44話・忘れられないひと
食事が済んだ後、部屋に戻ったわたしは司教にお祓いしてもらうのなら身を清めてからの方がいいだろうと入浴を済ませた。飾り気のない白い寝間着に着換え上からガウンを着て城内の聖堂に向かう。司教は祈りを捧げていると言っていたから今はお祈り中かもしれないが。
「あの…」
こんこんっとドアをノックしても応答がなかったので、わたしはドアを開けてみた。祭壇の前で跪いている人物が目に入る。リアン司教だ。司教はお祈りに夢中らしくわたしに気がついてないようだ。必死に祈りを捧げている司教の後ろ姿が後光が差して見えて神々しく思え、わたしは声をかけるのを躊躇った。
司教のお祈りの言葉は耳に優しくいつまでも聞いていたくなる。子守唄を聞かせられてるみたいでなんだか懐かしい様な気もして来る。聖堂のなかの椅子にわたしは腰かけて司教の御祈りが終わるのを待つことにした。
司教の茶色の髪が陽光に解けた飴色のようだな。なんて思っていたらいつの間にか目を閉じていたらしい。
「…りか公女。まりか公女」
肩を優しく揺すられてわたしは慌てて目を開けた。
「リアン司教…!」
リアン司教はわたしの隣に腰かけてきた。
「訊ねて来て下さっていたのですね。声をかけて下されば宜しかったのに」
「司教さまのお祈りの時間を邪魔したくなかったのです」
「だからといって、こんな所で寝ていたら風邪をひきますよ。ほらあなたの身体がこんなに冷たい」
司教はわたしの肩を抱き寄せる。自然な行動でわたしはされるがままになっていた。リアン司教は聖職者だしこの行動にやましい思いはないと、わたしが信じ込んでいたのもある。
「ずい分と待たせてしまったようですね」
リアン司教の言葉にわたしは子供に返ったように彼の胸元にすがっていた。リオン司教から懐かしいようなシャボンの香りがしたのだ。それに引き寄せられる様にわたしは鼻を押し付けていた。
「…なんだかナイルといるみたい」
わたしの呟きに、びくん。と、リオン司教が反応したような気がした。
「ナイルという御方は?」
「わたしの亡くなった夫です。よく子供の頃こうして抱いてもらっていたので懐かしくなって。うわああ。わたしったら。なんてことを。ごめんなさい。すいませんっ」
わたしは司教に自分から抱きついていたのだと、気がついて慌てて離れようとした。しかも司教の胸元の匂いをくんくんと嗅いでいたなんて。咄嗟に取ってしまった行動だけどこれって痴女みたいよね。やだ。わたし痴女確定? ハインツ達のこと言えない。
「まりか公女。落ち着いて下さい。私は気にしてませんから。構いませんよ。今だけ私をその亡くなられた旦那さまだと思って頂いても」
「…司教?」
見上げた先にわたしの大好きな天空の色があった。司教がほほ笑んでいた。なんて心の広い人なんだ。わたしが亡くなったナイルと間違えてすがって来たのだと思ってくれたらしい。
「あなたが失踪されていた時にアイギス公子から色々とお話は伺っていました。大公さまがお亡くなられになった時からあなたはアイギス公子を守る為に尽力されてきた。今までよく頑張って来ましたね」
よしよしとリアン司教に頭を撫でられて、わたしはこつん。と、額を彼の胸に当てていた。司教の声はナイルに似てるんだ。初めて会った時から彼に警戒を抱けなかった理由がいま分かった様な気がした。
「司教…」
こんなにもわたしはナイルが恋しいのだ。だから彼に似てる他人にさらにその面影を求めてしまうのだろう。
「さぞお辛いでしょう。もう泣いていいのですよ。まりか公女」
リアンに背を撫でられて、わたしは目元が潤んで来た。
「あなたは哀しみのなかにあって、涙を見せるときが無かったと聞いております。感情を押し殺してきた結果でしょう。もう我慢する必要はないのですよ」
「嫌です」
司教の優しい声をわたしは遮った。
「公女?」
「だって泣いてしまったら認めなくてはいけなくなります。あの人の死を。そんなの嫌なんです。わたしだけは信じたいんです。あの人が生きてるのだと。あの人がいなければ、この世界にわたしが存在する理由はないから」
涙が溢れそうになるのを堪えてると、司教の指がそれを払った。
「あなたはいけない人だ。まりか。そんな目で見られたら誘惑されてるのかと錯覚してしまいますよ。男の心は脆いものですから」
リアン司教が額に触れるだけのキスを送って来た。
「あなたの悲しみは当然のことです。愛する人を喪ったのですから。でもあなたはまだ若い。これから先も他に良い男性が現れるかもしれません。あのハインツのように雄々しい若者がね。亡くなった御方に操をたてる必要はないと思われますよ」
「リアン司教は意地悪なんですね。わたしはナイルの他に思う相手など必要ありません。これから先もずっと。わたしの心のなかに住み続けるナイルが色褪せることはないのですから」
この世界に来た時から思い続けて来た相手だ。そのナイルを忘れて誰かと恋に落ちるなんて考えられないと言えば、司教はどこか遠くを見る様な目をして言った。
「もしもそのあなたの思う御方が生きていたとして、なにか理由がってあなたの傍にいられなくなったとしてもあなたはその方を想い続けていられますか? 常に傍にありたいと願うのではないでしょうか? まりか」
「いいえ。生きていてくれたらそれでいいんです。この世界のどこかに居てくれるならわたしは空を見上げてあの人を想っていられますから。どんな姿に変わろうともあの人を愛し続けます」




