5話(2)
アリジスの痛みが落ち着き、なんとか普通に生活が出来るようになるまでには、十日以上かかってしまった。その間は、お母さんと交代で時間が許す限り、彼の側にいて看病をした。二人だけになった時には、彼は手を繋ぎたがり
「どこにも行かないで」
と小声で何度も繰り返す。そのたびに私は
「大丈夫、もうどこにも行かないから」
とささやくと、安心した笑顔を見せてくれる。それを見て
(あの時出て行かなくて良かった……)
心の底から、そう思ったのだった。
一方彼は、私が出て行こうとした事を、他の人に話すことは決して無かった。それを口にしてしまえば、両親を悲しませるだけでなく、私の立場が無くなってしまう事が解っていたのだと思う。その気持ちに応えるよう、私も一所懸命に身の周りの世話を手伝った。
床から離れて数日後、お父さんは私達二人を、いつになく真剣な表情をして、呼び寄せた。
「広場でアリジスに怪我をさせたあの連中は、他にも問題起こしていてね。皆で目を光らせる事になったから、もう大丈夫だよ」
あの日、厳しい顔をして出て行ったお父さんは、帰宅後も何も言わなかった。きっと、私達を守る為に動いてくれたのだと思う。
「でも万一の事はあるから、ネイは一人で広場に行かない事。困った時は回みたいに、大声で助けを求めなさい」
それは、私を叱っているのでは無く、心から心配をしてくれているのだという事が、良く分る口調だった。
「はい」
そう返事をすると、お父さんは笑顔でうなづいた。本当の娘として思ってくれている事が、良く分かる。
(嬉しいわ。お父さんの子供で良かった)
そんな事を考えている間に
「辛いのに頑張った。それと、良くネイの事を庇ったね。本当に偉かったよ」
とアリジスに語りかけていた。褒められた事が嬉しかったのだろう。彼は笑顔でうなづく。
「これからも、ネイをしっかり守るんだよ。その為にも、ちゃんと体を鍛えなさい」
「うん、頑張るよ」
という元気な返事を聞くと、お父さんは、私達の頭をポンポンと軽く叩き
「二人とも、怪我をしないように気を付けるんだよ」
と言って、部屋を出て行った。その姿が見えなくなると
「怒られるんじゃないかと思ってた」
彼が小声で話すのを聞いて、思わずクスクスと笑ってしまった。それからしばらくの間は、とりとめの無い話をしていたが、どうしても心に引っかかる疑問があり、会話が途切れた時に、私は思いきって尋ねてみた。
「私が出て行こうと思ったあの時に、どうして一人にしないでって言ったの?私のせいで怪我をしたのに」
彼も、誰にも聞かれたく無かったのだろう。周囲に誰も居ないことを確認してから、小声で答えてくれた。
「死んじゃった姉さんの事は全然覚えていないから、僕はずっと一人ぼっちだったもん。ネイと一緒に暮らしてから解ったけど、話が出来る人と一緒だと、とっても楽しいよ。だけど、もしもネイがいなくなったかと想像すると、寂しくて我慢できないよ」
そして手を取ると、私を見つめて話を続けた。
「お姉さんが居なくなって寂しいって、父さんと母さんが泣いてるの何回も見たよ。でもね、ネイが来てから毎日嬉しそうなんだ。僕の方が体は小さいけど丈夫だから、痛いのが僕で良かったと思うんだ。女の子だったら、もっと酷い怪我してたと思うよ。もしも、ネイがいなくなる様な事があったら、お父さんやお母さんが、また悲しい想いをすることになっちゃうからね」
キラキラと輝く彼の瞳。自分を守ってくれただけでなく、自分が身代わりで良かったと言ってくれるその気持ちが、とっても嬉しかった。
「ありがとう……」
「ネイ、僕はもっと強くなるね!それで、いつでも守れるように、頑張るよ。だから家からいなくなるのは絶対ダメ。ネイの事は大切にするから、絶対にいなくなっちゃダメだからね!」
「うん、わかったわ」
