緩めて軽く会釈をした。


「リゼットさん、お疲れさまです」


「お疲れさまです」


リゼットも穏やかに挨拶を返す。


騎士たちは再び巡回へと戻る。


磨き上げられた鎧が夕暮れの光を受けて、赤金色に輝いた。




今では騎士団で、彼女を知らぬ者はほとんどいない。


命を救われた者も、その働きを耳にした者も、多かったからだ。




騎士たちを見送りながら、自然と微笑む。


(アルベルト様も……こうして毎日、この街を守っているんだ。)




その胸に温かな想いが広がり、


歩みが少しだけ速くなった。






やがて人通りは少なくなり、


高くそびえる城壁が目の前に姿を現す。





リゼットは高鳴る胸をそっと押さえ、小さく息を吸う。




そして一歩ずつ、南門へ向かって歩き出した。








◇◇◇◇◇










南門を抜けると、


王都の喧騒は少しずつ遠ざかっていった。



城壁の外には、なだらかな小さな丘が広がっている。



その先の草原では、白や薄紫の野花が秋風に揺れ、黄金色の光を受けて静かにまたたいていた。



振り返れば、王都を囲む大きな城壁と、夕焼けに染まる街並みが一望できる。



茜色の空を、雲がゆっくりと流れていく。



吹き抜ける風が草花を揺らし、世界は驚くほど穏やかだった。





まるで、


この場所だけが


二人のために時を止めているかのように。





 

