50話・教皇の怒り
「いい加減にしろっ。ヘリオス!」
ナイルが未だかつてない顔で怒声を放つ。わたしはナイルの背に取りすがりヘリオスはナイルの怒りに震え上がった。ナイルの怒りはもっともだ。なんでもナイルが優しく許してくれると思ったらそれは大間違いだ。
「ひぃい…」
その声を聞きつけて、ハンスやハインツが駆け付けて来た。
「教皇さま。何事ですか?」
「教皇? なぜここに? あっ。お前はパルシュ国王。懲りずにまた来たのか?」
プーリア教皇がどうしてここにいるのかと問いかけかけたハインツは、彼の前で腰を抜かしているヘリオスと憤った様子を露わにしたナイルを交互に見て、わたしに説明を求める視線を投げかけて来たが、わたしは首を振った。
ナイルの怒りには他の者の介入を許さないものがあった。彼がこのように激しい怒りを他人にぶつけたのをわたしは初めて見た。
「なあナイル。許してくれよ。なっ。兄弟の仲じゃないか」
ヘリオスには反省の色もないらしい。ナイルが機嫌を直してくれれば事足りると思ってるのが見ていて痛い。出来ればこのまま何も言わずに立ち去って欲しいものだ。ナイルの心の平安の為にも。
「私のなかでは、きみとは十一年前に縁を切っている。頼むからもう二度と私たちの前に姿を見せないでくれ。これ以上、情けない思いはしたくないから。ベルナン。そこに隠れているのだろう? さっさとヘリオスを連れて帰れ」
ナイルが寝台の脇に探るような目を向ける。寝台の影からベルナンが姿を見せた。
「さすがはナイルセルリアンさま。当代教皇さまになられるだけある。私が隠れていた事をご存じだったとは」
「お前は心配性だからヘリオスの傍に控えてると思っていたからな」
ベルナンはヘリオスに言った。
「もう御覚悟なさって下さい。王妃さまが身ごもられたそうです。これであなたさまは、あの御方と離婚は出来なくなりました」
「なんだと? 王妃が?」
「はい。御懐妊です。お喜び下さい」
ヘリオスったら王妃さまにすることはしてるのね。わたしはお祝いを言った。
「おめでとうヘリオス。早くパルシュ国へお帰りになられたら? 王妃さまがきっと首を長くしてお待ちでしょうから」
「マリカ。我はお前が好きなんだ。王妃が無理でも妾妃に…」
「お断りします。わたしはナイルの妻ですから」
「そいつは世間的には死んだ者だ。お前は我と一緒になるのだ」
しつこい。どうして分からないかな。わたしはウンザリする。
「お言葉ですが、陛下。ナイルセルリアンさまは鬼籍には入られておりませんよ。神の代理人となられたのですから」
ベルナンが訂正する。ヘリオスは神の代理人と聞いて怪訝な顔をした。
「神の代理人…? プーリア教皇がどうしたと? ん? 代理人?」
ハンスが丁寧に説明をした。
「こちらのナイルセルリアンさまは、当代プーリア教皇さまとなられました。一国の国王さまとはいえ、教皇さまに歯向かわれるとおっしゃられるのでしたら、我々、十二星騎士団も黙ってはおりませんよ」
「ナイルがプーリアの教皇に? いつの間に?」
驚くヘリオスに、ナイルが冷たく言った。
「きみが私の命を狙ってくれたおかげで神のご意志が働いたんだ。兄弟のよしみでもう一度だけ警告する。私たちの前には二度と現れるな。そうでなければ報復することになる。さあ。ヘリオスを連れて帰ってくれベルナン」
「そうしましょう。陛下。もうお諦め下さい。お二人の仲を邪魔するのは無粋というものですよ。お二人は昨晩はお楽しみのようだったようですし」
ベルナンがわたしのほうを見て言う。ベルナンは粘つくような視線を向けて来た。いやらしい視線だ。
なぜいきなりそんなことを言い出すかなぁ。その言葉にみんながわたしを注目し始めちゃったじゃない。彼の不躾な視線を辿ったわたしは、はたと気が付いた。やだあ。キスマーク。
皆はわたしの胸元に点々と残る赤い斑点を注目していたのだ。慌ててガウンの前を掻き合わせたものの誤魔化すには遅すぎた。
ヘリオスは歯噛みして悔しがりハインツは啞然として魂が抜けたような顔してるし、ハンスは微妙な顔をしていた。そんな中で平然としてるのはナイルで皆の前でわたしを愛おしそうに抱きしめ頭にキスして来る。
「ナイル。お前…マリカを抱いたのか?」
ヘリオスが憤慨して聞いて来る。わたしは皆の前でそんなことを聞かれて恥かしさにナイルの胸元に顔を埋めた。
「お前は聖職者だろう? それを…!」
「きみにだけは言われたくないな。ヘリオス」
「そうか。お前も俗物だったという訳か。我のことを言えないな」
ヘリオスがひげた笑みを浮かべる。




