EP-207 邂逅
「音無さん。もしかして貴方は私なのですか?」
風に吹かれたその言ノ葉が音無さんの面布を僅かに捲り、ほんの一瞬だけ彼の素顔を晒す。瞳の色が紫色に変わっているけれど間違いない。それは私の胸の中に残る僅かな疑念を確信に変えた。
それから暫しの静寂の後、音無さんは静かに息を吐いて口を開いた。
「そうだよ。よく分かったね」
「えへへ。思えば声も私の音だ。どうして気付かなかったんだろう」
「自分の声を録音して聴くと違って聴こえるものだから」
これまでの丁寧な口調が無くなり飾らない話し言葉になる音無さん。いいや、これからは紫音と言う方が正しいか。
「というか俺よりも変化が激しいのはそっちだから。女の子になっているし、耳と尻尾が生えているし」
「わぅ、否定できない」
「でもまぁ、元気に暮らせているみたいで何よりだよ」
「ん、お陰様で。で良いのかな?」
どちらからということも無く笑い合う私達。だって自分と向かい合って話しをするなんて不思議が過ぎるんだもの。
でもそれもやがて収まり再び静寂が訪れる。お互い聞きたいこと、話さないといけないことがあり過ぎるんだもの。
「お前はさ、俺達が事故に遭ったときのことをどれくらい知っている?」
「わぅ、目が覚めたら狼の耳と尻尾がある女の子になっていたということくらい」
「改めて聞くとよくも順応性できたものだな。俺の方はそうだな。ある意味では似たような感じだったよ」
そう言うと彼は何があったのか順を追って話し始める。
事故の後に目を覚ました彼は気が付くと霧の中にいた。鮮やかな朱色の架橋の上に立っていて、その柵の上にイノリが佇んでいたという。
そのイノリは話しかけてきて、彼は自身に起きた事とイノリの正体を知った。異なる世界からやってきて奇跡的に出会ったこと。たくさん世話になり感謝をしていたこと。事故に遭い、命を賭して助けようとしてくれたこと。
「ちなみにイノリは元々いた世界では獣人族のお姫様だったらしいぞ。他の種族から酷い仕打ちを受けていて、最後まで抗ったが敗走。逃げるようにあの世界に逃げてきたんだとさ」
「くぅーん」
「辛いことだけど俺達にはどうにもならないことだ。それにイノリは本当の最期にお前を助けられたことを誇りに思っていたよ。自分の代わりに先立った仲間に胸を張って会いに行けるってな」
「それならイノリはもう」
「あぁ、彼女の心はもう還った。でも最期に残った魂の一欠片を俺に残してくれたんだ」
最期に別れを告げたイノリは残り僅かな魂の残滓を全て彼に与えた。そして紫音の身体に宿る紫音の魂とイノリの想いが一つに合わさって完全な生命となり、紫音の身体に宿ることで彼は守り人として生誕したのだ。
「はぇー。壮絶な人生だねぇ」
「生きているかはもう怪しいところだけどな。少なくとも俺はもうヒトでは無い。分類するなら妖や妖怪に近い存在だ」
「それを言うなら私も半分は狼なんだけど」
「確かに。違う存在になったとはいえ、元々は同じ2つの命から生まれたんだ。本質はそう変わらないのかもな」
どちらからともなく笑い合った私達はそれから今まで何があったのかをたくさん話した。
女の子になって大変だった事を話せば妖になった苦労話を聞いて。ママのお手伝いをしていることを話せば守り人の仕事がどんなものかを聞いた。流石に狼の姿になれると言ったときは彼も驚きを隠せていなかったけどね。
ひとしきり会話に花を咲かせた合間に生まれる僅かな静寂。次は何を話そうかと考えていたとき、その問いかけはきた。
「詩音。その、家族の皆んなは元気に暮らしているのか?」
そう聞いた彼の声色が僅かに緊張で強張るのが分かる。
そうか。紫音が知っている当時の言ノ葉家はお互いの関係が冷たくて家の中が冷え切っていた。凍りついた心の氷を溶かしたのは奇しくもあのときの事故と、それによって生まれた私の存在だ。
彼には私の存在なんて知る由もない。だからまともに言葉を交わせないまま別れることになった家族のことが心残りだったんだ。
関係が悪くなった原因が何かいうのもアレだけど、彼は別に家族のことが嫌いなわけではない。むしろ自己肯定感が低い自分が嫌で皆んなに迷惑をかけていた。
だから余計に恩を返さず、謝ることもできずに先立ってしまったことが凄く辛かったと思う。
本来ならその後悔を取り返す術なんて存在しない。でも私には、私達にはある。あのとき切れた筈の縁の糸をイノリが繋いでくれたから。
「ママもパパも元気だよ。琴姉ぇはいつも通り。愛音は、ちょっと煩いくらいかも。でも皆んなで楽しく過ごせているよ」
「そうか、そうか。俺が居なくなった後、お前が頑張ってくれたんだな。ありがとう」