アルベルトは、すでに丘の上で待っていた。


夕暮れの光を背に立つその姿は、真っ先に目を引いた。


銀色の髪が茜色の光を受けてきらきらと輝き、風に揺れるたび淡い光をこぼしている。






「来てくれてありがとう。」


「こちらこそ……。」


二人は並んで立つ。


風だけが静かに吹いていた。





リゼットは隣に立つアルベルトを見上げ、小さく微笑んだ。


「……お久しぶりですね。」


「ああ。」


アルベルトも穏やかに頷く。


「思ったより、長く会えなかったな。」


「はい。」


リゼットは少しだけ寂しそうに笑う。


「でも、お仕事がお忙しいことは聞いていました。それに……。」


一度言葉を区切り、アルベルトを見つめる。


「レオンさんやスヴェンさん、アシェリーさん、……皆さんが代わる代わる付き添ってくださって。皆さん、とても親切にしてくださいました。」


そして、丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございました」


アルベルトは少し目を丸くし、それから柔らかく目を細めた。


「礼を言うなら、皆にも伝えてやってくれ。誰一人、嫌な顔はしなかった。」


「……だが。」


小さく笑う。


「君になにもなくて、安心した。」


リゼットも嬉しそうに微笑んだ。


「皆さんに守られているんだなって……毎日感じていました。」






再び風が二人の間を通り抜ける。


しばらく沈黙が続く。


珍しく、アルベルトが言葉を探している。


リゼットは何も急かさなかった。








やがてアルベルトは、小さく息を吐いた。




「……騎士になってから、剣を振るうことには慣れた。」


少し笑う。


「だが、こんなに緊張するのは初めてだ。」


リゼットも思わず笑みをこぼした。


「ダンス以外でも、緊張なさるのですね。」


「ああ。」


真面目な顔で頷く。


「君の前では、いつもそうだ。」


その一言だけで、鼓動が大きく跳ねた。





アルベルトはまっすぐリゼットを見つめる。





「あの日、君は言った。


 ――『私だけが先に知ってしまう。』


 ――『だから公平ではない。』


 その言葉を聞いて、俺は思った。」



一歩、近付く。



「俺は今まで、君に甘えていた。」


リゼットは静かに首を振る。


「そんなこと……。」


「あるんだ。」


アルベルトは優しく言葉を重ねた。


「君は俺の気持ちを知っていた。


 だから俺は、伝えなくても伝わるような気になっていた。」


その瞳には、もう迷いはなかった。


「それでは駄目だった」



夕風が二人の間を通り抜ける。



「人を好きになるというのは。


 相手に感じ取ってもらうことではない。


 自分の口で伝えることだ。」


その声には、騎士として命令を下す時とは違う、静かな強さがあった。


「だから、改めて言わせてほしい。」


アルベルトは真っすぐリゼットを見つめる。




逃げない。


飾らない。


ただ、ありのままの想いを。





「リゼット。


 君が好きだ。」





「薬師だからでも、その力があるからでもない。」


「初めて会った日、血だらけの俺を見ても逃げず、震えながら手を差し伸べてくれたあの時から。」


「君の優しさに。」


「君の強さに。」


「俺は少しずつ、君という人に惹かれていった。」



リゼットの瞳が潤む。


アルベルトは続ける。



「君が誰にも頼れず、一人で秘密を抱えてきた時間も。」


「その孤独も。」


「これからは、俺にも背負わせてほしい。」


ゆっくりと手を差し出す。


「守りたい。」


「騎士としてではない。」


「一人の男として。」


「これから先も、君の隣を歩いていきたい。」




夕日が二人を照らす。



リゼットは差し出された手を見つめた。




不思議だった。






向かい合えば、彼の心の温度は確かに伝わってきた。


けれど、そこから答えを探す必要はなかった。


全部、彼が言葉にしてくれたから。


だからリゼットも、自分の言葉で答える。






「……私も。」




声が震える。




一度だけ深呼吸して、微笑んだ。





「最初は怖かったんです。」




「人の気持ちを感じ取ってしまう自分も。」


「その気持ちに応えてしまう自分も。」


「でも。」


「あなたは、ちゃんと伝えてくださいました。」


涙が頬を伝う。


「だから今は。」


「自分の気持ちとして言えます。」







「あなたが好きです。」







アルベルトはゆっくりと微笑んだ。



「……ありがとう。」



その言葉は、以前とは違う。


救われたことへの感謝ではない。


想いが届いた喜びの「ありがとう」だった。







リゼットは嬉しそうに笑ったあと、少しだけ俯く。



「……でも。」



アルベルトはすぐ表情を引き締める。


「何だ。」


「私は町の薬師です。」


「アルベルト様は騎士団長で……名門のヴァイス家の方でしょう?」


「皆様に反対されるのではないでしょうか。」


アルベルトは一瞬だけ目を丸くして。


次の瞬間、小さく笑う。


「そんなことを心配していたのか。」


リゼットは恥ずかしそうに頷く。


アルベルトは優しい声で答える。


「確かに俺の家は古くから騎士を輩出してきた。

 だが俺には兄がいるんだ。だから俺は家督を継ぐ立場でも、家に結婚相手を決められる立場でもない」


「それに、もし反対する者がいたとしても、君の手を離す理由にはならない」


「俺が、自分の意思で君を選んだんだ」


リゼットは少し驚いたように見上げる。


アルベルトは少しだけ笑う。


「なにより、君には王妃殿下までついている」


「……え?」


「君は気付いていないかもしれないが。王妃殿下は、かなり君を気に入っていらっしゃる。 もし誰かが君を悪く言えば、俺より先に、殿下がお怒りになるぞ。」


リゼットは思わず吹き出した。


「そんなこと……。」


「あるさ。」


真面目な顔で頷く。


「だから安心してくれ。」


「俺が守る。」


「この先ずっと。」






リゼットは、それでも少しだけ不安そうに眉を寄せた。


「……それでも。アルベルト様や私が皆様に迷惑を掛けることになったら……。」


アルベルトは静かに首を横へ振った。


「リゼット」


「君は一人ではない。俺もいる」


「王妃殿下も、騎士団の皆も君の味方だ」


そして、穏やかに言い聞かせる。




「だからもう、一人で全部を背負おうとしなくていい」




リゼットの瞳から、また一粒の涙がこぼれた。




「……はい」




その返事は小さかったが、もう迷いはなかった。










長く抑えてきた想いは、









もうアルベルトの胸の内には収まりきらなかった。









アルベルトは一歩近付き、





「嫌でなければ……来てほしい」





と、小さく両腕を広げた。





リゼットは一瞬だけ照れて。




でもすぐに微笑んで。




自分から逞しい胸へ飛び込む。




アルベルトは息を呑む。





腕の中の温もり。




ずっと触れたかった。




何度も我慢した。




もう二度と離したくないと思うほど愛しい。






「……リゼット。」


ぎゅっと抱き締める。


少しだけ力が強い。


「あ……アルベルト様。」


「すまない。」


そう言いながら。


腕は少しも緩まない。


「ずっと。」


「こうしたかった。」






リゼットはアルベルトの胸へ頬を寄せたまま、小さく笑う。


「……心臓の音が聞こえます。


 ……すごく、速い。」


アルベルトは苦笑した。


「聞かなかったことにしてくれ。」


「どうしてですか?」


「騎士団長ともあろう者が、格好がつかない。」


リゼットはくすりと笑う。


「私も、同じくらい速いです。」


アルベルトは腕の中の彼女を見つめる。


「……そうか。」



その一言だけで十分だった。


もう何も我慢する理由はない。


彼女も同じ気持ちなのだと、ようやく信じることができた。


抱き締める腕に、自然と少しだけ力がこもる。





アルベルトは少し身体を離して。


額を合わせる。





「もう一つだけ。


 願いを聞いてくれるか。」


リゼットは真っ赤になりながら頷く。


「……はい。」


「口づけてもいいか。」


リゼットは恥ずかしそうに目を伏せる。


そして小さく頷いた。


「……お願いします。」




その返事を聞いた瞬間。


アルベルトは小さく息を呑んだ。


何度も夢に見た瞬間だった。






アルベルトはゆっくり頬へ触れる。


逃げ道を残すような優しい手。


そして。


そっと唇を重ねる。


短く。


けれど。


今まで積み重ねてきた想いが全部詰まったような、優しい口づけだった。








唇が離れる。


ほんの数秒だった。


それなのに。


二人には永遠にも思える時間だった。








照れたように見つめ合って。


どちらからともなく笑う。


アルベルトは、そっと額を寄せた。


「これから先。」


「嬉しいことも。」


「苦しいことも。」


「全部、一緒に乗り越えていこう。」



リゼットは涙を浮かべたまま微笑む。


「はい」


そして、幸せそうに頷く。


「よろしくお願いします」







夕風が二人を優しく包む。


茜色だった空には、いつの間にか最初の星が輝き始めていた。




二人は手を繋いだまま、その光を見上げる。


この日交わした言葉も。


この日重ねた口づけも。


この日繋いだ手も。


きっと一生、忘れることはない。




そしてリゼットは、ようやく気付く。


人を好きになることは、怖いことではなかった。


誰かを信じることは、失うことではなかった。


それは、一人で抱えていた人生を、二人で歩き始めることだった。





丘で夕日に照らされる二人の情景が書きたくて始めた物語でした。

2人の物語はまだまだ続きますが、ここでこの章は一旦完結となります。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

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