30
次に目を開ければそこはもう観測都市の星鏡の間だった。創世世界で吹きさらしの外にいたのが屋内になって、更に十七の少年のからだだったのが十歳未満の子どもになってしまうという急激な環境の変化に、すぐには感覚が追いつかない。しばらく星屑の寝台で寝転がったまま天井の夜空を見上げる。星冠と星径の星が光っているのを眺めながら、この不思議な宇宙的空間に“帰ってきた”と感じている自分を少しおかしく思う。
「アラタ、気分や体調に問題はありませんか」
メムの顔がひょっこりと視界に入ってくる。セミロングの銀髪が揺れて、明るい夕焼けの瞳は心配そうに細められている。
「うん……大丈夫っぽい」
しばらくすればふわふわした感覚も落ち着いてきて、今度はすんなりと起き上がることができた。
見回した星鏡の間には、メムの他にダアトとホド、ラメドがいる。
藍川とベート、ふたりの姿はないらしいことを確認していると、こちらに気づいたラメドが片手を上げて近づいてきた。
「初めての観測行動、お疲れ様でした」
「ラメドもお疲れ様。あの、藍川たちは……」
「アインは……観測都市内にはまだいるはずですが……。ベートは新しく現れた星鏡の観測に向かいました」
「え、もう次?」
「そう。新しい星鏡、ホドとシン、アラタの星も、光ってる」
いつの間にか側に立っていた総身が薄青い少年、ダアトがくるりと指先を回して、壁のように立ち並ぶ無数の星鏡のひとつを示す。
「〈栄光〉の星々、変化の、きざし。……忙しく、なるよ」
「ええ。私も、現在接続可能な観測世界をいくつか観てきます。アラタは星辰をよく休めるように」
「は、はい」
急に教官モードに切り替わったラメドの声に、反射的に姿勢を正して返事をする。「よろしい」と満足げに微笑んで、星屑の寝台のうちひとつに向かっていった。
一応、新たちはつい先程魔王と戦ってひとつの世界を救ったところだと思うのだが、ベートもラメドもフットワークが軽すぎる。藍川の不在は十中八九説教から逃げたのだろうが。
「観測者って、忙しいんだな……」
「アラタ、今回の観測は異例なことばかりでしたから。大改編とも重なりましたので……」
思わずちょっと引いてしまった新へ、メムがやんわりフォローを入れてくる。
「大改編を乗り越え、創世世界は今後安定に向かうでしょう。……不正観測の結果も含まれますが、創世世界でのホドの連星の輝度は高い。そして〈審判〉の星径が双星になったという変化も踏まえて、ひとまず〈栄光〉の星冠継承は先送りされることとなりました」
「! じゃあ、これで問題は解決?」
「いえ……、シンの星辰の輝度が、非常に低下しています。現時点では適合する筐体を精錬することすらできず、今後どれほど回復するかも不明な状態です」
そっと眉を下げたメムは、赤い夕焼け色を少し離れた場所に立つホドの方へ向ける。ホドは胸の高さで広げた手の上に、ごく小さな橙の光を持っているようだった。ビー玉を一回り大きくしたぐらいしかない、あれが。
(──あんなにちいさいのが、シンの星辰……)
人ひとり分の存在が、こころがそこにあることを疑ってしまうような頼りなさだ。不安定にちらちらと瞬く光も、今にも消えそうにか細い。
「だから、ベートとラメド、シンと、それからアラタの星、観に行った。星のあたらしい在り方を、見定めるため」
ダアトはこくりと頷いて、顔の前で両手の指先を合わせて菱形をつくる。指で象られた枠の奥で輝く薄青い瞳が、星の光のようだと思った。
「そっか、ふたりが……。あの、輝度って、連星の星辰を観測すれば高くできるんだっけ?」
「簡単に言えば、そうです。……しかし、ここまで輝度が失われてしまっては……」
メムが言い淀んだ先を、ダアトが囁き声で続ける。
「──〈審判〉の星、揺らいでる。……残るか、消えるか、まだ分からない」
「……」
新もまた言葉に詰まって、それぞれの目はホドに──ホドの手の中のちいさな星、シンへと再び向けられた。
『……私の星核も星辰も、我が双星──アラタへ譲渡を』
不安を掻き立てるような弱々しい瞬きから、掠れた声が聞こえる。調子も使う言葉も、神経質そうな雰囲気も何もかもが新とは違っているのに、それでも兄弟星なのだという男の声。
『多少の輝度の足しにはなろう。せめてもの償いを。──……堕ちて歪んだ私が、観測都市に戻れた。黄昏の星を再び目にすることも、叶った。有り得べからざる、過ぎたる望みだった。……その上このまま在り続けるなど、到底許されるべきではない』
(……何だよ、それ……!)
