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4話(1)

 私の新しい故郷ファロンの夏は、雨が少ない。宮大工の仕事が一番多い季節でもあり、お父さんは忙しそうだった。そんな事もあり、お母さんも大変忙しく働いていた。両親の姿を見ていると、自分は何もしないで家にいて良いのだろうか……とひしひしと感じていた。前の家で様々な失敗をして、散々罵られて来たが、それは、つい先日のことだ。あの日々を思い出すと、思わず震え上がってしまう。自分の失敗で、今の温かい家族の中から、再び弾き出されてしまうというのは絶対嫌だった。そのためには、何か役に立つことをしなければならないという焦りと、不安が少しずつ強くなって行く。今は食事の時に、お皿を並べたり、ちょっとした掃除をする程度の手伝いしかしていない。このままで良いとは、私には思えなかったのだ。

 ある日のこと、洗濯物を干し終えたお母さんに話しかけられた。太陽は明るく私たちを照らしている。

「少しは慣れたかしら。何か困っていることはない?」

どきりとする。もしかしたら私の顔には、不安の雲が影を作っていたのかもしれない。思わず無言でうつむいてしまった。

「どうしたのネイ。何か困ってることがあるの?」

自分の心の内を伝えるかどうかに迷いはあった。顔を上げてみると、お母さんは不安そうな表情で私を見つめている。それは心から私を心配してくれているんだ、思ってくれているんだと感じさせるに十分なものだった。私は意を決して、考えていることを話してみた。過去に自分が何もできなかったこと、失敗して叱られてきたこと。だからこそ、自分も家の中で何か役に立ちたいと心から願っていること。でもまた失敗するのではないかと恐れていること。それらを話し終えると、お母さんは私の頬に、そっと手を触れると、優しく囁きかけた。その声は震えている。

「つらかったのね。でも大丈夫よ」

そして息を一つ吸い込んでから、続けて話しかけてくれた。

「家の役に立ちたいというのは、私も忙しいからとても助かるわ。でも大丈夫よ。最初から何でもうまくできる人はいないし、私もなるたけ優しく教えてあげるから、手伝ってちょうだいね。この家ではみんな、あなたの味方だからね」

私は思わず抱きついた。

(この人は、私にとって本当のお母さんだ)

そう思うと、益々この家族から離れたくないと心から思った。

 布を織る・配膳をすると言った仕事から、お母さんは教えてくれた。教え方が上手なので、上達するのが実感出来て楽しかった。そんな中で、ただ一つだけ困ったことがある。火が怖いのだ。あの揺らめく黄色や赤の輝きと、熱や煙を見ていると、動悸が止まらない。冷や汗が出て、めまいがしてくる。私から全てを奪って行った炎。自分と多くの人をを苦しめた火の揺らめきが恐ろしい。それを目の前にしただけで手は震え、自分の顔から血の気が失せていくのが解る。でも、火を扱えないことを知られる事も嫌だった。前の家族の「使えない子」という言葉は、思っていたよりも強力な呪いとなって、私を未だに苦しめていた。火は本当に恐ろしい。でも「働けない」からと家族に見捨てられる事もまた、同じくらい怖くてたまらない。でもどうして良いか解らず、いくら考えても、結局自分で頑張るしか無いという答えしかでなかった。そうこうしている内に、二つの恐怖心は絡み合い、益々深く私を傷つけていった。

 自分の秘めた悩みは、ある日とうとう限界を迎えてしまう。かまどの前で座り込んで、ガタガタと震えが止まらなくなってしまったのだった。情けなくて涙が流れる。

「え?大丈夫?」

お母さんが私の手をそっと握って、心配そうに顔を覗き込んでくれる。

「ネイ、具合悪いの?顔色が良くないわ。ちょっと頑張り過ぎちゃったかな。辛い時は、何でも言って頂戴ね。大切な家族なんだから」

お母さんの顔を見ると、茶色の瞳は心配の色で染まっているのが解った。心から私の事を心配してくれているのは解かるが、体は言う事を効かない。頭も混乱してしまい、何が何だかわからなかった。お母さんは見かねて、その場から私を引き離した。となりの部屋に布を敷き、そこで私を休ませてくれた。火の始末をしてから戻ってきた後は、私の手を握り

