後編
同時投稿の後編になります。
前編からご覧いただきますようお願いいたします。
05
十年、彼は魔女の元で修行した。
才能がからっきしだったので魔法は全く使えないが、知識は別だ。
魔法薬になる薬草や毒草の見分け方。
森の中での安全な野営の方法。
様々な魔獣の追い方、倒し方。
魔獣の使う危険な魔法の避け方も。
獣を獲る罠の作り方。
蛇や虫の解毒法。
文字の読み書きは現代語のみならず、古代語まで。
森を出て辿り着いた街で、冒険者の荷物持ちとして雇われた彼の有能さは直ぐに知れ渡った。
そして街に来ていた王国第二騎士団の団長直々に、その才を求められた。
求めに応じた彼は騎士団の中で必死に働くうちに団員たちの信頼を得、歳を召した団長の代理を務めるまでになっていた。
指折り数えてみれば、森を出て更に十の歳月が過ぎていた。
「団長代理も、間もなく昇進ッスねぇ。ついでに俺も引っ張り上げて下さいよ」
「出世したければ真面目に働け、バァカ」
「へぇーぃ」
若い団員の頭をはたいて、彼は王城の廊下を歩く。
隣には副官が控えていていくつもの書類を抱えていた。どちらかと言えば現場に出たがりの彼にとって、副官の存在はとてもありがたい。
「昇進……か」
彼の今の身分は、王国第二騎士団の団長代理。
老齢を理由に半ば隠居状態だった団長の推薦を受けて、王より直々に騎士団団長就任を打診されて受けたところだった。
よっぽどのことが無ければ、覆ることは無いだろう。
――俺が、孤児だった俺が王国騎士団の団長か。
平民にとっては、おおよそ考えうる最高の出世だろう。
ましてやそれが三十にもならないくらいの、まだまだ若造と言える彼であれば破格としか言いようが無い。
あの森の中で過ごしたのと、ほぼ同じ期間を人の世で過ごした。
森の魔女は物知りで様々なことを教えてくれたが、知るのと実際にやってみることの間には大きな隔たりがある。
ましてや人とは関わらずに生きていた魔女が教えてくれたことの中には、間違っているものやすっかり変わってしまっているものもあった。
長いようで短いようで、濃密な日々だった。
夢中に、必死に、がむしゃらにやってきた。
その成果が、今実を結ぼうとしている。
ふと若い団員が、感慨に耽っている彼に声を掛けた。
「そいやですよ団長代理。これを機に結婚はしないンすか?」
「……ああ、そういえば団長代理は独り身でしたね」
不思議そうに首を傾げる副官に、彼はふと考える。
人の世に混じって暮らすようになって知ったことだが。
どうやら彼は、顔は悪くないらしい。
騎士団の幹部ということで稼ぎも良い。
そして若く、有能。
さらに独り身。
となれば当然、女たちが放って置くはずが無い。
凄くモテた。
カフェの看板娘が、魔導学校の学生が、騎士見習いが、居酒屋の店員が、酌婦が、娼婦が、人妻が、貴族のお嬢様が彼にすり寄ってきた。
半ば火遊び目的の者もいれば、彼の財産を狙う者も、本気の者もいた。
女ばかりか、一部の男どもも彼を狙って来た。
将来の有望株とみれば縁を結んでおきたいと思うもので、彼を娘婿に迎えたいとする下級貴族までいたくらいだ。
その全てを彼はどうにかこうにか穏便にお断りしてきた。
心に決めた人がいるから、と。
余りに彼が誰にも靡かないので男色家の噂が立ったほどだ。
心に決めた人などいない、男色家であることを隠すための方便だ、と。
いくらそれを否定した所で、女たちの秋波に靡かないのは事実なのだ。
巷では、彼の思い人が誰なのかで賭けまでやっているのだとか。
……一番人気が第三王子(4歳児)というのがあらゆる意味で度し難い。
さておき、結婚問題である。
世間一般の感覚で言えば、彼はとっくに良い歳という奴だ。
行き遅れならぬ貰い遅れである。
なんなら子どもが二、三人いてもおかしくは無いのだ。
胸中に、あの日の誓いが蘇る。
見分を広めあの森へと帰るのだ。
あの魔女を迎えに。
十年の歳月で、彼は十分見分を広めたと言って良いだろう。
新たな騎士団の団長にもなる。一門の男になったとも言えるだろう。