「わふ。どういたしまして、で良いのかな?」
「しかしなんだ。ママとパパってどういうことだ?」
「ああぁ!?そこからなのか!いや、それには深い訳があるんだよ」
それから私は彼に一生懸命弁明したけれど十分な理解を得られることは無かった。主食がお豆腐に差し替えられるのは思っている以上に大変なんだぞ。
「ははっ、楽しくやれているなら何よりだよ。俺はもう現世には行けないが、あのときと同じ間違いを繰り返さないよう大切にしろよ」
「勿論!そうだ。皆んなに何か伝えたいことはある?私が代わりに伝えておくよ」
「いいや。幸せに暮らしいている今を邪魔したくない。父さん達はそんなヒトでは無いと分かっているけど」
「ん、分かった」
「でもそうだな。いつかあのヒト達にその日が来たら、狭間の世界もそんなに悪くないって伝えてくれ。せいぜい最期まで生き足掻いたのなら道案内くらいはしてやるってな」
「わうー、そうなるのか。でもそれならきっと寂しくないね」
数奇な縁で2つの世界でそれぞれ生きる2人の私。昔は色々あったけど、それぞれが充実した今を過ごせているのならそれで良いと思うんだ。
それにしても本当に世の中は不思議なことが溢れているねぇ。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「やぁやぁ。一通り話したいことは済んだかね?」
私と私が話したいことをたくさん話して、それからはただ何気なく星空を見上げていた頃。竜神様が去ったときと変わらない調子で戻って来た。
「はい。お陰様で」
「衝撃の事実でいっぱいでした」
「まぁ、珍しい経験ができて良かったじゃないの。良いか悪いかは捉え方次第だけども」
「相変わらず無責任な奴じゃのぅ」
「あはは、さて詩音。君はそろそろ現世に還る時間になってきたけれども、その前に一つささやかなお土産をプレゼントしよう」
そう言って竜神様が懐から取り出したのは白銀色の鈴飾りだった。
私の手の平に収まる大きさのそれは光の浴び方で鮮やかな瑠璃色や透き通るほど綺麗な翡翠色に変わる不思議なもので、結ばれた紐は極彩に煌めいている。
幽霊や神様の存在を信じていないヒトであってもこれが何か特別な鈴であるということは直ぐに分かると思う。
だって神様にあって不思議な力を目の前で見たのに特に何も変わっていない私がそう感じるのだもの。狼の勘がそう言っているんだもの。これはもう間違いないよ。
「わふ、私と同じ色だ」
「イノリの魂は在るべきところに既に還った。それでも君と共に在りたいという一部の願いは消えずに残ったのがこれだよ」
「つまりイノリが遺した忘れ形見か」
「と言っても流石に儚すぎるからね。安定させるために十二神獣がそれぞれ神力を込めた十二色の糸を編んだ紐を結んでいる。要はちょっとご利益のある御守りだな」
「ちょっとどころではないがのぅ。これほどの神器は妾ですら見たことが無いぞ」
「これはお前さんがこの狭間の世界で繋いだ縁の証だ。これを持って現世に戻ればここで得た記憶を忘れないで済む」
「なんと!ありがとうございます」
竜神様から鈴を受け取った私は言われた通り無くさないようにポシェットに入れる。
何だか身体の内側から元気が漲ってきた気がする。いや、やっぱりそうでもないかも知れない。何かそういう不思議な力に関しては結局よく分からないままだったな。
「ほれ行くぞ詩音」
「うん。それじゃあ私、竜神様。今までたくさん世話になりました。さようならです」
「あぁ。さようなら」
「あーい。またねー」
いつの間にか狐鳴さんの目の前に朱色の鳥居が現れる。曰く、ここを通ればキャンプ場に戻ることができるらしい。
私は狐鳴さんと手を繋ぎ、見送る2人に見送られながら現世の世界に帰還した。
狐「ところで竜よ。ちと聞きたいことがあるんじゃが」
竜「なんじゃらほい」
狐「お主はオトナシの名を知ったおったようじゃが、あれは詩音が付けた名前なのじゃよ。それまで奴には名前がなかったそうじゃ」
竜「ふむふむ」
狐「そもそも彼奴の身体は既に亡き者となっておる。いくら魂が完全体になろうと欠けた器では転生できん。それこそ何処ぞの神が手を貸したりしない限りはのぅ。何故に他の神黙っておった?」
竜「だって誰にも聞かれなかったし。その方が面白そうだし」
狐「此奴!そういうのを愉快犯というのじゃぞ」
竜「あはは。結果的に上手くいったから良いじゃないの」
狐「考えてみれば詩音と音無がいきなり出会えたことも出来過ぎておる。お主もしや全部分かっていたうえで謀ったのか」
竜「さぁ、どうだろうねー」
狐「まったく。相変わらずお主は食えないやつじゃのぅ」




