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満州国反乱 ~死霊列車襲来~  作者: 宮前タツアキ
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尽きぬ悪意

 奉天憲兵隊留置所。

 寝台に身を横たえていた川島は、近づいてくる足音に気づいた。身を起こして扉の方に向く。鍵を開けて入ってきたのは、覆面姿の男だった。


「出ろ。今なら見張りはいない」

「……」


 わずかに考え、


「逃がしておいて背後から撃つ、古典的な手口かしら? 逃走しようとしたから射殺した、という言い訳がたつ」


返した川島の言葉に、男も一瞬考えて、覆面を外し顔をさらした。川島は軽く目を細める。


「……増延村で会いましたね」


 男は佐藤中尉だった。


「自分は藤原少佐から『石光特佐の意志を実現するため』と説明されています。ついで、あなたが来たくないというのなら、無理につれてこなくていい、と……」


 佐藤の説明に、川島は微笑を返した。


「石光特佐の意志のため、ですか。では行かないわけにはいきませんね」


 どういう手で人払いしたものか、無人の廊下をたどり抜け、二人は裏口につけられていた車に乗った。夜の奉天市街に走りだす。


「行き先を教えてくれますか?」

「空港です。そこから皆さんを上海に送る予定です」


 即答する佐藤。直截さは、この男の長所といえよう。


「おお、空の旅ですか。〝皆さん〟というと?」

「満州皇帝の皆さんです。……そっちは藤原少佐の首尾しだいですが……」


 空港に着くと、溥傑と浩夫人、そして藤原少佐が待っていた。


「まあ、芳子さま!」

「浩さん、殿下、ご無事でなによりです」


 手を取り合って再会を喜ぶ女たち。


「溥儀陛下は、さすがに警備が厳しくて無理だったよ……」


 言いながら藤原は、佐藤をすこし離れた場所に導いた。


「佐藤、今ならば引き返せるぞ。全て俺にだまされたのだと弁明すれば、少なくとも大罪には問われんだろう。もうすぐ師団全体が、細かい事にかまっていられなくなるだろうしな」

「……連れて行ってくださいませんか。自分なりに考えたんです。これが自分の償いです。静さんや……いろんな人たちへの」


 真っ直ぐな返事に、藤原は一瞬、まぶしいものを見るように目を細めた。


「……もう、表の仕事はできないぞ?」

「覚悟の上です」


 二人は並んで溥傑たちの所に戻り、一行を格納庫にうながした。


「あなたの素性をうかがっていいかしら?」


 川島の問いに、


「……関東軍というドラ猫につけられた鈴、といった所でどうでしょう?」


軽く眉を上げて藤原は答えた。中央からの監視役か、と得心する川島。軍からか、あるいは政府か、そこら辺はわからないが。

 一行を乗せた輸送機は空港を飛び立ち、ゆっくりと旋回して南西に進路を向けた。


   ◇─────◇


 公主嶺、奉天師団指揮所。

 公主嶺と新京の、ほぼ中間地点で、奉天師団は新京から出撃してきた死体兵軍団と会敵した。志羅山中将の計画は、敵が新京に駐留しているうちに奇襲をかけて焼夷砲弾を撃ち込むというものだったのだが失敗に終わった。敵はこちらの接近に気づき、討って出たのである。敵の指揮・連携は必ずしも機能的とは言えなかったが、北方戦車隊を中核とした戦力差は大きかった。

 師団は壊滅的な損害を受けた。惨敗と評するしかない結果だった。唯一の救いは、敵が急に動きを止め、追撃に出なかった事である。


   ◇


「む? そうか、わかった。この地域全域と見ていいのだな……。ご苦労、続けてくれ」


 電話の受話器を置き、矢島大佐は、図面を見下ろし茫然とする志羅山中将に語りかけた。


「無線室からの連絡です。通信が回復したとの事です。これで有線連絡所から離れた部隊にも指示を出せます」

「…………」

「撤退を指示すべきと考えます」

「…………」


 惚けたように無言の志羅山の顔をのぞき込み、矢島は念押しした。


「中将閣下、撤退でよろしいですね?」

「…………」


 無言のままうなづく志羅山。溥儀を手もとに置き、自分が満州国の支配者に成りかわるという目論見が破綻したのだった。


「ふ、ふふふ……言い訳のしようもないのう、わしも、腹を切るべきかなぁ?」


 弱々しく笑いながら、矢島に向けた言葉を


「……やるなら自分が見ていない場所でやってもらえますか。目の前でやられては、止めないわけにも行きませんので」


副官は冷たく突き放した。


   ◇─────◇


 暗く、濁った水の中──


(……サムイ……)


 原生動物のように根源的な衝動が木霊する──


(……ヒモジイ……)


 ずっとこんな闇の底に閉じ込められていた。気が遠くなるような長い時間。〝意識〟を手放し、己を消し去る事もできたのに、〝それ〟は拒み続けてきた。そうすれば少なくとも、苦痛からは逃れられたのに。ただ──


(……ニクイ……)


 光に満ちた場所。そこから自分を突き落としたものども。己と無関係に生を楽しみ、幸福であり続ける彼ら──


(……ニクイ……ニクイ……ノロウ……ニクム……)


 全てが自分のものになるはずだった。全てが己にひれ伏すはずだった。他者は全て自分を賛美するためだけに存在し、憎悪が膏血で清められ歓喜に変わる我が治天。それがただ一度の裏切りで、全て奪いつくされた。驚愕、屈辱、痛み、飢え、乾き、凍え──


(……にくい……憎い……呪う……憎む……!)