人の世にも魔法の探究をするものもいる。相変わらず彼自身は魔法を使えないが、多くの珍しい魔法研究書も手に入れた。きっとよい土産となるだろう。
研究書を前に、目を輝かせ喜ぶあの人の顔が脳裏に浮かんだ。
あんな別れ方だったが、あの人はきっと笑顔で迎えてくれるだろう。
こちらに出てきてから覚えた料理に舌鼓を打つあの人の笑顔。
遠い異国に伝わる伝説を興味深そうに聞くあの人。
最近発明された魔法石を組み込んだランタンを分解しようとするあの人。
護符が役に立ったと聞いて得意そうにするあの人。
あの人の顔が、笑顔が、笑い顔が、微笑みが、声を立てて笑う顔が、ニヤニヤ顔が、鼻で笑う顔が、喜びに笑う顔が。
心に溢れてくる感情は。
――逢いたい。
ならば。
「良いのだろうか」
「? 何がですか?」
「俺があの人を迎えに行ってもだ」
目を丸くした副官が手にした書類の束を落とし、絶句する若い団員と顔を見合わせて固まった。
06
第二騎士団団長代理に、思い人がいる。
その噂は風の様に王都中を駆け巡る。
余りに噂になっているので、彼自身辟易するほどだった。どこに顔を出しても同じことを尋ねられる――つまり、「相手は誰なんだ!?」
「……たいせつな人だよ」
答えになっていない答えを返せば、また人々の好奇心を掻き立てる。
こんな調子では、きっとあの人は一緒に来てくれたとしても、また森に引っ込んでしまうかも知れない。
そんなことを考えながらも、彼は仕事をこなしてなんとか休暇をもぎ取った。
あの人が彼の望みに応じてくれるにしろくれないにしろ、一度里帰りしておくのは悪くない考えだ。
なにより、一度逢いたい、と思ってしまえばその心を抑えつけるのは不可能だった。
そしてようやく、彼は多忙を押しての休みを得る。
意気揚々と懐かしき魔女の森、その手前の街へと辿り着いた、その日。
隣国の軍が突如、国境を破って国内に押し入ってきたという噂が街へと飛び込んできた。
寝耳に水の話だった。
隣国とは長らく友好関係を築いていたはずだ。
商取引で大きな問題でもあったのか、あるいは政変か。
驚きながらも騎士団の団長代理として、情報を得ねばならない。
彼は騎士団の駐屯地へと向かった。
直ぐに斥候が戻ってくる。息も絶え絶えの斥候は語った。
敵軍が魔女の森の方を目指している。
森を侵攻の拠点にしようとしている、と。
彼はその瞬間、何もかもを投げ捨てた。駐屯地に備えている馬を奪い、愛剣一つを担いで夕暮れの街を駆け抜け、森へと一直線に。
07
森の傍で敵の軍は野営を行っていた。数は一千ほどもいるだろうか。
まだ森の奥へとは入ってはいないようだ。
間に合った、と安堵することも無い。
人が生きるには食べ物と水が必要だ。
そして目の前に森と湖があるのだ。分け入って狩りをしない理由は無い。
彼の故郷が。
魔女の森が荒らされる。
戦争相手の国の魔女がどのような扱いをされるのかなど、考える間でもない。
欠片たりとも許容できるはずが無い。
彼は魂の出力を全開にすると、単騎敵の野営へと突撃する。
満月の夜に、悲鳴と、血飛沫が舞い上がった。
二日後。
ようやく体勢を整えた王国騎士団が見たのは、壮絶な戦いの跡だった。
焼けたテント。
ひっくり返った鍋。
数百もの敵軍の遺体が、夥しい血の跡に沈んでいる。
「これ……団長代理が一人でやったんだよな……」
「その、はずだが……」
深夜、奇襲を受けた敵軍は大混乱に陥った。
たった独りということが幸いし、しかも早々に敵の指揮官を討ち取ったため被害が拡大したのだ。
敵軍は潰走し、国境向こうまで撤退していることを既に確認してある。
「いたぞ! 団長代理だ!」
そして騎士たちは、野営地跡の最奥――森の入口の傍で、それを見た。
全身に槍と剣と弓を突き立てられ、片腕を失い、返り血と自らの流血で赤黒く染まったままに立つ彼の姿を。
余りに壮絶な姿に、誰もが恐怖を覚える。
生きているはずが無い。
明らかに心臓を貫かれている。
とにかくこのままにしておけない、弔わねば。