ホドさえ残るのなら自分はもういらないのだ、と言い切った身勝手な男に腹の底が煮える。
(自分の願いのために、創世世界で魔王になって好き勝手したくせに。そのせいでダアトの村だって、アインの家族だって。峻国の遣い手たちだって。……俺が、メムが、……藍川が、お前を止めるために、助けるために、どれだけ苦労したと思って……!)
そんなものは全然まったく償いでも何でもない。煮えたぎるままぶつけようとした言葉は、沈んだ顔で唇を噛んだメムの手前堪えた。それからこの場でいちばん偉い人であるホドの方を見て伺いを立てる。
「アラタ。選択を」
すいと向けられた黄昏の瞳を、この時初めて真正面から見返すことができた。シンのせいで──シンのこころと共に、恐れ、疎み、絶望してきた色。それでもシンが諦めきれなかった色で、願い続けていた色だった。
大きく息を吸って吐く新を、皆が見ている。
「──バカシン、そうやってひとりで全部決めて突っ走るからダメなんだ。俺、ちゃんと言っただろ。俺ひとりに〈審判〉なんて任されても困るから、シンもやれって。──俺は、シンから分けられたんだとしても。真並新として生まれて生きてきたつもりだし、これからも生きてくつもりだ。余分なものはいらない。……だから、自分の気持ちから、願いから逃げるな、シン!」
犯した罪を償うつもりがあるのなら。
「俺たちふたりとも、“死にたがり”はもうやめるんだ。お前はシンとして生きられるだけ生きろ。迷惑かけた人たちには自分の星辰で、からだで謝りに行け。それからえーっと、一発くらい殴らせろ。……そんで、藍川、一緒に殴りにいこう」
生きて動く自分の体と心がなければ、殴ることも殴られることもできやしないし、意味がない。
「俺の輝度は、俺も頑張ってみるから。──観測者として、観測も、してみる。だから責任持って手伝ってくれよ、……」
あにき、と舌に馴染まない単語は口の中でもごもごと誤魔化した。誰かに怒るのも、思いを言葉にして伝えるのも不慣れすぎて、言い終えた瞬間から顔が熱くなってくる。恐る恐るメムの顔を窺えば、とても力強く二度も頷き返してくれた。
『……私、は、だが、……』
「シン」
躊躇いと戸惑いの残る声が反駁しかけるのを遮って、ホドが口を開く。
「──永きを生きる星とて、いつかは必ず消ゆる。星冠も星径も、あまねく星は次代へと受け継がれる。継がれねばならぬ。……だが今はまだ、その時ではないようだ」
お前も私も。囁いたホドの声に、ほとんど初めて聞く柔らかさが微かに滲んだ。手の中の星へ、黄昏の淡い光が注がれていく。
「いずれ来たるその日まで、更なる観測と記録を。それが我ら観測者の定め」
『…………ッ、』
消えかけていたシンの輝きが幾分か強くなって、一回り大きくなったように見える。おそらくホドが自分の力を、輝度を分け与えたのだろう。──あるいは、シンがホドに捧げようとしたものを返したのか。
それはきっと、“何をしてでもホドの輝度を上げたい”というシンの願いの否定だ。
(……俺が口を挟むことじゃない、けど……)
ホドの一切の感情が凪いだ顔からは何も読み取れない。ただ、その行いはシンへの罰でもあり、そして赦しでもあるように思える。
「ホドの言う通り。きみの星、ホドの星、アラタの星。どれも、光ってる。今は、まだ。だから、シンも、光ってていいんだよ。……〈栄光〉のひかり、むだにしては、いけないよ」
ダアトが手のひらで空間をひろく撫ぜると、いくつかの星鏡が共鳴するようにしゃらんしゃらんと揺れて光を放つ。きっとあれらの中に、シンやホド、そして新の連星がいる。
「……シンの輝度の上昇、及び星辰の安定を確認。これならば、新しい筐体を精錬できるかと思います。おそらく精錬度はアラタと同程度になるでしょうが……」
「あ、シンもちびになるってことだな」
観測都市では会う人皆に見下ろされてばかりいるので、仲間ができるのはちょっと嬉しいかもしれない。
「それからアラタには、観測の手引きと初期研修を手配しますね。……手のかかる弟が一度に二人もできてしまった気分です……」
額を抑えてみせるメムだが、口元はほんのり笑っている。完全なハッピーエンドと言うには苦さが残り、今後の課題も多いが、シンもホドも新も消えることなく生き残れた。
(とりあえず、グッドエンドってところかな)
「シンともどもこれからもよろしくな、メム。……シン、ホドから受け取った輝度をムダにしたくないなら、ちゃんと生きるしかないんだからな」
