17.リタとして
エディトの幽霊を演じた日から私は悪夢を見なくなった。
エディトの無念が晴れたからか、ツェーザルが私はリタであると言い切ってくれたからか、理由はわからないけれど、ツェーザルの胸の暖かさが私に安心感を与えてくれたことだけはわかっていた。
ぐっすりと安眠できるようになり、私は穏やかな日々を過ごしている。
「店長、今度は押し倒してみてはどうですか? でも、あのごついツェーザル様はちょっとやそっとで倒れないか」
テアの冗談にも慣れてきた。彼女なりに私の幸せを願っているとわかるから。
「体を鍛えないと無理ね。一歳ぐらいのツェーザル様なら可能だけれど」
「店長、それは犯罪者ですから、止めてくださいね」
ちょっと困った顔でデアがおどけてみせた。
「店長、楽しそうですね。気負いが抜けてきていい表情になってますよ」
ミルコも笑いながらこちらを見ている。それでも、作業の手を止めないのはさすがだ。
確かに少し気負いすぎていたかもしれない。私はこの世界で一人ではない。家族も店の仲間もいるし、私を護ってくれる人もいる。
私はエディトのように裏切られるのが怖くて、一人で生きていこうと頑なになっていたけれど、私自身の幸せを求めてもいいかと思い始めていた。
ロビンの顛末は父と兄から聞かされた。
「局長が前夫人を殺した罪で死刑となる。新しい局長には前局長の妹の次男が就くことに決まったので、混乱はそれほどないと思うが、しばらく残業が続くだろう。覚悟しておいてくれ」
エディトの従弟にあたるその人物を覚えている。エディトより二歳年下の彼は産業局の見習い職員だった。負けん気が強く、よくエディトに計算勝負を挑んできていた。それは、エディトを戦うに値すると認めていたから。女だというだけで頑なにエディトを認めなかった他の職員とは違っていた。
局長が殺人を犯して局長の地位を手に入れたとわかれば、産業局は大混乱に陥るだろうけれど、彼ならばきっと立て直せる。
「局長の奥様とお嬢様はどうなったの?」
エディトにとって夫人は夫を寝取った憎い相手であり、令嬢はロビンによく似た容姿をしていて裏切りの証拠であるけれど、二人ともロビンの所業を知っていたとは思えない。だから、破滅までは求めていない。
「奥様は修道院へ行くようだ。お嬢様は局長の実家であるグローマン伯爵家が引き取ることになった」
「あまり厳しくなくて、良かったですね」
そう心から言えるのは、エディトが他人と思えるようになってきたからかもしれない。
「そうそう、リタ。騎士団からあの片刃剣を大量に欲しいと言ってきたぞ。騎士団で採用している剣は戦争時に使用していたもので、金属鎧を着た者を相手することを想定して重く幅広に作られている。しかし、平時に使うには軽く切れ味がいいあの剣が便利だと。副将軍のゲイラー伯爵が自ら領地へ赴いて細かい仕様を伝えたいと言ってきたので、リタも一緒に行って、仕入れの勉強をしてみるか?」
「ゲイラー伯爵って、どなたですか?」
あまり社交界には詳しくないけれど、ゲイラー伯爵という名は今まで聞いたことがない。
「ハルフォーフ将軍家の次男だよ。先日正式に独立して副将軍となったそうだ。テアからリタが押し倒したと聞いていたが。知らないのか?」
いくら父親でも、そんな恥ずかしいことを言わないで欲しい。
「え? ツェーザル様なの? 私は押し倒してなんかいませんから。抱きついただけですから」
「まぁ。抱きついたの? それは大変。責任を取らなくてはいけませんね」
母は両手を合わせて嬉しそうに微笑んでいたが、話の内容は変である。
「あ、あれは、不可抗力というか、勢いというか。とにかくツェーザル様のせいではなくて、悪いのは私だから」