「どうしたの、本当に心配……」

と言って、付き添ってくれる。火から離れた事で少し落ち着くと、自分が情けなくて涙が止まらなくなってしまう。

「落ち着くまで一緒に居てあげるから、安心して。あなたがこんな風になるなんて、何か理由があるんでしょうね」

と声を掛けてくれるが、それ以上は何も聞いてこない。その気持ちが本当に嬉しかった。本当なら忙しい筈なのに、全てを放り出して付き添ってくれている。その優しさが身にしみる。この人になら、全部話した方が良いのかもしれないと思い始めていた。

「あの……」

暫くして私は、小さく震える声を出す。お母さんは小首をかしげて、優しく微笑みかけてくれた。

「お話ししても良いですか?」

小声で恐る恐る尋ねてみる。

「ええ、勿論。どんな話でも、絶対に笑ったり、怒ったりしないから安心して」

お母さんの返事に、自分の思いを打ち明ける決心が付いた。

「火が怖いんです……とても怖くて、どうしようも無いんです。だって火事で……」

お母さんに抱きつき、涙声で白状したが、それ以上は言葉が続かなかった。お母さんは私を抱きしめると、そっと私の頬の涙を拭い、優しく話してくれる。

「そうだったわね。辛かったでしょう。気がつかなくて本当にごめんね」

それを聞いて私は、かぶりを振った。

「お母さんじゃ無くて、私がいけないんです」

そう口にしてから、この家に来てから最も大きな声で泣き出してしまった。お母さんは、背中を撫でては「大丈夫よ」と慰めてくれる。涙が収まるまでには、結構な時間がかかった。しゃくり上げる程にまでなった時に、また優しい声が聞こえた。

「少し落ち着いた?」

私は「はい」と返事をすると、故郷の火事が本当に怖かった事、それ以来は火が怖くてたまらない事を伝えた。

「怖くて、情けなくて……」

それ以上言葉が続を続けられなかった。

「本当に辛かったのね。話してくれてありがとう」

お母さんは、そう言いながら私の頭を撫でてくれた。

「ネイは、火が怖い物である事を知っています。火を扱う時は『怖いから注意しなくちゃ』って事を絶対に忘れちゃだめなの。確かに危ないもの」

「でも、火に全然近づけないと、家の役に立てないから……」

そう話すと、お母さんは私を見つめ

「役に立たないなんて言わないで。ネイが家に居るだけで、私たちは、本当に幸せなのよ。だから、安心して頂戴ね」

と慰めてくれる。自分には、居場所があるのだという事を言って貰えたのは嬉しかった。

「お母さん、ありがとう。でも、それだけじゃ無くて、家族の為に働きたいんです……」

「ネイ、あなたは偉いわ。私の自慢の娘よ」

見上げると、お母さんは涙目で微笑みかけてくれている。役立たずと言われて追い出された時から、自分は情けない人間だと思ってきた。それを「自慢の娘」と言ってくれた事が嬉しくて、少し元気が出た。

「でもこのままじゃ『火に負けた』みたいで悔しくない?」

そう言われると、そんな気もする。

「私も色々と考えるから、一緒にやってみましょうよ。火は大きくなると手に負えないけど、小さく飼い慣らすと便利な物ではあるの。相手を強くしないように気を付けながら、逆にやっつけてしまわない?」

その発想はなかったので、思わずクスっと笑ってしまった。

「必ずついてて上げるから大丈夫よ。少しづつ、やって行きましょうね」

「はい……」

自分の本心を話すことが出来て良かったという思いと、受け入れて貰えたという喜びは、とても大きかった。

(まだ心細いけど、お母さんの支えがあれば。きっと乗り越えられると思う……)

そんな確信は、不安よりも大きかった。安心から流れ出した涙は、先程とは違う意味を持っていた。困った事に、ひとしきり泣き終わるまで、随分と時間が掛かってしまう。それに付き合って貰ったお陰で、調理が間に合わず、その日のおかずは冷たい物ばかりになってしまった。

 翌日から、炎に帯する恐怖を乗り越えるための訓練が始まった。最初は、赤く光るだけの種火を見せて貰う所から始めた。それから段々と大きな火を見せて貰って行く。言葉を違えず、いつでもそばに寄り添ってくれる。時に不安が強くなってしまったり、泣き出してしまう事もあった。でもお母さんは嫌な顔一つせず、丁寧に注意深く、そして優しく教えてくれる。怖がる私を否定する事無く、静かに抱きしめながら、辛抱強く付き添ってくれる。何が危ないのかという事や、危ない時の対応なども細かく教えてくれる。