シンの星を見上げてそう言えば、ため息をつくように二度三度瞬いた。
『……罪は永劫消えない。されど、ここに在ることを、許されるのであれば。──〈栄光〉の星辰の続くかぎり、〈審判〉の星の定めを果たさんことを』
ホドとダアトが目を見交わし、それぞれに頷く。
「誓いは、たしかに。ぼくとホドが、証人。……双子星に、幸いあれ」
幸いあれ、とホドとメムの言葉が重なる。
空が黄昏の色に染まっていくのを、ここのところ毎日、新は与えられた自室の窓からずっと眺めていた。二つの大きな塔も、眼下に広がる街並みも、何もかもが金色を映して眩しく輝いている。綺麗だ、と思って、ただそうとだけ思えるようになったことに感慨があった。
あたたかくて、終わりゆく一日を柔らかく包み込んでくれるような安らぎの色だ。
不意にコトンと音がする。窓の側にあったサイドテーブルに、いつの間にか金色の腕輪が置いてある。
反射的に〈位置の変化〉を仕掛けてみた。悪魔のような黒い皮膜の羽を背負った藍川が、部屋の中央に現れる。
「小狡い手を覚えやがって」
「どうせ同意がないとできないって聞いたしな」
それなら藍川相手に遠慮する必要はないし、せいぜい星径の力の使い方の練習台になってもらうだけだ。藍川はやれやれと大げさに肩を竦めてから、勧めてもない椅子に腰掛ける。場所も互いの姿もまったく違うのに、放課後の教室で駄弁っていた記憶が何となく重なる。
(あの時はちょうど帰りが黄昏時になっちゃって。教室で時間潰してたんだっけ……)
「……ここの夕日、綺麗だな」
「再現してるだけだけどな。天候は全部管理されてて、時間帯に合わせて空の色も変わる。他の観測世界の大多数がそうだから合わせてる」
「ふーん。……つくりものでも、綺麗だからいいんじゃん」
返事はなく、そこで会話は一旦途切れた。特に言うことがなければ黙ったままでいるのはよくあることだった。
本物に劣らず美しい陽が沈みきるのを見届けてから、連絡事項があるのを思い出して伝える。
「明日地球に帰る……っていうか接続、する」
「知ってる」
「だから置き逃げしようとしたのか」
「置き配だって。……お前が当分地球世界に接続したままならいらねーだろ」
藍川は明後日の方を向いたままだ。──これは拗ねている。
「一時帰宅だけど」
そう続けてやれば、金髪頭がばっと勢いよく振り向いた。
新が今後観測者として観測都市に正式に所属し、観測をしていくつもりがあることは、藍川にはまだ言っていなかったしメムたちにも言わないように口止めしていた。ちょっとした意趣返しだ。
「……地球の筐体、真並新の人生が終わるまでは記憶処理して普通の地球人として生きていけるって話、忘れたわけじゃないよな?」
「もちろん。でも、自分の輝度ってやつを他人任せにするのは嫌だし。シンと一緒に頑張るって決めたから。……あっちのからだだって、ほんとはあっちの連星のものだったわけだし」
話の合間に腕輪を持ち上げて眺めてみる。繊細な彫りの見た目も金属の質感も、アインの選んだお守りの腕輪とそっくり同じに思える。
「観測世界からの持ち出しは原則できねーから、レプリカ」
連星が、“お前”にも持っててほしいって。
「そっか」
腕に嵌めてみても、子どものからだでは上腕にも引っかからなかった。足を試したら入ったので、アンクレットにすればいいかもしれない。
新が腕輪の付け方を試行錯誤している間に、藍川は人のベッドに(勝手に)横になっていた。だから話は終わったものと思って、しばらくメムから渡された観測の手引き書とやらをめくってみたりしていたのだが。
「…………色々、悪かったな」
そこそこの時間が経ってから、反対側を向いたままの藍川が唐突に呟いた。本題はそれか、と手引書を閉じる。
藍川が謝ること事態がそもそも珍しいのに、過去編を聞いた時を含めればこれで二度めだ。──新だって、藍川に助けられて怪我をさせた時も、時間潰しに付き合わせたことに気づいていても、謝ったりはしてこなかった。
たぶん互いに、相手へ謝ることも謝られることも、慣れていないのだ。
(まー、謝り方はものすごい雑なんだけど……)
藍川に対して殴ってやりたいとは何度も考えたし、数々の問題行動ややり方は深く反省すべきだと思うが、謝らせたいとは思ってなかったかもしれない。実際にこうやって謝られると、どう反応していいか分からない。