「わかってますよ。リタから抱きついたのでしょう? だから、責任を取らなくてはね。もし婚約のお話がきたらよく考えてみてね。すぐさま断ったりしたら、純情な殿方を弄んだ悪女と思われてしまうわよ」
確かにツェーザルは見かけによらず純情そうだった。
「悪女にはなりたくないから、考慮はしてみます」
なんだか母の策略にはまってしまったような気がする。
でも、副将軍で伯爵のツェーザルは、店長として働いているような女を妻に選んだりしないのではないかと思った。
そして、またツェーザルの休日がやってくる。
私は店へ行く前に英雄広場に行くと、やはり彫像のように不動で佇むツェーザルがいた。
「おはようございます」
そう声をかけるとツェーザルがこちらを向いた。
「リタ嬢、おはようございます」
いつもと同じ穏やかな声。この声を毎朝聞くのも悪くないと思ってしまう。
「父からロビンのことを聞きました」
そう告げるとツェーザルは微笑んでくれた。
「産業局は大変そうですが、これでエディトさんの無念は晴らせそうですね。エディトさんにかけられていた不貞疑惑も払拭できそうですし、本当に良かった」
「はい。ツェーザル様のお陰です」
「いいえ、私は何もしていません。貴女が頑張ったからですよ。でも、怖い思いをさせてしまった」
申し訳なさそうに目を伏せるツェーザル。こんなにも私を気遣ってくれる人ならな、私を裏切って殺したりは絶対にしないだろうと確信が持てた。
「ツェーザル様。正式に副将軍閣下になられたと伺いました。おめでとうございます。あの…… ご結婚でも決まったのですか?」
それは単なる疑問だったので気軽に口にしたが、聞いてしまってから後悔した。笑顔で婚約報告などされたら、きっと辛くなってしまう。
「私はこんな見かけですから、女性に怖がられることが多いのです。だから、私との結婚を受けてくれる女性がいるのなら、どんな方でも結婚しようと思っていました。しかし、兄と義姉を見て考えを改めたのです。兄は姉を心から愛し尊敬しています。義姉もそうです。そんな二人を見ていると、誰でもいいから結婚するというのは、相手にも失礼なことだと思い至ったのです。私は人として尊敬でき、女性として愛せるような方と結婚したいと思っております。一生結婚できないかもしれませんが」
ツェーザルらしくない自嘲気味の笑みを浮かべている。
「ツェーザル様はとても素敵な方ですから、お相手ぐらいすぐに見つかりますよ」
「そう言ってくれるのはリタ嬢ぐらいですね。リタ嬢は結婚されないのですか?」
私はもうすぐ十七歳になる。同い年の令嬢は殆ど婚約していると聞いていた。
「私はエディトの記憶を持って産まれてきたので、夫に裏切られて殺されるのかと思うと怖くて、一人で生きていこうと思っていました。だけど、エディトが味わえなかった幸せな結婚を経験してもいいかなと、最近思ってしまうのです」
ロビンより酷い男は少ないと思う。適当に結婚相手を選んでも、エディトのように不幸な結果になることは稀かもしれない。
「それでは、私にも可能性はありますね。貴女を幸せにできる男かどうか、私を試してみませんか?」
少し焦っているのか、ツェーザルの声はいつもより高く早口になっている。
「そ、そんな。ツェーザル様を試すなんておこがましすぎます。ツェーザル様こそ、私を試してみてくれますか?」
私はツェーザルに愛され尊敬されるような女性になることができるのか? 自信はないけれど、でも、簡単に諦めたくはない。
「私はこの場所で初めて出会った時から、貴女に心惹かれておりましたから。試す必要はありませんね」
「それは、ちょっと安易すぎるのではないかと思うのです。もう少し精査した方がよろしいかと」
「それでは、手始めにリタ嬢のお店でお茶をいただきましょうか」
ツェーザルが手を差し出した。私はその手を取る。
これがリタである私の初恋だった。