「ネイくらいの時に、同じように色々教えて貰ったのよ。今度は私が教える番。娘に教えられるって、本当に楽しいわ」

そう言って貰うと本当に救われる。その甲斐あって、夏が終わる頃には、普通の人と同じ程度には火に近づけるようになり、秋の終わりには、とうとう火起こしをする事が出来たのだった。

「ネイは本当に偉いわよ。今日はご褒美に、みんなに内緒で、おやつを余分につけてあげるわね」

「お母さんありがとう」

その日は、いつもの木の実だけでなく、私にだけ干したイチジクを付けてくれたのだった。

 この家に来てからというもの、食事もちゃんと食べさせて貰えているので、少し背も伸びて体重も増え、体力も付いてきた。井戸に行き水を汲む時も、以前ほど大変では無くなった。

(前は涙で顔を洗ってたなぁ……今は本当に幸せだわ!)

そう思わない日は、一日とて無かった。

 お父さんは仕事熱心。お酒も飲まない真面目な人だ。皆から信頼されていて、その分仕事も多い。雨の日でも殆ど家にいないくらいだった。子供と接する機会が少ない事もあり、アリジスと私が、上手くやってるかどうかをとても心配していた様だった。けれども、それはいらぬ心配だったのは間違い無い。

この家の本当の子供であるアリジス。彼は両親から宮大工の跡継ぎとして、大きな期待をかけられているのは、すぐに解った。お姉さんを亡くしていた事もあり、それは大切に育てられている。例えば木登りのような危険な遊びをすることを禁じられていた。この為に、近所の子供達と遊ぶ機会が少なくなってしまうのは、仕方が無いことだった。でも、引きこもっているばかりでは体力が付かないし、人と話をする機会も減ってしまう。そもそも、宮大工は体力が無いと務まらない。お父さんがコーミーに来たときの様に、時には危険を感じながらも他の町へ出なければならない事もあるからだ。そんな訳で、小さな頃から数日に一回、体力をつける為の習い事に通っていた。先生の元で、基礎的な体力や知識を身につける。最初に会ったときには感じなかったが、年の割に落ち着いているのは、大人達に囲まれる時間が長くて、色々と気を遣いながら過ごしているせいだろう。自分の身の上を考えると、私も周囲の大人の目を気にしやすい。自分と似ている所があると思うと、より気軽に話が出来た。互いに言いたいことも言える。アリジスは、私が養子である事は全く気に掛けていない。それを不思議に思って思い切って尋ねてみた事がある。彼は少し考えてから、静かに答えてくれた。

「ネイは僕の話を良く聞いてくれるから、僕も話を聞かなくちゃダメだと思うんだ。お姉さんの事は全然覚えていなくて、ずっと独りぼっちだったから、仲良くしたいんだ」

彼は笑顔で付け加える。

「考え方が似てると思う事も多いよ。たまに違うって思う事もあるけど、それはお互い様だと思うんだよね」

彼は背は小さいけど、大人だなぁと思った。一人になりたくないという気持ちを共有しているから、一緒にいて楽しいのだ思う。家族でもあり、一番仲の良い友達。お手伝い以外の時間で、彼が習い事に行かない日には、自宅で二人で中庭で遊ぶことが多い。びっくりしたのは、彼の投げ縄の腕前だった。宮大工は高い所に上って仕事をする事も多い。その為に、紐の扱いに慣れていなくてはならないのだという。結ぶ、縛る以外の使い方の一つに、投げ縄がある。十五歩程離れた所に棒をたて、そこに、先端に輪を作った縄を投げて、棒に輪を通す練習をしていたのだった。彼の腕前は、習い事の先生からも褒められたのだという。

「本当に上手だわ!」

「ネイもやってみる?」

彼の真似をして、頭上で縄を回そうとしても、うまく回らない。棒に引っかからないどころか、明後日の方向に飛んで行くありさまだった。

「うわぁ、これ難しいわ。アリジス、よくこんなこと出来るわね」

私が声を上げると、彼は得意そうに笑みを浮かべていた。

「良かったら教えてあげようか?」

「本当に?どうやってやるの?」

彼は偉ぶる事も無く、楽しそうに教えてくれる。それから暫くは、投げ縄でばかり遊んでいた。普通は、女の子が投げ縄をするなんてのは、はしたない事だと怒られるのだろうが、この家の人は誰一人として文句を言うことは無かった。お陰で普通の人よりは、投げ縄は得意になっていた。