彼の優しい気持ちが、私の胸の中に溢れてくる。この家族に迎えて貰って、そしてアリジスと巡り会えて、本当に良かった。彼は言葉通り、これからも今回の様に守ってくれるだろう。ふと考える。
(それは頼もしいと思うし、嬉しい……でも、守られるだけで良いとは思えないわ。私は力では、男の子にはかなわないけど、何かがアリジスに起こりそうな時に、何かの形で守ってあげられる様になりたいな……)
窓の外から日の光が差し込み、名も知らない鳥の声が聞こえていた。
アリジスが怪我をしてからというもの、外出時は、いつでも彼にぴったりとくっついて歩く様になっていた。受けた暴力の影が恐かったし、土地に不案内だったせいもある。
「まるで、ネイの方が妹みたいね」
などとお母さんに笑われてしまった。
(別に自分が姉だとも、妹だとも考えた事無いんだけどなぁ)
でもそれだけ仲が良いと思われてるんだろう。
その日は、祠のあった広場で月に一回開かれる、市の日に当たっていた。お母さんと子供二人で、朝食を取っていた時だった。
「ネイは、市に行ったこと無いでしょう?私も気を付けるし、もう危ないことは無いから、行ってみない?」
あの日以来、私達子供二人が、事件のあった広場に近づかない様に、両親が気をつけてくれていた。お母さんは明るい声で誘ってくれる。でも私を見つめる瞳の中には、不安と心配の影が見て取れた。
(あの広場には行きたくない)
それが私の正直な気持ちだ。あそこで起こった事は、そう簡単に忘れられる物では無い。今でも因縁を付けられた時の相手の姿や、アリジスが蹴られた時の恐怖が蘇ってくる。私は首を横に振った。しばらくの沈黙が続いたが、不意にアリジスが私の手を握ってきた。振り向くと、彼は笑いながら話しかけてきた。
「ネイは火事で火が怖かったけど、今では火を使ってるよね。それと同じで、良い思い出は無いかもしれないけど、何とかなるよ。それに元々は危ない場所じゃないから、大丈夫だよ。また一緒に行きたいよ!」
「アリジスは、広場に行くのは怖くないの?私は、まだ怖いよ……」
「まあ……本当は……」
繋いだ彼の手は汗ばんでおり、青白く浮かない表情をしている。よく考えれば、怪我をしたアリジス自身が、一番つらくて怖い思いをしているのだから、彼が広場に行くのを嫌がるのは当然だ。彼は言葉を続ける。
「でも行かなくちゃ駄目なんだよ。あの場所に、一生行かずに過ごすことは、ここで暮らす以上は出来る事じゃない。それに広場の祠の管理は、我が家の仕事なんだから」
(怖いだろうに、なんてしっかりしてるんだろう。でも私には、そんな勇気はないわ)
なんだか自分が情けなく思えて、涙目でうつむいてしまう。
「本当は僕も行きたくは無いけど、でもネイと一緒に、また広場に行けるようになりたいんだよ」
「もしも、また前みたいに、私の事を狙って乱暴な事されたら……」
私の言葉の途中で、それまで黙っていたお母さんが口を開いた。
「ネイ、それは大丈夫よ。今度は私は、目を離さないからね。それに、お父さんが注意してくれたから、もう同じ事はしないし、させないわ!」
それを聞き、アリジスもウンウンと首を振る。
「あの子達のせいで、ずっと出掛けられないの、こっちが負けたみたいで悔しいんだよね。だから一緒に行って、堂々と見せつけてやりたいんだ。今度はお母さんも目を離さないって言ってくれてるし……駄目?」
顔を上げて彼の顔を見ると、必死の形相をしており、小刻みに手は震えていた。
(やっぱり怖いんだ。それでも自分で乗り越えようってしてるんだ)
そこに彼の決心を見た気がした。
(私だけ、怖いなんて言ってられない。一緒に頑張ってみよう)
私も心を決めて首を縦に振る。それを見て彼は笑顔を見せ、お母さんはほっとしている様子がうかがえた。私たち家族は一歩を踏み出すことにしたのだ。