そう思って近づいた団員たちは、更に驚いた。
死んでいるはずだ。
なのに、彼は動いた。
ガクンガクンと、生者ならざる動きで、近づこうとする者に半ばから折れた剣を向けたのだ。
「ばかな、そんな!」
誰かが叫んだ。
「……喪生なる者!!」
08
寝台に座った王は、昼間にされた報告を思い出していた。
隣国が攻め込んできたこと。
応戦に向かった騎士団が見た、あの団長代理の壮絶な戦いの跡。
そして――
「有望な若者と思っていたが……」
灯りを落とした部屋に、呟き声はどこにも届くことなく消えるはずだったというのに、
「……そう。あの子は、王様にさえ認められていたのね。育ての親として誇らしく思いますわ」
柔らかい声がして、王は、窓の方を見た。
そこには、一人の黒衣に身を包んだ女性が立っていた。
「――魔女か」
「夜分、失礼いたしますわ、国王陛下」
窓から差し込む月の光の下で、魔女は微笑んだ。
「何用かね? 先だって森を騒がせたのは我が国の者ではないが」
「存じております」
王は、古い約束を知っていた。そして守っていた。
祖父の代に、魔女と王国は互いに干渉しないと定めたことを。
「そして不埒者を追い払ったのが、一人の若者であることも……なにせ彼は、わたしが育てましたゆえ」
「……そうであったか」
あの若者が、孤児であり、ある識者に育てられたということは聞いていた。
だが、まさかそれが森の魔女であったとは。
おそらく彼は、育ての親が魔女ということを誰にも話してはいない。
余計な騒ぎが及ぶことを、魔女が望まなかったから。
「かの者は国難をたった独りで払ってくれた。王として、篤く礼を申す――が、」
そしてまた、王として、成さねばならないことがある。
「……その先は言わなくてもわかります、王よ。今日、訪れたのは他でもない。頼みがあるのです」
王は、魔女の顔を見た。
余りに儚く、折れてしまいそうな微笑み。
09
王の寝所を辞した森の魔女は、風に乗って空を行く。
僅かな間に王城から森の傍へと戻ってきた彼女は、月明かりの下を歩き……そして、彼の前へと至った。
「馬鹿な子。わたしがどれだけ生きたと思っているの……追われるのなんて慣れているのに」
そんなことも知らない彼は、森を、そして恩ある魔女を守ろうと戦った。
戦って戦って、命すら失って、それでもなお、未だ倒れず。
魔女を守ろうとしている。
……魔法を行使するには、魂の力が必要であるとされている。
そしてある程度以上の魂の強さを持つ者が強過ぎる意志や未練を抱えたまま死すと、死して尚その願いをかなえようと動き続けることがあるのだ。
それを、喪生なる者、という。
生と死のどちらの理からも外れてしまった、忌むべき存在だ。
「本当に、馬鹿な子」
アンデッドになりたてのうちは、まだ良い。
最初に抱えた願いに沿って動く。
彼の場合は、この森を守る、だろうか。
敵も味方も関係なく、ただ森に近づく存在を追い払おうとするだけだ。
だがその内、願いの形も曖昧になり、生きとし生けるものを見境なく攻撃するようになる。
森を守るということも忘れ、ただ動くもの全てを手あたり次第襲う、そんな存在に。
そうなってしまえば厄介だ。
暴走した魂の力は瘴気を帯びて、その身体を再生し、動かし続ける。
アンデッドは暴走する前に、魂ごと滅ぼし尽くさねばならないのである。
王は、それを決意していた。
だが魔女は、その役目を自らが負った。
「だって、他に譲る訳にはいかないじゃない。ねぇ?」
無造作に魔女は、正気も命も無い、愛し子の動く骸に近づく。
彼は――彼の骸は、ぶつぶつと何かを呟いていた。
まもる、まもる、ししょう、まもる、まじょさま、まもる……
「ほんと、馬鹿な子」
近づいて来た魔女に反応して、彼は折れた剣を振るった。
魔女は避けること無く、肩にその剣を受ける。
そしてそのまま彼に抱き着いた。
「迎えに来るって言ったじゃない……ばか」
魔女はありったけの魔力で、炎の魔法を発動する。
足元から吹き上がる炎が二人を包む。