 ある日のこと、我が家にお客様がお見えになっている。お母さんに呼ばれて居間に行き、その方の顔を見て、飛び上がるほど驚いた。

「やあ、久しぶりだね。会えて嬉しいよ」

その人は忘れもしない、故郷の神殿で別れた、背高のっぽの男の人だったのだ。

「こんにちは。えーと……アイサー様?」

確かそんな名前だったと思い起こした。すると、良く解ったねと言って、笑って応じてくれる。今日は仕事で立ち寄ったついでに、私の顔が見たかったのだという。

 アイサー様は、この町にあるテレイア神殿の神官なのだと自己紹介をしてくれた。

「あの時は、たまたまコーミーの神殿に仕事があって、手伝いに出かけていたんだよ。普通は他の神殿に行くことは無いけれど、あそこだけは特別なのでね」

そう言いながら、お客様向けの菓子をつまみ、私にも勧めてくれる。お母さんの顔を見ると、貰って良いと頷いてくれたので、ちゃっかりと頂いてしまった。でも、それを食べる前に、一言だけ言わなくてはいけない事があった。心の中には、ある気持ちがくすぶり続けていたのだ。

「あの時は、助けてくれたのに、暴れて酷いこと言って、本当にごめんなさい。ずっと、謝りたかったんです」

そう言って、私は頭を下げた。あの猛火の中で、命を助けて貰ったからこそ、今の幸せがある。でも、火事の時に暴れて迷惑を掛けてしまった事は、アイサー様の好意や努力に対して、取って良い態度では無かった。当時を思い返すと、本当に申し訳ないという気持ちで一杯だ。

「いやいや、それは気にしなくて良いよ。あの時は、皆が混乱していたのだし、小さな君の行動だって、全然不思議じゃ無いからね。全然気にしてないから大丈夫だよ」

「でも、アイサー様の服を汚してしまいました」

「確かに衣は、黒かったなぁ。まあ、あの火事では、ネイさんを助けるかどうかに関わらず、汚れてしまったと思うので、全然気にしないでくださいね。コーミーの神殿でお勤めをする時は、白い衣を着なくちゃいけないから、汚れが目立つのは、仕方が無いんです」

今日は、線の刺繡の入った短い襟の、青い衣を身に着けている。

「今日は青い色ですね」

「ファロンでは、良い亜麻が採れるんですよ。その事を神様に感謝して、お勤め以外では花の色にあわせて、青い服を着る事にしてるんです」

そう言うと、アイサーさんは言葉を続けた。

「あの時に君が『行かないで』って言ってたのに、置いてきぼりにして悪かったと後悔してたんだ。だからこっちに着いてから、すぐにファーネルに話をしたんだよ。」

私の事を忘れずにいてくれた事が解って、本当に嬉しかった。自分は色々な人に心配されていて、本当は独りぼっちじゃ無かったんだという事が解った。反対に考えれば、独りぼっちだと思っている人の心に寄り添うことが、大切なんだと言って貰っている気もした。

「ネイさんは酷いことを言ったと謝ってくれたよね。そういう、素直に考えられる子供を見捨てちゃダメだなんだよ。きっと亡くなったご両親は、人の事を考えなさいって事を、ちゃんと教えてくれてたんだと思うよ」

他界した両親の事を考えると胸が痛む。二度と逢うことは出来ない。けれども、その教えが私の中に生きていると言われている様で嬉しくなった。

「ありがとうござます。私は今、幸せです」

それは本心からの言葉だった。愛情を注いでくれる今の両親と結びつけてくれたのが、この人だと思うと、感謝の気持ちで一杯だった。

「本当に良かったよ。不思議なものだね。この家のお嬢様で、昔からいたとしか思えないな。本当にファーネルに話して良かったよ」

それからも少しの間、話をさせて頂いた。やがて、お母さんの手伝いをする時間になったので部屋を後にしようとすると、アイサーさんは手招きする。そして、私に耳打ちをした。

「どうしても両親に相談できないことがあったら、私に話してごらんなさい」

その言葉に思わずビックリしてしまうが、小さくうなづいた。でも私には、家族を差し置いて、アイサーさんに相談する未来があるとは、全く想像出来なかった。

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