冬場は雨の日が多いのだが、その日は幸いにも好天だった。広場はいつもと違い、活気に溢れている。幾つもの露天が立ち並び、威勢の良い呼び込みや、値切るお客さんの声が聞こえる。こんなに多くの人を見たのは、故郷の火事で、神殿に逃げこんだ時以来だった。店先には、食べ物だとか、日常使う生活用品などが並べられている。一方で、ここでなければ手に入らない物や、一体誰がそれを欲しがるのかと思わず言いたくなる様な、古びた日用品を並べている店もある。行き交う人々の姿もまた、様々なものだった。感心がなさそうに通り過ぎる者、熱心に覗き込んでいる人。中には子供達だけで遊びに来て、木の実や干した果物などを買って食べている姿も見られる。その光景は明るく生き生きとしていて、怖かった事を忘れてしまう程だった。それでもアリジスの手を強く握り、絶対に離さないようにしていた。
「結構楽しいよね!」
私の心を読んだかのように、彼が話しかけてくれる。私も笑顔でうなづいた。一緒にいるお母さんも、所々で立ち止まって買い物をする。心躍る光景を見回していると、アリジスが突然、私の手をグイと引いた。
「ネイ、怖くないから。守るからね」
何の事だろうと思って、彼の視線を追う。その先には、以前私たちに襲いかかってきた少年と、その友人達がいた。その事に、お母さんはまだ、気付いていないようだった。私は震え上がった。何とか相手が、こちらに気付かず通り過ぎてくれる事を祈ったが、それも空しく、相手は歩み寄って来る。するとアリジスは、お母さんと私の前に一歩進み出た。
「なんですか?」
彼の言葉があまりに堂々としていて、私は驚いた。それは彼らも同じだった様だ。舌打ちをして私たちを睨み付けたが、何も言わずに通り過ぎて行く。その姿が見えなくなると、お母さんは私に微笑んで話しかけた。
「ほら、大丈夫だったでしょう。あの子たちも、家の人に随分叱られたみたいで、私たちと顔を合わせたくないのよ。だから堂々としていれば良いの。アリジスも頑張ったね」
それを聞いて
(お母さんは、ちょっと呑気だなぁ)
と感じたが、もしかしたらわざと知らん顔をしていたのかもしれないとも思った。アリジスも笑いながら話しかけてくれる。
「ネイ、約束は守ったでしょ。ここに来る時は、いつも一緒に来ようね」
私は二人に抱きついた。私が広場に来るのを、怖がらないようにするために、今日は連れ出したのだと解ったからだった。家族に応援して貰える事が、本当に嬉しかった。
「ありがとう!私、もう大丈夫!」
今日の日射しは、いつもより明るく輝いていた。
それから何回目かの、広場に市が立つ日が巡って来た。幸い好天に恵まれ、市場も盛況だ。いつもと同じように、お母さんとアリジスと一緒に店を巡って歩く。お母さんは今日も、人形を売ってくれた店を探しているようだったが、相変わらず見つからなかったみたいだ。いくつかの店先を通り過ぎた時だった。
「おや?もしかしてネイちゃん?」
男の人の声に、驚いて振り向く。日常品などを売っている店主のようだ。並んでいるのは、地元で使っている物とは少し形が違う物が多く、ファロンの品物では無かった。問いかけに頷くと、男の人は嬉しそうに話した。
「ああ、やっぱり!この町にいたんだね。可愛くなったねぇ!懐かしいなぁ……娘のエーラが友達だったんだけど、覚えてない?」
「あ!エーラのお父さん!」
私の生まれ故郷であるコーミーで、一番の親友だったエーラ。火事の後には、コーミーを離れたのだった。その別れの挨拶の時に、お父さんに会った事があったのを思い出す。
「久しぶりだなぁ!元気そうで良かったよ。エーラも心配していてね」
故郷の事は、余り思い出したくは無いけれど、友達の話となれば別だった。
「今は、コーミーを離れて、ここで新しい家族と暮らしてます」