人は人の間で生きていくべきなのだ、彼女は何度も彼に言った。
それは魔女たちの間に伝わる言葉だったが、森の魔女は、その意味を勘違いしていた。
人と魔女はよく似ているから、一緒に暮らすとやがて軋轢が生まれる。
だから一緒に暮らすべきではない、と勘違いしていた。
そうではなかった。
永い永い時を過ごす魔女にとって、人間の生は眩しすぎる。
短い時間の中で懸命に生きるその姿に惹かれる。
そして絆される。
人と魔女の間に絆が結ばれてしまえば、引っ張られ、その在り方を歪めてしまうのは魔女の方だ。
だから、人は人の中で生きるべきだと教え、距離を置く。
自らをも焼き尽くす炎の中にあって、魔女は、愛し子の身体を抱きしめた。
「本当に、あんたなんか拾うんじゃなかった……」
かあさま、まもる、まもる
「馬鹿ね」
ごう、と炎は燃え盛る。
歪んだ願いも魂も、一つにして燃やし尽くすように――
のちに、アンデッドを見張っていた騎士たちは求められて王に語った。
炎の中で揺らめく二人の最期は、まるで恋人同士が抱き合うようだった、と。
10
王は、魔女の遺した願いを聞き届けた。
アンデッドを討伐したのちには、その魂の最後の欠片をも浄化するために小さくても良いので碑を建てる必要がある。場所に執着したアンデッドの場合は特に。
魔女がいなくなったことで、森の傍には村が建てられた。そしていつ頃からか、森の入口近くあるその小さな石碑は、守りの碑と呼ばれるようになった。
石碑に祈ると、不思議と怪我や事故に遭わなくなるからだ。
やがて村に人が増え、町へとなった。
道路を走るのは馬車ではなく自動車となり、魔法の力も忘れられてなお。
その石碑は、森の傍にあった。
町の人々はもう、自分たちの町の由来を知らない。
だけど、二つのことだけは忘ずずっと伝えられてきた。
この町には守護の騎士がいること。
直ぐ傍の森には、魔女がいること。
この町には不思議な伝説がある。
他所から逃げ込んだ犯罪者が、何故か翌朝には縛られて警察署の前に放り出されているのだ。
取り調べで彼らは言う。
夢の中で甲冑を着た騎士に捕まえられ、目が覚めたら警察にいた、と。
普通だったら世迷い言と笑うところだが、警官たちはそれを笑わない。
なぜなら、彼らもまたその騎士に会ったことがあるからだ。
森の中は子どもたちの遊び場でもある。
今はいい歳になった警官たちも他の大人たちも、誰でもかつては森の中で遊びまわって、一度くらいは迷子になる。
すると森の中に、一軒の屋敷に辿り着くのだ。
そこには黒衣の魔女と剣を帯びた騎士服の青年がいて、迷い込んだ子どもたちにお茶とお菓子を振舞ってくれる。
美味しいお菓子に不安を忘れた子どもたちはやがて眠りについて、自分の家のベッドで目が覚めるのだ。
いくら探し回っても、森の中に屋敷など見つからない。
時代がかった甲冑の騎士もいるはずもない。
それでも彼ら町の人々は、騎士と魔女の存在を信じて疑うことは無く、今日も森の入口で石碑に祈る。
きっと森の魔女様と、鎧の騎士様が見守っていてくれるから。
Twitterの #魔女集会で会いましょう がぶっ刺さった挙句、
ハリネズミの様になってしまった衝動を昇華するために
イラストの代わりにショートストーリーを書いてみました。
いかがだったでしょうか。
他の作品に触発されて、というスタート地点だったため、
今まで書いて来たのとはまた違う味の作品が書けたと思います。
悲恋とかアンハッピーエンドとか、趣味じゃなかったはずなのに
まさか自分で自発的に書くことがあるとは思わなかった。
また「イラスト的な小説」を意識して書いたので、
普段だったらやらないような文体や省略法、
もしかしたら小説技法としてはNGかも知れないことを
実験的に行っています。
上手く機能していれば良いのですが。
楽しんでいただけましたら幸いです。
またTwitter上には同じハッシュタグで素敵過ぎるイラストが
山の様に投稿されていますので、ぜひそちらも楽しんでいただけましたらと思います。
それでは、また。