 全てを贖わせてやる。この世の生者全てに償わせてやる。肉の身が受ける限りの苦痛を、愛する者を奪われた悲鳴を、信じるものを己が手で踏みにじる汚辱を──


(捧げよ、喰わせよ、我に、我に、われに、ワレニ!)


 地下深く、青銅の残骸にへばりついた肉塊。魚卵のように、その中で、ずるりと眼球が動いた。


   ◇─────◇


 新京から公主嶺に続く線路の上を、古めかしい蒸気機関車が走っていた。ヘッドライトが消されたまま、速度も抑え気味で。と、前方にカンテラの光が見えた。大きく回し、合図を送っている。数度のブレーキ音のあと、汽車は保線用の複線に入り停車した。

 合図を送っていた男の一人が、線路上に符を投げた。陽炎のように線路がゆらぎ、ポイント地点が現出する。幻術でカムフラージュされていたポイントと支線だった。ゴトゴトと、さらに低速で汽車は支線に入る。丘の下に続く線路を進むと、芋虫が地面に潜り込むように、汽車は丘の中に消えていった。男は再び符を投じる。ポイント地点は消え去って、元どおり直線路になった。常人には見分けがつかないだろう。それでも熟練の運転士ならば、ここで車体が奇妙に揺れるのをいぶかるだろうが。


   ◇


 狭い部屋の中に、それなりの調度がそろっていた。部屋の隅に通信機が据えられており、男女二人が物思わしげにヘッドフォンを耳に当てていた。通信機の前に座って操作するのは、赤ふちメガネをかけた女。その脇に立つのは大柄で肥満体の男。室内にもかかわらずサングラスをかけ、どこかただ者ならぬ印象を与える。

 部屋の戸が開き、洪復龍が入ってきた。


二哥哥アルコーコー……ノックしてください」


 女の非難。敬意と遠慮のなさが同居した声音だった。


「まあいいさ。……ご苦労だったな」


 男はヘッドフォンを置き、部屋の中央に洪を迎えた。


「……変わられたな、兄上」


 ぶっきらぼうな洪の言葉に


「お前は変わらんな。まるで武侠小説から抜け出してきたようだ」


どこか楽しげな男の返事。

 男はグラスと酒瓶を手に洪をうながし、卓を挟んでソファに腰掛けた。洪のグラスに手ずから注ぐ。洪は無言でグラスを干し、固い声音で問いかける。


「石光の容態は?」

「……郭先生が手を尽くしているが、正直難しいと聞いている」

「…………」


 それ以上言葉が出ず、洪は手酌で酒を注ぎ、一気にあおった。


「……長春から出撃した部隊は、現在進軍を止めて滞陣している。奉天の日本軍は、公主嶺に退却中だ」


 かつて白一と呼ばれていた男は、さりげなく話題を変えた。伏せていた目を上げ、洪は通信機に向かったままの女に尋ねた。


「長春城内の満州軍に何か変化はないか?」

「今のところ報告されていません。無線傍受の限りでは、日本軍側でもそういった情報は得ていないようです」


 振り向かず肩越しに答える。そうか、無線は回復していたのだな。しかし……


「…………」

「どうした? 何か疑問な点でも?」


 酒を注ぎながら、白一は洪をうながす。


「……俺たちは、奴らの首魁を倒した。奴らの陣地に、何らかの動揺があってもおかしくないと思うんだが……」


(俺たち、か。こいつが日本兵相手に、そんな言い方をするとはな……)


 かつての洪……白二の反日感情は、かなり激しいものだったのだが。あの老日本兵と、どんな道行きがあったのやら。そんな事を思う白一。


「お前の報告は疑ってはいない。が……そうだな、俺ならば、自分の戦った相手が黒い竜の力を得た者ならば、倒した後に八卦方陣炉で焼き尽くさなければ安心できない気分だよ。それに……考えたくない想定だが、黒い竜の力を得た者が、果たして一人だけだったかどうか? 確かめるまではその可能性を排除できん」

「……フゥ……」


 ついた吐息が重い。洪にしては珍しいしぐさだった。


「……日本公使館から奉天軍に連絡。概要だけですが、どうやら数カ国の軍隊が協力を申し出ている模様です」

「フフ、言わば国連軍というわけか。ようやく列強も、自分らが何と対峙しているか理解しだしたようだな。二弟……」

「…………」


 洪はソファに身を沈め、眠っていた。軽くいびきをかきながら。


「二哥哥……」


 さすがに不作法をとがめる調子の、女の声。通信機から立ち、洪を起こそうとした女を、白一は手をあげて制した。


「いい、眠らせておけ。また、重い荷を背負ってもらわねばならん。だから今だけは、な……」


 白一と女はうなずきを交わし、二人そろって部屋を出ていった。後には洪だけが残された。


   ◇─────◇


 夜明け時、長春城内は静まりかえっていた。東の空からさし始めた薄日が、城内に立ちこめる霞をほの白く浮かばせ、夢幻の中にまどろむかのようだった。



 ─終─

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