『あなたの願いを叶えましょう』 四十話
僕たちは、何事も無かったかのように日常へと帰宅した。何の変哲も無い生活は退屈で、まるで靄に包まれたみたいに不透明だった。でもこれが、きっと本来僕たちに与えられた物……。もう二度と命懸けで幽霊屋敷になんて乗り込みたくはないけれど、余りの落差に気が遠くなりそうだった。
数学の先生の念仏の様な声とチョークが黒板を走る音を聞きながら、僕はいつの間にか本当に意識を手放しつつあった。
「……い」
最期に聞いたティリアの声はとても優しくて、残酷な程に僕の頭に響いていた。
「……京」
どうして僕はあの時、あのままティリアを抱きしめ返せなかったのだろうか。
「……京、ねぇ、京」
後悔という名の悲しみは、幻想の中のティリアの声さえ普段のがさつで自堕落な彼女のものに変えてしま──
「京ってば! 起きなさいよ‼︎」
「うおっ⁉︎」
ぱちっと目を開けると、お怒り状態のティリアが僕を睨んでいた。
「もう京ったらだらしないんだから……!」
「てぃ、ティリア……どうしてここに?」
「はあっ⁉︎ いつまで寝ぼけてんのよ。 さっさと帰るわよ」
よだれを拭き拭き状況を確認すると、僕は居眠りしたままいつの間にか放課後を迎えてしまったらしい。
「よ。 平成の眠り姫!」
「……浩二。 お前に言われる筋合いだけは無い!」
僕はニヤニヤしながら近寄ってきた浩二にパンチをお見舞いすると、鞄を持って立ち上がった。
「……御愁傷様です、呪います」
「呪うのは浩二だけにしてくれ、神子川……」
何故か常に浩二の背後にいて、写真を撮るたびに写り込んでは心霊写真だと騒がれている神子川。早く結婚すれば良いのに。
賑やかなメンバーで廊下に出ると、丁度やっと終わったという顔隣から出てきた雪菜さんに出会った。
「はあ、やっと終わりましたよ……」
「お疲れ雪菜さん」
「魔法使えないし、人間って良くやるよねまったく」
同じく疲れた顔をしているのは、アノーだ。現在普通の人間として暮らしているアノーは、何故か高校生のふりをして僕たちの学校、そして雪菜さんと同じクラスに通っていた。
「よーし。 全員揃ったし、早速行きましょうか」
少し元気そうなティリアの声に、僕たちはそれぞれ声をあげて答えた。向かう先は僕の部屋の真下、虹新人の家だった。
「やあ、よく来てくれたね」
アポなしにやって来た僕達を、虹新人は嫌な顔一つせずに部屋に招き入れてくれた。
魔法が使えなくなり、ただの人間になった虹新人は僕の住んでいるアパートに部屋を借りて生活するようになった。
お金の事はある程度の蓄えがあった十賦が何とかしてくれたらしい。けれど、いつまでも弟子に頼るわけにもいかないと思ってるのか、必死に就職活動をしている。
……元とはいえ魔法使いが就職活動なんて夢も何もあったもんじゃないよなぁ。
「それでこんな大勢でぼくに何の用だい?」
「ティリアがお前に用があるっていうからさ……」
「ティリアが?」
「ええ。あの時の事について聞きに来たの」
ティリアがそう言うと虹新人は何故かそれを予想していたように肩をすくめた。
あの時の事?
何の話だろうか。
「あの時の事って何ですか?」
疑問符を浮かべていると、雪菜さんが僕の聞きたい事を言ってくれた。
「あたしが……ランプに封印される直前の話よ」
「直前って、何かあったのか?」
「あの時は言えなかったけど。整理がついたから今言うわ」
「おい、ティリア?」
声をかけてもティリアは無視して、虹新人と向き合う。
そして淡々と、挨拶するみたいに言った。
「あたし、あの時あんたの事が好きだった」
「「えぇっ──むぐっ⁉︎」」
突然のティリアの告白に僕は思わず声を上げようとした。
が、浩次に口を塞がれてしまい、それが声になる事はなかった。
雪菜さんも同様に神子川に口を塞がれていた。
この手際……さては事前に打ち合わせしてたな⁉︎
というか、ティリアはそんな話をして何のつもりなんだ⁉︎
「あんたは……どうだった?」
「好きだったよ」
迷いもなく答える虹新人。
憂に満ちた表情で虹新人は続ける。
「だった、っていうのは違うかな。ぼくは今でもティリアが好きだ。だからぼくはランプの中に入ったんだから」
我ながら見苦しいよね、そう言って虹新人は頬を掻いてみせた。
「そんな事ないわ。逆の立場だったらあたしも……そうしたわ」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
「だからこそ言うわ」
そんな虹新人に向かってティリアは頭を下げた。
「ごめんなさい。今、あんたの気持ちには応えられない。あの時から今になって、あたしの気持ちは……変わっちゃったの」
そうティリアが言い切ると、虹新人は顔を俯かせた。
僕は未だの何の話をしているかよく分からない。
けれど、これだけは分かる。
ティリアが虹新人を思いを受け入れなかった、という事は。
俯いた虹新人の表情はどんな顔をしているのだろう。
想像がつかなかった。
それでもしばらくの静寂の後、虹新人は顔を上げる。
屋敷の最後に見たティリアの泣き笑いのような表情を、虹新人は晒す。
「分かってたよ。屋敷で再会した時からこうなる事は」
「本当にごめんなさい」
「いや、いいさ。こうして皆を集めたって事は決別したかったんだろう? 昔と今は違うんだってさ」
「あたしの我が儘だけどね。後はアイツに何か勘違いされてもらっても困るし……」
「ああ、そういう事ね」
クスクス笑う虹新人と、頬を朱に染めるティリア。
よく分からないけど……話は終わったのか?
ここでようやく浩次の手が僕の口から離れる。
それどころが両手で僕の背中をぐいぐい押してくる……って、おい。
「何をするんだよ浩二」
「いけよ」
「は?」
「いけって」
「ちょっと待て。意味を分からな……」
「いいからいけっての! 主役が出なきゃ締まらないだろ!」
「おまっ、浩次……っ!」
浩次に足で蹴り出され、僕は床に倒れ込むようにこけてしまった。
全く浩次め……床にぶつけた手足を摩りながら立ち上がると、丁度そこにはティリアが真正面に立っていた。
ティリアの頬は火照っていて、ほんのりと上気していた。それでいてティリアが僕を見る目がうっとりとしていた。
「京」
「な、何だよ」
「あの時は言えなかったけど。今、ここで言うわ」
「いきなり改まって……何だよ?」
「あたしね、あんたの事が……」
「僕の事が?」
「す、すすす…………なの」
「え? 何? 聞こえないんだけど……」
「…………きっ、なの」
「だから聞こえないって。何が言いたいのか全然分からないぞ?」
「──っ」
「ひょっとして冷やかしか? 日頃の恨みを晴らしてやるとかそういうつもりならお断り──」
「バカ! 鈍感バカ! バーカ!」
「って、またそれかよ⁉︎ って、殴るなよ! 痛いから⁉︎」
突如として、駄々をこねる子供のようにティリアが殴りかかってくる。
本当、何のつもりだよ⁉︎
「あんたみたいなバカ……こうしてやるわよ!」
「おい、そんな拳を振りかぶって何を……ちょ、ちょっとタンマ! 待てティリア──むぐっ⁉︎」
僕とティリアの唇が──重なった。




