第九節 婚約破棄された悪役令嬢は始まりの村ではじまりの歌をうたう
「雑貨屋の歌か」
勝手に請け負ってきてしまったけれど、怒られやしないだろうかとびくびくしながら、私はシルヴィにそれを告げた。どうしてだと言われても自分に自信を持つことが出来ない。あんなに完膚なきまでに叩きのめされても尚、自分に自信を持ち続けられる人がいるとしたら、その人の精神は強靭を通り越して何か恐ろしいものになり果ててしまっているのではないだろうか。
「……いいんじゃないかな」
弾劾を受ける気持ちで待っていた私の耳に、穏やかな声音が届いた。顔を上げるとシルヴィは瞑っていた目を開いて私に微笑む。
「お世話になったという気持ちをこめて歌う歌も、きっと伝承や物語とはまた違った美しい音色を奏でるだろう」
「そうですかね? 大丈夫かなぁ」
了承は得られたもののまだ不安は残る。そんな私の肩をドゥーがぽんと叩いた。
「ドゥーと旦那様がついてる。エリーは気にせず歌うといい。大丈夫だから」
「気楽に考えるといい。失敗してもいいさ、と考えれば大抵何でも出来るものさ」
「! そうでしょうか?」
私が王太子妃にいずれはなるものとして、一生懸命教育を受けていた頃は、そんなこと考えたこともなかった。いつでも立派な立ち居振る舞いをして、褒められるようでなければいけない。失敗なんてとんでもない。そう、思っていた。
「失敗したらフォローする」
ドゥーが正面に回り込んで、私の両手を取る。いつの間にか震えていた私の手を、冷たいドゥーの手が包み込む。
「もちろん、ドゥーだけではないよ。俺だっているんだから」
張り合うようにシルヴィが間に割って入ってきたので、私は思わず笑ってしまった。私は、本当に二人に助けられている。今も。
「ありがとうございます。精一杯、いい歌を考えてみます!」
どんな歌がいいだろう。考えた時に一番に思いついたのはデイジーの笑顔だった。明るくて朗らかで、だったらそういう歌がいいな。誰かが聞いた時に耳に残って、気持ちが元気になるような。そんな歌がいい。
シルヴィから黒板を受け取って、頭に浮かんだフレーズを白墨で書き込んでいく。それに没頭している私を、二人が穏やかに楽しそうに見ているのに気付いたのは、黒板が埋まってしまった頃だった。
その日は、とても天気が良かった。
青空は遠くの山脈の向こうにまで広がっていて、その先のどこかへと白い雲が流れていく。
「乗合馬車、私、はじめてです」
私がわくわくした気分を隠しきれずにそう告げると、シルヴィは笑ってぽんっと頭をなでてくれた。
なんだかすごく子ども扱いされている気分。
「いくつか街を経由して、魔術都市に行こうと思ってるんだ」
「まじゅつとし?」
「生活魔法、使ってみたいって言ってただろう? どうせなら昔なじみがいるから、教えてもらうといい」
言われて、何度もまばたきをして言葉の意味をよくよく考えた。私が魔法にあこがれたこと、覚えていてくれたんだ。歌を作ることにばかり一生懸命ですっかり忘れていたけど。
「そんな! 私はそこまでしていただけるほどの価値は――」
「あるよ。俺にはある。もちろん、ドゥーにもだ。なぁ、ドゥーラ=ドゥーガ」
「その通り。エリーにはもっともっと幸せになってもらわないと困る」
うんうん、とドゥーが頷いている。シルヴィはほらね、と笑って、また私の頭を撫でた。なんて優しいひとたち。私は本当に幸せ者だ。
「雑貨屋まではドゥーがいっしょに行ってくれるそうだ。俺は乗合馬車の手続きをしてくるから、行っておいで」
もらったリボンは頭の上で結い上げた。ちょっと子どもっぽいかな、と思ったけど、二人には好評だったからいいかな。モスグリーンのワンピースに合うような、白いつば広の帽子も買ってもらってしまった。日差しが強い場所もあるかららしい。本当に本で読んだだけでは分からないことが、世の中には沢山あるのだなと思える。