「はじめまして、ネイの母です。そしてこちらが息子のアリジスです」
お母さんは、挨拶をしてから話に加わった。
エーラの家族は「ラザ」という、商業の盛んな町に住んでいるという。コーミーにいた頃よりは、暮らし向きは良くて、今回は初めてファロンの市に店を出したのだという。
「コーミーからは遠いファロンで、ネイちゃんと会うとは思わなかったなぁ。ラザは、大人の足なら遠くないよ。大きくなったら、いつか遊びにおいで!」
エーラのお父さんは、そう言ってくれた。
思いがけない再会。親友が元気で過ごしているのを聞いて、とても嬉しかった。それとは逆に、昔の事を思い出すと、暗い気持ちになる。それは、炎に切り分けられてしまった、親しい人との別れの思い出である。幸せの真ん中にいた筈なのに、別れの覚悟も挨拶も無く、二度と巡り会うことは出来なくなった。見知らぬ家で散々けなされ、惨めだった日々。
(もう、あんな辛い思いはしたくない……)
私は、唇をかみしめた。ふと顔を上げると、目に入ったのは大きな木だった。
「すずかけの木……」
大方の葉は落ちており、枝にはまだ落ちていない小さな小玉の実が、風に耐えて幾つか残っているのみだった。
(あんなに小さいのに頑張ってる)
それを見つめて、今度は自分が頑張ろうと思った。
「お母さん、アリジスお願いがあるの……」
二人の方を向いて、真剣に気持ちを伝える。
「故郷の人と会って思ったの。もう、あんな嫌な思いをしたくないって。だから、お願いだから、ずっと一緒にいるって約束して欲しいの」
私の切羽詰まった声に、二人は驚いた様子だ。でも、お母さんはすぐに、私の気持ちを理解してくれた様だった。
「そうね、コーミーでは大変な思いをしたんですものね。でも、改めて言うまでも無く、一緒にいるって約束しますよ」
「うん、ありがとう。でも、もう一つだけお願いがあるの。それはね、すずかけの木の下で、いつまでも一緒ですってお祈りして欲しいんです」
陽気な声が飛び交う市場の中に似合わず、私は涙ぐんでしまった。そうそれは「愛情の花咲く樹」の話を思い出していたからだった。愛を誓った者どうしが結ばれるという話は、私の憧れとして心の中に眠っていた。永遠という物が実際には無い事は、身をもって知っている。だからこそ、有って欲しいと願い、有ると信じたいのも本心だった。
「ネイ……解ったわ。前にした話を覚えていたのね」
私の涙を見て、お母さんは気持ちを解ってくれたのだと思う。
行き交う人の中、大樹の下に三人で立った。お母さんは、私とアリジスの手を握った。
「さあ、いつまでも一緒にいられるようにお祈りをしましょう。言葉は何でも良いのよ。そうね……じゃあ『いつまでも一緒に楽しく暮らしましょう』って言いましょうね。あんまり大きな声で言うのは、周りにご迷惑だからダメよ」
お母さんは笑いながら話しかけてくれた。アリジスと三人で、一緒に願いを口にすると、ちょっと安心した。
「お母さん、アリジス……ありがとう」
私がお礼を言うと、アリジスがこんな事を言い出した。
「お父さんがいないとダメだったなぁ」
「あら、お父さんとは、私が子供の頃に誓いをたててるから大丈夫よ。私とずっと一緒にという事は、家族と一緒にって事だからね」
お母さんが笑いながらアリジスに話しかけると、なるほどと納得していた様子だった。木の下を離れて家路につこうとした時に、私は左手をアリジスに掴まれた。思わず振り向き小首をかしげて、何かな……と尋ねた。
「ネイ、前に広場で嫌なこともあったけど、僕はこれからも何かあったら守るからね。だから、いつまでも一緒に、この木を見られるようにしようね!」
私は、その手を強く握り返した。その気持ちが本当に嬉しかった。
「ええ、いつまでも変わらない心で一緒にいようね!」
空に広がる枝を見つめて、互いにうなづいた。