「…………いいよ、もう、俺には謝んなくて。どこにどうやって生まれるのか、選べないのは誰だっておんなじだし」
──ずっと居心地が悪かった、息がしにくかった。死にたいと思う自分はおかしいのだと、罪悪感があった、けれど。
「ベートに生きやすい場所に行けばいいって言われたの、結構目から鱗だったな。どうやって生きてくのかは、自分で選ぶものなんだなって」
死にたがる自分を辛く思っても、環境を変えるとか、誰かに助けを求めるとか、そういう“生きるための努力”をしたことがなかった。
あの世界で初めて覚えた“死ねない”気持ちは、今も胸の奥で熾火のように灯り続けている。
「観測都市が俺の居場所になるかはまだ分かんないけど。とりあえず観測者をやりながら考えてみればいっかなって。……だからこれからは、自分でちゃんと、死なないように頑張れるから。俺にはもう、責任とか罪悪感とか、感じなくていい」
横になったままの藍川の背中が一瞬だけ揺れる。
「“悪魔”にも、ちゃんと罪悪感ってものがあったんだな」
「……オレも知らなかったわ」
「なんだ、めちゃめちゃ長生きしてても案外そんなもんなんだ」
自分のことも友人のことも、きっといつまで経っても理解しきれないのだろう。──生きている限り、変わっていくものなのだから。
「あー、そうだよ。……お前もクソ長生きしてみりゃ、イヤってほど分かるだろうよ」
藍川はがしがしと首の後ろを掻きながら起き上がって、右手をぶらつかせて部屋を出ていく。
「うん、まあ、たぶん長生きするんじゃない? ──観測者、だから」
何だか照れ臭いやりとりだな、とは思いつつ、一応そう返しておいた。
◇
そうして翌日、地球に帰った──再接続、をした。
新が観測しやすい世界が見つかったら呼び戻すのでそれまでは地球世界でゆっくり休養を摂るように、とメムから念を押されている。
連星の“真並新”の記憶と同期してみれば、今は十七時過ぎ、帰宅途中だった。放課後でラッキーと反射的に思って、普通の高校生の思考に一瞬で引き戻されてしまったことをおかしく思う。
黄昏の中、家路を辿る。いつだって、黄昏時を避けたって俯いたまませき立てられるように帰っていた道だった。地球での風景には今までの息苦しさが染みついてしまっていて、夕日の沈む空をただ綺麗だと屈託なく見上げられるようになるには、もう少し時間がかかりそうだ。
それでも、今はもう死にたい理由はなくなったことを知っていて、生きたい理由もいくつかできた。生きていく場所を選べることも知った。地球にいられなくても、行ける場所が他にある。受け入れてくれる人たちがいる。そのことが心と足取りをすこしだけ軽くする。
連星の“真並新”の星辰は、このからだが生まれると共に存在していたが、新の星辰が接続された瞬間から半ば眠っていたようなものだと藍川は言っていた。眠っていたことも知らず、観測都市のことも観測者のことも知らないまま、今までもこれからも“地球世界の真並新”としてだけ生きていくのだという。
新が地球にいる間はやはりからだを借りてしまうことを申し訳なくも思うが、新自身は「もう一人の自分が自分の代わりに活動してくれるなんてラッキー」と思える性質なので、たぶんきっと連星の新もそうだろう。明日の小テストの勉強は“いつも通り”きちんとやっておくので許して欲しい。
「ただいまー」
「新? 今、帰ってきたの? ……ひとりで?」
家に帰ると、今日は母が家にいた。驚いた声で、手も濡れたままでわざわざ玄関に顔を出してくる。
黄昏が空を覆う日には、いつも時間をずらして帰るか、藍川と一緒だった。
「うん、もう……平気、だから」
それだけで伝わったらしく、母は「そう……そう」と頷いた。声が少し揺れた気がする。
黄昏時に死にたくなるのだとは一度も言えなかったけれど、当然新の長年の異様な様子には気づいていただろう。自分を大事にできない新以上に、新を大事にして、そして見守ってきてくれた家族だった。
創世世界の少年シンはすでに喪ってしまった。家族を喪うことのつらさの一端を、そこで教えられた。他の世界でもいるとは限らなくて、だから、今母がここにいてくれることが、ありがたいと思う。
「母さん。……ただいま」
この言葉をもう一度言いたいと思って、もう大丈夫なのだと自分で伝えたくて、そのためにここへ帰ってきた。
“死にたがり”の真並新は、もういない。
お付き合いくださり、ありがとうございました。