「エリー!」
デイジーさんが手を振ってお店の前で待っていてくれた。私は駆け寄って、ぺこりとお辞儀をする。
「お待たせしました!」
「いいよいいよ。出発が近いのにごめんね」
「私、デイジーさんにはご恩を返さないといけないので」
歌は一生懸命作ったつもり。お客さんが来てくれたらいいな、という気持ちを精一杯込めた。
「ここで歌ってもいいですか?」
「いいよ! 頑張ってね」
デイジーさんの笑顔はすごくあったかい。きらきらして太陽みたい。
だからその気持ちも歌にこめて、私は精一杯歌った。
――月曜日にはあの人に贈るリボンを
火曜日にはあの人と作る料理の材料を
水曜日にはあの人と歩く靴を
木曜日にはあの人と植える花の種を
金曜日にはあの人とつなぐブレスレットを
土曜日にはあの人と眠る枕を
日曜日にはあの人といっしょにこのお店に来よう
やさしいあったかい笑顔の、すてきな店員さんがいるここで
毎日あの人と過ごすための素敵なものを買いに来よう――
最初は何事かとびっくりしたような顔をこちらに向けてくる人もいたけど、ドゥーが傍にいてくれてデイジーさんも見守ってくれているのが分かったら何も怖くなかった。
このお店で私はいろんな素敵なものを得た。その気持ちを歌に込めてみた。一通り歌いおえて、振り返るとぎゅうっとデイジーさんに抱きしめられた。
「なんて素敵! いいね! いい歌だったよ!」
大興奮のデイジーさんに私は面食らってしまって動くことが出来ない。未だかつて、こんなに喜んでもらえたことがあっただろうか。
「デイジーさん、先ほどの歌ですがこの魔道具に込めておきました」
ドゥーはそう言って箱型の魔道具を差し出す。なにがしかの魔法がかかっているアイテムということだ。
「開くとエリーの歌が流れます。たまに流すと宣伝効果がいいと思いますよ」
「ありがとう! これ高いんじゃないのかい?」
「エリーによくしてくださったお礼だと、旦那様が仰っておりましたので」
ドゥーは慇懃無礼なかしこまった態度で頭を下げる。デイジーさんは少しそれに気圧されながら箱を受け取った。
「またここに来ることがあったら、必ずおいでよ?」
デイジーさんにそう言われて、私は力強くうなずく。歌を喜んでくれて嬉しかった。シルヴィが求める歌姫に、私は一歩でも近づけただろうか?
「さあ、乗合馬車の時間がもうすぐです。行きましょうか」
「はい。それじゃあ、えっと、また! また会いましょうね、デイジーさん」
私が手を振るとデイジーさんが答えてくれる。さようなら、とは言いたくなかった。また会いたいと強く思ったから。そうして私たちは、はじまりの村から旅立ったのだった。
それから三日後。
「綺麗な歌声だな」
「そうでしょう、そうでしょう。新しい歌うたいの子がね、歌ってくれたんですよ」
雑貨屋の軒先で青年が足を留めた。黒髪に黒い瞳、肌は健康的な日焼けをしている。顔立ちは少し少年のようだ。
「そうなんだ。歌うたい、ねぇ」
「おにいさんは何か入り用なのかい? 良い男だから安くしておくよ」
「はは。ありがとう。犯罪奴隷を追っているんだ」
「犯罪奴隷? そりゃまた物騒だねぇ」
「この国のえらい人から頼まれたんだけど、金髪の女なんかこの辺りには一人もいないよなぁ」
「金色の髪は王族かそれに連なる貴族様にしかいないからねぇ」
ふぅ、と男はため息をついて、空を見上げる。
「俺は魔王を倒すために旅をしてるんだけどなぁ」
ひとまずここで一区切り。最後に出てきた彼は、いつかエリーたちに出会うことになります。
まだまだどんどん書きますので、よろしくお願いします。